西野七瀬の高校は松原高校から日出高校へ転校!偏差値・学生時代・乃木坂46加入の全経緯

元乃木坂46のメンバーで、現在は女優・モデルとして活躍する西野七瀬さん。清楚で可憐なルックスと親しみやすいキャラクターで、幅広い世代から支持を集めています。

そんな西野さんの高校時代は、乃木坂46のメンバーとしてデビューし、大阪と東京を行き来する多忙な日々を送っていました。本記事では、西野七瀬さんの出身高校の詳細、偏差値、転校の経緯、そして高校時代のエピソードを時系列で詳しく解説します。

  1. 西野七瀬のプロフィールと基本情報
  2. 西野七瀬の学歴一覧:小学校から高校まで
  3. 西野七瀬の最初の出身高校は大阪府立松原高等学校
    1. 大阪府立松原高等学校の基本情報
    2. 西野七瀬が松原高校を選んだ理由は母親の勧め
    3. 松原高校時代の西野七瀬のエピソード
      1. ダンス部に入部
    4. 高校時代は「ちょっとギャル」だった西野七瀬
  4. 高校2年生で乃木坂46のメンバーに:オーディション合格の経緯
    1. 母親の勧めで乃木坂46のオーディションに応募
      1. 本人も驚きの合格発表
    2. 38,934名の中から合格:新垣結衣の「赤い糸」を歌唱
    3. 大阪と東京を往復する二重生活の始まり
  5. 秋元真夏との確執と和解:福神から外れた衝撃
    1. 秋元真夏の電撃復帰で「八福神」から外れる
    2. 横浜アリーナのライブで和解:現在は大親友に
  6. 日出高等学校(通信制課程)へ転校:単身上京の決断
    1. 日出高等学校(通信制課程)の基本情報
    2. 日出高校の同学年には豪華なメンバーが在籍
    3. 上京後は寮生活|仕事終わりの食事が楽しみだった
    4. フランス留学の計画が幻に
  7. 高校2年生で乃木坂46がメジャーデビュー:選抜メンバーに抜擢
    1. 「ぐるぐるカーテン」で3列目からスタート
    2. 3rdシングル「走れ! Bicycle」で福神落ち:悔しさをバネに
    3. 4thシングル「制服のマネキン」で意識が変わる
  8. 高校卒業後は大学に進学せず芸能活動に専念
    1. 看護師志望から方向転換
    2. 高校卒業直後から快進撃が始まる
  9. 西野七瀬の高校時代から見える人物像
    1. 母親の影響力の大きさ
    2. 強い負けず嫌いと向上心
    3. 前向きで気持ちの切り替えが早い
  10. 西野七瀬の高校卒業後の活躍:乃木坂46卒業から現在まで
    1. 乃木坂46での活躍|グループの顔として
    2. 2019年2月に乃木坂46を卒業
    3. 卒業後の活躍|女優・モデルとして
    4. 2024年3月に山田裕貴と結婚
  11. まとめ:西野七瀬の高校時代と芸能人生

西野七瀬のプロフィールと基本情報

まず、西野七瀬さんの基本プロフィールを確認しておきましょう。

本名:西野七瀬(にしの ななせ)
生年月日:1994年5月25日
出身地:大阪府大阪市平野区
身長:159cm
血液型:O型
所属事務所:乃木坂46合同会社(2019年卒業後は個人での活動)
愛称:なぁちゃん

「七瀬」という名前は本名で、父親が命名したそうです。母親は「椎菜(しいな)」という名前を考えていましたが、最終的に父親の案が採用されました。どちらも珍しく可愛らしい名前ですね。

西野七瀬の学歴一覧:小学校から高校まで

西野七瀬さんの学歴を一覧で整理すると以下の通りです。

  • 出身小学校:大阪市立長吉小学校
  • 出身中学校:大阪市立長吉西中学校
  • 出身高校:大阪府立松原高等学校 → 日出高等学校(通信制課程)へ転校
  • 大学進学:進学せず、芸能活動に専念

