女優の奈緒さんといえば、NHK連続テレビ小説「半分、青い。」で一躍注目を集め、その後「あなたの番です」での怪演が大きな話題となりました。
現在は実力派女優として幅広い作品に出演していますが、実は高校時代に女優を目指す決意を固めた経緯があります。
この記事では、奈緒さんが通った福岡県立筑紫中央高校での3年間を詳しく紹介します。
進学校で学業と芸能活動を両立させた日々、仲良し4人組「ROGE」との青春、そして演劇との運命的な出会いなど、現在の活躍につながる高校時代のエピソードをお伝えします。
奈緒の出身高校は福岡県立筑紫中央高校
奈緒ちゃんの高校時代が可愛すぎた✨
これ可愛すぎでしょ‼️ pic.twitter.com/Fn4z0h2otx— クロネコ☆ヤマト (@RhNlsQqFKW7DLqh) October 8, 2024
偏差値59の進学校に通いながら芸能活動を開始
奈緒さんが進学したのは福岡県立筑紫中央高校です。この高校は1917年に開校した歴史ある県立校で、地元では古くから進学校として知られています。偏差値は59程度で、大学進学を目指す生徒が多く通う学校です。
筑紫中央高校は福岡県大野城市に位置し、福岡市中心部からも通学しやすい場所にあります。奈緒さんの出身地である福岡市からも電車で通える距離でした。
実はこの高校のパンフレットには、卒業生として奈緒さんの名前がしっかり記載されています。高校側も卒業生の活躍を誇りに思っているようです。
進学校という環境は、奈緒さんにとって簡単なものではありませんでした。授業のレベルも高く、大学受験を見据えたカリキュラムが組まれています。
そんな中で芸能活動を始めることになるのですが、その両立は想像以上に大変だったはずです。
中学時代まで美術部に所属し、将来は美大進学を考えていた奈緒さん。しかし中学時代にコンクールで大賞作品に圧倒され、絵の道を諦めた経緯がありました。高校入学時は明確な将来の目標を持てないまま、とりあえず勉強に励む日々を送ることになります。
高校1年時のスカウトと事務所入所の経緯
奈緒さんの人生が大きく動いたのは、高校1年生の時でした。福岡市の繁華街・天神を歩いていた際、芸能事務所からスカウトされたのです。
実は奈緒さんは小学校の頃から女優に憧れていました。しかし母親に反対され、長年その夢を封印していたといいます。スカウトという形で再びチャンスが訪れたことで、奈緒さんは改めて母親を説得する決意を固めました。
当時のインタビューで奈緒さんは「小さいときからとにかく早く働きたくて、女優に興味を持っていたんですが、ずっと親に反対されていて」と語っています。母子家庭で育った奈緒さんは、早く自立して母親を楽にしてあげたいという思いも強かったのかもしれません。
母親を説得した奈緒さんは、地元福岡の芸能事務所「カバーガールエンターテインメント(CGE)」に所属することになりました。本名の「高添奈緒」という名前で活動を始めます。
ただし高校1年生で芸能活動を始めたといっても、最初から女優の仕事があったわけではありません。撮影会のモデルやイベントのリポーターなど、地道な仕事からのスタートでした。それでも奈緒さんにとっては、夢に向かって一歩を踏み出せたという実感があったはずです。
奈緒の高校1年時のエピソード
学生時代ハンドボールやってた身としては奈緒がハンド部のマネージャーやってたの、なんかうれしい#奈緒#ハンドボール pic.twitter.com/plbOLWg2ug
— じゅんT (@junjuncamp14) October 10, 2024
ハンドボール部マネージャーとして過ごした1年間
高校に入学した奈緒さんは、ハンドボール部のマネージャーを務めることにしました。プレイヤーとしてではなく、裏方としてチームを支える役割を選んだのです。
本人も「体育は苦手」と語っているように、スポーツが得意なタイプではありませんでした。
