磯村勇斗の大学・学歴まとめ!桜美林大学中退の理由と俳優への道のり

磯村勇斗の学歴の全体像

俳優・磯村勇斗さんの学歴は以下のとおりです。

  • 磯村勇斗の学歴 桜美林大学 芸術文化学群 演劇・ダンス専修(中退)
  • 静岡県立沼津西高校 普通科 卒業
  • 沼津市立第一中学校 卒業
  • 沼津市立第一小学校 卒業

磯村さんは中学時代に自主制作映画を作ったことをきっかけに俳優を志し、高校時代から地元の劇団で演技を学んできました。

大学3年時に俳優としての道を本格的に選び、中退を決断。現在は若手実力派俳優として注目を集めています。

磯村勇斗の出身大学|桜美林大学を中退した理由

桜美林大学 芸術文化学群 演劇・ダンス専修に進学

磯村さんは2011年に桜美林大学 芸術文化学群 演劇・ダンス専修へ進学しました。

この学群の偏差値は37~43程度で、入学難易度としては比較的入りやすい水準です。

桜美林大学の芸術文化学群は、演劇・ダンス専修、音楽専修、ビジュアル・アーツ専修の3つの専修があり、それぞれのプロフェッショナルを育成する教育機関として知られています。

表現者になるための専門的な教育を受けられる環境が整っており、演劇やダンスを本格的に学びたい学生にとって魅力的なカリキュラムが用意されています。

大学進学は両親との妥協案だった

磯村勇斗の大学・学歴まとめ|桜美林大学中退の理由と俳優への道のり

実は磯村さんは高校卒業後、大学へ進学せずに芸能事務所や劇団に所属したいと考えていました。

しかし両親が猛反対したため、最終的に「演技の勉強ができる大学に行く」という条件で折り合いをつけました。

当時の状況について磯村さんは「修羅場でした」と振り返っています。周囲が受験勉強をしている間、磯村さんは雑誌やインターネットでどんなプロダクションがあるかを調べており、明確に俳優としての道を志していました。

両親との対立は深刻で、反抗して数日間家に帰らないこともあったそうです。

それでも磯村さんは「自分には夢がある。やりたい道を進みたいから応援してほしい」と両親に訴え続け、最終的に演技が学べる大学への進学で了承を得ました。

この経緯からも、磯村さんの俳優への強い情熱が伝わってきます。

大学時代の学びと映画への造詣

大学では演技だけでなく、映画についての授業も受けていました。磯村さんはこの時期に多くの映画作品に触れ、同級生たちと作品について語り合う日々を過ごしていたそうです。

大学の図書館ではDVDを無料で貸し出しており、古い映画を借りて友人たちと回し観していました。

同級生も映画をよく観る人ばかりで、「あの監督が」「この俳優が」と話し合うのが面白かったと振り返っています。

この経験が、磯村さんの俳優としての表現力や作品への理解を深めることにつながったと考えられます。

Snow Man深澤辰哉との大学時代の友情

磯村さんの大学時代を語る上で欠かせないのが、アイドルグループ「Snow Man」のメンバー・深澤辰哉さんとの友情です。

2人は桜美林大学の同級生で、当時から親友の間柄でした。

深澤さんは当時すでにジャニーズJr.内ユニット「Mis Snow Man」のメンバーとして芸能活動をしていましたが、磯村さんは彼が芸能人であることを知りながら敢えて声をかけて仲良くなったそうです。

深澤さんは芸能活動で多忙だったため、大学時代はたびたび磯村さんに勉強を教えてもらっていたことを明らかにしています。

その後、2人とも携帯電話の番号を変えたことから一時的に連絡が取れなくなりましたが、磯村さんが芸能界入りした後に交流が再開。現在も良好な関係を続けているようです。

大学時代のアルバイト経験

磯村さんは大学時代、町田市内にあったカフェ「中野屋」でアルバイトをしていました。

トーク番組「A-studio」に出演した際には、このカフェで白玉をこっそりつまみ食いしていたことを明らかにし、笑いを誘いました。

その他にも居酒屋や引越しなどのアルバイトを経験しており、学業と演技の勉強、アルバイトをこなす忙しい日々を送っていたようです。

大学3年で中退を決断|その理由とは

磯村さんは大学3年生の時に中退を決断しました。この決断について、磯村さんは次のように語っています。

「大学でも1年に数本の舞台はあったのですが、結局は学生の授業。4年間も大学にいたら、自分の熱意がどんどん失われていく気がしたし、毎日に満足できなくなったんです。もっと外の世界を観たい、いろんなものを吸収したい、一刻も早くプロとしてやっている方と一緒に演じたいという気持ちでいっぱいになり、結局、中退しました」

