俳優、ミュージシャン、文筆家と多方面で活躍する星野源さん。新垣結衣さんとの結婚でも大きな話題となった星野さんですが、その学生時代は決して順風満帆ではありませんでした。小学校でのいじめ体験、パニック障害、高校時代の不登校、そして大学受験の失敗。数々の困難を乗り越えて現在の成功を手にした星野源さんの学歴を詳しく見ていきましょう。
本記事では、星野源さんの出身校の詳細から、学生時代に抱えた深刻な問題、そしてそれをどのように克服していったのかまで、エピソードを交えながら解説します。パニック障害という精神的な病と闘いながらも、音楽と演劇という道を見出していった星野さんの姿には、多くの人が勇気づけられるはずです。
星野源の学歴まとめ:小学校から高校までの経歴
これ満たせるよう頑張る
顔面星野源と筋肉とやるよ学歴は無理! pic.twitter.com/Jx6SMipQnU— た (@moto_batankyu) December 28, 2023
出身校一覧と基本情報
星野源さんは1981年1月28日に埼玉県蕨市で生まれ、川口市で育ちました。実家はJR京浜東北線の蕨駅から徒歩5分という立地で、星野さん自身は「実家の周りは住宅と赤提灯しかないようなところ」と表現しています。
出身小学校:川口市立前川小学校

1987年4月に入学し、1993年3月に卒業しています。蕨駅と東浦和駅が最寄り駅の公立小学校で、星野さんはここで6年間を過ごしました。しかし、この小学校時代が後の人生に大きな影を落とすことになります。
出身中学校:自由の森学園中学校
1993年4月に入学し、1996年3月に卒業しています。偏差値は45程度で、埼玉県飯能市にある私立の共学校です。小学校時代のトラウマを抱えていた星野さんにとって、この学校の自由な校風が救いとなりました。
出身高校:自由の森学園高校
1996年4月に入学し、1999年3月に卒業しています。偏差値は48程度で、中学校と同じく飯能市にあります。西武池袋線の武蔵横手駅が最寄り駅です。星野さんは中学からの内部進学でこの高校に進みました。
大学については、星野さんは大阪芸術大学への進学を希望していましたが、受験に失敗しています。その後、バンド「SAKEROCK」の活動に専念するため、大学進学は断念しています。
学生時代を通じて抱えた困難
星野源さんの学生時代を語る上で避けて通れないのが、パニック障害との闘いです。この精神的な病は、小学3年生の時の出来事がきっかけで発症し、高校卒業まで星野さんを苦しめ続けました。
小学校低学年の頃は、マイケル・ジャクソンのダンスを真似したり、クレイジーキャッツの音楽を聴いたりと、音楽に親しみながら過ごしていました。両親がジャズミュージシャンだったこともあり、家では常に音楽が流れている環境で育ちました。しかし、小学3年生での出来事を境に、星野さんの学校生活は一変します。
パニック障害発症
パニック障害は星野さんの日常生活に大きな影響を与えました。普通に同級生と自分の気持ちで話すことができず、常に緊張状態に置かれていました。中学・高校と進学しても症状は続き、高校3年生の時には3ヶ月間の不登校を経験しています。
それでも星野さんは、音楽と演劇という出口を見つけました。中学1年生の時にギターをはじめ、友達と自主的に演劇活動も開始しています。この二つの表現方法が、星野さんにとって自分を表現できる唯一の場所となっていきました。パニック障害という困難と向き合いながらも、自分の道を模索し続けた学生時代だったのです。
星野源の出身小学校は川口市立前川小学校

小学3年生でのトラウマ体験
星野源さんの人生を大きく変えた出来事が、小学3年生の時に起こりました。マラソン大会の最中に、星野さんは失禁してしまったのです。テレビ番組「ボクらの時代」でも語られたこのエピソードは、星野さんにとって生涯忘れられないトラウマとなりました。
この出来事をきっかけに、星野さんのあだ名は「う〇こ」になってしまいます。小学生特有の残酷さで、クラスメイトたちはこのあだ名で星野さんを呼び続けました。当然のことながら、これがいじめへと発展していきます。
学校になじめない
それまで普通に学校生活を送っていた星野さんですが、この事件以降、学校に馴染めなくなっていきました。同級生と普通に自分の気持ちで話すことができなくなり、常に周りの目を気にしながら過ごすようになります。入学当初は笑顔があった星野少年の表情から、日に日に笑顔が消えていったといいます。
