マツコ・デラックスは大学に進学していない!専門学校を選んだ理由と学歴の真実

テレビで見ない日はないほどの人気タレント、マツコ・デラックスさん。その学歴について調べる人が多いが、実はマツコさんは大学には進学していない。高校卒業後に進んだのは、東京マックス美容専門学校だった。

なぜ大学ではなく専門学校を選んだのか。その選択が現在の成功にどう繋がっているのか。

本記事では、マツコさんの学歴の全体像と、専門学校という選択の背景、そしてそこから見えてくる彼女のキャリア形成について掘り下げていく。

マツコ・デラックスは大学に進学していない

マツコ・デラックスは大学に進学していない!専門学校を選んだ理由と学歴の真実

結論から言えば、マツコ・デラックスさんは四年制大学には進学していない。1991年に千葉県立犢橋高校を卒業後、進学先として選んだのは美容系の専門学校だった。「マツコ 大学」というキーワードで検索する人は多いが、大学進学という選択肢は彼女の人生には存在しなかった。

進学先は東京マックス美容専門学校

マツコさんが入学したのは、東京都品川区にある東京マックス美容専門学校。1960年代から続く歴史ある美容専門学校で、美容師やメイクアップアーティスト、スタイリストなど数多くのプロフェッショナルを輩出してきた実績を持つ。

マツコさんはこの専門学校を卒業し、美容師の国家資格も取得している。しかし意外なことに、美容師として働くことはなかった。専門学校で学んだ技術や知識は、後のタレント活動やメイクの技術として活かされることになるが、卒業直後の進路は美容業界とは異なる道だった。

美容師免許を持ちながら美容師にならなかった理由について、マツコさん本人は「将来に違和感を覚えた」と語っている。専門学校で学ぶうちに、自分が本当にやりたいことは美容師という職業ではないと気づいたようだ。資格取得という目標は達成したものの、その先のビジョンが描けなくなっていた。

大学ではなく専門学校を選んだ理由

マツコ・デラックスは大学に進学していない!専門学校を選んだ理由と学歴の真実

高校卒業時点で、マツコさんはなぜ大学進学ではなく専門学校を選んだのか。この選択には、高校時代の経験が大きく影響している。

高校3年生の頃から本格的に女装をはじめたマツコさんは、メイクやファッションへの興味を強く持つようになっていた。田町駅前のコンビニのトイレで着替えやメイクをして、芝浦のクラブに通うという生活を送っていた彼女にとって、美容やメイクの技術を学ぶことは実用的かつ魅力的な選択肢だったはずだ。

資生堂の雑誌に影響?

また、資生堂が発行していた雑誌「花椿」に強い影響を受けていたことも明かしている。美の世界への憧れと、自分自身の表現方法を追求したいという思いが、専門学校という進路選択に繋がったと考えられる。

大学で一般教養を学ぶより、自分が本当に興味のある分野を実践的に学べる専門学校の方が、当時のマツコさんには合っていたのだろう。

マツコ・デラックスの学歴の全体像

専門学校に至るまでの学生生活は、決して平坦なものではなかった。小学校時代から自分のセクシャリティに向き合い、中学・高校時代には孤独や葛藤を抱えながら過ごしていた。

出身高校は千葉県立犢橋高校

マツコさんが卒業したのは、千葉県立犢橋(こてはし)高校。偏差値45程度の公立高校で、1985年に開校したばかりの新しい学校だった。マツコさんが入学した時点では、開校3年目という状況だ。

この高校での最も興味深いエピソードは、SMAPの木村拓哉さんと同級生だったという事実だ。木村さんは1年で都内の高校に転校してしまったため、後にマツコさんのことを覚えていなかったそうだが、2人は一緒に授業をサボって屋上で早弁をする仲間だったという。

同級生・キムタクは可愛い

マツコさんは当時の木村さんについて「可愛かった」と振り返り、変形学生服を着ていた姿まで鮮明に覚えていた。一方の木村さんは、マツコさんの容姿があまりにも変わりすぎて「どいつがお前になったか分からない」と後に語っている。

高校時代のマツコさんは「友達が少なかった」と本人が語るように、必ずしも華やかな学生生活ではなかった。高校3年生になって女装をはじめたことは、自分らしさを追求する大きな一歩だったが、同時に周囲との距離を感じることも多かったようだ。

