嵐のメンバーとして、また実力派俳優として活躍する二宮和也さん。その華々しいキャリアの裏には、意外にも孤独で葛藤に満ちた高校時代がありました。二宮さんが通っていたのは立志舎高校の通信制課程。多くのジャニーズタレントが通う堀越高校ではなく、なぜこの学校を選んだのでしょうか。
この記事では、二宮和也さんの高校時代に焦点を当て、通信制高校を選んだ理由や当時の学校生活、そして高校1年生で嵐がデビューした激動の日々について詳しく解説していきます。
二宮和也が通った立志舎高校とは
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立志舎高校の基本情報と教育方針
二宮和也さんが1999年10月に入学したのが、東京都墨田区にある立志舎高等学校です。この学校は全日制課程と通信制課程を併設しており、多様な学習スタイルに対応しています。
全日制の普通科は偏差値36程度とされていますが、通信制課程には偏差値という概念がありません。通信制は学力試験よりも、自主的に学習を進められる意欲や計画性が重視される教育システムだからです。
立志舎高校は実践的な職業教育に力を入れており、簿記や情報処理といった資格取得にも積極的です。また、他校からの転入や編入を広く受け入れており、様々な事情を抱えた生徒が学び直せる環境を整えています。
通信制課程の特徴と芸能人に選ばれる理由
立志舎高校の通信制課程が芸能人に選ばれる最大の理由は、登校日数の少なさにあります。二宮さんが選んだ土曜コースは週1回の登校のみで、残りの学習は自宅でレポート提出とスクーリングで進めていく形式です。
この柔軟な学習スタイルは、撮影やコンサート、舞台稽古などで多忙な芸能活動と学業の両立を可能にします。実際、二宮さんの同級生には、モーニング娘。の吉澤ひとみさんや、A.B.C-Zの戸塚祥太さん、河合郁人さん、五関晃一さん、塚田僚一さんといった芸能人が在籍していました。元KAT-TUNの赤西仁さんも一時期在籍していましたが、中退しています。
通信制高校は自分のペースで学習を進められる反面、強い自己管理能力が求められます。誘惑に負けず、計画的にレポートを作成し提出する責任感が必要なのです。
二宮和也が通信制高校を選んだ本当の理由

堀越高校ではなく立志舎を選択した背景
二宮さんは当初、同じ嵐のメンバーである松本潤さんと同じ堀越高校トレイトコース(偏差値37)に進学することも検討していました。堀越高校は多くのジャニーズタレントが通う芸能人御用達の学校で、芸能活動に理解があり、同世代の仲間と学校生活を送れるメリットがあります。
しかし二宮さんは最終的に立志舎高校の通信制を選びました。後に本人が女性自身のインタビューで語ったところによると、「潤くんみたいに、同級生の話とかしたかったな。当時、僕も潤くんと同じ学校に行くという選択肢はありましたけど、最低限高校だけは卒業しておこうって気持ちだったから、みんなから半年遅れても卒業できる学校にしたの」とのこと。
この言葉からは、二宮さんにとって高校進学が「青春を楽しむ場」ではなく「卒業資格を得るための手段」だったことが伺えます。
最低限の卒業を目指した決断の真意

二宮さんが「最低限高校だけは卒業しておこう」と考えた背景には、将来への現実的な視点がありました。芸能界は浮き沈みの激しい世界です。当時中学生だった二宮さんも、いつまでこの仕事が続けられるかわからないという不安を抱えていたのかもしれません。
また、両親からの教育方針も影響していたと考えられます。二宮さんの父親は服部栄養専門学校の調理師講師、母親もその助手という教育に携わる家庭で育ちました。学歴の重要性は理解していたはずです。
ただし、二宮さん自身は勉強が特別好きだったわけではありません。特に数学が苦手で、計算問題に苦戦していたそうです。一方で国語は得意科目で、高校時代に国語のテストで100点を取ったこともラジオ番組で明かしています。
第1期生として入学した特殊な環境
二宮さんが立志舎高校の通信制課程に入学した1999年は、この課程が新設された年でした。つまり二宮さんは第1期生として入学したのです。