小学校時代のこのトラウマ体験は、星野さんの性格形成に大きな影響を与えました。内向的になり、人前に出ることを極端に恐れるようになります。しかし、この経験が後に音楽や演劇という表現方法へと星野さんを導くきっかけにもなったのです。人生における大きな挫折が、結果的には才能を開花させる土壌となったとも言えるでしょう。
パニック障害の発症とその影響
小学3年生でのいじめ体験は、星野源さんにパニック障害という形で深刻な影響を残しました。パニック障害とは、突然理由もなく動悸や息切れ、強い不安感に襲われる精神疾患です。星野さんの場合、学校という環境そのものが発作の引き金となっていました。
この病気は星野さんの小学校生活を大きく制限しました。普通に友達と遊んだり、授業を受けたりすることさえ困難になる場合があります。常に不安と緊張に支配され、心から笑うことができなくなっていきました。
両親は息子の変化に気づき、心配していましたが、当時はパニック障害という病気の認知度も低く、適切な対処方法を見つけるのは容易ではありませんでした。それでも家族の支えがあったからこそ、星野さんは小学校を卒業することができたのです。
クレイジーキャッツとの出会い
NHK文化センター青山「クレイジーキャッツの音楽史」第一回、ご参加の皆様ありがとうございました! 結成の頃、ジャズ喫茶時代、テレビの黄金時代、クレージー映画、大瀧詠一さん、星野源さんによるリスペクトをたどりました。次回は5月6日「ジャズブームと7人の猫たち」です!各回のみ参加もOKです。 pic.twitter.com/vwmjaowOuY
— 佐藤利明(娯楽映画研究家) (@toshiakis) April 15, 2022
興味深いのは、星野さんがこの苦しい時期にクレイジーキャッツの「だまって俺についてこい」という曲に出会ったことです。「そのうちなんとかな〜るだ〜ろお〜」という歌詞が、追い詰められていた星野少年の心を救いました。音楽によって立ち直ることができた経験が、後に音楽の道を選ぶ大きな要因となったのは間違いありません。
小学校時代の経験は確かに辛いものでしたが、音楽の持つ癒しの力を知ったことで、星野さんの人生に新たな光が差し込みはじめたのです。
星野源の出身中学校は自由の森学園中学校

自由な校風が救いとなった中学時代
小学校でのトラウマを抱えたまま中学進学を迎えた星野源さんにとって、自由の森学園中学校という選択は非常に重要な意味を持ちました。この学校は偏差値46程度の私立校ですが、その最大の特徴は「桁外れに自由な校風」です。
自由の森学園には、一般的な中学校とは全く異なる教育方針があります。服装や髪型は完全に自由で、金髪にしても問題ありません。校歌や校章がなく、校則もあってないようなものです。定期テストも実施されず、評価は自己評価と担当教員のコメントで構成されます。生徒の行動は徹底的に生徒の自主性に委ねられているのです。
理想的な学校環境
このような環境は、パニック障害を抱えて人間関係に悩んでいた星野さんにとって、まさに理想的なものでした。厳しい規則や管理に縛られることなく、自分のペースで学校生活を送ることができます。小学校時代のような画一的な環境とは正反対のこの学校で、星野さんは少しずつ心を開いていくことができました。
自由の森学園は芸能界に進む卒業生が多いことでも知られています。俳優の吉岡秀隆さんやタレントのユージさんも卒業生です。創造性や個性を重視する教育方針が、表現者を目指す若者たちを惹きつけているのでしょう。
星野さんにとって、この学校を選んだことが人生の転機となりました。自分らしくいられる場所を見つけたことで、新たな一歩を踏み出す勇気が湧いてきたのです。
ギターと演劇をはじめたきっかけ
学生時代の星野源は何回見ても最高#NHK紅白 #紅白歌合戦 pic.twitter.com/li5Qu9KAie
— パンダ →引用RP🆖 (@TV03177379) December 31, 2023
中学入学を機に、星野源さんは大きな決断をします。「イメチェンしよう」と考え、ギターと演劇を始めることにしたのです。この二つの選択が、後の星野源というアーティストの基礎を形作ることになりました。
ギターを始めたきっかけについて、星野さんは「周りのみんながギターを始めだしたから」と語っています。中学1年生の時、父親が自分の使っていたギターをプレゼントしてくれました。ジャズピアニストだった父親にとって、息子が音楽に興味を持つことは嬉しいことだったでしょう。
演劇について
演劇に関しては、星野さんは演劇部に入部したかったのですが、残念ながら自由の森学園中学校には演劇部がありませんでした。しかし、この自由な学校では部活動がないからといって諦める必要はありません。星野さんは友達と自主的に演劇活動を始めました。この経験が、後に劇団大人計画への道を開くことになります。