それでも部活動を通じて高校生活を充実させたいという思いがあったのでしょう。マネージャーとして選手たちのサポートをする中で、チームワークの大切さや裏方の仕事の重要性を学んでいきました。
練習や試合の準備、水分補給の管理、道具の手入れなど、マネージャーの仕事は地味ですが欠かせないものです。奈緒さんは真面目にこうした役割をこなしていたようです。
ただし、高校1年の途中で芸能事務所に所属することになり、マネージャーの仕事も1年間で終わることになります。
撮影会やイベントの仕事が入るようになると、部活動に毎日参加することが難しくなったためです。
それでもこの1年間の経験は、奈緒さんにとって貴重なものでした。チームのために動くこと、誰かを支えることの喜びは、後の女優業でも役立つ経験となります。
サッカー部の先輩への甘酸っぱい片思い

ハンドボール部のマネージャーとして活動していた時、奈緒さんには忘れられない恋のエピソードがあります。バラエティ番組「今夜くらべてみました」に出演した際、この思い出を語って話題になりました。
ある日の部活動中、奈緒さんは選手たちに水を配っていました。すると隣のグラウンドで練習していたサッカー部の先輩が近づいてきて、「マネージャーさん、僕にも水をちょうだい」と声をかけてきたのです。
奈緒さんがふと先輩の足元を見ると、スリッパがガムテープでぐるぐる巻きにされていました。「何このスリッパ?」と不審に思った奈緒さんですが、改めて先輩の顔を見上げると、そこには爽やかな笑顔がありました。
このギャップに完全に心を奪われてしまったそうです。ボロボロのスリッパを履いているのに、屈託なく笑顔で話しかけてくる先輩。そのアンバランスさが奈緒さんの心に響いたのでしょう。
笑顔が素敵な人に弱いのか、あるいは人と違う一面を持っている人に惹かれるのか。いずれにしても、この出来事は奈緒さんの初恋となりました。
ただしこの恋は一方的な片思いで終わってしまったといいます。先輩に告白することもなく、ただ遠くから見つめるだけの淡い恋だったようです。今その先輩がこのエピソードを知ったら、きっと驚くとともに、高校時代に戻りたいと思うのではないでしょうか。
学業と芸能活動の両立に挑んだ日々
高校1年の途中から芸能活動を始めた奈緒さんにとって、最も大変だったのは学業との両立でした。筑紫中央高校は進学校で、授業の内容も難しく、宿題や予習復習も求められます。
週末には撮影会やイベントの仕事が入るようになり、平日も事務所でのレッスンや打ち合わせに時間を取られました。同級生が放課後に友達と遊んだり、部活動に打ち込んだりしている間、奈緒さんは福岡市内の事務所に向かう日々が続きました。
電車での移動時間に教科書を開いて勉強することもあったでしょう。睡眠時間を削って課題に取り組むことも少なくなかったはずです。
それでも奈緒さんは学業をおろそかにしませんでした。進学校の授業についていくためには、限られた時間の中で効率的に勉強する必要があります。集中力と時間管理能力が自然と身についていったのでしょう。
当時の芸能活動は、まだ本格的な女優の仕事ではありませんでした。撮影会のモデルやリポーターとして、地元福岡での小さな仕事を積み重ねる段階です。それでも奈緒さんにとっては、夢に向かって進んでいるという実感が何よりも大切でした。
高校1年の終わり頃には、ハンドボール部のマネージャーも退部し、芸能活動により多くの時間を割けるようになります。ただし学業は続けなければならず、両立の苦労は変わりませんでした。
奈緒の高校時代の友人関係と青春

仲良し4人組「ROGE」の結成と活動
ハンドボール部を退部した後、奈緒さんは部活動に所属しない生活を送るようになりました。しかし友人関係は充実していました。特に仲の良い3人の友達と一緒に「ROGE(ロジェ)」という4人組のグループを結成したのです。
