桐谷美玲の学歴!偏差値70の超進学校から7年かけて大学卒業した理由

女優、モデル、そしてニュースキャスターとしてマルチに活躍する桐谷美玲さん。その華やかな芸能活動の裏には、実は驚くべき学歴が隠されている。出身高校は偏差値70を誇る千葉県内屈指の超進学校、千葉県立千葉東高校。さらに、フェリス女学院大学には7年間かけて卒業した。

なぜ超難関校に進学したのか。芸能活動と学業をどう両立したのか。そして、7年という長い時間をかけてでも大学卒業にこだわった理由とは。

本記事では、桐谷美玲さんの学歴の全貌と、その背景にある努力や家族との約束について詳しく掘り下げていく。

  1. 桐谷美玲の学歴の全体像
    1. 出身校一覧と偏差値
        1. 出身小学校:千葉県市原市立国分台小学校
        2. 出身中学校:大阪府高槻市立第二中学校
        3. 出身高校:千葉県立千葉東高校(偏差値70)
        4. 出身大学:フェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科(偏差値47.5)
  2. 偏差値70の超進学校・千葉東高校に進学した背景
    1. 中学時代は「ガリ勉」だった
    2. 芸能界とは無縁の進路選択
  3. 高校時代に訪れた人生の転機
    1. 「怪しい」と感じた突然のスカウト電話
        1. 内山理名の存在
    2. 本名での活動を希望していたが
    3. 進学校での学業と芸能活動の両立
    4. 高校時代のエピソード
        1. 部員との交際
  4. フェリス女学院大学に7年間在籍した理由
    1. 父親との約束を守るための進学
    2. 普通の大学生活を楽しんだ日々
    3. 2年間の休学を決断した背景
    4. 「入学したからには卒業する」という意地
        1. 卒業は意地
  5. 大学時代に築いた輝かしいキャリア
    1. 映画とドラマで主演を勝ち取る
    2. NEWS ZEROのキャスターに挑戦
    3. ファッションモデルとしての圧倒的人気
    4. 「世界で最も美しい顔100人」で日本人トップ
  6. 学歴がキャリアに与えた影響
    1. 偏差値70の高校で培った忍耐力と計画性
    2. 「最後まで諦めない」という姿勢
    3. 父親との約束が人生の軸に
    4. 「普通の女の子」としての時間の大切さ
  7. 小学校・中学校時代に培った基礎
    1. 人見知りから社交的な性格への変化
        1. 大阪での生活が与えた影響
    2. バドミントン部での厳しい練習
  8. まとめ:学歴が示す桐谷美玲の真の姿

桐谷美玲の学歴の全体像

桐谷美玲さん(本名:松岡さや紗)は1989年12月16日生まれ、千葉県市原市出身。小学校から大学まで、その学歴は単なる華やかな経歴ではなく、本人の強い意志と努力の軌跡が刻まれている。

出身校一覧と偏差値

桐谷さんが通った学校は以下の通りだ。父親の仕事の都合で転校を経験しており、小学校と中学校は複数の学校に在籍している。

出身小学校:千葉県市原市立国分台小学校

ただし小学5年生の時に父親の転勤で大阪府高槻市に移り、高槻市立芥川小学校に転校して卒業した。

出身中学校:大阪府高槻市立第二中学校

しかし中学2年生の時に再び千葉に戻り、市原市立国分台中学校に転校して卒業している。

出身高校:千葉県立千葉東高校(偏差値70)

千葉県内でも屈指の進学校で、県立船橋高校、県立東葛飾高校と並んで「千葉県公立御三家」と呼ばれる名門校だ。

出身大学:フェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科(偏差値47.5)

2年間の休学を経て、入学から7年後の2015年に卒業している。

この学歴を見ると、高校と大学の偏差値に大きな開きがあることに気づく。これには、芸能活動という特殊な事情が深く関わっている。

偏差値70の超進学校・千葉東高校に進学した背景

桐谷美玲さんが進学した千葉県立千葉東高校は、偏差値70という千葉県内でもトップクラスの公立進学校だ。多くの卒業生が東京大学や京都大学をはじめとする難関国公立大学、早慶上智などの難関私立大学に進学する。

中学時代は「ガリ勉」だった

この超難関校に一般受験で合格した桐谷さん。本人は中学時代の自分を「ガリ勉だった」と振り返っている。普通の女の子として勉強に励み、確実に学力を積み上げてきた結果が、千葉東高校への合格だった。

中学時代はバドミントン部に所属しており、かなり厳しい練習をこなしながらも学業を疎かにしなかった。大阪で過ごした3年間で性格が明るくなり、千葉に戻った時には友人から驚かれるほど社交的になっていたというが、その一方で学業に対する姿勢は極めて真面目だった。