高校は2校に在籍しており、乃木坂46のメンバーとして活動を本格化させるタイミングで転校しています。この経緯については後ほど詳しく解説します。

西野七瀬の最初の出身高校は大阪府立松原高等学校

西野七瀬さんが2010年4月に入学した高校は、大阪府立松原高等学校です。

大阪府立松原高等学校の基本情報

  • 所在地:大阪府松原市三宅東3丁目4番1号
  • 設立:1974年
  • 学科:総合学科(単位制)
  • 偏差値:44~45(容易レベル)
  • 特徴:普通科目に加え、看護・農業・美術・福祉など専門科目を学べる

大阪府立松原高等学校は、普通科を設置せず総合学科のみという珍しい形態の公立高校です。授業の約半分が選択制で、生徒は自分の興味や将来の進路に応じて専門的な科目を選択できます。特に看護コースは充実しており、将来看護師を目指す生徒が多く在籍しています。

西野七瀬が松原高校を選んだ理由は母親の勧め

西野さんが松原高校に進学した理由は、母親から「看護師になることを勧められた」ためです。中学時代、将来の進路について特に深く考えていなかった西野さんに対し、母親が「将来的に看護師がいいんじゃない?」と提案したことがきっかけでした。

西野さん自身、後年のインタビューで次のように語っています。

「中学のときは特に何になりたいとか考えたことがなくて、お母さんに相談したら『将来的に看護師がいいんじゃない?』って言われたから『じゃあ、そうする』ってことで(笑)。特に深く考えずに看護コースのある高校に進学したんです」

また、制服が可愛かったことも進学の決め手の一つだったそうです。実際、松原高校の制服は女子生徒に人気があり、リボンが特徴的なデザインとなっています。

松原高校時代の西野七瀬のエピソード

松原高校に入学した西野さんは、中学時代とは打って変わって充実した高校生活を送るようになります。

中学時代は友達が少なく、本人も「暗黒時代」と呼ぶほど苦しい時期を過ごしていました。しかし高校に入学すると友達もでき、「やっと良い生活になった」と後に振り返っています。

ダンス部に入部

高校ではダンス部に入部し、部活動に打ち込む日々を送りました。また、高校1年生の春から乃木坂46に加入するまでの間、近所のマクドナルドでアルバイトもしていました。西野さん自身、当時を「部活、バイト、部活、バイトの日々」と回顧しています。

マクドナルドでのアルバイト中は非常にモテており、客から電話番号を渡されたり「スマイルください」と言われたこともあったそうです。インタビューでは照れながらもこのエピソードを明かしています。

高校時代は「ちょっとギャル」だった西野七瀬

意外にも、高校時代の西野さんは「見た目がちょっとギャルだった」と本人が語っています。当時の友達とのプリクラも残っており、明るく楽しい高校生活を送っていた様子がうかがえます。

オシャレにも関心が高く、前髪だけは自分で切っていたそうです。ファッションへのこだわりは、後のファッションモデルとしての活躍にもつながっているのかもしれません。

一方、勉強面では苦戦していたようで、たくさん勉強して「今回はいける」と思ったテストでも結果が全然ダメだったことがあったそうです。ただし当時から前向きな性格で、「できなかったことを次できるようになろう」とすぐに気持ちを切り替えていたといいます。

高校2年生で乃木坂46のメンバーに:オーディション合格の経緯

西野七瀬さんの人生が大きく変わったのは、高校2年生の2011年でした。

母親の勧めで乃木坂46のオーディションに応募

2011年、乃木坂46の第1期生を募集するオーディションが開催されました。この情報を知った西野さんの母親が、西野さんにオーディションへの応募を勧めます。

看護師になることを勧めたのも母親、乃木坂46のオーディションを勧めたのも母親。西野さんの人生において、母親の影響力は非常に大きかったことがわかります。

本人も驚きの合格発表

西野七瀬の高校は松原高校から日出高校へ転校!偏差値・学生時代・乃木坂46加入の全経緯

西野さん自身は当初、「自分は絶対にアイドルに向いていない」と思っていました。また、オーディション会場では周りに可愛い子が多かったため、まさか合格するとは思っていなかったそうです。

