小芝風花の学歴を徹底解説|フィギュアスケート選手から女優への転身秘話

小芝風花の学歴概要と基本プロフィール

女優として確固たる地位を築いている小芝風花さん。

NHK朝ドラ「あさが来た」での演技や実写映画「魔女の宅急便」の主演で多くのファンを魅了してきました。

しかし彼女の学生時代には、女優とは全く異なる道を歩んでいた時期があります。

この記事では、小芝風花さんの学歴と学生時代のエピソードを詳しく解説していきます。

小芝風花の学歴まとめ

小芝風花さんの学歴を時系列で整理すると、以下のようになります。

出身小学校

小芝風花の学歴を徹底解説|フィギュアスケート選手から女優への転身秘話

大阪府堺市立浅香山小学校です。

地元堺市内の公立校で、幼少期から非常に活発な性格だった小芝さんは、器械体操、空手、クラシックバレエなど様々な習い事に励んでいました。

出身中学校

堺市立浅香山中学校に入学しましたが、芸能界入りを機に東京の日出中学校(現・目黒日本大学中学校)に転校して卒業しています。

中学時代はフィギュアスケート選手として活躍する一方で、人生の転機となるオーディションに合格しました。

出身高校

日出高校(現・目黒日本大学高校)の芸能コースに進学し、後に通信制課程に転科して卒業しています。

高校時代は女優活動が本格化し、映画やドラマへの出演が増加した時期でした。

大学進学については、高校卒業後は進学せずに女優業に専念する道を選択しています。

小芝風花のプロフィール

小芝風花さんの基本的なプロフィールは以下の通りです。

本名は小芝風花(こしば ふうか)で、1997年4月16日生まれです。

身長は156cmから158cmとされており、血液型はA型です。

大阪府堺市の出身で、2011年にオスカープロモーションに所属して芸能界入りし、2024年まで同事務所に在籍していました。

2025年からはトップコートに移籍しています。

「風花」という珍しい名前は、松山千春さんのヒット曲「大空と大地の中で」の歌詞をヒントに母親が名付けたそうです。

名前には「世間の冷たい風に吹かれても、小さくてもいいからしっかり根を張って生きてほしい」という願いが込められています。

家族構成は両親と姉、妹の5人家族ですが、幼少期に両親が離婚しており、以降は母子家庭で育ちました。

現在、父親は中国の上海で日本料理店の店長を務めているとのことです。

小学校時代:フィギュアスケートとの出会い

堺市立浅香山小学校での活発な日々

小芝風花さんの出身小学校は、大阪府堺市内の公立校である堺市立浅香山小学校です。

インターネット上には小芝さんの実家があるのが堺市浅香山町という情報が見られ、この町を校区にしているのがこの小学校です。

小学校時代の小芝さんは非常に活発な性格で、クラスの男子たちとドッジボールをやったり、鬼ごっこをして遊んでいました。

体を動かすことが大好きだった彼女は、器械体操、空手、クラシックバレエなど、複数の習い事に通っていました。

母親のしつけは非常に厳しく、子供の頃から電車や食事などのマナーを徹底的に叩き込まれています。

お母さんが怖かったことから、反抗期がなかったと小芝さん自身が語っています。

厳しいしつけの一方で、家族は非常に仲良しで、現在でも一家でキャンプに行ったりしているとインタビューで話しています。

フィギュアスケートへの道

小芝風花の学歴を徹底解説|フィギュアスケート選手から女優への転身秘話

小芝さんの人生を大きく変える出来事が、小学3年生の時に起こりました。

2006年、荒川静香さんがトリノオリンピックでフィギュアスケートの金メダルを獲得し、日本中がスケートブームに沸いていた時期です。

器械体操のレッスンに行った際、友人の母親から「スケートも向いてそう」と言われたことがきっかけで、家族でスケート場に行くことになりました。

初めてスケートを滑ると非常に楽しく、小芝さんは器械体操を辞めてスケートを習いたいと母親に申し出ました。

こうして小学3年生からフィギュアスケートをはじめた小芝さんは、技ができた時の喜びが大きかったことからすぐにのめり込んでいきました。

早朝に家を出てフィギュアスケートの練習をして、その後学校に登校するという生活を5年間も続けています。

スケートに打ち込む小芝さんを、母親が全面的にサポートしました。

早朝練習や遠征の付き添い、競技用の衣装まで手作りしてくれたそうです。

インタビューでも「フィギュアスケート選手だった時は、友達とも遊んでいない」と明らかにしているほど、スケート一色の小学校時代でした。