芸能界とは無縁の進路選択

千葉東高校への進学を決めた時点で、桐谷さんは芸能界とは全く無縁の生活を送っていた。本人も「芸能界というものにまったく興味がなかった」と明言している。将来は保育士か薬剤師になりたいと考えており、そのための学力を身につけることが目標だった。

母親が薬剤師だったことも、進路選択に影響を与えていたのかもしれない。両親は箸の持ち方や椅子の座り方、礼儀など躾に厳しかったといい、しっかりとした教育方針のもとで育てられていた。

高校時代に訪れた人生の転機

桐谷美玲の学歴!偏差値70の超進学校から7年かけて大学卒業した理由

超進学校での高校生活をスタートさせた桐谷さんだが、高校1年生の夏に人生を大きく変える出来事が起こる。芸能事務所スウィートパワーからのスカウトだ。

「怪しい」と感じた突然のスカウト電話

高校1年生の夏、桐谷さんの携帯電話に突然かかってきた一本の電話。それが芸能事務所からのスカウトだった。「めちゃくちゃ怪しかったですよ」と本人が語るように、当初は全く信用していなかった。

このスカウトは、スウィートパワーが独自におこなう「ナンバーワン美少女」発掘システムによるものだった。社長が毎年ひとつの地方都市を選び、スカウト担当者をアパートに住まわせて徹底的に調査。地元で一番可愛い子を探し出してスカウトするという、かなり本格的なシステムだ。

内山理名の存在

最初は母親と一緒に「私を付け回すのはもうやめてください」と断りに行った桐谷さん。しかし、事務所側から女優の内山理名さんの撮影現場を見学しないかと誘われた。その現場で輝く内山さんの姿を見て、心が動いた。

帰り道、母親と相談し父親にも了解を得て、「まずは1年だけ」という条件で芸能界入りを決意する。この時、父親と大学進学を約束したことが、後の7年間の大学生活に繋がっていく。

本名での活動を希望していたが

芸能界入りする際、桐谷さんは本名の「松岡さや紗」での活動を希望していた。しかし事務所スタッフが「松岡」という苗字に懸念を示す。当時放映されていたテレビドラマ「野ブタをプロデュース」で主演の亀梨和也さんが演じた役名「桐谷修二」から苗字をもらい、名前も響きの良い「美玲」に決まった。

こうして「桐谷美玲」という芸名が誕生し、彼女の芸能人生がスタートした。

進学校での学業と芸能活動の両立

高校1年生の終わり頃、桐谷さんは映画「春の居場所」で女優デビューを果たす。高校2年生になると連続ドラマに立て続けに起用され、ファッション誌「SEVENTEEN」の専属モデルにも抜擢された。

「SEVENTEEN」には当時、榮倉奈々さん、大政絢さん、武井咲さん、波瑠さんといった豪華メンバーが専属モデルを務めていた。その中で桐谷さんは榮倉さんと並ぶ人気モデルとなり、順調にキャリアを積んでいった。

しかし、偏差値70の進学校で学業を続けながらの芸能活動は、想像を絶する大変さだったはずだ。周囲の同級生たちは難関大学を目指して必死に勉強している。その中で撮影やモデルの仕事をこなし、かつ留年することなく卒業したのだから、相当な努力をしていたに違いない。

高校時代のエピソード

桐谷美玲の学歴!偏差値70の超進学校から7年かけて大学卒業した理由

高校時代の桐谷さんは、ラグビー部のマネージャーを務めていた。このマネージャー業務にも、彼女は非常に真面目に取り組んでいる。

合宿では洗濯やご飯作りを担当し、保護者と協力して1度に100人分もの食事を作った。バレンタインデーには他のマネージャー7人と徹夜で部員全員分のチョコレートを作り、高校3年生の最後の大会では部員全員分のミサンガを手作りして渡したという。

部員との交際

トーク番組では、1学年上のラグビー部員と交際していたことも明かしている。勉強と芸能活動の合間に、こうした高校生らしい青春も謳歌していたようだ。

意外なことに、高校時代の桐谷さんは食欲旺盛だった。1限目か2限目が終わると「早弁」をしており、グミなどのお菓子を机に隠して先生に見つからないようこっそり食べていたというエピソードも残っている。

芸能活動をしていても、やはり普通の高校生だったのだ。

フェリス女学院大学に7年間在籍した理由

高校卒業後、桐谷美玲さんはフェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科に進学する。偏差値47.5という数字だけ見ると、偏差値70の高校出身者としては物足りなく感じるかもしれない。しかしこれには、明確な理由があった。