新設校の第1期生ということは、学校に先輩が一人もいないという特殊な状況を意味します。通常の高校であれば、先輩から学校生活のアドバイスをもらったり、部活動の伝統を受け継いだりできますが、第1期生にはそれがありません。
さらに新設課程だったため同学年の生徒数も少なかったそうです。週1回しか登校しない上に生徒数も少ないとなれば、クラスメイトと親しくなる機会はほとんどなかったでしょう。この環境が、後述する二宮さんの孤独な高校生活につながっていきます。
高校時代の学校生活と二宮和也の本音

週1回の登校で過ごした高校生活の実態
土曜コースの通信制では、週に1回土曜日だけ学校に登校し、授業を受けます。残りの6日間は自宅でレポート作成や課題に取り組むのが基本的な学習スタイルです。
二宮さんの場合、平日は芸能活動で埋まっていました。高校1年生の秋には嵐がデビューし、コンサートリハーサル、テレビ出演、雑誌取材と次々に仕事が入ってきます。連続ドラマの撮影もあり、夜遅くまで拘束されることも珍しくありません。
そんな多忙な中で週1回だけ学校に通い、普通の高校生の顔になる。しかしその土曜日も、疲れた体を引きずっての登校だったのではないでしょうか。授業に集中できる状態ではなかったかもしれません。
友達が少なく孤独だった高校時代
二宮さんは高校時代について、「あまり友達もおらず、ひとりで行動することが多かった」と振り返っています。週1回の登校では、クラスメイトと深い関係を築くのは難しかったのでしょう。
また、嵐のメンバーとして既に有名になりつつあったことも、友達作りの障壁になった可能性があります。同級生からすれば、テレビに出ている芸能人に気軽に声をかけにくかったかもしれません。一方で二宮さん自身も、小学校時代のイジメ経験から人間関係に慎重になっていたと考えられます。
「学校に思い出とか青春とか、愛だの恋だのまで見ていなかった」という二宮さんの言葉には、高校生活への期待を早々に諦めていた当時の心境が表れています。
ゲームをしながら授業を受けた日々
授業中にゲームばかりやっていた時期もあったと、二宮さん本人が明かしています。この行動は一見不真面目に見えますが、裏を返せば授業に集中できないほど疲れていたか、授業内容が既に理解できていたかのどちらかでしょう。
通信制高校の授業は、自習で理解できなかった部分を確認する場という側面もあります。二宮さんは国語が得意だったため、授業を聞かなくても理解できる内容が多かったのかもしれません。
この様子を見た他の生徒からは「ヤンキー」というあだ名をつけられたこともありました。授業態度が悪いという意味でのあだ名でしょうが、二宮さんは特に気にしていなかったようです。小学校時代からあだ名をつけられることには慣れていたのかもしれません。
制服を着なかったことへの後悔
立志舎高校の通信制課程は制服でも私服でも登校可能でした。二宮さんは「制服を着るのが面倒くさかった」という理由で、ほとんど私服で登校していたそうです。
しかし後になって、制服を着ておけばよかったと後悔していると語っています。多くの人にとって制服は青春の象徴であり、写真を見返すだけで当時の記憶が蘇ってくるものです。二宮さんも、青春らしい思い出がほとんどない高校時代だからこそ、せめて形だけでも制服姿の思い出を残しておきたかったと感じたのでしょう。
この後悔からは、表面的には無関心を装っていても、心の奥では普通の高校生活に憧れていた二宮さんの素顔が垣間見えます。
高校1年生で嵐がデビュー〜激動の日々
#嵐#松本潤誕生祭
1999年のデビュー当時は
大野智(18)
櫻井翔(17)
相葉雅紀(16)
二宮和也(16)
松本潤(16) https://t.co/djJ9F03w8a— dar shun (@darshun14) August 29, 2023
1999年9月15日、嵐結成の舞台裏
二宮和也さんの高校生活を語る上で避けて通れないのが、高校1年生の秋に起きた嵐のデビューです。1999年9月15日、ハワイで開かれた記者会見で嵐の結成が発表されました。