歌詞作成
中学3年生の時には、オリジナルの歌詞も作っています。星野さん自身の記憶によれば高校1年生の時の可能性もあるとのことですが、いずれにしても中学時代から作詞に取り組んでいたことは確かです。ギターの演奏と作詞という、シンガーソングライターの基本的なスキルを中学時代に身につけはじめていたのです。
また、小学校時代のトラウマから笑うことができなかった星野さんですが、中学時代には意識的に笑う努力をしました。最初は無理して笑っていたものの、だんだんと自然に笑えるようになっていったといいます。パニック障害を抱えながらも、少しずつ前進していた中学時代でした。
「オタクのロン毛」だった中学時代

星野源さんの中学時代の外見は、かなり個性的なものでした。髪型の規制がない自由の森学園で、星野さんは髪を腰あたりまで伸ばしていたのです。その当時を振り返って、星野さん自身が「見た目は完全に宅八郎だった」と表現しています。
宅八郎とは1980年代後半から1990年代にかけて活躍した「おたく評論家」で、長髪にメガネという外見が特徴的でした。星野さんもメガネをかけたロン毛という出で立ちで、周囲からは「おじいちゃん」というあだ名で呼ばれていました。中学生には見えないほど老けた印象だったようで、デパートに行くとクレジットカードの勧誘をされるほどだったといいます。
中学校時代のエピソード
ラジオ番組では、中学1・2年の頃を「クソおたくだった」と語っています。毎日学校に名探偵コナンを3巻ずつ持って行っていたというエピソードからも、当時の星野さんが典型的なアニメ・漫画好きの少年だったことが窺えます。
しかし、自由の森学園という環境だからこそ、このような外見でも問題なく学校生活を送ることができました。一般的な中学校であれば、ロン毛というだけで校則違反になるでしょう。星野さんのような個性的な生徒を受け入れる土壌があったからこそ、彼は自分らしくいることができたのです。
ちなみに、このロン毛は中学3年生の時に「もう無理」ということでバッサリと切っています。あまりに長くなりすぎて、維持が大変になったのでしょう。外見的にも、内面的にも、中学時代は星野源さんにとって変化と成長の時期だったと言えます。
星野源の出身高校は自由の森学園高校

自由の森学園高校の偏差値と特徴
星野源さんは中学から内部進学で自由の森学園高校に進みました。偏差値は48程度で、中学校と同様に極めて自由な校風で知られています。この高校の教育方針は、一般的な高校とは一線を画すものです。
自由の森学園高校には制服がありません。校歌も校章も存在せず、生徒は私服で通学します。定期テストも実施されず、評価は自己評価と担当教員のコメントで構成されます。学校行事も教員と実行委員会の協議によって決定され、生徒の主体性が最大限に尊重されています。
この高校の特徴的な点は、「授業に出なければ先生はもちろん怒るけど、別に罰は加えられないし、退学にもならない」ことです。星野さん自身もインタビューで「とにかく何もかも自己責任」と語っています。自由であるということは、その分責任も重いということです。
大学進学率
大学進学率は約半数程度ですが、立教大学や学習院大学、国際基督教大学などの有名大学へ進学する卒業生もいます。学力よりも個性や創造性を重視する教育方針が、多様な進路選択を可能にしているのでしょう。
卒業生には俳優の吉岡秀隆さん、タレントのユージさん、そして後にバンド「SAKEROCK」を共に結成することになる浜野謙太さん、伊藤大地さん、野村卓史さんなどがいます。表現者を多く輩出している学校として、芸能界でも知られた存在です。
星野さんは出身高校を公表していませんが、インターネット上やSNSには在籍情報が多数あり、自由の森学園高校の出身者であることは間違いありません。
高校時代の不登校とバンド活動

星野源さんの高校時代は、決して順調なものではありませんでした。小学校時代から抱えていたパニック障害は完治しておらず、高校3年生の時には3ヶ月間の不登校を経験しています。
バラエティ番組「1周回って知らない話」に出演した際、星野さんはこの時期について語りました。「学校生活が上手くいかなくて悩んで、精神的に病んじゃって。高3のとき3カ月くらい(学校に)行けなくなった」という言葉からは、当時の苦しみが伝わってきます。