「ROGE」というユニークな名前の由来について、奈緒さんは「今では誰も覚えていない」と語っています。高校生特有のノリで決めた名前だったのかもしれません。大人になってから考えると意味不明でも、当時は真剣に考えて決めた名前だったのでしょう。
この4人は本当に仲が良く、放課後や休日には一緒に過ごすことが多かったようです。買い物に行ったり、カフェでおしゃべりしたり、カラオケに行ったりと、ごく普通の女子高生らしい時間を過ごしていました。
芸能活動をしている奈緒さんを、友人たちは特別扱いせず、対等な仲間として接してくれました。学校では「筑中のアイドル」と呼ばれることもあった奈緒さんですが、「ROGE」のメンバーといる時は普通の女子高生に戻れたのでしょう。
高校卒業後も4人の友情は続いており、現在でも連絡を取り合う関係だそうです。芸能界で活躍する奈緒さんにとって、地元の友人たちは変わらず自分を見てくれる大切な存在なのでしょう。
部活を辞めた後の「青春部」での自由な日々
奈緒さんと「ROGE」のメンバー、そして他の友人たち合わせて6〜7人は、高校2年生の時に「青春部」という架空の部活動を作りました。正式な部活ではなく、部活に所属していない仲間たちで自由に活動する集まりです。
「青春部」という名前からして、まさに青春を謳歌しようという意気込みが感じられます。彼らは週末や長期休暇を使って、様々な活動を楽しみました。
特に印象的だったのは、山に行って当時流行していたテレビ番組「逃走中」の真似をして遊んだことです。ハンターに追われながら逃げ回るという設定で、山の中を全力で走り回ったといいます。全員ジャージ姿で、真剣に逃走ゲームを楽しんだそうです。
またある時は、みんなでトランポリン施設に行ったこともありました。これもまた全員ジャージ姿での参加です。なぜかジャージにこだわりがあったようで、統一感を大切にしていたのかもしれません。
こうした活動を通じて、奈緒さんは高校時代にしか味わえない青春を存分に楽しみました。芸能活動で忙しい中でも、友人たちとの時間を大切にしていたことがわかります。
「青春部」のメンバーとも卒業後に連絡を取り合っており、奈緒さんにとってかけがえのない宝物のような存在です。大人になってから振り返ると、こうした無邪気に遊べる時間がどれほど貴重だったかがわかります。
韓国旅行でのブラジャー事件と変わらぬ友情

「ROGE」の4人は卒業後も仲が良く、一緒に韓国旅行に行ったことがあります。その際に起きたのが、今でも笑い話として語られる「ブラジャー事件」です。
旅行の準備をする際、奈緒さんはなんとブラジャーを持っていくのを忘れてしまいました。韓国に着いてから気づいたものの、すぐに買いに行くこともできず、困り果てた奈緒さんが考えた解決策は驚くべきものでした。
なんと絆創膏をブラジャーの代わりに使うことにしたのです。どのように使ったのか詳細は不明ですが、応急処置的な対応だったのでしょう。この発想力と実行力は、ある意味すごいといえます。
このエピソードを友人たちに話したところ、大爆笑となりました。今でもこの「ブラジャー事件」は、4人が集まると必ず話題になる伝説的なエピソードだそうです。
こうした失敗談を笑い合える関係性が、長年の友情を物語っています。
芸能界で活躍する奈緒さんに対しても、友人たちは変わらず気軽に接してくれます。成功しても慢心せず、昔からの友人を大切にする奈緒さんの人柄も素敵です。
高校時代の友人関係は、人生の宝物です。奈緒さんが今も「ROGE」のメンバーや「青春部」の仲間たちと連絡を取り合っているのは、高校時代に本物の友情を築けた証といえるでしょう。
奈緒が女優を目指すきっかけとなった高校2・3年時
「半分、青い。」なぅ(=^ェ^=)
鈴愛の幼なじみ菜生ちゃんって、「あのクズ」の奈緒さんだったんだ。どっかで見たと思ってて今、気付いた(笑) pic.twitter.com/hvYqSyvS4k— キヌタビト (@kinutabito) October 22, 2024