父親との約束を守るための進学

芸能界入りする際、桐谷さんは父親と「大学に進学すること」を約束していた。この約束が、彼女の大学選びを決定づけた。

既に高校時代から芸能活動をバリバリとこなしていた桐谷さんにとって、学業との両立が可能な大学を選ぶ必要があった。最難関大学に進学すれば学業についていけなくなる可能性が高く、かといって大学に行かないという選択肢は父親との約束を破ることになる。

フェリス女学院大学のコミュニケーション学科を選んだのは、メディア論や心理学、言語学を学ぶことが「仕事にとってもプラスになる」と考えたからだった。学業と仕事、両方にメリットのある選択だった。

普通の大学生活を楽しんだ日々

大学在学中のインタビューで、桐谷さんは大学生活について語っている。「仲いい友達とご飯食べて、講義受けながら途中で居眠りしてしまったり、他愛のないおしゃべりをして楽しんだり、通信ゲームして楽しんだり」と、ごく普通の大学生活を満喫していた様子が伝わってくる。

特に仲良しの4人の友達がおり、この5人組でディズニーランドなどにも出かけていた。驚くべきことに、既に売れっ子女優だった桐谷さんだが、ディズニーランドでは誰にも気づかれなかったという。

大学時代に撮影された友人たちとの写真を見ると、皆非常に美しい女性たちだ。仕事の顔とは別に、「普通の女の子」としての時間を大切にしていたことが分かる。

2年間の休学を決断した背景

順調に見えた大学生活だったが、芸能活動の多忙さは年々増していった。テレビドラマや映画への出演が続き、ファッション誌のレギュラーモデルとしても活躍。仕事が入った日の睡眠時間はわずか3時間程度だったという。

さらに、フェリス女学院大学は出席日数に厳しいことで知られている。いくら授業内容を理解していても、出席日数が足りなければ単位は取れない。芸能活動と学業の両立は、次第に限界に近づいていった。

そして桐谷さんは、2年間の休学を決断する。大学を辞めるのではなく、あくまで「休学」を選んだところに、彼女の強い意志が表れている。

「入学したからには卒業する」という意地

2年間の休学期間を経て復学した桐谷さんは、2015年3月、入学から7年後にようやく卒業を迎える。卒業時には既に25歳になっていた。

公式ブログには、こんな言葉が綴られている。「2年間の休学を挟み、入学から7年かかっての卒業です。人より長い時間がかかってしまいましたが、その分多くの出会いがあったし、いい経験ができたと思っています」

卒業は意地

そして「入学したからにはどうしても卒業したかったんだ。もう最後は意地です」とも書いている。父親との約束を守ること、そして自分が決めた目標を最後まで貫くこと。桐谷さんにとって大学卒業は、単なる学歴ではなく自分自身との約束だった。

7年間を振り返って、「この7年間はわたしにとってかけがえのない忘れられないものになりました。仕事をしてるだけじゃわからないことを知れた。大量のレポートにもへこたれない体力がついた。この先ずっと付き合っていくだろうなっていう友達ができた。なにより普通の女の子としての時間が楽しかった」とコメントしている。

大学時代に築いた輝かしいキャリア

7年という長い大学生活の間、桐谷美玲さんは女優としても大きく成長を遂げた。単に学業を続けただけでなく、芸能界でも確固たる地位を築いていった。

映画とドラマで主演を勝ち取る

21歳の時、桐谷さんは「音楽人」で映画初主演を果たす。同じ年には「女帝 薫子」で連続ドラマ初主演も実現し、人気女優への階段を駆け上がった。

学業と仕事の両立という厳しい状況の中でも、女優としての実力を着実に積み上げていた証だ。

NEWS ZEROのキャスターに挑戦

桐谷美玲の学歴!偏差値70の超進学校から7年かけて大学卒業した理由

大学時代には、報道番組「NEWS ZERO」のキャスターにも挑戦している。2012年4月から2018年9月まで、実に6年半もの長期にわたってキャスターを務めた。

女優やモデルという枠を超えて、ニュースキャスターという新しい領域に挑戦したことは、大学でコミュニケーション学を学んだことも影響しているのかもしれない。

ファッションモデルとしての圧倒的人気

大学時代、桐谷さんはファッションモデルとしても高い人気を誇った。22歳から25歳まで専属モデルを務めた人気ファッション誌「non-no」では、わずか3年間で15回も表紙を飾っている。