星野さん自身、高校時代を「暗黒時代」と呼んでいます。パニック障害に加えて、高校生特有の悩みや将来への不安なども重なり、精神的に追い詰められていたのでしょう。自由な校風の学校であっても、内面的な問題を解決することはできませんでした。
しかし、この絶望的な状況を変えたのが、クラスメイトからのバンドへの誘いでした。「源くんバンドやんない?」という友達の一言が、星野さんの人生を大きく変えることになります。一念発起して学校に行った日にこの誘いを受けたことは、まさに運命的な出会いでした。
バンド活動で自身が変化
バンド活動を始めたことで、星野さんは人前に出られるようになりました。「それまで人前に出ることが嫌だったけど、やるって言って。そこから人前に出られるようになった。こんなに楽しいんだって、そこから自分の曲を人前でやるようになりました」と語っています。
高校時代には日本民族舞踊部にも在籍していました(ただし「ちょっとだけ」とのことです)。現在の星野さんの「恋ダンス」などに見られるダンスの才能は、この時期に培われたものかもしれません。
大人計画との出会い

高校時代の星野源さんにとって、もう一つの重要な出来事が劇団大人計画との出会いでした。高校2年生の時に舞台を見たことがきっかけとなり、星野さんは松尾スズキさんが主宰する大人計画の公開クラスを受講しています。
この時点で既に星野さんは、俳優としてのキャリアにも興味を持っていました。音楽と演劇、どちらも諦めたくないという想いがあったのでしょう。大人計画の舞台に触れたことで、その想いはさらに強くなっていきます。
高校時代には、クラスの人気者から作曲を頼まれたことがきっかけで、本格的に曲作りを始めました。ギターの演奏だけでなく、作詞作曲というシンガーソングライターとしての基本的なスキルを高校時代に身につけていったのです。
SAKEROCK結成
また、後にバンド「SAKEROCK」を結成することになるメンバーとの出会いも高校時代にありました。伊藤大地さんと野村卓史さんは1学年先輩、浜野謙太さんは1学年後輩という関係です。同じ自由の森学園で音楽好きが集まったことが、後のバンド結成につながっていきます。
星野さんは高校時代についてインタビューで「勉強しなかったことを後悔している」と語っています。自由な校風ゆえに勉強をサボってしまい、「今、すごく後悔している。本当に知能が低いというか…」と自虐的に述べています。しかし、勉強以外の音楽や演劇という分野では、確実に成長を遂げていた高校時代でした。
星野源は大学受験に失敗―大阪芸術大学を目指していた

大阪芸術大学への進学を希望した理由
星野源さんが高校卒業後に目指していたのは、大阪芸術大学でした。この選択には、星野さんの音楽と演劇への情熱が反映されています。
大阪芸術大学は、芸術系の総合大学として知られています。音楽学科、舞台芸術学科、映像学科など、表現者を目指す学生にとって理想的な学習環境が整っています。星野さんがこの大学を選んだのは、音楽も演劇もどちらも学びたいという想いがあったからでしょう。
大阪に魅了された
また、大阪という場所も魅力的だったかもしれません。東京とは異なる文化圏で学ぶことで、新たな刺激を得られると考えたのかもしれません。実家を離れて一人暮らしをすることで、自立した生活も経験できます。
大阪芸術大学は多くの芸能人を輩出していることでも知られています。俳優、ミュージシャン、映画監督など、様々な分野で活躍する卒業生がいます。星野さんも、この環境で同じ志を持つ仲間たちと切磋琢磨したいと考えていたのでしょう。
高校時代にパニック障害と闘いながらも音楽と演劇に取り組んできた星野さんにとって、大阪芸術大学への進学は夢の実現を意味していました。専門的な教育を受けることで、さらに表現者としての幅を広げることができると期待していたはずです。
受験失敗後の進路選択
しかし、星野源さんの大阪芸術大学受験は失敗に終わりました。この挫折は、星野さんにとって大きなショックだったはずです。高校時代を「暗黒時代」と呼び、勉強をあまりしてこなかったことを後悔していた星野さんにとって、大学受験の失敗は予想されたことだったかもしれません。
受験失敗という現実を前に、星野さんは人生の岐路に立たされました。浪人して再挑戦するのか、それとも別の道を選ぶのか。この時の決断が、その後の人生を大きく左右することになります。
大学進学をあきらめた理由
星野さんが選んだのは、大学進学を諦めて音楽活動に専念するという道でした。19歳の時、浜野謙太さん、伊藤大地さん、田中馨さんらとともにインストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」を結成します。高校の先輩や後輩と組んだこのバンドが、星野さんの音楽人生の新たなスタートとなりました。