授業で演劇を選択したことが転機に
高校2年生になった奈緒さんに、人生を変える出会いが訪れます。それが授業での演劇選択でした。筑紫中央高校では、選択授業として演劇を学ぶことができたのです。
それまで芸能活動といっても、撮影会のモデルやリポーターといった仕事が中心でした。
演技をする機会はほとんどなく、奈緒さん自身も女優として本格的に活動することは具体的にイメージできていませんでした。
しかし演劇の授業で初めて台本を読み、役を演じる経験をした時、奈緒さんの中で何かが変わりました。「演じることって、こんなに面白いんだ」という発見があったのです。
他人になりきること、感情を表現すること、言葉に命を吹き込むこと。演劇の授業で学んだこれらの要素が、奈緒さんの心を捉えました。
中学時代に絵の道を諦めて以来、明確な将来の目標を持てずにいた奈緒さんにとって、演劇は新たな可能性を示してくれたのです。
高校3年生でも引き続き演劇を選択し、2年間しっかりと演技の基礎を学びました。学校の授業という限られた時間ではありましたが、その経験が奈緒さんの進路を決定づけることになります。
授業を担当していた先生も、奈緒さんの才能や情熱を感じ取っていたかもしれません。進学校の授業として演劇を学べる環境があったことは、奈緒さんにとって幸運でした。
ワークショップ参加で演じることの面白さに目覚める
授業での演劇に加えて、奈緒さんは自主的に演劇のワークショップにも参加するようになりました。学校の授業だけでは物足りなくなったのでしょう。より本格的に演技を学びたいという思いが強くなっていきました。
ワークショップでは、プロの演出家や俳優から直接指導を受ける機会もありました。授業とは違う緊張感の中で、様々な演技の技法を学んでいきます。
即興演技、感情表現、身体の使い方、声の出し方など、演技に必要な要素を体系的に学ぶことで、奈緒さんの中で「女優になりたい」という思いが確固たるものになっていきました。
ワークショップには同じように演技を志す仲間もいました。互いに刺激し合い、切磋琢磨する環境は、奈緒さんの成長を後押ししました。福岡という地方都市でも、本気で演技を学べる場所があったことは重要でした。
高校3年生になる頃には、奈緒さんの中で「大学に進学するよりも、女優の道を本格的に追求したい」という思いが明確になっていました。演劇の授業とワークショップでの経験が、その決断を支えたのです。
「筑中のアイドル」として注目される高校生活

高校1年生からモデルやリポーターとして活動していた奈緒さんは、次第に学校でも注目される存在になっていきました。
地元のイベントやテレビ番組に出演することもあり、「筑中のアイドル」と呼ばれるようになったのです。
進学校である筑紫中央高校で、芸能活動をしている生徒は珍しかったでしょう。クラスメイトや後輩たちから注目され、憧れの目で見られることも増えました。
ただし奈緒さんは決して有頂天にならず、謙虚な姿勢を保っていたようです。友人たちとの関係も変わることなく、普通の女子高生として学校生活を楽しんでいました。
「ROGE」のメンバーや「青春部」の仲間たちも、奈緒さんを特別扱いせず対等に接してくれました。
こうした友人の存在が、奈緒さんを地に足の着いた状態に保ってくれたのでしょう。
それでも学校で「筑中のアイドル」として認知されていたことは事実です。廊下ですれ違う時に視線を感じたり、後輩から声をかけられたりすることもあったはずです。
こうした経験は、後に全国区で活躍する女優になった時のプレッシャーに耐える訓練にもなりました。注目される立場でありながら、普段の自分を失わないバランス感覚は、高校時代に養われたものかもしれません。
奈緒が大学進学を断念して女優の道を選んだ理由
連続テレビ小説『半分、青い』2018年4月放送した朝ドラ キャスト豪華でしたね
