西洸人(INI)の出身高校は神奈川県立多摩高校!偏差値68の難関校からダンサーへの道

INIのメンバーとして活躍する西洸人さん。卓越したダンススキルで注目を集める彼ですが、実は偏差値68の難関公立高校出身という一面も持っています。

本記事では、西洸人さんの出身高校である神奈川県立多摩高校での学生生活、サッカー部からダンスへの転向、そして大学進学を断念してダンサーの道を選んだ理由まで、詳しく解説します。

西洸人の出身高校は神奈川県立多摩高校

偏差値68の難関公立校に一般受験で合格

西洸人さんの出身高校は、神奈川県川崎市にある神奈川県立多摩高校です。この高校は偏差値68の難関公立校で、神奈川県内でも有数の進学校として知られています。西さんは2013年4月にこの高校に一般受験で入学し、2016年3月に卒業しました。

多摩高校は1956年開校の歴史ある県立高校で、毎年多くの卒業生が国公立大学や難関私立大学に進学しています。偏差値68という高い水準は、神奈川県内の公立高校の中でもトップクラスに位置しており、入学するには相当な学力が必要です。

西さんが一般受験でこの高校に合格したという事実は、彼が高い学力を持っていたことを証明しています。中学時代は帰国子女として英語力に優れていただけでなく、他の教科でも高い成績を収めていたと考えられます。

日大三高も合格していた受験の実力

インターネット上では当初、西さんの出身高校として日本大学第三高校(偏差値66)の名前も挙がっていました。これは西さんが過去にツイッターで友人とやり取りした内容が元になっています。

そのツイートによると、西さんは神奈川県立多摩高校を第一志望とし、日本大学第三高校を併願校として受験していました。結果として両方の高校に合格し、第一志望だった多摩高校に進学することを選んだのです。現在、このツイートは削除されていますが、当時の情報を知る人たちの間では有名なエピソードとなっています。

偏差値66の私立高校を併願校にできるということは、それだけ西さんの学力が高かったことを示しています。多摩高校も日大三高も、どちらも神奈川県内では上位の進学校であり、両方に合格する実力は並大抵のものではありません。

体育祭の春組団長が出身校を裏付け

西さんが多摩高校の出身であることは、高校時代の体育祭の写真からも確認できます。SNS上に投稿された体育祭の画像には、西さんが「春組団長」として活躍する姿が写っていました。

多摩高校の体育祭には特徴的なシステムがあります。学校のホームページによると、体育祭では生徒を誕生日によって春・夏・秋・冬の4つの組に分け、各組の団長や副団長を中心に1年間かけて準備を進めるそうです。配属された季節は3年間変わらないため、クラスや学年の垣根を超えたつながりができることが特徴とされています。

西さんは春組の応援団長を務めており、体育祭では「東」という名前で自己紹介していました。本名が「西」なのにあえて「東」を名乗るというギャグセンスは、西さんらしいユーモアの表れです。この体育祭の情報と多摩高校のシステムが完全に一致することから、西さんが多摩高校出身であることは確定しています。

多摩高校時代の学校生活とエピソード

高校1年生はサッカー部で活動

西洸人(INI)の出身高校は神奈川県立多摩高校!偏差値68の難関校からダンサーへの道

西さんは高校1年生の時、サッカー部に在籍していました。実は西さんは小学校時代からサッカーをしており、中学時代もサッカー部に所属していました。サッカーは西さんにとって長年続けてきたスポーツだったのです。

多摩高校は進学校でありながら、部活動も盛んな学校です。サッカー部も県大会に出場するなど、一定の実績を持っています。西さんは勉強と部活を両立させながら、高校1年生の時期を過ごしていました。

しかし西さんの心の中では、次第にダンスへの情熱が大きくなっていきました。中学3年生の卒業式でクラス全員でLMFAOの「PARTY ROCK ANTHEM」を踊ったことがきっかけでダンスに興味を持った西さんは、高校に入ってもその気持ちを忘れられずにいたのです。

サッカー部を辞めてダンスの道へ

高校1年生の終わり頃、西さんは大きな決断をしました。サッカー部を辞めて、ダンスに専念することにしたのです。この決断は西さんにとって簡単なものではなかったはずです。

小学校から続けてきたサッカーを辞めるということは、それまで積み重ねてきた経験や仲間との関係を手放すことを意味します。また、部活動を途中で辞めることに対する周囲の目も気になったでしょう。それでも西さんは、自分が本当にやりたいことはダンスだという気持ちに正直になることを選びました。

高校2年生から、西さんは本格的にダンス教室に通い始めます。学校の授業が終わった後、ダンススタジオに通って練習を重ねる日々が始まりました。進学校である多摩高校の宿題や課題をこなしながら、ダンスの練習にも時間を割くという生活は、かなりハードだったと想像できます。

高校3年生でダンスコンクール優勝

西さんの努力は、高校3年生の時に大きく実を結びます。「Dance Expo Tokyo」というダンスコンクールで見事優勝を果たしたのです。このコンクールは全国から優れたダンサーが集まる権威あるもので、そこで優勝したということは、西さんのダンススキルが非常に高いレベルに達していたことを示しています。