当時ジャニーズJr.の中で圧倒的人気を誇っていたのは滝沢秀明さんと今井翼さんでした。多くの人が、この2人を中心としたグループがデビューすると予想していました。しかしジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川さんは方針を転換し、櫻井翔さんと二宮和也さんを軸にメンバーを選定していきました。
こうして櫻井翔、二宮和也、大野智、相葉雅紀、松本潤の5人で嵐が結成されます。5人とも1980年代生まれという、当時としては若手世代でのデビューでした。
実は期間限定グループだと思っていた
意外なことに、二宮さんは嵐が期間限定のグループだと思っていたそうです。デビューのきっかけがワールドカップバレーボールのイメージキャラクターを務めることだったため、大会が終われば解散すると考えていました。
二宮さん本人のインタビューによると、「嵐になる前からジャニーズを辞めるってジャニーさんに宣言していた。嵐も期間限定のグループだと思ってたから、9月に結成してもワールドカップバレーボールが終わる頃には辞めようと思ってた」とのこと。
この証言は非常に興味深いものです。15歳の少年が、これから所属するグループは期間限定だと思い込んでいた。その勘違いが、結果的に嵐加入のハードルを下げることになりました。もし最初から「長期的に続くグループ」だと知っていたら、二宮さんは参加を断っていたかもしれません。
東京ドームでのお披露目とリハーサルでの挫折

嵐のデビューお披露目は東京ドームという大舞台で行われました。ワールドカップバレーボールの開会式でパフォーマンスを披露するという、新人グループとしては異例の華々しいスタートです。
しかしそのリハーサルで、二宮さんは大きな挫折を味わいます。振付師から厳しく叱責され、思わずトイレに駆け込んで号泣してしまったのです。
「辞めるって言っているのに、なんでこんなに怒られなくてはならないの?」
15歳の二宮少年は、そう思いながら一人で泣いていました。芸能界で生きていく覚悟も決まっていない、本当はこの世界に興味がないと思っている自分。それなのにプロとしての厳しい指導を受けることに、心が追いついていなかったのでしょう。
櫻井翔に救われたエピソード
トイレで泣いている二宮さんを見つけたのが、同じく嵐のメンバーである櫻井翔さんでした。櫻井さんは二宮さんを励まし、なんとかリハーサルに戻るよう説得します。
この出来事がきっかけで、二宮さんと櫻井さんの間には特別な絆が生まれました。辛い時に手を差し伸べてくれた櫻井さんの存在は、その後の二宮さんの芸能人生を支える大きな柱となります。
もしあの時櫻井さんが声をかけてくれなかったら、二宮さんは本当にその場で帰ってしまい、嵐の歴史も変わっていたかもしれません。そう考えると、この東京ドームでのエピソードは嵐にとっての重要なターニングポイントだったと言えるでしょう。
高校時代にジャニーズを辞めようと思っていた

裏方の仕事への憧れと葛藤
二宮さんがジャニーズを辞めようと考えていた最大の理由は、舞台の演出家になりたかったからです。人前に出るタレントではなく、裏方として作品を作り上げる仕事に魅力を感じていました。
演出や制作といった裏方の仕事は、クリエイティブでありながらも表舞台には立たない職種です。小学校時代のイジメ経験から「自分が話題の中心にいるのは嫌だった」と語る二宮さんにとって、裏方の仕事は理想的に思えたのかもしれません。
また、二宮さんは作詞作曲の才能も持っています。高校2年生の頃からパソコンを使って曲作りを始めており、音楽の創作活動にも興味がありました。自分で曲を作り、それを他の人が歌う。そんな音楽プロデューサー的な立場にも憧れていたのではないでしょうか。
デビュー前からジャニーさんに辞める宣言をしていた
驚くべきことに、二宮さんは嵐のメンバーに選ばれる前から、ジャニー喜多川さんに「辞める」と宣言していたそうです。中学生の少年が、ジャニーズ事務所の絶対的権力者に対して自分の意思をはっきり伝えていたのです。
この大胆な行動の背景には、二宮さんの性格が関係しているでしょう。小学校のイジメ経験から「自分の意見ははっきり言う」という姿勢を身につけていたのかもしれません。また、芸能界への執着がなかったからこそ、遠慮なく本音を伝えられたとも考えられます。