小芝さんの才能は着実に開花し、関西地区の中小学生大会で8位に入賞するなど、実力を発揮していきました。

なお小芝さんは自身の性格について「小さな頃からフィギュアスケートをしていたので、負けず嫌いです。

例えるなら”内心メラメラ”タイプ」だと話しています。

中学校時代:スケート選手から女優への転身

堺市立浅香山中学校でのスケート活動

小芝風花さんの出身中学校は、地元堺市内の公立校の堺市立浅香山中学校です。

この中学校に在籍中は、1学年上に元NMB48のメンバーの吉田朱里さんも在籍していました。

他の卒業生には、プロボクサーの井岡一翔さんやお笑い芸人のブー藤原さんなどがいます。

中学時代の小芝さんは、「臨海フィギュアスケートクラブ」に在籍して本格的な練習を重ねていました。

小学校から続けていたフィギュアスケートでは、バッジテスト7級を取得し、全国有望新人発掘合宿にも参加するなど、着実に実力をつけていました。

当時の小芝さんは3回転ジャンプが跳べるほどの技術を持っており、将来の夢は大学までスケートを続けて、インストラクターになりたいと考えていました。

中学2年生の時には、男女がペアになって踊るアイスダンス(ノービスダンス)に挑戦し、第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会のノービスダンス部門で優勝を勝ち取っています。

人生を変えたオーディション

フィギュアスケート選手として順調にキャリアを積んでいた小芝さんですが、中学2年生の時に人生の転機が訪れます。

偶然見かけた浅田真央さんのCMを見て「私もこんなCMに出たい」と口にしたところ、姉がオーディション雑誌を購入してくれました。

そしてオスカープロモーションの「ガールズオーディション2011」を受けることになりました。

このオーディションは、オスカープロモーション所属の人気女優・武井咲さんの妹キャラクターを選ぶというもので、全国から約3万5000人もの応募がありました。

「きっと受からないだろうな」という軽い気持ちで応募した小芝さんでしたが、驚くことに全国約3万5000人の中からグランプリを受賞してしまいます。

フィギュアスケートを続けるか芸能界に進むか非常に悩んだ小芝さんでしたが、大勢の応募者の中から選ばれてこんなチャンスはないと思い、フィギュアスケートを辞めて芸能界の道に進む決意をしました。

東京への転校と新生活

芸能界入り後、小芝さんは上京して私立の日出中学校(偏差値42・現在は目黒日本大学中学校)に転校しています。

母親と妹も一緒に上京しており、以降は3人暮らしとなりました。

上京した当初は慣れない環境や友達がいなかったこともあり、たびたび「大阪に帰りたい」と思っていたそうです。

意外にも当時は人見知りで、インタビューを受けても何を話していいのかわからなかったため、上京後の最初の1週間は「もうこんなのできない!」と毎晩家で泣いていたことを明らかにしています。

しかし次第に東京での生活にも慣れ、中学3年生の時には同じオスカープロモーションの先輩女優・武井咲さん主演のテレビドラマ「息もできない夏」で女優デビューを飾っています。

ちなみに小芝さんは芸能界入り当初から女優志望でした。

高校時代:女優としての本格始動

日出高校芸能コースへの進学

小芝風花さんの出身高校は、芸能人御用達で知られる日出高校です。

この高校は1903年開校の私立高校で、古くから芸能コースを設置していたため多くの芸能人を輩出しています。

2019年4月からは目黒日本大学高校に校名が変更されています。

小芝さんは幅広く芸能活動をおこなうために、全日制課程の芸能コース(偏差値42)に進学しました。

この高校を卒業した際には、制服や卒業証書の画像などを公開しているため、日出高校の出身者であることは確実です。

高校に在学中は、次のような豪華なメンバーが同学年に在籍していました。

森高愛さん、飯豊まりえさん、玉城ティナさん、中川可菜さん、向井地美音さん、井上苑子さん、北村匠海さんなどです。

小芝さんは同じ関西圏出身ということで、シンガーソングライターの井上苑子さんと特に仲良くしていました。

映画「魔女の宅急便」での主演

小芝風花の学歴を徹底解説|フィギュアスケート選手から女優への転身秘話

高校に入学してすぐ、小芝さんに大きなチャンスが訪れます。

実写版映画「魔女の宅急便」の主役・キキ役に抜擢されたのです。夏休みも入れて3ヶ月ほど学校を休んで撮影に臨みました。

ホウキにまたがって飛ぶシーンは、約20mの高さをワイヤーアクションでの撮影でしたが、小芝さんは持ち前の運動神経で難なくこなし、アクション指導の方に褒められたそうです。