高校2年生からダンスを本格的に始めて、わずか1年半ほどでコンクール優勝という快挙を成し遂げた西さん。この成功の裏には、人一倍の努力があったはずです。学業との両立で時間が限られる中、効率的に練習を重ね、技術を磨いていったのでしょう。

この優勝経験は、西さんにとってダンサーとしての自信につながる重要な出来事でした。「自分はダンスの道でやっていける」という確信を持てたことが、後に大学進学を断念してダンサーの道を選ぶ決断につながっていきます。

多摩高校のミスターコンテストでの順位変動

高校1年生で2位入賞

多摩高校には文化祭の人気イベントとして、ミスターコンテストとミスコンテストがあります。西さんは高校1年生の文化祭で、このミスターコンテストに出場し、2位という好成績を収めました。

ルックスが良く、帰国子女という個性も持つ西さんは、1年生ながら注目を集めました。文化祭という晴れ舞台で、堂々とパフォーマンスを披露し、多くの生徒や来場者の支持を得たのです。

ミスターコンテストでの上位入賞は、西さんが学校内で人気者だったことを示しています。進学校である多摩高校では、勉強ができるだけでなく、人間的な魅力や個性も重視される雰囲気があります。西さんはその両方を兼ね備えた存在だったのでしょう。

人見知りのクールキャラで順位が下降

ところが西さんは、高校2年生のミスターコンテストでは4位、高校3年生では圏外という結果になってしまいました。この順位の変動について、西さん自身が後のインタビューで理由を明かしています。

「年を追うごとに人見知りからくるクールキャラが出始めて、高校2年生の時は4位、高校3年生の時には圏外になってしまった」

この発言から、西さんが本来は人見知りな性格であることがわかります。高校1年生の時は、新しい環境での緊張感や新鮮さもあって、積極的に自分を表現できていたのかもしれません。しかし学年が上がるにつれて、本来の人見知りな性格が表に出てきてしまったようです。

クールキャラとして認識されるようになったことは、必ずしも悪いことではありません。ダンサーとしてのカッコいいイメージにもつながりますし、ミステリアスな魅力として受け取られることもあります。しかしミスターコンテストのような親しみやすさが求められるイベントでは、不利に働いてしまったのでしょう。

高校時代の帰国子女としての英語力

小学4年生で英検2級取得の実力

西さんは帰国子女として、高い英語力を持っています。子供の頃にアメリカとオーストラリアで4年間過ごした経験があり、小学4年生の時には英語検定2級を取得しました。

英検2級は高校卒業程度のレベルとされており、小学4年生で取得するのは非常に稀なケースです。これは西さんが海外生活で身につけた英語が、単なる日常会話レベルではなく、アカデミックな場面でも使える高度なものだったことを示しています。

多摩高校では、帰国子女や英語が得意な生徒も多く在籍しています。しかし小学生で英検2級を取得しているレベルの生徒は少なく、西さんの英語力は学校内でも際立っていたと考えられます。

英語圏の文化に精通していた高校時代

西さんは高校時代、英語圏の文化に精通していることを示すエピソードも残しています。INIのメンバーになってからのバラエティ番組で、「Eeny, meeny, miny, moe」という英語圏の数え歌を知っていたことが話題になりました。

「Eeny, meeny, miny, moe」は、日本の「どちらにしようかな」と同じく、鬼ごっこなどで鬼を決める際に使われる子供向けの数え歌です。この歌を知っていたということは、西さんが海外で子供時代を過ごし、現地の子供たちと一緒に遊んでいた証拠でもあります。

高校時代も、この英語力と国際感覚は西さんの大きな強みでした。英語の授業では他の生徒より圧倒的に有利でしたし、洋楽やダンスミュージックを理解する上でも、英語ができることは大きなアドバンテージになったはずです。

高校卒業後の進路選択と挫折

指定校推薦で大学進学を目指すも失敗

多摩高校は進学校であり、ほとんどの生徒が大学に進学します。西さんも当初は大学進学を考えており、指定校推薦での進学を目指していました。

指定校推薦は、高校の成績が良い生徒が学校の推薦を受けて大学に進学できる制度です。一般入試よりも早い時期に進路が決まるため、多くの進学校の生徒が利用しています。西さんも、この制度を利用して大学に進学しようと考えていたようです。

しかし読者の方からの情報提供によると、西さんは指定校推薦の試験に失敗してしまいました。この失敗は、西さんにとって大きなショックだったはずです。進学校である多摩高校では、大学進学が当たり前の雰囲気があります。同級生たちが次々と進路を決めていく中、自分だけが取り残されたような気持ちになったかもしれません。

大学進学を断念しダンサーの道へ

西洸人(INI)の出身高校は神奈川県立多摩高校!偏差値68の難関校からダンサーへの道

指定校推薦に失敗した後、西さんには一般入試で大学を受験するという選択肢もありました。偏差値68の高校に一般受験で合格した学力があれば、一般入試でも十分に難関大学を狙えたはずです。

