賀来賢人の学歴を徹底解説!暁星小学校から青山学院大学まで、偏差値と学生時代のエピソードまとめ

俳優の賀来賢人さんは、クールなイケメン俳優というイメージが強い一方で、コメディ演技でも高い評価を得ています。その演技の幅広さは、実は学生時代の経験が大きく影響しているようです。

賀来さんは東京都内の名門私立男子校である暁星学園に小学校から高校まで通い、その後青山学院大学に進学しました。一貫して高い学力を誇る環境で育った賀来さんですが、その学生生活は意外にも「笑い」を追求する日々だったといいます。

今回は、賀来賢人さんの小学校から大学までの学歴と偏差値、そして各時代のエピソードを詳しく見ていきます。

賀来賢人の学歴一覧

まず、賀来賢人さんの学歴を一覧で確認しましょう。

出身小学校:暁星小学校(東京都千代田区)
出身中学校:暁星中学校(偏差値69)
出身高校:暁星高校(偏差値70)
出身大学:青山学院大学 経営学部(偏差値60)※中退

賀来さんは小学校から高校まで暁星学園で過ごし、12年間を男子校で育ちました。その後、青山学院大学に進学したものの、俳優業に専念するため中退しています。

賀来賢人の出身小学校は暁星小学校

賀来賢人の学歴を徹底解説!暁星小学校から青山学院大学まで、偏差値と学生時代のエピソードまとめ

賀来賢人さんが通った小学校は、東京都千代田区にある暁星小学校です。この学校は都内でも最難関の私立小学校として知られ、入学するには「お受験」と呼ばれる厳しい選考を突破する必要があります。

暁星小学校は小学校から高校までの一貫教育を提供しており、卒業生の多くがそのまま暁星中学校・高校へ進学します。初年度の学費や納付金は100万円を超えることから、古くから富裕層の子息が多く通う学校として知られています。

賀来さんの父親は、元々セゾングループの総帥だった堤清二氏の秘書を務めており、現在はさくらプロダクションの幹部という立場です。こうした家庭環境があったからこそ、賀来さんは暁星学園で学ぶことができたのでしょう。

小学校時代のサッカー熱とトルシエとの思い出

暁星小学校はサッカー教育に力を入れている学校として有名で、通常の体育の授業とは別に、サッカー専門の授業が設けられています。賀来さんも小学校時代はサッカークラブに所属し、毎日のようにボールを蹴っていました。

当時の印象的なエピソードとして、元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏とサッカーで対決したことがあるそうです。また、トルシエ氏の通訳を務めていたフローラン・ダバディ氏をサッカー選手だと勘違いして、勝手に憧れていたというエピソードも残っています。

小学校時代の賀来さんは、今のイメージとは異なりおとなしい性格だったといいます。やんちゃな兄とよくケンカをしていましたが、一度も勝てなかったと振り返っています。しかし、この小学校時代からの友人とは今でも交流が続いているそうで、長い付き合いを大切にする姿勢がうかがえます。

賀来賢人の出身中学校は暁星中学校(偏差値69)

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小学校を卒業した賀来さんは、そのまま内部進学で暁星中学校に入学しました。暁星中学校は偏差値69と非常に高く、外部から受験する場合は難関校として知られています。

暁星中学校は中高一貫の男子校で、高校へもそのまま進学できるシステムになっています。賀来さんはこの環境で思春期を過ごすことになりました。

バスケットボール部での活動と男子校ノリ

中学校に入学した賀来さんは、小学校時代のサッカーからバスケットボールに転向し、バスケットボール部に所属しました。この部活動は高校まで続けることになります。

中学時代の賀来さんは、男子校特有の「ウケ狙い」をする少年でした。授業中にいきなり叫んだり、ギャグで8回もトイレに行ったり、サッカーのドリブルをしながら靴が脱げていくなど、周囲を笑わせるための行動を繰り返していたそうです。

こうした行動の背景には、男子校ならではのヒエラルキーがありました。男子校では「面白いやつ」が上位に立てるという文化があり、賀来さんは毎日面白いことを考えて実行していたといいます。現在のコメディ演技の評価は、この中学時代の経験が土台になっているのかもしれません。

初デートで逃げ帰った純粋だった中学時代

一方で、中学時代の賀来さんは女子に対して非常にうぶでした。友人から紹介された女の子と池袋で初デートをすることになったものの、待ち合わせ場所で相手の姿を見た瞬間、怖気づいてUターンで帰ってしまったというエピソードがあります。

