増田貴久は大学に進学していない!体育教師の夢を諦めた理由とNEWSでの選択

NEWSのメンバーとして長年活躍し、俳優やバラエティタレントとしても高い人気を誇る増田貴久さん。

「まっすー」の愛称で親しまれる彼は、抜群の運動神経とダンススキルを持ち、一時は体育教師になることも考えていました。

増田貴久は大学に進学していない!体育教師の夢を諦めた理由とNEWSでの選択

しかし高校卒業後、増田さんは大学には進学せず、芸能活動に専念する道を選びます。

本記事では、増田貴久さんが大学進学を選ばなかった理由や当時の心境、そしてその選択が彼のキャリアにどのような影響を与えたのかを、学生時代のエピソードとともに詳しく解説します。

増田貴久の学歴と基本プロフィール

増田貴久さんは1986年7月4日、東京都練馬区で生まれました。本名も増田貴久で、愛称は「まっすー」です。

身長171cm、血液型O型で、現在はジャニーズ事務所所属のアイドルグループ「NEWS」のメンバーとして活動しています。家族構成は両親と姉の4人家族です。

増田さんの学歴は、出身小学校が練馬区立光が丘第五小学校、出身中学校が練馬区立光が丘第三中学校、出身高校がクラーク記念国際高等学校の通信制課程です。

そして結論から言うと、増田貴久さんは高校卒業後、大学には進学していません。芸能活動に専念するため、大学進学という選択肢を断念したのです。

この決断に至るまでには、増田さん自身の中で様々な葛藤がありました。高校時代には大学に進学して体育教師の資格を取得する考えもあったそうですが、所属するNEWSがメジャーデビューを果たしたこともあり、アイドルとしての活動一本に絞ることになりました。この選択が、現在の増田さんのキャリアを決定づけることになります。

姉のおかげでジャニーズ事務所に入所した小学校時代

増田貴久さんの人生を大きく変える出来事が、小学校6年生の時に起こります。姉と姉の友人が勝手に履歴書を送ったことがきっかけで、ジャニーズ事務所に入所することになったのです。

この経緯について、増田さんは後にインタビューで詳しく語っています。

姉の友達が「弟がいるんだったらジャニーズに入れよう!」と持ちかけたことから、姉もその気になって増田さんに内緒で履歴書を送付しました。

この姉の友達の提案がなければ、増田さんもジャニーズ事務所入りすることはなかったはずで、結果的には非常にラッキーな出来事でした。

しかし当初、増田さん自身はオーディションには乗り気ではなかったそうです。そこで姉は新しいバスケットボールを買ってあげることをエサにして、弟を受けさせたとのこと。

増田貴久は大学に進学していない!体育教師の夢を諦めた理由とNEWSでの選択

スポーツ好きな増田さんにとって、新しいバスケットボールは魅力的な提案だったのでしょう。この軽い気持ちでの応募が、後の人生を決定づけることになります。

小学校時代の増田さんは、子供の頃からスポーツが大好きで、小学校ではサッカー部に在籍していました。

当時の夢はスポーツ選手でした。また習字やピアノ、英会話や水泳など数々の習い事もしており、多才な少年だったことが伺えます。

特に水泳で鍛えた筋肉は、現在も「筋肉がすごい」と言われる増田さんの身体の基礎となっています。

ジャニーズ事務所の同期には、亀梨和也さんや赤西仁さん、中丸雄一さん、塚田僚一さん、藤ヶ谷大輔さんらがいます。

後にKAT-TUNやKis-My-Ft2として成功するメンバーが揃った世代でした。増田さんは入所してからわずか1か月後に、Kinki Kidsのバックダンサーとして東京ドームのステージに立つという、幸先の良いスタートを切りました。

練馬区立光が丘第三中学校時代の「低空飛行」と金八先生

中学校は地元練馬区内の公立校である光が丘第三中学校に進学しました。この中学校には、後に女優として大活躍する上戸彩さんが1学年上の先輩として在籍していました。同じ中学校出身ということで、2人は後に様々な場面で交流することになります。

中学時代の増田さんはバスケットボール部に所属していました。実は小学校時代はサッカーをやっていましたが、気になる女子がバスケットボール部に入部したので、中学ではバスケットボールを選んだそうです。

また仕事をおこなっており日焼けをしたくなかったのも、屋内スポーツであるバスケットボール部に入部した理由だったようです。この選択からは、すでに芸能活動を意識していた増田さんの姿勢が伺えます。

増田さんは小学校6年生の時にジャニーズ事務所に入所していたため、中学校時代はジャニーズJr.として活動していました。しかしこの時期、増田さんのキャリアは決して順調ではありませんでした。

同期のタレントたちが次々とテレビ番組や雑誌などに起用される中、増田さんには仕事がなかなか回ってこなかったそうです。

テレビ局でリハーサルをおこなったにも関わらず、本番では出演できないということもありました。そのため増田さんは事あるごとに「自分はエリートでなかった」と述べています。