ただし、この時期から大食いの傾向があり、回転寿司で34皿を平らげたというエピソードも残っている。食への興味は、現在のグルメ番組での活躍にも繋がっている。

中学時代の不良ファッションと内面の葛藤

千葉市立小中台中学校に通っていた中学時代、マツコさんは学生服の内側に刺繍入りの「中ラン」を着るなど、当時流行していた不良っぽいファッションをしていた。外見は周囲に合わせていたが、すでに「おネエ言葉」を使っており、ただし周りは冗談だと受け取っていたようだ。

この時期のマツコさんは、歌手の中森明菜さんの熱烈なファンだった。すべてのヒット曲の振り付けを完璧に覚えるほどの入れ込みようで、特に「十戒」の振り付けがお気に入りだったという。アイドルへの憧れは、自分自身の表現への憧れでもあったのかもしれない。

中学時代にも短期間だが不登校の時期があったことを、後年のインタビューで明かしている。自分のセクシャリティと向き合いながら、思春期特有の悩みも抱えていた時期だったのだろう。

小学校時代から感じていた自分らしさ

マツコ・デラックスは大学に進学していない!専門学校を選んだ理由と学歴の真実

千葉市立園生小学校に通っていた小学生時代から、マツコさんは自分がゲイであることを自覚していたという。物心ついた頃から男性に性的な魅力を感じていたことを、後に告白している。

小学校高学年になると女性週刊誌を愛読するようになり、「超ドライな子供だった」と自身を振り返っている。子供らしく振る舞うことや、良い子を演じることが苦痛で、かなり大人びた子供だった。

登校拒否の経験

小学5年生の時には登校拒否もしている。話が面白かったため友達には恵まれていたが、一緒に遊んでも全く面白くなかったことが理由だった。すべてをさらけ出して付き合える友達はおらず、今でも小学生時代の友人とは連絡を取っていないという。

ただし「学校の先生だけには恵まれた」とも語っており、先生に会うために学校に行っていた時期もあった。大人との会話の方が、同年代との交流より楽しかったのかもしれない。

小学生時代は痩せていて野球もやっていたというから、現在の姿からは想像しにくいが、この頃はまだスポーツもできる普通の男の子だった。

専門学校卒業後のキャリアと現在まで

専門学校を卒業し美容師免許を取得したマツコさんだが、その後のキャリアは美容師とは全く異なる道を歩むことになる。むしろ、この「道を外れた」選択こそが、現在の成功に繋がっている。

ゲイ雑誌の編集者としてスタート

専門学校卒業後、マツコさんが就職したのはゲイ雑誌「Badi」の編集部だった。美容師になる道を選ばず、自分のセクシャリティと直接向き合える仕事を選んだことになる。

「松風」というペンネームで編集や記者の仕事をこなし、この時の経験が後にコラムニストとして活動するきっかけとなった。文章を書く技術、雑誌を作る技術、そして何より自分の考えを言葉にする訓練ができたことは、大きな財産になったはずだ。

しかし5年ほど経つと、思うような活動ができなくなっていった。雑誌業界特有の制約や、自分が本当に表現したいことと仕事内容とのギャップに悩んだのかもしれない。結局、マツコさんは編集部を辞めることを決意する。

2年間の引きこもり生活と両親の対応

仕事を辞めた後、マツコさんは実家に戻り2年間の引きこもり生活を送ることになる。人間関係にも悩みがあったようで、精神的にかなり追い詰められていた時期だった。

この時期の両親の対応について、マツコさんは後に感謝の言葉を述べている。「働け」とは言われたものの、必要以上にセクシャリティや仕事内容に踏み込んでこなかったという。息子のプライバシーを尊重しながらも、完全に放置するわけでもない絶妙な距離感が、マツコさんを支えていたのだろう。

暗黒時代

ただし、当時両親には女装をしていることやコラムを書いていたことを内緒にしていたため、無職だと思われていた。父親からは「働かないやつは水飲むな」と叱られたというエピソードも残っている。

引きこもりという暗黒期を経験したことで、マツコさんは自分の人生や価値観について深く考える時間を持つことができた。この時期があったからこそ、後のタレント活動での発言に深みや説得力が生まれたとも言える。

中村うさぎさんとの出会いがターニングポイント

引きこもり生活から抜け出すきっかけを作ってくれたのが、エッセイストの中村うさぎさんだった。編集者時代にマツコさんが書いた記事を読んだことがあった中村さんが、対談集に取り上げたことで注目を集めるようになる。