フィギュアスケートで培った身体能力が、ここで大いに活かされました。

この作品での小芝さんの演技は高く評価され、第57回ブルーリボン賞新人賞や第24回日本映画批評家大賞新人女優賞などの新人賞を受賞しています。

演技力が認められた一方で、この映画は興行収入が5億円に満たず不振に終わったことから、小芝さん自身はこの時点でブレイクすることはできませんでした。

学業と仕事の両立の苦悩

高校時代の小芝さんは、仕事で学校行事にもほとんど参加できませんでした。

修学旅行や体育祭、文化祭にも参加できず、部活動もおこなっていませんでした。

女優に専念するために犠牲にするものも多く、友達と遊んだ思い出もほとんどないという高校生活でした。

仕事が多忙になったこともあり、高校2年生になるタイミングで、2週間に1回ほど通学をする通信制課程に転科しています。

仕事現場に課題を持ち込み、仕事の合間に勉強をおこなっていました。

学業と仕事の両立については、「撮影とテスト期間がかぶると大変でした!台本覚えなきゃいけないし、勉強しなきゃいけないので、頭がパンパンになったりもしてました。そういう時は、目の前にある物から取り掛かろうって決めてやっていました」と話しています。

小芝さんは勉強があまり好きではないことを明かしており、高校時代にしっかりと勉強をしたのはテスト期間だけだったとのことです。

得意科目は理科で、国語の朗読が苦手だったようです。

ただし台本を覚えることに集中力が必要なため、授業はしっかりと聞いていました。

当時の通信制課程には小芝さんと同じく全日制課程から転科した女子生徒がおり、その生徒と下校時に1度だけファーストフード店に行っておしゃべりをしたことが高校時代の思い出だとコメントしています。

なおその女子生徒は女優の森高愛さんで、現在でも親友の仲です。

朝ドラ「あさが来た」での転機

高校1年生の時には、フィギュアスケートをテーマにした「スケート靴の約束」というテレビドラマに出演しています。

小芝さんは中学時代までフィギュアスケートに打ち込んでいたため、その経験を買われての出演でした。

ちなみにこのドラマには浅田舞さんや本田真凛さんといったフィギュアスケートの経験者も出演しています。

高校2年生の時には、「選抜高校野球」のイメージキャラクターにも起用されています。

そして高校3年生だった2016年1月、小芝さんの女優人生における最大の転機が訪れます。

NHKの朝ドラ「あさが来た」でヒロイン波瑠さんの娘・白岡千代役に起用され、知名度が大幅に上がったのです。

ちなみにこのドラマのヒロイン役は波瑠さんが務めていますが、小芝さんもヒロインの最終オーディションに残っていました。

また小芝さんの親友役で共演した吉岡里帆さんは、この作品でブレイクしています。

小芝さんもこの作品で知名度が上昇してオファーも増えたため、「転機になった作品」とコメントしています。

「作品自体の反響もすごくあったのですが、映像関係者の方からも『観ていたよ』と言われることが多く、そこから幅広い役柄のお話をいただくことができたんです」と振り返っています。

このように高校時代は女優活動で大忙しでしたが、学業と仕事を両立させて高校はしっかりと卒業しています。

大学進学せず女優業に専念

芸能活動への専念という選択

小芝風花さんは高校卒業後、大学などに進学せずに芸能活動に専念しています。

当初は大学に進学するつもりでしたが、路線変更したようです。

高校卒業時のインタビューで、小芝さんは次のように話しています。「友だちは大学に進んだり、夢に向かって一歩を踏み出す時期になります。私はおばあちゃんになるまで女優でいたいと思っているので、まわりに流されることなく、与えられた役を一生懸命演じていきたいと思っています」

この言葉からは、女優という仕事に対する強い覚悟と情熱が感じられます。

大学進学という一般的な道ではなく、自分が本当にやりたいことに全力を注ぐという選択をしたのです。

大学進学しなかった後のキャリア

大学に進学しなかった小芝さんですが、その後の活躍は目覚ましいものがありました。「あさが来た」への出演の影響で、数々のテレビドラマや映画に起用される人気女優となっています。