ジャニーさんも、この正直な少年に興味を持ったのでしょう。普通のジャニーズJr.なら「デビューしたい」「テレビに出たい」と必死にアピールするところを、二宮少年は「辞めたい」と言っているのですから。その逆説的な魅力が、かえってジャニーさんの目に留まったのかもしれません。
演出家になりたかった夢
二宮さんが目指していた演出家という職業は、舞台やドラマ、映画などで俳優の演技を指導し、作品全体の表現を統括する仕事です。芸術的センスと論理的思考力の両方が求められる、非常に高度な職業です。
中学生の時点でこの職業に興味を持っていたということは、二宮さんは早くから物事を多角的に見る視点を持っていたことを示しています。自分が演じるだけでなく、作品全体をどう構成すれば良いか考える。そういった俯瞰的な視点は、後に二宮さんが俳優として成功する際にも大いに役立ったはずです。
現在の二宮さんは俳優として数々の作品に出演し、その演技力は国内外で高く評価されています。演出家にはなりませんでしたが、演技を通して作品作りに深く関わっているという意味では、当時の夢の一部は叶えているのかもしれません。
高校時代の芸能活動〜俳優としての飛躍

連続ドラマ初主演「あぶない放課後」
高校1年生だった1999年、二宮さんは連続ドラマ「あぶない放課後」で初めて主演を務めます。これは二宮さんにとって記念すべき初主演作であり、俳優としてのキャリアの重要な一歩でした。
学校に通いながら連続ドラマの主演をこなすことは、想像を絶する忙しさだったはずです。週1回の登校日があり、その前後には撮影が入る。睡眠時間も十分に取れなかったでしょう。
しかしこの経験が、二宮さんを俳優として大きく成長させました。主演という責任の重さ、現場での立ち回り、共演者とのコミュニケーション。これらを高校生のうちに学べたことは、その後の俳優人生にとって大きな財産となりました。
映画「Vの嵐」での活躍
同じく高校1年生の時に公開された映画「Vの嵐」では、嵐のメンバー全員が出演しました。これはデビュー直後のグループにとって貴重な経験であり、メンバー同士の絆を深める機会にもなりました。
映画撮影はドラマとは違い、長期間に渡って同じ現場で仕事をします。その過程で、二宮さんは他のメンバーとより深い関係を築いていったのでしょう。当初は「期間限定」だと思っていた嵐でしたが、こうした共同作業を通じて、メンバーへの愛着も少しずつ芽生えていったはずです。
作詞作曲活動の開始
#二宮和也さんの魅力
二宮和也さんの魅力は多岐にわたりますが、特に以下に集約されることが多いです:多才さ:俳優としても、音楽活動でも活躍し、それぞれで高い評価を得ています。特に嵐のメンバーとして、歌やダンス、そしてバラエティでのトーク力など、その才能は幅広い。… pic.twitter.com/ZFBYDS7GAt
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高校2年生になると、二宮さんはパソコンを使った曲作りを本格的に始めます。嵐の楽曲の中でも、二宮さんが作詞作曲を手がけた曲は多く、そのどれもが彼の音楽的才能を示すものでした。
音楽制作は孤独な作業です。パソコンに向かい、一人で旋律を考え、言葉を紡いでいく。学校では友達が少なく孤独だった二宮さんにとって、音楽制作は自分の感情を表現できる貴重な場だったのかもしれません。
演出家になりたかった夢は叶いませんでしたが、作詞作曲という形でクリエイティブな活動に携わることができました。この点で、二宮さんは自分の才能を最大限に発揮できる場所を見つけたと言えるでしょう。
二宮和也の中学時代〜ジャニーズ入所まで

葛飾区立新小岩中学校での学生生活
二宮さんは地元の公立中学校である葛飾区立新小岩中学校に通っていました。中学・高校を通じて部活動には参加しておらず、放課後はジャニーズJr.としての活動に時間を使っていました。