男子校で育ち女子との接点がほとんどなかった賀来さんにとって、異性との交流は大きなハードルだったようです。この経験は、後の高校時代の積極的なアプローチとは対照的で、賀来さんの成長を感じさせるエピソードとなっています。

賀来賢人の出身高校は暁星高校(偏差値70)

賀来賢人の学歴を徹底解説!暁星小学校から青山学院大学まで、偏差値と学生時代のエピソードまとめ

中学校から内部進学で暁星高校に入学した賀来さん。暁星高校は偏差値70の超難関校で、都内でも有数の進学校として知られています。毎年10名以上の東大合格者を輩出しており、「お坊ちゃん学校」でありながら学力面でも高い実績を誇る学校です。

バスケ部のレギュラーとして活躍した高校時代

高校でも賀来さんはバスケットボール部に所属し、レギュラーメンバーとして活躍しました。部活動に打ち込む傍ら、グラウンドに寝そべって夕日を見ながら仲間とくだらない話をする時間も大切にしていたといいます。

賀来さんは運動神経が非常に良く、スポーツ全般が得意です。俳優としてアクションシーンを演じる際にも、この身体能力の高さが活きているのでしょう。

高校時代も中学と同様に、面白いことばかり考えていたと賀来さんは語っています。男子校では「面白いやつがヒエラルキーの上になれる」という文化があり、賀来さんはその中で日々笑いを追求していました。

女子にモテたくて名刺100枚配布の積極アプローチ

高校時代の賀来さんは「とにかくモテたかった」と率直に語っています。この思いは非常に強く、他校の女子校の文化祭に足を運んでは、自分のメールアドレスと名前を書いた名刺を100枚も作って配っていたそうです。

この大量の名刺配りの成果として、実際に10人ほどの女子高生と会うことができたといいます。中学時代に初デートから逃げ出した少年が、高校生になって積極的に女子にアプローチする姿は、大きな成長を感じさせます。

この積極性の背景には、当時慕っていた先輩からの教えがありました。「男はモテかモテないかじゃなくて、行くか行かないかだ」という言葉を胸に、賀来さんは行動を起こし続けたのです。

高校3年生でスカウトされ芸能界デビュー

高校時代の賀来さんは、何度か芸能事務所からスカウトされていました。しかし母親が反対したため、その時は芸能界入りには至りませんでした。

転機が訪れたのは高校3年生の時です。叔母である女優の賀来千香子さんが持っていた写真を、現在の所属事務所アミューズのスタッフが偶然見かけました。その写真に写っていた賀来さんに興味を持ったスタッフが、母親に名刺を渡したのです。

当時の賀来さんは、バスケットボール部を引退した直後で特に目標もない時期でした。もともとドラマを見るのが好きだったこともあり、興味本位で芸能界に進むことを決めました。今度は母親も、義理の妹である賀来千香子さんが所属する事務所からのスカウトだったため、反対しなかったようです。

高校3年生の時に、成海璃子さんと松山ケンイチさんが主演する映画「神童」で俳優デビューを果たしました。さらに同年には「Little DJ~小さな恋の物語」と「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」の2本の映画にも出演し、順調なスタートを切りました。

賀来賢人の出身大学は青山学院大学経営学部(偏差値60)

高校を卒業した賀来さんは、青山学院大学の経営学部に進学しました。青山学院大学経営学部は偏差値60程度のやや難関学部で、ビジネスに関する専門的な知識を学ぶ学部です。

小学校から高校まで男子校で過ごした賀来さんにとって、青山学院大学は初めての共学環境でした。この環境の変化が、思わぬ困難を生むことになります。

初めての共学で友達ゼロの大学生活

大学入学後、学部ごとの合宿で自己紹介をする機会がありました。賀来さんは「キメてやろう」と意気込み、男子校ノリ全開のめちゃめちゃな挨拶をしたそうです。「どーもー!」という感じでウケを狙ったのですが、結果は全員にドン引きされてしまいました。

この失敗がきっかけで、賀来さんは大学で友達が一人もできなくなってしまいました。人生で初めて友達がいないという状況に戸惑った賀来さんは、授業が終わるとすぐにどこかへ行き、忙しいフリを続けることになります。