ただし後年のインタビューでは、「ちょっとは芸能界に興味があったかもしれない」とも述べており、タレントになりたいというよりは「どんな世界なんだろう」という好奇心があったようです。

38,934名の中から合格:新垣結衣の「赤い糸」を歌唱

オーディションで西野さんは、女優・新垣結衣さんの楽曲「赤い糸」を歌唱しました。そして見事、38,934名の応募者の中から第1期生のメンバーに選ばれます

当時の西野さんは「まさか合格するとは思っていなかった」と語っており、合格の知らせを聞いた時の驚きは相当なものだったようです。

大阪と東京を往復する二重生活の始まり

乃木坂46のメンバーに選ばれた西野さんは、当初は大阪の高校に通いながら、週末に東京へ上京して仕事をするという二重生活を送ることになります。

平日は大阪で普通の高校生として授業を受け、週末は東京でレッスンや仕事をこなす。この生活は想像以上にハードで、体力的にも精神的にも厳しいものでした。

西野さんは後年のインタビューで、「アイドルって、めちゃくちゃ働くんだと思いました。当時は体力が全然なかったので、仕事でぐったり疲れて寝て、次の日、寝坊してしまうこともあって(苦笑)。その日その日の仕事をこなすのが、精いっぱいでした」と振り返っています。

秋元真夏との確執と和解:福神から外れた衝撃

乃木坂46のメンバーとして活動を始めた西野さんですが、高校2年生の時に大きな出来事が起こります。

秋元真夏の電撃復帰で「八福神」から外れる

2011年10月、一度グループを脱退していた秋元真夏さんが電撃復帰し、「八福神」(選抜メンバーの中心8人)に選ばれました。その結果、西野さんは2列目から3列目に下がることになります。

当初、西野さんは自分だけが福神から外れたことに気付いていませんでした。後で気付いた時には涙が止まらず、「もう大阪に帰ります!」と言ってスタジオから逃走しようとしたそうです。スタッフに引き戻されたものの、かなり荒れていたといいます。

西野さんは秋元さんに「弾き出された」と感じるようになり、以降約1年間、2人は口をきかない関係になってしまいます。

横浜アリーナのライブで和解:現在は大親友に

しかし翌年、横浜アリーナでのライブ前に西野さんが秋元さんに声をかけたことをきっかけに、2人は「和解」します。

ライブ中には、西野さんから秋元さんへのメッセージ「真夏、おかえり。一緒に頑張ろう」という映像が流されるサプライズ演出もありました。

西野さんは後年のインタビューで、「自分が子供すぎたのが原因だった」と全面的に非を認めています。また、「もし自分が真夏の立場だった場合、今の真夏みたいに振る舞うことは絶対にできなかった」とも語っており、秋元さんの器の大きさに感銘を受けたようです。

現在、2人は乃木坂46のメンバーの中でも特に仲が良いことで知られており、プライベートでも頻繁に会う大親友となっています。

日出高等学校(通信制課程)へ転校:単身上京の決断

大阪と東京を往復する生活にも限界が訪れます。西野さんは高校2年生の2011年11月、日出高等学校(現:目黒日本大学高等学校)の通信制課程へ転校し、単身で上京することを決意します。

日出高等学校(通信制課程)の基本情報

  • 所在地:東京都目黒区目黒1-6-15
  • 学科:通信制課程
  • 偏差値:なし(通信制のため偏差値の設定なし)
  • 特徴:芸能活動との両立がしやすいカリキュラム

日出高等学校(2019年に目黒日本大学高等学校へ改称)は、芸能人が多く通うことで知られる高校です。全日制課程も設置されていますが、西野さんが選んだのは通信制課程で、芸能活動と学業を両立させやすいカリキュラムが組まれています。

日出高校の同学年には豪華なメンバーが在籍

西野さんが日出高校に在籍したのは約1年間でしたが、当時の全日制課程の同学年には以下のような豪華なメンバーが在籍していました。

  • 松岡茉優(女優)
  • 朝日奈央(元アイドリング!!!)
  • 百田夏菜子(ももいろクローバーZ)
  • 家入レオ(シンガーソングライター)
  • 鈴木愛理(元℃-ute)
  • 日高里菜(声優)