2019年にはNHKドラマ10「トクサツガガガ」で特撮オタクのヒロイン・仲村叶役を演じ、連続ドラマ初主演を務めました。

2021年にはフジテレビ系ドラマ「彼女はキレイだった」で主演を務め、第109回ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。

この作品で女優としての評価をさらに高めることとなりました。

人柄も非常によく、共演者からも愛されるキャラクターとして知られています。

和服が似合うと話題になり、CMなどにも起用されています。

小芝風花の学歴から学べること

フィギュアスケートで培った力

小芝風花さんの学歴を振り返ると、小学3年生から中学2年生までの約5年間、フィギュアスケートに打ち込んだ経験が、その後の女優活動に大きく影響していることがわかります。

早朝練習を続けた忍耐力、技を成功させるまで繰り返す粘り強さ、大会で結果を出すプレッシャーに耐えるメンタルの強さ。

これらはすべて、競技スポーツで培われたものです。

映画「魔女の宅急便」でのワイヤーアクションや、様々な役柄に挑戦する勇気も、スケートで身につけた身体能力と精神力があったからこそでしょう。

小芝さん自身が「小さな頃からフィギュアスケートをしていたので、負けず嫌いです」と語るように、競技を通じて形成された性格や価値観が、女優としての姿勢にも表れています。

キャリア選択の決断力

小芝風花の学歴を徹底解説|フィギュアスケート選手から女優への転身秘話

中学2年生という若さで、フィギュアスケート選手から女優への道を選んだ小芝さん。「こんなチャンスは二度とない」と判断した決断力は、見事なものです。

もちろん、オーディションでグランプリを獲得したという客観的な評価があったからこその決断ですが、それまで打ち込んできたスケートを手放す勇気は並大抵のものではありません。

この決断が、現在の女優・小芝風花を生み出したのです。

高校卒業後に大学進学せず女優業に専念するという選択も、同様の決断力の表れでしょう。

自分の進むべき道を見極め、それに全力を注ぐ姿勢は、キャリア形成において重要な要素です。

母親の支えと厳しいしつけ

小芝さんの学歴を語る上で欠かせないのが、母親の存在です。

母子家庭という環境の中で、フィギュアスケートの早朝練習に付き添い、遠征をサポートし、競技用の衣装まで手作りしてくれた母親の献身的な支えがありました。

同時に、子供の頃から電車や食事などのマナーを徹底的に叩き込むという厳しいしつけも、小芝さんの人間性を形成する上で重要な役割を果たしています。

「人柄も非常によく、共演者からも愛されるキャラクター」と評される現在の小芝さんは、母親の教育の賜物といえるでしょう。

芸能界入り後も母親と妹と共に上京し、3人暮らしを続けた小芝さん。

家族の絆の強さが、厳しい芸能界を生き抜く力になっているのかもしれません。

まとめ:学歴を超えた人間的成長

小芝風花さんの学歴を振り返ると、出身校の名前や偏差値以上に、それぞれの時期にどのような経験をし、どのような決断をしてきたかが重要であることがわかります。

堺市立浅香山小学校でフィギュアスケートと出会い、堺市立浅香山中学校でスケート選手として活躍しながら芸能界への扉を開き、日出高校(現・目黒日本大学高校)で女優としてのキャリアを本格的にスタートさせました。

大学には進学せず、女優業に専念するという選択をしています。

中学時代まで打ち込んだフィギュアスケートで培った忍耐力、精神力、身体能力は、女優活動の基盤となっています。

全日本選手権でのアイスダンス優勝という実績は、小芝さんが本気でスケートに取り組んでいたことの証です。

高校時代は学校行事にもほとんど参加できず、友達と遊んだ思い出もほとんどないという犠牲を払いながら、女優としての道を歩み始めました。

映画「魔女の宅急便」での主演、朝ドラ「あさが来た」での転機、そして現在の活躍へとつながる道のりは、決して平坦ではありませんでした。

小芝風花さんの学歴から学べるのは、学校の名前や偏差値よりも、そこでどのような経験をし、どのような人間性を育んできたかが重要だということです。

フィギュアスケートで培った力、母親の厳しくも愛情深いしつけ、自分の道を選び取る決断力。これらすべてが、現在の小芝風花さんを形作っています。

今後も女優として、さらなる活躍が期待される小芝風花さん。

彼女の学歴と学生時代のエピソードは、夢に向かって努力する多くの人々にとって、勇気と希望を与えてくれるものです。

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