中学時代にはギターを始め、バンドを組みたいという夢も持っていました。しかし友達が少なかったため、一緒にバンドを組む仲間を見つけることができず、この夢は実現しませんでした。音楽への興味は高校時代の作曲活動へとつながっていきます。
母親の勧めで受けたオーディション
二宮さんのジャニーズ入所のきっかけは、いとこが履歴書を送ったことでした。書類審査を通過しオーディションに呼ばれましたが、当日は野球の試合と重なっていたため、二宮さんは断るつもりでした。
そこで母親が「人に何かを見てもらうことはなかなかないことだから」と説得し、経験のためにオーディションに行くことを勧めました。それでも渋る息子に対し、母親は5000円をあげると約束します。この金額に釣られて、二宮少年はオーディション会場に向かいました。
5000円につられてジャニーズ入所

オーディション会場では、他の参加者が一生懸命ダンスを踊っている中、二宮さんだけは後ろで突っ立って見ているだけでした。そこにジャニー喜多川さんが近づいてきて「なんで踊らないの?」と尋ねます。
二宮さんは「見りゃわかるじゃん。狭くて踊れないんだよ」と率直に答えました。相手が業界の権力者だとも知らず、中学1年生らしい素直な反応です。この飾らない態度が、かえってジャニーさんの心を捉えたようで、二宮さんは見事合格しました。
5000円欲しさに参加したオーディションが、その後の人生を大きく変える出来事になったのです。二宮さんの人生は、まさに母親の一言と5000円で方向転換したと言えるでしょう。
伝説のユニット「MAIN」での活動
中学2年生になった二宮さんは、1996年入社組の松本潤さん、相葉雅紀さん、生田斗真さんとともにユニット「MAIN」を結成します。このユニットはジャニーズ事務所から将来有望と見られ、テレビ局などに積極的に売り込まれました。
しかしメンバーの中で最も人気があった生田斗真さんが多忙になり、約2年で活動を休止します。MAINとしては解散となりましたが、ここで培った松本さん、相葉さんとの関係が、後の嵐結成につながっていきます。
中学時代の二宮さんは、ドラマ出演も増えていきました。中学1年生の終わり頃にはテレビドラマデビューを果たし、中学3年生の時には中村玉緒さんとの連続ドラマ「あきまへんで」に起用されるなど、着実に俳優としてのキャリアを積んでいきました。
小学校時代のイジメ経験と野球少年だった日々
プロ野球・ロッテー楽天⚾️
アイドルグループ「嵐」の二宮和也さんがファーストピッチセレモニーに登場しました。#プロ野球 #二宮和也 pic.twitter.com/BWPze6nIeV— 時事通信社写真部 (@jiji_shashinbu) July 31, 2025
葛飾区立上平井小学校での辛い経験
二宮さんの出身小学校は、東京都葛飾区立上平井小学校です。二宮さんの学生時代を語る上で避けて通れないのが、小学校時代のイジメ経験です。
二宮さんは姉がいる兄弟構成で、近所に住むいとこも全員女の子でした。そのため幼い頃から女の子に囲まれて育ち、保育園の頃から非常におとなしい性格だったそうです。
小学校低学年の頃には「金太郎」というあだ名をつけられてイジメを受け、登校拒否をしたこともありました。子供にとって、自分が望まないあだ名で呼ばれることは大きなストレスです。
濡れ衣を着せられクラス全員から無視された過去
さらに深刻だったのは、学校で物がなくなると二宮さんのせいにされていたことです。実際には二宮さんは何も盗んでいないのに、クラスメイトから疑いの目を向けられる。こうした状況が続く中で、ついにはクラス中から無視されるという事態に発展しました。
多くの子供なら泣いて訴えたり、先生に相談したりするところですが、二宮さんは何も反応せずスルーし続けました。するとイジメっ子たちは面白くなくなったのか、ターゲットを他の生徒に移していきました。
この経験を振り返って
二宮さん自身は後にこの経験を振り返り、「その高校のイジメ自体が解決したわけではなく他の子に的が移った。だから、おれの中で終わってない」と語っています。自分へのイジメはなくなったけれど、それは根本的な解決ではなかった。別の誰かが苦しむことになっただけ。その事実に、二宮さんは今でも複雑な思いを抱いているようです。