大学進学を諦めた理由について、星野さんは「バンド活動が忙しくなった」と語っています。SAKEROCKの活動が本格化し、音楽に打ち込む時間が増えていく中で、大学で学ぶよりも実践的な活動を通じて成長したいと考えたのでしょう。
東京中野区の沖縄料理店で6年間アルバイトをしながら、星野さんは音楽活動を続けました。生活のためにバイトをしながら夢を追う日々は決して楽ではなかったはずですが、この経験が後の創作活動に活きてくることになります。
もし星野さんが大阪芸術大学に合格していたら、全く違う人生になっていたかもしれません。しかし、受験失敗という挫折があったからこそ、星野源という表現者が誕生したとも言えるのです。
SAKEROCKの結成と音楽活動への専念
録画⏺️して観た。
YMOの三人プラス星野源がマリンバを奏でてコラボした「Fire Cracker」が良かった。
坂本氏、高橋氏が鬼籍に入ってしまった今、YMOの影響を受けた星野源にとって貴重な体験になったはずだ。 https://t.co/DU9E6XrnSI pic.twitter.com/r4hZqEyDYo
— さそり座🦂の快人(かいじん) (@Sasoriza_Kaijin) October 8, 2023
1999年、19歳の星野源さんはインストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」を結成しました。メンバーは自由の森学園高校の先輩、同級生、後輩で構成され、星野さんはギターとマリンバを担当しました。
SAKEROCKの音楽性は非常にユニークなものでした。ボーカルのないインストゥルメンタル編成で、ジャズ、ファンク、ラテン音楽など様々な要素を取り入れた楽曲を演奏しました。自由の森学園で培われた自由な発想と、星野さんが幼少期から親しんできたジャズの影響が色濃く反映されています。
メジャーデビュー
バンド結成から3年後の2002年、SAKEROCKはメジャーデビューを果たします。星野さんが22歳の時のことです。大学に進学していれば卒業する年齢で、プロのミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたことになります。
SAKEROCKの活動は2015年2月まで続きました。約16年間の活動を通じて、星野さんは音楽家としての基礎を固めていきます。インストゥルメンタルバンドという特殊な形態での活動は、後のソロ活動における独自の音楽性を育てることにもつながりました。
俳優活動の追求
興味深いのは、星野さんがSAKEROCKでの活動と並行して、俳優としてのキャリアも追求していたことです。高校時代から演劇への情熱を持ち続けていた星野さんは、バンド活動をしながらも様々な劇団のオーディションを受け続けていました。
大学に進学しなかったことで、星野さんは音楽と演劇という二つの道を同時に追求する時間を得ることができました。学業に時間を割く必要がなかったからこそ、より実践的な活動に集中できたのです。この選択が、後のマルチな才能の開花につながっていきます。
星野源の家族構成と音楽的ルーツ

両親はジャズミュージシャンだった
星野源さんの音楽的才能を語る上で、家族の存在は欠かせません。星野さんは一人っ子で、両親と3人家族という環境で育ちました。そして、両親は元々ジャズミュージシャンだったのです。
父親は趣味でジャズピアノを演奏していましたが、実は本格的なプロを目指していた時期もありました。母親もジャズボーカリストを志していたことがあり、夫婦ともにジャズへの深い愛情を持っていました。両親ともプロ級の腕前で、本気でプロミュージシャンになることを目指していたといいます。
両親が断念
しかし、星野さんの誕生をきっかけに、両親はミュージシャンの道を断念します。子育てと生活のために、父方の祖父が営んでいた八百屋を継ぐことを選びました。夢を諦めて家業を継ぐという決断は、両親にとって簡単なものではなかったでしょう。
それでも、両親の音楽への情熱は家庭内で生き続けました。星野さんが物心ついた頃から、家では常にジャズが流れていました。自宅には膨大な数のジャズレコードがあり、星野さんはこれらを聴きながら育ちました。休みの日には父親が家でピアノを弾く姿を見て育ったのです。
影響を受けたアーティスト

マイケル・ジャクソンやクレイジーキャッツを好きになったのも、両親の影響があったからでしょう。幼少期から本物の音楽に触れる環境があったことが、星野さんの音楽的センスを磨いていきました。