佐藤健さん永野芽郁さん矢本悠馬さん 奈緒さん 声優の小野大輔さん中村雅俊さん出て pic.twitter.com/152Nj4CG0W— イカゲームファン2025年6月27日にNetflixに配信 (@7FjVjXoW7VlHvUQ) May 25, 2025
「とりあえず大学」という考えを否定された出来事
高校3年生になり、進路を決める時期が近づいてきました。筑紫中央高校は進学校のため、ほとんどの生徒が大学進学を目指します。奈緒さんも当初は「とりあえず大学に行こう」と考えていました。
演劇の授業やワークショップで女優への興味は高まっていましたが、それを職業にすることへの不安もありました。
大学に進学しながら芸能活動を続けるという選択肢もあります。そうすれば親も安心するでしょうし、もし女優の道がうまくいかなくても学歴という保険がある。そんな計算もあったはずです。
しかしある日、「ROGE」のメンバーとの会話が奈緒さんの考えを変えました。奈緒さんが「とりあえず大学に行こうと思う」と話したところ、友人から「とりあえず、って何?」と指摘されたのです。
この一言が奈緒さんの心に刺さりました。確かに「とりあえず」という言葉には、明確な目的意識がありません。
本当にやりたいことがあるのに、保険をかけるために大学に行くのは中途半端ではないか。友人の指摘は、奈緒さんの迷いを浮き彫りにしました。
その夜、奈緒さんは一人で考え込みました。自分は本当は何がしたいのか。演劇の授業で感じた高揚感、ワークショップで学んだ時の充実感、舞台に立つことへの憧れ。心の奥底では答えが出ていました。
「私は女優になりたい。中途半端な気持ちで大学に行くより、今すぐ女優の道を本気で追求したい」。そう決心した奈緒さんは、大学進学を断念し、女優一本に絞ることを決めました。
母親の失望を押し切って下した決断
今週の赤旗日曜版を読んだ。この奈緒という俳優さんを木梨憲武の父と娘役のドラマで観たが、彼女の溌溂とした繊細な演技を観てファンになった。記事を見ると、舞台に情熱を燃やしているとのこと。生後7か月で父親職を亡くし、母親が働いて育ててくれたと話す彼女は”天職を得た”ようだ。輝いてほしい💫 pic.twitter.com/eCvy69KShs
— しんじろう『宮崎愼二』 (@mi89s1) April 28, 2024
大学進学をやめて女優を目指すと決めた奈緒さんでしたが、最大の難関は母親の説得でした。
母子家庭で育った奈緒さんにとって、母親は唯一の保護者であり、その意見は重いものがありました。
母親は当然、娘が大学に進学することを期待していました。進学校に通わせたのも、将来安定した職に就けるようにという親心からです。
それなのに高校卒業後すぐに女優を目指すと聞いて、母親は大きく失望しました。
「芸能界なんて成功するのはほんの一握り。大学くらい出ておかないと、将来どうするの」。
母親のこうした心配は、ごく当然のものでした。娘の将来を思えばこそ、確実な道を歩んでほしいと願うのが親というものです。
しかし奈緒さんは、生まれて初めて母親に本気で反抗しました。それまで素直な娘だった奈緒さんが、自分の意志を貫こうとする姿に、母親も驚いたことでしょう。
「お母さん、私は本気なんです。中途半端な気持ちじゃありません。女優になりたいという夢を、高校生のうちに見つけられたことに感謝しています。今チャレンジしないで、後で後悔したくないんです」。
奈緒さんの真剣な様子を見て、母親も最終的には折れました。ただし簡単に賛成したわけではありません。母親の中には不安と失望が残り、しばらく二人の関係はぎくしゃくしたといいます。
それでも奈緒さんは自分の選択を信じました。母親を失望させてまで選んだ道です。中途半端な結果では終われないという覚悟が、奈緒さんの中に生まれました。
福岡での下積み時代と葛藤