この出会いがなければ、マツコさんの現在はなかったかもしれない。誰かに見出されること、自分の才能を認めてもらえることの重要性を示すエピソードだ。

タレント活動を開始した当初は、まだ今のような完全な女装スタイルではなかった。本格的に女装をはじめたのは20代後半、コラムニストとして活動をスタートした頃だという。徐々に自分のスタイルを確立していったのだ。

国民的タレントへの道のり

タレント活動を本格化させると、マツコさんの個性的なヴィジュアルと的確な毒舌コメントが視聴者の心を掴んだ。ただ毒を吐くだけでなく、物事の本質を見抜く洞察力と、それを分かりやすく伝える表現力が評価された。

数々のバラエティ番組でレギュラーを獲得し、CM出演本数も非常に多い。今や日本を代表するタレントの一人と言っても過言ではない存在になった。

しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。小学校時代の登校拒否、中学・高校時代の孤独、専門学校卒業後の迷い、そして引きこもり生活。数々の挫折や苦悩を経験してきたからこそ、視聴者に刺さる言葉を発することができるのだろう。

マツコ・デラックスの学歴から学べること

マツコ・デラックスは大学に進学していない!専門学校を選んだ理由と学歴の真実

マツコさんの学歴とキャリアを振り返ると、学歴よりも大切なものが見えてくる。大学に行かなかったことが、彼女の成功を妨げることはなかった。

学歴より大切なのは自分らしさを貫くこと

マツコさんは大学に進学しなかった。専門学校で学んだ美容の技術も、結局は美容師として使うことはなかった。しかし、それでも国民的タレントとして成功を収めている。

専門学校での学びは、直接的に美容師の仕事には繋がらなかったが、メイクの技術や美に関する知識として現在も活きている。また、ゲイ雑誌の編集者という経験も、コラムニストやタレントとしての活動に大きく貢献した。

一見遠回りに見える経路も、最終的には自分のキャリアを形作る重要な要素になっている。大学という「王道」を選ばなかったことで、むしろ独自の個性を磨くことができたとも言える。

大切なのは、周囲の期待や一般的な価値観に流されず、自分が本当にやりたいこと、学びたいことを追求することだ。マツコさんの選択は、それを体現している。

「学生時代のカーストは参考にならない」というメッセージ

マツコさん自身が語った言葉で印象的なのが、学校カーストに関するコメントだ。「学校でカースト上位にいたやつって、同窓会で会うとみんなヤバくなってる。本当にみんな、ことごとくショボくなってる」と語っている。

逆に、学生時代に目立たなかった人の方が、社会に出てから成功していたり、大変身して魅力的になっていたりするという。学生時代の序列は、その後の人生においてほとんど意味を持たないというメッセージだ。

孤独感

マツコさん自身、高校時代は「友達が少なかった」と語っている。学校では決して中心的な存在ではなく、むしろ孤独を感じることも多かった。しかし、そんな学生時代を過ごした彼女が、今では誰もが知る存在になっている。

さらに、「子供の時にどんなに失敗しても、もう一度大人でチャンスが来る。学生時代どんなにイジメられても、いろいろしていても、大人になると新しい場所に行けるチャンスがある」とも語っている。

この言葉は、学生時代に悩みを抱えている人、自分の居場所が見つからない人にとって、大きな励ましになるはずだ。今が苦しくても、環境が変われば人生は大きく変わる可能性があるということだ。

まとめ

マツコ・デラックスは大学に進学していない!専門学校を選んだ理由と学歴の真実

マツコ・デラックスさんは大学には進学せず、東京マックス美容専門学校で学び美容師免許を取得した。しかし美容師にはならず、ゲイ雑誌の編集者を経て、コラムニスト、そしてタレントへと転身していった。

一見すると一貫性のないキャリアに見えるかもしれないが、すべての経験が現在の彼女を形作っている。専門学校で学んだ美容の知識、編集者として培った文章力と表現力、引きこもり期間に深めた人生観。それらすべてが、今のマツコ・デラックスという存在を支えている。

学歴や肩書きよりも、自分らしさを貫くこと。失敗や挫折を経験しても、諦めずに次のチャンスを探すこと。マツコさんの人生は、そんな大切なメッセージを私たちに伝えてくれている。

 

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