この「低空飛行」の時期は、増田さんにとって非常に辛い経験だったはずです。同期が次々と活躍する姿を見ながら、自分だけが取り残されているという焦りや劣等感を感じていたかもしれません。

それでも当時、増田さんは「嵐組」として嵐のツアーにバックダンサーとして出演していました。

「嵐組」には、後にKis-My-Ft2として成功する藤ヶ谷太輔さん、北山宏光さん、宮田俊哉さんらも名を連ねていました。この経験が、後のダンススキル向上につながっていきます。

当時から増田さんのダンススキルはジャニーズJr.のメンバーの中では抜きん出ており、たびたび演出家や振付師から絶賛されていました。しかし面白いエピソードもあります。

Kinki Kidsのコンサートリハーサルで、五関晃一さんが遅刻したのですが、振付師は増田さんがいないと勘違いして「増田ー、どこにいるんだ増田ー」と激怒しました。

その場にいた増田さんは「いますよー! ここにいますよー!」と手を振ってアピールしましたが、五関さんが遅れて登場すると振付師は「なんだ五関か」と一言で済ませてしまいました。この不憫なエピソードは、当時の増田さんの存在感を物語っているかもしれません。

そして中学3年生の時、増田さんの転機となる出来事が起こります。テレビドラマ「3年B組金八先生(第6シリーズ)」の生徒役に抜擢されたのです。

このドラマでは上戸彩さんや本仮屋ユイカさん、平愛梨さん、中尾明慶さんら豪華なメンバーが生徒役として出演していました。

しかし増田さんは後にバラエティ番組に出演した際、このドラマに出演していたことがあまり知られていないと嘆いています。

「僕が出てたことが全然知られてないんですよ。結構ジャニーズで『金八先生』出させてもらったら、そっからジャニーズ人生も変わっていくって感じだと思うんですけど、僕だけすごい低空飛行だったんですよ」と当時を振り返っています。

この発言からは、金八先生への出演が同期たちにとってはキャリアの飛躍につながったのに対し、増田さんの場合はそれほど大きな変化がなかったことへの複雑な思いが伺えます。

しかしこの「低空飛行」の経験こそが、後の増田さんの謙虚な姿勢や努力を惜しまない性格を形成したのかもしれません。

クラーク記念国際高校での通信制課程と芸能活動の両立

高校はクラーク記念国際高等学校の通信制課程に進学しました。この高校は1992年開校の広域制通信制高校で、全国の50以上の主要都市にキャンパスを設置しています。

増田さんは出身高校を明らかにしていませんが、ツイッターなどには在籍情報が多数あるため、この高校の出身者であることは明らかです。

クラーク記念国際高校の通信制課程は学ぶ意思さえあれば入学試験などなく入学できるため、偏差値はありません。

増田貴久は大学に進学していない!体育教師の夢を諦めた理由とNEWSでの選択

また通学日数を選ぶことができるなど融通が利くことから、このところ在籍する芸能人が急増しており、ジャニーズ事務所所属のタレントも多く在籍しています。

同校の出身者には、Kis-My-Ft2の横尾渉さん、藤ヶ谷太輔さん、二階堂高嗣さん、A.B.C-Zの橋本良亮さん、Snow Manの渡辺翔太さん、宮舘涼太さん、SixTONESのジェシーさんなど、錚々たるメンバーが名を連ねています。

増田さんは中学生の頃には既に俳優として活動しており、連続ドラマにもレギュラー出演していたことから、より幅広く芸能活動をおこなうために通信制の同校に進学しました。

この高校の東京キャンパスに通学していたそうです。運動神経がよく中学時代までは部活動をおこなっていた増田さんですが、高校進学後はより仕事を優先させるために部活動などはおこなわなかったそうです。

この高校ではKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さんが1学年下に在籍していたことから、一緒に登校することもあったほど仲が良かったといいます。

また在校中にお世話になっていた先生から、増田さんと藤ヶ谷さんがともに呼び出されたエピソードも残っています。

その際、2人はてっきり怒られると思ったそうですが、その先生は「正直に言いなさい」とパソコンの画面を指さしました。

実はその頃、NEWSがメジャーデビューすることが告知されていましたが、直前までメンバーを公表しないようにとメンバーが横一列に並んだシルエット画像のみが公開されていたのです。

その先生は増田さんや藤ヶ谷さんがメンバーに入っているか知りたくて2人を呼び出したのですが、2人とも絶対に事前にメンバーを漏らしてはいけないと言われていたため、頑なにこれを否定しました。

先生は粘って増田さんのシルエットを指さして「これマッスーっぽいな」と言いましたが、増田さんは「知らないっす」とダンマリを決め込んだとのこと。ただし後日メンバー発表があった際には、気まずかったそうです。

高校2年生の時には、NHKの大河ドラマ「MUSASHI」に主演の市川新之助(現在は市川海老蔵)さんの少年時代を演じて注目を集めました。

そして同じく高校2年生だった2003年、小山慶一郎さん、加藤シゲアキさん、手越祐也さん、錦戸亮さん、山下智久さんらとともにNEWSが結成されます。

しかし増田さんのメンバー入りは意外だったようで、他のメンバーから「なんでマッスーがいるの?」との声も上がったことをインタビューで話しています。

本人も「NEWSのメンバーに選ばれて一番驚いたのが僕」と当時を振り返っていました。長年「低空飛行」を続けてきた増田さんにとって、この抜擢は予想外の出来事だったのです。