同時期に本田翼さん、波瑠さん、大政絢さんといった人気女優たちも専属モデルを務めていた中での15回の表紙は、桐谷さんの人気の高さを物語っている。

「世界で最も美しい顔100人」で日本人トップ

2014年、桐谷さんは米映画情報サイトTC Candler発表の「世界で最も美しい顔100人」で8位にランクイン。これは日本人としてトップの順位だった。

その美貌は世界的にも認められ、2016年には講談社の美容雑誌「VoCE」が選ぶ「2016年最も美しい顔」も受賞している。

学歴がキャリアに与えた影響

桐谷美玲さんの学歴とキャリアを振り返ると、学歴が単なる肩書きではなく、彼女の人間性や仕事への姿勢に大きな影響を与えていることが分かる。

偏差値70の高校で培った忍耐力と計画性

千葉東高校という超進学校で学んだ経験は、桐谷さんに高い学習能力と計画性をもたらした。芸能活動をしながらも留年せずに卒業できたのは、限られた時間の中で効率的に学習する能力があったからだ。

この忍耐力と計画性は、その後の芸能活動にも活きている。多忙なスケジュールをこなしながらも、一つひとつの仕事に真摯に向き合う姿勢は、高校時代に培われたものだろう。

「最後まで諦めない」という姿勢

7年かけて大学を卒業したという事実は、桐谷さんの「最後まで諦めない」姿勢を象徴している。2年間休学しても辞めずに復学し、最終的に卒業を果たした。

この経験は、困難な状況でも目標に向かって努力を続けることの大切さを示している。芸能界という厳しい世界で長く活躍し続けているのも、この粘り強さがあるからだろう。

父親との約束が人生の軸に

芸能界入りする際の「大学進学」という父親との約束は、桐谷さんにとって人生の大きな軸となった。どんなに多忙でも、約束を守り通すという責任感。それは仕事においても、共演者やスタッフからの信頼に繋がっている。

家族との約束を守り通したという経験は、彼女の人間性の根幹を形作っているのかもしれない。

「普通の女の子」としての時間の大切さ

桐谷美玲の学歴!偏差値70の超進学校から7年かけて大学卒業した理由

大学時代、桐谷さんは「普通の女の子としての時間が楽しかった」と語っている。友達とご飯を食べたり、おしゃべりをしたり、ディズニーランドに行ったり。そんな何気ない時間が、女優としての表現の幅を広げているのかもしれない。

芸能人としての顔だけでなく、一人の普通の女性としての感覚を持ち続けることができたのは、大学という場があったからだ。

小学校・中学校時代に培った基礎

高校や大学での輝かしい学歴の背景には、小学校・中学校時代の地道な努力がある。桐谷美玲さんの基礎は、この時期に培われた。

人見知りから社交的な性格への変化

小学生時代の桐谷さんは、極度の人見知りだった。知らない人に話しかけられても返事ができないほどで、クラスでも目立たない存在だったという。母親が薬剤師という家庭で、箸の持ち方や礼儀など躾の厳しい環境で育った。

しかし小学5年生から中学1年生までの3年間、父親の仕事の都合で大阪の高槻市に住むことになる。この大阪での生活が、桐谷さんを大きく変えた。

大阪での生活が与えた影響

「大阪の活気が、私の内なる性格に合っていたらしく、すごく性格が明るくなったねって言われるようになりました。大阪に住んでいなかったら、たぶん芸能生活を送ってなかったと思います」

本人がこう語るほど、大阪での3年間は彼女の人生にとって大きな転機だった。中学2年生で千葉に戻った時には、小学校時代の友人が驚くほど明るく社交的になっていた。

バドミントン部での厳しい練習

中学時代、桐谷さんは大阪の高槻市立第二中学校と千葉の市原市立国分台中学校、両方でバドミントン部に所属していた。特に大阪時代の練習はかなり厳しかったとインタビューで語っている。

部活動と学業の両立は簡単ではなかったはずだが、この経験が後の高校時代、そして芸能活動との両立の基礎になったのだろう。

当時の自分を「田舎に住む普通の女の子だった」と振り返る桐谷さん。しかしその「普通」の中に、後の成功に繋がる努力と経験が詰まっていた。

まとめ:学歴が示す桐谷美玲の真の姿

桐谷美玲さんの学歴を辿ると、華やかな芸能界の裏にある地道な努力と強い意志が見えてくる。

偏差値70の超進学校・千葉県立千葉東高校に一般受験で合格し、芸能活動をしながらも留年せずに卒業。フェリス女学院大学には7年かけて卒業し、父親との約束を守り通した。

この学歴は、単なる肩書きではない。「最後まで諦めない」「約束を守る」「目標に向かって努力を続ける」という、桐谷美玲さんの人間性そのものを表している。

女優、モデル、キャスターとして第一線で活躍し続けている彼女の強さの源泉は、この学生時代の経験にある。「世界で最も美しい顔」に選ばれる美貌だけでなく、内面の強さと誠実さが、多くの人々に愛される理由なのだろう。

現在は俳優の三浦翔平さんと結婚し、公私ともに充実した日々を送る桐谷美玲さん。その人生の根幹には、学生時代に培った努力と約束を守る姿勢が、確かに息づいている。

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