しかし西さんは、大学進学を諦めてダンサーの道を選びました。この決断の背景には、高校3年生で優勝したダンスコンクールの経験が大きく影響していたと考えられます。

指定校推薦に失敗したことは、西さんにとって「大学に行くべきか、ダンスの道に進むべきか」を真剣に考える機会になったのでしょう。そして西さんは、自分が本当にやりたいことはダンスだという結論に達しました。

進学校の生徒が大学に進学せずダンサーになるという選択は、周囲からは理解されにくかったかもしれません。両親も教師も、せっかく多摩高校で学んだのだから大学に進学してほしいと考えたでしょう。それでも西さんは、自分の情熱に従う道を選んだのです。

高校卒業後のダンサーとしての活躍

数々のダンス大会で優勝

高校卒業後、西さんはダンサーとしての道を本格的に歩み始めます。2016年には「World of Dance Japan」と「VIBE Dance Competition」という2つの大きなダンス大会で優勝を果たしました。

高校時代のダンスコンクール優勝に続き、プロのダンサーが集まる大会でも結果を出した西さん。この実績は、大学進学を諦めてダンスの道を選んだことが正しかったことを証明するものでした。

ダンス大会での優勝は、西さんの知名度を上げるとともに、ダンサーとしての仕事の機会も増やしていきます。バックダンサーやダンスインストラクターとしての依頼が舞い込むようになり、ダンスで生計を立てる道が開けていきました。

有名アーティストのバックダンサーに

西さんは22歳になる頃には、SHINeeのテミンさん、三浦大知さん、ちゃんみなさんなど、有名アーティストのバックダンサーを務めるようになりました。特にテミンさんのツアーに参加した経験は、西さんのアーティスト観を大きく変えたそうです。

西さんはインタビューで、「テミンさんに会って、こんなにカッコいい人がいるんだって驚いた。男らしい上に華やかさもあり、ダンスも歌も上手でステージ上では思いっきり表現して人を魅了している姿を見て、アーティストに対する想いが変わってきた」と語っています。

この経験が、後に「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」に参加してアイドルグループINIのメンバーになる決断につながっていきます。バックダンサーとしての経験を通じて、西さんは自分もステージの中心で輝きたいという思いを強くしていったのです。

東洋大学のダンススクールでインストラクター

インターネット上では、西さんが東洋大学に進学したという情報が一時期流れていました。しかしこれは誤情報で、実際には東洋大学のダンススクール「Snow Dancer」にインストラクターとして関わっていただけです。

ダンスインストラクターとして後進の指導にあたることは、西さん自身のスキルアップにもつながりました。人にダンスを教えるためには、自分の動きを言語化し、理論的に説明する能力が必要です。この経験が、後にINIのメンバーとしてダンスパフォーマンスを披露する際の表現力向上にも役立っているでしょう。

多摩高校での経験がINI加入につながった

高校時代に培った努力する習慣

偏差値68の多摩高校で学業とダンスを両立させた経験は、西さんに努力する習慣を身につけさせました。進学校の課題や宿題をこなしながら、ダンスの練習にも打ち込むという生活は、時間管理能力や集中力を鍛えます。

この習慣は、プロのダンサーになってからも西さんを支えました。バックダンサーとしての仕事をこなしながら、自分自身のスキルアップのための練習も怠らない――そういった努力の積み重ねが、INIのオーディションでの成功につながっていきます。

応援団長の経験がリーダーシップを育てた

西洸人(INI)の出身高校は神奈川県立多摩高校!偏差値68の難関校からダンサーへの道

高校時代に体育祭の春組応援団長を務めた経験は、西さんにリーダーシップを身につけさせました。大勢の生徒をまとめ、一つの目標に向かって団結させることは、簡単なことではありません。この経験が、後にダンスクルー「THE GREAT GATSBY」のリーダーを務める際にも活かされています。

INIでは年上のメンバーとして、後輩たちをまとめる役割も期待されています。西さん自身も「年上だからしっかりしなきゃと思っている」と語っており、高校時代に培ったリーダーシップが発揮されているのです。

まとめ:多摩高校が西洸人を育てた

西洸人さんは、偏差値68の難関公立校である神奈川県立多摩高校を一般受験で合格し、2013年から2016年まで在籍しました。高校1年生ではサッカー部に所属していましたが、2年生からダンスに転向し、3年生でダンスコンクール優勝という快挙を成し遂げました。

体育祭では春組の応援団長を務め、ミスターコンテストでは1年生で2位入賞するなど、学校生活も充実していました。帰国子女として英語力にも優れ、多摩高校での3年間で学業とダンスを両立させる力を身につけました。

高校卒業後は指定校推薦に失敗したものの、大学進学を諦めてダンサーの道を選択。この決断は見事に花開き、有名アーティストのバックダンサーとして活躍した後、「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」でINIのメンバーに選ばれました。

多摩高校での経験――学業との両立、サッカーからダンスへの転向、応援団長としてのリーダーシップ、指定校推薦の失敗――これらすべてが、現在の西洸人というアーティストを形成しています。進学校での学びと、自分の情熱を貫く勇気が、INIでの活躍につながっているのです。

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