星野さんが中学1年生の時にギターを始めた際、父親が自分の使っていたギターをプレゼントしたエピソードも印象的です。息子が音楽の道に進むことを、両親は心から応援していたのでしょう。自分たちが諦めた夢を、息子が実現してくれることへの期待もあったかもしれません。
ジャズ喫茶「Signal」と閉店の理由
2005年、星野源さんの両親は長年営んでいた八百屋を閉店し、ジャズ喫茶「Signal」を開店しました。かつて諦めたジャズへの情熱を、新たな形で実現させたのです。子育ても終わり、自分たちのやりたいことに挑戦する時期が来たと判断したのでしょう。
ジャズ喫茶「Signal」は、蕨駅から徒歩5分という立地にありました。店内では本格的なジャズレコードが流れ、両親のこだわりが詰まった空間だったといいます。音楽好きが集まる場所として、地元で愛される店となりました。
しかし、息子の星野源さんが有名になるにつれて、店には予期せぬ問題が発生します。星野さんのファンが店に押し寄せるようになったのです。ファンにとっては、憧れのアーティストの両親が営む店を訪れることは特別な体験だったでしょう。
ところが、ファンの増加によって常連客が音楽を楽しめなくなってしまいました。本来、ジャズ喫茶は静かに音楽を聴く場所です。ファンが星野さんの話題で盛り上がったり、両親に話しかけたりすることで、店の雰囲気が変わってしまったのでしょう。
ジャズ喫茶尾の閉店
結局、両親は2016年10月にジャズ喫茶「Signal」を閉店することを決断します。約11年間の営業でした。息子の成功が店の閉店につながったという皮肉な結果ですが、両親は星野さんの活躍を誇りに思っていたはずです。
この出来事は、星野源という存在の大きさを物語っています。個人の趣味や仕事にまで影響を及ぼすほどの人気を獲得したことは、アーティストとしての成功の証でもあります。両親から受け継いだ音楽への愛情が、星野さんを国民的アーティストへと成長させたのです。
学歴よりも実力:星野源のキャリアと現在
【3】GEN
アルバムの顔ともいえる1曲目にリアレンジされた「創造」を置きこちらの感情を煽ってからの、2曲目の「Mad Hope」で度肝を抜かれ…。生粋のファンではないけども、だからこそ、星野源の音楽がもつ世界観の広さにただただ圧倒された。本当に凄い。個人的にはGlitchとEurekaが好き。 pic.twitter.com/1nAArEJEAK— tayutami (@tayutami_) January 17, 2026
俳優・ミュージシャンとしての成功
大学受験に失敗し、学歴という形式的なものを得ることはできなかった星野源さんですが、実力で確固たる地位を築き上げました。22歳でSAKEROCKのメジャーデビュー、23歳で劇団大人計画への入団、そして俳優としてのキャリアも着実に積み重ねていきます。
俳優としての転機となったのは、23歳の時に松尾スズキさんが主宰する劇団大人計画の舞台「ニンゲン御破算」への客演でした。楽器が弾ける役者を探していた松尾さんと星野さんがつながったのです。この舞台をきっかけに、星野さんは松尾さんに直談判して大人計画の正式な劇団員となりました。
直談判で入団できた
ちなみに、松尾さんへの直談判で劇団員になれたのは星野さんだけだそうです。この行動力が、その後のキャリアを大きく左右しました。大人計画での活動を通じて演技力を磨き、多くの舞台に立つことで俳優としての才能を開花させていきます。
32歳の時には映画「箱入り息子の恋」や「地獄でなぜ悪い」の演技で日本アカデミー賞を受賞し、俳優としてブレイクを果たします。ミュージシャンとしても34歳の時にNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、その後も連続出場を重ねています。
2016年には新垣結衣さんとともに主演したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」での「恋ダンス」が社会現象となりました。俳優としてもミュージシャンとしても第一線で活躍する星野さんの姿は、学歴がすべてではないことを証明しています。
新垣結衣との結婚と現在の活動
1/2。2021年のこの日、TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』が放映に。ジェンダー問題に切り込んだ内容となり、特にLGBTQの捉え方に高い評価が。視聴率も15%を超え、後に主演の新垣結衣さんと星野源さんが実際に結婚。https://t.co/Ull0Pio88I pic.twitter.com/YNGMJDMjr6