大学で演技を学んでいても、すごく狭い視野しか持てない気がして、もっと広いところを見たいという強い想いが中退の理由でした。

磯村さんにとって、大学での演劇は「生温い」と感じられたのです。プロの俳優として本格的に活動したいという情熱が、大学を続けることへの疑問を上回りました。

中退後の両親との関係と和解

大学中退によって、磯村さんは再び両親と揉めることになりました。しばらくは親との関係が上手くいかず、厳しい時期を過ごしたそうです。

中退後は居酒屋やカフェでアルバイトをしつつ、演劇仲間のつてを辿って小劇場などへの出演を繰り返していました。

磯村さんは当時を振り返り、「もっと簡単に俳優になれると思っていた」と語っています。しかし現実は厳しく、その時に俳優への道が険しいものだと実感できたことが、後の成長につながったとも述べています。

その後、磯村さんは20歳の時に映画に出演して本格的に俳優デビューを飾りますが、当初は端役や低予算映画の出演に留まっていました。

それでも諦めずに演技を続けた結果、23歳の時に「仮面ライダーゴースト」に起用され知名度が上昇。24歳の時にはNHKの朝ドラ「ひよっこ」で有村架純さんの相手役として抜擢され、一気に注目を集めました。

両親とはその後和解しており、現在では温かく応援してくれているとのこと。特に「ひよっこ」への出演が決まった時、母親は泣いて喜んだそうです。

磯村さんの努力と実績が、両親の理解と応援を得ることにつながりました。

磯村勇斗の出身高校|沼津西高校での青春時代

静岡県立沼津西高校に進学|偏差値と学校の特徴

磯村さんの出身高校は静岡県沼津市にある静岡県立沼津西高校です。同校は1901年開校の伝統校で、地元では古くから進学校として知られています。

沼津西高校には普通科(偏差値59)と、音楽・美術・書道のいずれかを専攻する芸術科(偏差値52~53)が設置されています。

磯村さんは普通科に一般受験で合格しており、高校2年からは理系クラスに進んでいます。偏差値59の高校に合格していることから、磯村さんが当時から高い学力を有していたことがわかります。

同校の卒業生には、女優の浦辺粂子さん、タレントで元政治家の田嶋陽子さん、アナウンサーの真野淑實さんなどがいます。

本当は高校にも進学したくなかった

磯村勇斗の大学・学歴まとめ|桜美林大学中退の理由と俳優への道のり

実は磯村さんは、中学卒業後すぐに上京して俳優になるつもりでした。中学時代から俳優志望で、高校には進学しないで東京に出て活動したいと両親に伝えましたが、「せめて高校だけは卒業しろ」と猛反対され、地元の沼津西高校に進学することになりました。

一刻も早く東京で活動したいという強い想いを持っていた磯村さんにとって、高校進学は本意ではありませんでした。しかしこの時期の経験が、後の俳優活動の基盤を作ることになります。

理系クラスを選んだ理由

磯村さんは数学や物理が苦手だったにもかかわらず、高校2年から理系クラスに進んでいます。その理由は「仲のいい友達が理系にいくから」というシンプルなものでした。

俳優になりたいという明確な目標があったため、高校時代は勉強が少しおざなりになった感じだったと本人も認めています。学業よりも演技への情熱が勝っていた時期だったと言えるでしょう。

高校時代から地元の劇団で演技を学ぶ

磯村さんは高校2年から地元の劇団「沼津演劇研究所」に通い、演技を学んでいました。当時、沼津には劇団が4つしかなく、磯村さんは「演技を教えてください」と電話をかけ、「いいよ」と言ってくれた劇団に週1日で通ったそうです。