少年野球に熱中した小学生時代
辛いイジメ経験がある一方で、二宮さんは小学生時代に少年野球チームに所属し、野球に熱中していました。小学生の頃の夢はプロ野球選手になることで、運動神経は非常に良かったそうです。
野球という団体スポーツの中では、二宮さんも仲間と協力し合う喜びを感じることができたのでしょう。イジメで傷ついた心を、野球が癒してくれていたのかもしれません。
ジャニーズのオーディションを最初は断ろうとしたのも、野球の試合があったからでした。それだけ野球に対する情熱が強かったということです。もしジャニーズに入所していなければ、二宮さんは野球の道を極めていた可能性もあったでしょう。
二宮和也の学歴まとめと現在
二宮和也ななめ横顔かっこいい 下がり眉、鼻筋、尖った顎、薄い唇 pic.twitter.com/cLzCaHRWOU
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大学に進学しなかった理由
二宮和也さんは高校卒業後、大学には進学していません。その理由は明白で、既に嵐のメンバーとして多忙な日々を送っており、大学に通う時間的余裕がなかったからです。
高校進学の動機が「最低限高校だけは卒業しておこう」というものだったことからも、二宮さんにとって学歴は芸能活動を続けるための最低限の保険でしかありませんでした。高校を卒業した時点でその目的は達成されたため、それ以上の学歴を求める必要はなかったのです。
また、高校1年生で嵐がデビューし、初の主演映画「ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY」も控えていました。グループとしても個人としても仕事が次々に舞い込む中、大学進学を考える余裕はなかったでしょう。
高校卒業後の芸能活動への専念
高校卒業後、二宮さんは芸能活動に完全に専念します。嵐はトップアイドルグループへと成長し、個人でも話題作の連続ドラマや映画の主演を次々と務めるようになりました。
特に2006年に公開されたクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」では、その演技が日本国内だけでなくアメリカでも高く評価されました。ジャニーズ事務所所属タレントとしては史上初めて(当時)日本アカデミー賞にノミネートされるという快挙も成し遂げています。
2016年公開の映画「母と暮らせば」では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、俳優としての地位を確固たるものにしました。かつて演出家になりたいと思っていた少年は、世界に通用する実力派俳優へと成長したのです。
学生時代の経験が今に活きていること
二宮さんの学生時代は、決して華やかで楽しいものではありませんでした。小学校でのイジメ、友達の少ない中学・高校時代、そしてジャニーズを辞めたいと思い続けた葛藤。これらの経験は当時の二宮さんにとって辛く苦しいものだったはずです。
しかし、その辛い経験があったからこそ、二宮さんは他人の痛みを理解できる人間になったのではないでしょうか。演技においても、心に傷を持つ複雑なキャラクターを説得力を持って演じられるのは、自身も苦しみを経験してきたからこそです。
2020年12月に嵐は活動を休止しましたが、二宮さんは個人での活動を継続しています。2021年4月には相葉雅紀さんとYouTubeチャンネル「ジャにのチャンネル」を開設し、瞬く間にチャンネル登録者数200万人を突破しました。
立志舎高校の通信制という選択は、当時の二宮さんにとって「仕方なく」選んだ道だったかもしれません。しかしその選択があったからこそ、芸能活動と学業を両立させ、高校を卒業することができました。そして今、国民的アイドルであり実力派俳優として活躍する二宮和也さんがいます。
過去の辛い経験も含めて、全てが今の二宮和也を形作っているのです。


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