— レインボーアイル (RAINBOW AISLE) (@rainbowaisle) January 2, 2026
2021年5月19日、星野源さんは人気女優の新垣結衣さんとの結婚を発表しました。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」での共演がきっかけとなった二人の結婚は、日本中を驚かせる大きなニュースとなりました。
二人は連名で次のようなコメントを発表しています。「私たち、星野源と新垣結衣は、このたび結婚する運びとなりました事をご報告させていただきます。これからも互いに支え合い豊かな時間を積み重ねていけたらと思っております。未熟な二人ではございますが、温かく見守っていただけますと幸いです」
結婚による変化
結婚という人生の新たなステージに進んだ星野さんですが、現在も精力的に活動を続けています。ミュージシャンとしてヒット曲を連発し、俳優としても映画やドラマに出演し続けています。主演映画「引っ越し大名!」などの作品も話題となりました。
文筆家としても活動しており、エッセイや小説も発表しています。音楽、演劇、文筆と、マルチな才能を発揮し続ける星野さんの姿は、多くの人々を魅了しています。
パニック障害を乗り越えた先に得たもの
星野源さんのキャリアを振り返ると、パニック障害という困難を乗り越えたことが大きな転換点だったと言えます。小学3年生から高校卒業まで苦しめられたこの病気は、規則正しい生活や適度な運動などを通じて克服しました。
パニック障害との闘いの中で、星野さんは音楽と演劇という表現方法を見出しました。人前に出ることを恐れていた少年が、今では何万人もの観客の前でパフォーマンスを披露するアーティストになったのです。この変化は奇跡的とも言えるでしょう。
小学校でのいじめ体験、中学・高校でのパニック障害、大学受験の失敗。これらの挫折は確かに辛い経験でした。しかし、これらを乗り越えたからこそ、星野さんは深みのある表現者になることができました。苦しみや痛みを知っているからこそ、人の心に響く歌や演技ができるのです。
暗黒時代
星野さんは高校時代を「暗黒時代」と呼び、勉強しなかったことを後悔していると語っています。大学に進学しなかったことで、学歴という形式的なものは得られませんでした。しかし、実践を通じて得た経験と実力は、どんな学歴よりも価値のあるものです。
現在の星野源さんは、俳優としてもミュージシャンとしても、そして一人の人間としても、多くの人々に愛される存在となっています。パニック障害という困難を乗り越え、大学受験の失敗を経験し、それでも諦めずに夢を追い続けた結果が、今の成功につながっているのです。
まとめ
星野源と新垣結衣、まじかよ
逃げ恥婚じゃん pic.twitter.com/QU4auUH6r4
— やきとり太郎 (@yakitaro_bird) January 15, 2026
星野源さんの学歴を振り返ると、川口市の公立小学校を経て、自由の森学園中学・高校に進学し、大阪芸術大学受験に失敗してバンド活動に専念したという道のりが見えてきます。
小学3年生でのいじめ体験からパニック障害を発症し、高校3年生まで苦しめられました。高校時代には3ヶ月間の不登校も経験し、自ら「暗黒時代」と呼ぶほどの困難な時期を過ごしています。しかし、自由の森学園という自主性を重んじる学校に出会ったことで、ギターと演劇という表現方法を見出しました。
大学受験に失敗したことは挫折でしたが、その後SAKEROCKを結成し、劇団大人計画に入団することで、実践を通じて才能を磨いていきます。学歴という形式的なものは得られませんでしたが、実力で確固たる地位を築き上げました。
両親がジャズミュージシャンだったという音楽的ルーツ、クレイジーキャッツの「だまって俺についてこい」に救われた経験、バンドメンバーとの出会い、松尾スズキさんへの直談判。様々な要因が重なって、現在の星野源というマルチな表現者が誕生しました。
2021年には新垣結衣さんとの結婚も発表し、私生活でも新たなステージを迎えています。パニック障害を乗り越え、挫折を経験しながらも諦めずに夢を追い続けた星野源さんの姿は、学歴がすべてではないことを証明しています。今後のさらなる活躍が期待されます。


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