その翌年にはファーストシングル「希望Yell」でメジャーデビューも果たしますので、高校時代は非常に多忙な時期でした。

それでも増田さんは仕事と学業を両立させて、きっちりと高校は卒業しています。ただし勉強面では数学が苦手だったとのこと。その一方で得意科目は体育で、運動神経の良さを発揮していました。

体育教師の夢を諦めて芸能活動に専念した理由

高校卒業後、増田貴久さんは大学には進学せず、芸能活動に専念する道を選びました。

実は高校時代、増田さんは大学に進学して体育教師の資格を取得する考えもありました。この夢には、増田さんの運動神経の良さと教育への興味が背景にありました。

増田さんの運動神経は非常によく、体育の成績は小学校から高校まですべて「5」だったそうです。

サッカー、バスケットボール、水泳など様々なスポーツに取り組み、高い身体能力を持っていた増田さんにとって、体育教師という職業は自分の強みを活かせる魅力的な選択肢だったはずです。

また当時のNEWSメンバーの中でバック転ができたのは増田さんだけでした。現在も「筋肉がすごい」と言われる増田さんですが、学生時代から水泳で鍛えており、その筋肉は長年の努力の賜物です。

テレビドラマ「RESCUE」に出演した際には、危険なレスキュー隊の訓練シーンをスタントなしでおこなうなど、高い身体能力を示しています。

しかし結局、増田さんは大学進学という道を選びませんでした。その最大の理由は、所属するNEWSがメジャーデビューを果たし、アイドルとしてのキャリアが本格的に動き始めたことでした。

高校2年生でNEWSが結成され、高校3年生でメジャーデビューという急激な展開の中で、大学に通いながら芸能活動を続けることは現実的に困難だったのでしょう。

また長年「低空飛行」を続けてきた増田さんにとって、NEWSのメンバーに選ばれたことは予想外の幸運でした。

「なんでマッスーがいるの?」と言われるほど意外な抜擢だったからこそ、このチャンスを最大限に活かしたいという強い思いがあったはずです。体育教師という安定した職業の道もありましたが、小学校6年生から続けてきたジャニーズでの活動、そして中学時代の「低空飛行」を経て掴んだチャンスを手放すわけにはいかなかったのでしょう。

高校を卒業した2005年には、同じNEWSのメンバーである手越祐也さんとユニット「テゴマス」を結成しています。

NEWSでの活動に加えて、ユニット活動も開始したことで、増田さんの活動の幅はさらに広がっていきました。大学に進学していれば、このような多忙なスケジュールをこなすことは不可能だったでしょう。

大学に進学しなかった選択がキャリアに与えた影響

増田貴久さんが大学に進学しなかったという選択は、結果的に彼のキャリアに大きなプラスの影響を与えました。

芸能活動に専念することで、俳優、歌手、タレントとして多方面で活躍する基盤を築くことができたのです。

俳優としては、高校卒業後も数々の話題作の連続ドラマに出演しています。大学に通いながらでは難しかったであろう、撮影スケジュールの厳しい作品にも参加できました。

特に「RESCUE」での肉体を酷使する演技は、大学生活との両立では実現困難だったかもしれません。

タレントとしても高い人気を獲得し、バラエティ番組「ぐるナイ」の「ゴチになります」などの人気番組にレギュラー出演するようになりました。

2020年1月からは中島健人さんに代わって新レギュラーに起用されるなど、バラエティー番組でもその存在感を示しています。

NEWSとしてのグループ活動も、メンバーの脱退が相次ぐ中、真面目な性格で知られる増田さんは長年にわたってグループをけん引してきました。

現在は4人組となっていますが、増田さんの献身的な姿勢がグループを支えてきたといえるでしょう。

増田貴久は大学に進学していない!体育教師の夢を諦めた理由とNEWSでの選択

また手越祐也さんとのユニット「テゴマス」での活動も、大学に通っていれば時間的に困難だったかもしれません。

グループとユニットの両方で活動することで、増田さんは表現の幅を広げることができました。

体育教師という安定した職業の道もありましたが、増田さんが選んだ芸能活動一本の道は、彼の多才さを最大限に発揮できる選択だったといえます。

運動神経の良さはアクションシーンやダンスパフォーマンスで活かされ、真面目な性格はグループの安定に貢献し、トーク力はバラエティ番組で発揮されています。

現在の増田貴久さんの活躍を見れば、大学に進学しなかったという選択は正しかったといえるでしょう。

小学校6年生で姉が履歴書を送ったことから始まったジャニーズでのキャリア、中学時代の「低空飛行」、そしてNEWS結成という予想外の幸運。これらすべての経験を無駄にせず、芸能活動に全力で取り組んだ結果が、現在の多方面での成功につながっているのです。

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