芸能人が多く在籍する環境の中で、西野さんも本格的なアイドル活動に専念できるようになりました。

上京後は寮生活|仕事終わりの食事が楽しみだった

上京後、西野さんは他の乃木坂46のメンバーと一緒に寮生活を送るようになります。

慣れない東京での生活、満員電車、そして多忙な仕事。最初は戸惑うことも多かったようですが、仕事が終わった後にメンバーと一緒に食事をする時間が何よりの楽しみだったそうです。

「大阪にいた時はほとんど電車に乗っていなかったので、東京の満員電車にはなかなか慣れなかったです」と後年語っており、地方出身者ならではの苦労も経験したようです。

フランス留学の計画が幻に

バラエティ番組「アナザースカイ」に出演した際、西野さんは高校時代にフランスへ留学する予定があったことを明かしています。

しかし乃木坂46のメンバーとなったことで、この留学計画は実現しませんでした。もしフランスへ留学していたら、今の西野七瀬さんは存在しなかったかもしれません。人生とは不思議なものですね。

高校2年生で乃木坂46がメジャーデビュー:選抜メンバーに抜擢

西野さんが高校2年生だった2012年2月、乃木坂46はファーストシングル「ぐるぐるカーテン」でメジャーデビューを果たします。

「ぐるぐるカーテン」で3列目からスタート

デビューシングル「ぐるぐるカーテン」で、西野さんはいきなり選抜メンバーに抜擢されます。ただし当初は3列目からのスタートでした。

1列目は生駒里奈さん(センター)、生田絵梨花さん、星野みなみさん。2列目は橋本奈々未さん、白石麻衣さん、高山一実さん、松村沙友理さん。そして西野さんは3列目という配置でした。

とはいえ、デビューシングルから選抜メンバーに選ばれたことは大きな評価であり、当初から注目されていたことがわかります。

3rdシングル「走れ! Bicycle」で福神落ち:悔しさをバネに

しかし3枚目のシングル「走れ! Bicycle」では、西野さんは七福神(現在の八福神)から外れてしまいます。この出来事は西野さんに大きな衝撃を与え、同時に強いモチベーションも与えました。

西野さんは後年のインタビューで、「マイナスの気持ちを活力にしてたんですよ。絶対に目立ってやるって」と語っています。

4thシングル「制服のマネキン」で意識が変わる

西野さんの意識が大きく変わったのは、高校3年生の12月にリリースされた4枚目のシングル「制服のマネキン」からでした。

「意識がガラッと変わったのは4枚目(『制服のマネキン』)からですね。(3rdシングル『走れ! Bicycle』での)七福神から落ちて悔しくて、マイナスの気持ちを活力にしてたんですよ。絶対に目立ってやるって」

グループ内でも有数の負けず嫌いとして知られる西野さんらしいコメントです。この強い気持ちが、後のセンター抜擢へとつながっていきます。

高校卒業後は大学に進学せず芸能活動に専念

西野七瀬さんは2013年3月に日出高等学校の通信制課程を卒業しますが、大学には進学していません。

看護師志望から方向転換

当初は母親の勧めで看護師を目指していた西野さんですが、乃木坂46のメンバーとして活動する中で、芸能活動への情熱が強くなっていきました。

高校2年生の1月に乃木坂46のメンバーとしてデビューし、グループは立て続けにオリコン1位のヒットを飛ばして一躍人気アイドルグループに。このような状況では、看護学校や大学へ進学する余裕はなかったでしょう。

高校卒業直後から快進撃が始まる

高校卒業後、西野さんの快進撃が始まります。

2013年5月には舞台「16人のプリンシパル」で主要十役を演じ、女優としての才能も開花させます。

そして2014年4月、グループの8枚目シングル「気づいたら片想い」で、西野さんは初めてセンターに抜擢されます。このシングルは大ヒットを記録し、西野さんの人気は一気に急上昇しました。

以降、西野さんは白石麻衣さんと並ぶグループの顔として成長し、人気ファッション誌「non-no」の専属モデルにも起用されるなど、アイドル・モデル・女優として多方面で活躍するようになります。