高校を卒業した奈緒さんは、大学には進学せず、地元福岡の芸能事務所に留まることになりました。すぐに東京の事務所に所属できればよかったのですが、当時の奈緒さんにはまだその実力も人脈もありませんでした。
東京の芸能事務所のオーディションを受けましたが、結果は芳しくありませんでした。
地方のモデルやリポーターとして活動していただけでは、東京の事務所から見れば物足りなかったのでしょう。
そのため奈緒さんは福岡の事務所で、社員のような立場で働くことになりました。自分の芸能活動もしつつ、他のタレントのマネージャーのような役割も果たすという、中途半端な立場です。
この時期について、奈緒さんは後に「苦しかった」と振り返っています。お芝居がしたいのに、やる場所がない。
演じる機会を求めているのに、マネージャー業務に時間を取られる。大学に進学した同級生たちがキャンパスライフを楽しんでいる様子を見ると、自分の選択は正しかったのかと不安になることもありました。
母親に反対されながらも女優の道を選んだのに、なかなか結果が出ない。母親を安心させられるような活躍もできない。焦りと不安が募る日々でした。
それでも奈緒さんは諦めませんでした。地元のテレビドラマ「めんたいぴりり」に出演する機会を得ましたが、それも端役に過ぎませんでした。それでも一つ一つの仕事を真剣にこなし、経験を積んでいきました。
この苦しい時期が、後の成功への土台になったことは間違いありません。すぐに結果が出なくても諦めない粘り強さ、どんな小さな仕事でも全力で取り組む姿勢は、この時期に培われたものです。
高校時代の経験が現在の女優業に与えた影響
面白かった☺️
奈緒ちゃんはじめ役者さん達しみじみスゴいなぁ
阿川さんが三上博史さんで良かった✨
楽しませていただきました☺️👏🏻👏🏻 pic.twitter.com/aZdRKS7quJ— meki🌷🐈⬛🧘🏻♂📕🚶♂️☁️🫧 (@meki42685250) March 4, 2025
演劇授業で学んだ表現の基礎
高校2年生と3年生の時に選択した演劇の授業は、奈緒さんの女優人生の原点となりました。
基礎的な演技の技法、感情表現の方法、身体の使い方など、授業で学んだことは現在の演技にも活きています。
特に重要だったのは、「演じることの楽しさ」を純粋に体験できたことです。まだプロとして活動する前の段階で、演技の面白さに触れられたことは幸運でした。
仕事として演技をする前に、演じることそのものへの愛情を育てられたからです。
授業では、クラスメイトと一緒に劇を作り上げる経験もしました。台本を読み込み、役の気持ちを考え、仲間と議論しながら作品を完成させていく過程は、まさに演劇の醍醐味です。
この時の経験があったからこそ、奈緒さんは20歳で上京した後、俳優養成所ポーラスター東京アカデミーで一から演技を学び直すことに抵抗がありませんでした。
既に高校時代に演技の基礎を学んでいたため、養成所での学びもスムーズに吸収できたのでしょう。
現在の奈緒さんの演技を見ると、役に対する深い理解と丁寧な表現が特徴的です。これは高校時代の演劇授業で、じっくりと役と向き合う姿勢を学んだことが基礎になっているといえます。
進学校での学業が培った思考力

筑紫中央高校という進学校で学んだ経験も、奈緒さんの女優業に大きく影響しています。偏差値59の高校で求められる学力は、単なる暗記ではなく、論理的思考力や分析力です。
国語の授業で文章を深く読み解く訓練、数学で論理的に考える習慣、英語で異なる文化や表現を学ぶ経験。これらは一見、演技とは関係ないように思えますが、実は役作りに不可欠な能力です。
台本を読み解き、登場人物の心理を分析し、監督の意図を理解する。こうした作業には、高度な思考力が必要です。奈緒さんが「あなたの番です」で演じた複雑な役柄を見事にこなせたのも、こうした思考力があったからでしょう。
また、芸能活動と学業を両立させた経験も貴重でした。限られた時間の中で優先順位をつけ、効率的に物事を進める能力は、多忙な女優業でも役立っています。