初めて舞台に立ったのは高校2年の冬。アントン・チェーホフの戯曲「プロポーズ」で30歳の男性を演じました。

高校生でありながら30歳の役を演じるという経験は、磯村さんの演技の幅を広げることにつながったと考えられます。

磯村さんは高校を中退して東京の劇団で演技を学びたかったそうですが、再び両親に猛反対されて断念しています。

それでも高校時代から演技をしてきた経験は現在でも活きていると語っており、この時期の積み重ねが今の演技力の基礎になっていることは間違いありません。

バスケットボール部での活動

磯村さんは高校時代もバスケットボール部に所属していました。中学時代に引き続きバスケを続けており、スポーツも好きで運動神経も良かったようです。

部活動と劇団活動、学業を両立させる忙しい高校生活を送っていました。

高校時代の総括

磯村さんは自身の高校時代について、次のように総括しています。

「高校生活では、勉強もあると思いますけど、今、思い返すと、友達同士で騒いだり、部活したり、遊んだ記憶の方が、やはり青春してたなと感じる。高校時代の3年間は戻りたくても戻れない期間。失敗を恐れずに、思いっきり、いろいろなことに挑戦して楽しんだ方が、いい思い出をもった、いい大人になれると思いますよ」

俳優への道を歩むという明確な目標を持ちながらも、友人との時間や部活動を大切にしていた磯村さん。この時期の経験が、俳優としての人間的な深みにもつながっているのかもしれません。

磯村勇斗の出身中学校|俳優を志すきっかけ

沼津市立第一中学校に進学

磯村さんは地元の沼津市立第一中学校に進学しました。同校は沼津市内の公立中学校で、偏差値は設定されていません。磯村さんは2005年4月に入学し、2008年3月に卒業しています。

同校の卒業生には、プロゴルファーの竹谷愛子さんがいます。

自主制作映画「ヌマヅの少女ハイジ」が転機に

磯村さんが俳優になることを決意したきっかけは、中学2年生の時に制作した自主映画「ヌマヅの少女ハイジ」でした。

この15分ほどのパロディ映画で、磯村さんは自分で脚本を書き、主人公のハイジを演じました。

映画制作において特筆すべきは、中学生でありながら本格的な編集作業を行ったことです。磯村さんの父親がパソコンに詳しかったため、PCを使って映画編集を行いました。

中学生がこのレベルの映画制作と編集ができたことは、磯村さんの映像への強い興味と才能を示しています。

この自主映画制作の経験が、磯村さんに「俳優になりたい」という明確な夢を抱かせるきっかけとなりました。

実際に演じることの楽しさ、映像作品を作り上げる達成感を味わったことで、俳優への道が具体的な目標として見えてきたのでしょう。

バスケットボール部での活動と中学時代の人気

磯村勇斗の大学・学歴まとめ|桜美林大学中退の理由と俳優への道のり

磯村さんは中学時代、バスケットボール部に所属していました。スポーツが好きで運動神経も良く、部活動に熱心に取り組んでいたようです。

そして磯村さんは中学時代からかなりモテており、他校にファンクラブができるほどの人気ぶりでした。

遠征先の学校でも女子生徒から頻繁にメールアドレスを聞かれており、他のバスケットボール部員とその数を競っていたというエピソードもあります。

このモテエピソードからは、磯村さんが中学時代から人を引きつける魅力を持っていたことがわかります。

現在の俳優としての人気の源泉は、すでにこの頃から備わっていたのかもしれません。

磯村勇斗の出身小学校と幼少期

沼津市立第一小学校で過ごした子供時代

磯村さんの出身小学校は静岡県の沼津市立第一小学校です。

磯村さんは1999年4月に入学し、2005年3月に卒業しています。

家族構成は両親と8歳年上の兄の4人家族です。父親の職業は明らかになっていませんが、パソコンに詳しく、中学時代の磯村さんの映画制作を技術面でサポートしていました。

同校の卒業生には、政治家の西紳六郎さんがいます。

映画好きの両親の影響

磯村さんの両親は洋画好きで、磯村さんは小さい頃からハリウッド映画をよく観て育ちました。この環境が、磯村さんの映像作品への興味や俳優という職業への憧れを育てる土壌になったと考えられます。