西野七瀬の高校時代から見える人物像

西野七瀬さんの高校時代のエピソードから、いくつかの特徴的な人物像が浮かび上がります。

母親の影響力の大きさ

看護師になることを勧めたのも母親、乃木坂46のオーディションを勧めたのも母親。西野さんの人生の大きな転機には、常に母親の存在がありました。

母親の選択が結果的に西野さんを大成功へと導いたわけですから、母親の先見の明は素晴らしかったといえるでしょう。

強い負けず嫌いと向上心

西野七瀬の高校は松原高校から日出高校へ転校!偏差値・学生時代・乃木坂46加入の全経緯

福神から外れた悔しさをバネに成長し、最終的にはセンターまで登り詰めた西野さん。その原動力となったのは、強い負けず嫌いと向上心でした。

「絶対に目立ってやる」という強い気持ちが、彼女を成長させ続けたのです。

前向きで気持ちの切り替えが早い

勉強で失敗してもすぐに「次できるようになろう」と気持ちを切り替える。秋元さんとの確執も、自分から歩み寄って和解する。

西野さんのこの前向きさと気持ちの切り替えの早さは、芸能界という厳しい世界で生き抜くために必要不可欠な資質だったのでしょう。


西野七瀬の高校卒業後の活躍:乃木坂46卒業から現在まで

高校卒業後の西野さんの活躍を簡単に振り返ります。

乃木坂46での活躍|グループの顔として

高校卒業後、西野さんは乃木坂46の中心メンバーとして活躍し続けます。

  • 2014年:8thシングル「気づいたら片想い」で初センター
  • 人気ファッション誌「non-no」の専属モデルに起用
  • 写真集が次々と大ヒット
  • 女優としても連続ドラマに多数出演

グループの顔として、そして個人としても大きく成長していきました。

2019年2月に乃木坂46を卒業

西野七瀬の高校は松原高校から日出高校へ転校!偏差値・学生時代・乃木坂46加入の全経緯

そして2019年2月、西野さんは惜しまれつつも乃木坂46を卒業します。

卒業の理由について、西野さんは次のようにインタビューで述べています。

「映画やドラマをやらせてもらって、『もっとちゃんと、そっちをやりたい』って大きく考えました。私にとっては、乃木坂46の活動も、それ以外の活動も大事で、ひとつひとつしっかり集中してやりたいって思うんです」

本格的に女優業に取り組むための決断でした。

卒業後の活躍|女優・モデルとして

乃木坂46卒業後も、西野さんは芸能活動を継続しています。

  • 連続ドラマ「あなたの番です」「アンサング・シンデレラ」などに出演
  • ファッションモデルとして「東京ガールズコレクション」などのランウェイに出演
  • ファッション誌「non-no」の専属モデルは継続

女優・モデルとしての地位を確立し、現在も第一線で活躍しています。

2024年3月に山田裕貴と結婚

2023年7月に俳優の山田裕貴さんとの交際が報じられ、2024年3月31日に結婚が発表されました。

プライベートでも幸せをつかんだ西野さん。今後も女優・モデルとしての活躍が期待されます。

まとめ:西野七瀬の高校時代と芸能人生

西野七瀬さんの高校をまとめると以下の通りです。

  • 最初の出身高校:大阪府立松原高等学校(偏差値44~45)
  • 転校後の高校:日出高等学校(通信制課程、偏差値なし)
  • 転校時期:高校2年生の2011年11月
  • 転校理由:乃木坂46の活動を本格化させるため

母親の勧めで看護師を目指して松原高校に進学した西野さんですが、同じく母親の勧めで乃木坂46のオーディションを受け、見事合格。その後、芸能活動と学業を両立させるために日出高校へ転校し、単身上京を決意します。

高校時代は福神落ちの悔しさ、秋元真夏さんとの確執と和解、そして初センター抜擢と、波乱万丈の日々を送りました。しかしその全ての経験が、現在の西野七瀬さんを作り上げているのです。

2019年に乃木坂46を卒業した後も、女優・モデルとして第一線で活躍し続ける西野さん。今後もその清楚な魅力と確かな実力で、多くのファンを魅了し続けることでしょう。

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