奈緒さんは現在でも語学を学びたいとインタビューで語っており、向学心の高さがうかがえます。高校時代に培った学ぶ姿勢は、今も変わらず持ち続けているのです。
友人に支えられた青春が人間性を育てた
「ROGE」のメンバーや「青春部」の仲間たちとの友情は、奈緒さんの人間性を育てる上で大きな役割を果たしました。女優として成功するには、演技力だけでなく、人としての魅力も必要です。
高校時代に本物の友情を経験できたことで、奈緒さんは人を信じる心、人と協力する喜び、人を思いやる優しさを学びました。これらは演技にも表れます。
共演者やスタッフとの関係作り、役の中での人間関係の表現など、全てに影響しているのです。
「大学進学か女優の道か」で迷っていた時、友人が「とりあえずって何?」と指摘してくれたエピソードも重要です。
本当の友人は、耳に痛いことでも言ってくれます。奈緒さんの友人たちは、彼女が間違った方向に進もうとしている時、しっかりと止めてくれる存在でした。
現在も変わらず連絡を取り合っている友人たちは、奈緒さんが芸能界という特殊な世界で自分を見失わないための錨のような存在です。
成功しても慢心せず、失敗しても諦めず、常に等身大の自分でいられるのは、友人たちの存在があるからでしょう。
バラエティ番組で見せる奈緒さんの飾らない笑顔や、共演者への気遣い、ファンへの誠実な対応なども、高校時代の友人関係で培われた人間性が基礎になっています。
奈緒の高校時代まとめ
PSBのCMの奈緒ちゃんかわいい!💓こういうヘルシーな可愛さって、生まれ持った真の可愛さがないと出せないから、目指せない。羨ましい🥶💙 pic.twitter.com/yujF4Rel2D
— 🐑ひつじ (@hekichinohana) July 12, 2025
奈緒さんの高校時代を振り返ると、福岡県立筑紫中央高校での3年間が現在の活躍の土台になっていることがわかります。
偏差値59の進学校で学業に励みながら、高校1年時から芸能活動を開始するという多忙な日々を送りました。
最も重要だったのは、高校2年生と3年生の時に選択した演劇の授業です。この授業で初めて演じることの面白さに気づき、女優という具体的な夢を持つようになりました。ワークショップにも自主的に参加し、本格的に演技を学ぶ中で、その思いは確信へと変わっていきました。
「ROGE」という仲良し4人組や「青春部」の仲間たちとの友情も、奈緒さんの高校生活を彩りました。
山で「逃走中」ごっこをしたり、全員ジャージでトランポリンに行ったりと、青春を存分に謳歌しました。こうした友人たちは現在も連絡を取り合う大切な存在で、奈緒さんの人間性を育てた宝物です。
高校3年時には大きな決断を迫られました。進学校の生徒として大学進学が当然とされる中、奈緒さんは女優の道を選びました。
「とりあえず大学」という考えを友人に指摘され、本当にやりたいことに全力で取り組む決意を固めたのです。母親の失望を押し切っての決断は、生まれて初めての本気の反抗でもありました。
高校卒業後は福岡での苦しい下積み時代を経験しますが、20歳で上京し、俳優養成所で学び直します。そして野島伸司さんの目に留まり、特待生として入学。
その後の活躍は目覚ましく、NHK朝ドラ「半分、青い。」で全国区の知名度を獲得し、「あなたの番です」での怪演で演技力の高さを証明しました。
現在の奈緒さんの演技を支えているのは、高校時代の演劇授業で学んだ基礎、進学校で培った思考力、そして友人たちとの経験で育まれた豊かな人間性です。大学進学という安全な道を捨て、険しい女優の道を選んだ勇気ある決断も、高校3年生の時に下したものでした。
筑紫中央高校での3年間は、奈緒さんにとって単なる学生時代ではなく、女優としての土台を築いた かけがえのない時間だったのです。


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