電話しているフリで孤独を隠した日々

友達がいないことを周囲に悟られないよう、賀来さんは休み時間になると常に電話をしているフリをしていたといいます。実際には誰とも話していないのに、電話を耳に当てて歩き回る日々は、本人にとって非常につらいものだったでしょう。

この大学時代の孤独な経験は、賀来さんにとって貴重な人生経験となりました。常に仲間に囲まれていた男子校時代とは真逆の環境で、人との関わり方や孤独との向き合い方を学んだのかもしれません。

俳優業への情熱が高まり大学中退を決意

一方で、俳優としての仕事は順調に増えていきました。2007年に映画「神童」でデビューした後、2008年にはドラマ「太陽と海の教室」にレギュラー出演し、2009年には映画「銀色の雨」で20歳にして初主演を果たしました。

最初は興味本位で始めた俳優業でしたが、仕事をこなしていくうちに役者や芝居が好きになっていったと賀来さんは語っています。そして「役者という仕事で一生食べていきたい」という思いが強くなり、大学か仕事かを本気で考える時期が訪れました。

人生を決める大きな決断

大学2年生の時、賀来さんは大きな決断をします。親に「30歳までに芽が出なかったら辞める」と宣言し、大学を中退して俳優業に専念することを選んだのです。

母親は「せめて大学は卒業しろ」と反対しましたが、賀来さんの意志は固く、結局中退を選びました。後のインタビューで賀来さんは「大学を辞めたことが一番の贅沢かもしれない」と振り返っています。

大学中退後は俳優に専念しましたが、最初の頃は仕事があまりなく、水道を止められたこともあったそうです。しかし24歳の時に出演したNHKの朝ドラ「花子とアン」でヒロインの兄役を好演し、全国区の人気俳優へと成長しました。

賀来賢人の学歴が俳優業に与えた影響

賀来賢人さんの学生時代を振り返ると、現在の俳優としての活躍に大きく影響している要素がいくつも見えてきます。

小学校から高校まで通った男子校での経験

賀来さんは「面白いことをやる」ことでクラスの中心にいたタイプでした。この経験が、コメディ演技での高い評価につながっています。ドラマ「今日から俺は!!」での三橋役や、バラエティ番組での自然体な振る舞いは、まさに男子校で培った「笑い」へのこだわりが活きているといえるでしょう。

バスケットボール部での活動

中学から高校まで続けたバスケットボールで培った身体能力は、アクションシーンを演じる際の大きな武器となっています。賀来さんはスポーツ全般が得意で、身体を使った表現にも定評があります。

叔母・賀来千香子の存在

そして、叔母である賀来千香子さんの存在も見逃せません。賀来千香子さんは1980年代から1990年代にかけてトレンディードラマで絶大な人気を誇った女優です。その叔母が持っていた写真がきっかけで芸能界に入った賀来さんにとって、千香子さんの存在は大きかったはずです。2011年のドラマ「アスコーマーチ」で初共演を果たしましたが、その時の賀来さんは女装した役だったため、「すごく恥ずかしかった」とコメントしています。

大学での孤独な経験も、俳優としての感受性を磨く機会となったかもしれません。友達がいない寂しさや、周囲と馴染めない疎外感は、役を演じる上で重要な感情です。この経験が、シリアスな役柄を演じる際の深みにつながっているのではないでしょうか。

まとめ

賀来賢人さんの学歴を振り返ると、名門一貫校での充実した学生生活と、そこで培われた多様な経験が見えてきます。

暁星小学校でサッカーに熱中し、暁星中学校・高校ではバスケットボール部で活躍しながら、常に「笑い」を追求していた学生時代。偏差値70の超難関校に通いながらも、勉強だけでなく人を楽しませることにも全力を注いだ12年間でした。

青山学院大学では友達ができない孤独を経験しましたが、その一方で俳優としてのキャリアを着実に積み上げていきました。そして大学2年で中退を決断し、俳優の道を選んだ賀来さんは、その後の努力で1歳年上の人気女優・榮倉奈々さんとの結婚も実現し、プライベートでも充実した生活を送っています。

現在の賀来賢人さんは、コメディからシリアスまでこなす実力派俳優として、数々の話題作に主演しています。学生時代に培った「笑い」へのこだわり、スポーツで鍛えた身体能力、そして孤独を知る感受性が、俳優・賀来賢人を支える大きな力となっているのです。

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