幼少期から多くの映画に触れることで、磯村さんは自然と演技や映像表現に対する感覚を養っていったのでしょう。

教育熱心な母親と優秀な成績

磯村さんの母親は教育熱心で、テストなどで良い点数を取ればおもちゃを買ってくれたそうです。そのため磯村さんは小学校時代から勉強に熱心に取り組み、成績は優秀でした。

小学校時代は勉強だけでなくサッカーも頑張っており、文武両道を実践していたようです。また、磯村さんは小学生時代からゲーム好きで知られており、兄の部屋でこっそりゲームをして遊んでいたというエピソードもあります。

芸能界への憧れ|当初の夢はお笑い芸人

磯村さんは人前に出て人を笑わせることが好きで、小学生の頃から芸能界に憧れていました。ただし当時の夢は俳優ではなく、お笑いタレントでした。

特にアンジャッシュやインパルスといったコンビに憧れていたそうです。

「人にチヤホヤされたり、有名になりたいという願望が、密かに自分の中にあって、芸能界ってどんな世界なのか見てみたいっていう好奇心もあったし、ずっと憧れを抱いていて」と磯村さんは語っています。

この時期の芸能界への憧れが、のちに俳優という具体的な目標へと形を変えていくことになります。

磯村勇斗の現在の活躍

「仮面ライダーゴースト」で知名度上昇

磯村さんは20歳の時に映画に出演して俳優デビューを飾りましたが、当初は端役や低予算映画の出演に留まっていました。

しかし諦めずに演技を続けた結果、23歳の時に「仮面ライダーゴースト」に起用され、知名度が大きく上昇しました。

特撮ヒーロー作品は若手俳優の登竜門とも言われており、多くの人気俳優がこのジャンルから巣立っています。磯村さんもこの作品をきっかけに、俳優としてのキャリアを本格的に築き始めました。

朝ドラ「ひよっこ」で一気にブレイク

磯村勇斗の大学・学歴まとめ|桜美林大学中退の理由と俳優への道のり

24歳の時、磯村さんはNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」で有村架純さんの相手役として抜擢されました。

朝ドラは国民的な人気番組であり、この出演によって磯村さんの知名度は一気に全国区となりました。

この出演が決まった時、それまで俳優の道を反対していた母親は泣いて喜んだそうです。磯村さんの努力が実を結び、両親の理解と応援を得られた瞬間でした。

「今日から俺は!!」など話題作への出演

「ひよっこ」以降、磯村さんは「今日から俺は!!」をはじめとする数々の話題作のテレビドラマや映画に主要キャストとして起用されるようになりました。

CMや企業のイメージビデオにも出演する売れっ子俳優となり、現在はネクストブレイクの若手俳優候補として注目を集めています。

磯村さんの演技は自然体でありながら存在感があり、幅広い役柄をこなせる演技力が高く評価されています。今後さらに演技力を磨いていけば、日本を代表する俳優へと成長する可能性を秘めています。

まとめ|両親の反対を乗り越えて掴んだ俳優への道

磯村勇斗さんは中学時代に自主映画を制作したことをきっかけに俳優を志し、高校時代には地元の劇団で演技を学び始めました。

しかし両親は息子の俳優という夢に反対し続け、磯村さんは高校進学、大学進学と、何度も両親と対立しながら妥協を重ねてきました。

それでも磯村さんは自分の夢を諦めず、大学3年時に中退を決断。一時は両親との関係が悪化しましたが、俳優として地道に努力を続け、「仮面ライダーゴースト」や「ひよっこ」での活躍によって両親の理解と応援を得ることができました。

磯村さんの歩みは、明確な夢を持ち、困難を乗り越えて自分の道を切り開いていった若者の物語です。

両親の反対という大きな壁に何度もぶつかりながらも、最終的に自分の選択を貫き通した磯村さんの姿勢は、多くの若者にとって勇気を与えるものとなっています。

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