あいみょんが通った西宮南高校とその選択理由
やばいあいみょん可愛い赤ちゃんすぎるどゆこと pic.twitter.com/JsyNGaTlau
— だー子 (@daako__aim) December 31, 2025
あいみょんさんは2011年4月、兵庫県立西宮南高校に入学しました。この高校は兵庫県西宮市高須町にある公立高校で、偏差値は49程度です。1975年に開校した中堅県立校で、普通科のほかに「環境とコミュニケーション類型」を設置しているのが特徴です。校訓は「自主・友愛・創造」で、自ら考える力や相互の人格を尊重する姿勢を育むことを目標としています。
この高校を選んだ理由は、地元西宮市内にあり自宅から通いやすかったことが大きかったようです。あいみょんさんは6人きょうだいの2番目で、上から女・女・女・男・男・男という家族構成でした。「姉でも妹でもあるっていう立場はいろいろと大変でした」と本人が語るように、大家族の中で育った彼女にとって、地元の高校で家族との時間を保ちながら通学できることは重要な要素だったと考えられます。
中学時代は陸上部
さすが元陸上部あいみょん。
接地の時、かかと着地と思いきやアキレス腱が強いのかスネの筋肉が強いのかフラット着地、いやつま先着地よりで走ってる。
こりゃ早く走れるわけだ@aimyonGtter
#フォアフット pic.twitter.com/JJsiDuuAGt— こあら (@XhfwEenWRgD9AXS) November 25, 2024
中学時代は陸上競技部で副部長を務めるなど、比較的充実した学校生活を送っていたあいみょんさん。中学2年生の頃が「学生時代で一番楽しかった」と振り返っています。そのため高校入学時には、まだ本格的にミュージシャンを目指すという明確な決意はありませんでした。むしろ保育士などの職業を考えていたといいます。
しかし中学時代からギターと作曲に取り組んでいたあいみょんさんの心の中には、すでに音楽への強い思いが芽生えていました。中学1年生か2年生の時に父親からエレキギターをもらい、その後アメリカから来たALTのブレント先生と仲良くなったことをきっかけに、本格的にアコースティックギターを始めていたのです。
「ブレントって言うんですけど、その先生がYAMAHAのアコースティックギターをくれなかったら、今音楽をやってないと思います。10代で一番大きかった出来事はブレントからギターをもらったことだと言い切れますね」
この言葉からも、中学時代にすでに音楽が彼女の人生の中心になりつつあったことが分かります。西宮南高校への進学は、音楽と学業のバランスを取りながら次のステップを考えるための選択だったのかもしれません。
高校時代の孤独と人間関係の悩み

西宮南高校に入学したあいみょんさんでしたが、高校生活は彼女にとって決して楽なものではありませんでした。最も大きな悩みは人間関係でした。
「友達はどこまでが友達なん?」
この答えのない疑問をずっと持ち続けていたあいみょんさんは、人付き合いが非常に苦手でした。仲良くなりたいと思っていた人にも一歩引いてしまい、結果として高校時代は友達が一気に減ってしまったのです。
小学生時代は明るい子

明るい少女だったという小学生時代、充実していたという中学時代とは対照的に、高校時代のあいみょんさんは「暗かった」と自ら振り返っています。学校では人と話す機会が少なく、授業中には指人形をペンの頭にはめて大量に机に並べて遊んでいたり、雑誌しか持っていかなかったりと、周囲から「変人扱い」されるような行動をとっていました。
「今思うと気持ち悪いです」と本人も認めていますが、これは孤独から逃れるための彼女なりの対処法だったのかもしれません。保健室にばかりいるような子だったとも語っており、教室という空間に居場所を見つけられなかった苦しさが伝わってきます。
勉強に集中できない
勉強に関しても、あいみょんさんは強い違和感を抱いていました。「なんだかベルトコンベアに乗せられているようで授業にはあまり集中できなかった」という言葉は、学校教育のシステムに馴染めなかった彼女の正直な気持ちを表しています。
好きな音楽と絵には数学は必要ないと先生に訴えたこともありました。「音楽するにあたって、サイン・コサイン・タンジェントって使わないと思うんですよ」という主張は、当時の彼女の音楽への情熱と学校教育への疑問を如実に示しています。
テストを受ける意味が分からず、テスト期間中に東京へ遊びに行ってしまったこともあったといいます。こうした行動の積み重ねが、後の出席日数不足につながっていったのです。
高校時代の音楽活動と父親との関係

高校での人間関係に悩む一方で、あいみょんさんは音楽の世界で自分の居場所を見つけようとしていました。高校1、2年生の頃から本格的に曲作りを始めています。
ただし当時はまだ人前で演奏することには消極的でした。「あわよくばステージで歌ったら楽しいんかな?」と思いつつも、「まあ、無理やろ」と現実的に考えていたといいます。この時点では、音楽はあくまで自分だけの世界であり、それを人に見せる勇気はまだ持てていなかったのです。
周囲に音楽への情熱が伝わる
しかしあいみょんさんの音楽への情熱は、少しずつ周囲にも伝わり始めていました。高校2年生の時には、友人が勝手に応募した「EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 3 For Grils」に参加することになります。
「私だけ学校の授業中に電話がかかってきて、4次審査くらいまでいっちゃって。やばいと思って早く落ちろ!!と思ってました」
この言葉からは、人前に出ることへの抵抗感が強かったことが分かります。結局このオーディションは途中で落選しましたが、4次審査まで進んだという事実は、彼女の才能が既に認められつつあったことを示しています。ちなみにこのオーディションの合格者は後にE-girlsやflower、bunnyなどのメンバーになっており、石井杏奈さんや坂東希さん、市來杏奈さんらが合格しています。
父親の存在

高校時代のあいみょんさんを語る上で欠かせないのが、父親の存在です。父親は音響関係の仕事をしており、若い頃はバンドを組んでいたほどの音楽好きでした。母親も音楽が好きで、幼少期からスピッツや浜田省吾、BOØWYなどを聴いて育ちました。
「お父さんとお母さんが大の音楽好きで、両親が聴いてた音楽が結構ルーツになってます」
こうした家庭環境が、あいみょんさんの音楽的素養を育てたことは間違いありません。しかし父親は厳格な面もあり、あいみょんさんがギター教室に通いたいと言った時には「ギターなんか独学でするもんや」と断られています。この経験が、彼女を自分で考え自分で学ぶスタイルへと導いたのかもしれません。
出席日数不足による中退と編入の決断

高校1、2年生で曲作りに励んでいたあいみょんさんでしたが、学校生活への適応はますます困難になっていきました。保健室登校が続き、授業への出席日数が足りなくなっていったのです。
そしてついに、出席日数不足により留年が決定します。西宮南高校は2年生で中退することになりました。しかしあいみょんさんは音楽の道を進むにあたって、高校卒業資格は必要だと考えていました。
「父と母には甘えたところ。高校卒業資格は人生を左右すると思ってしまって、別の学校に編入させてもらいました」
この言葉には、両親への感謝と、自分の将来をしっかり考えていた彼女の姿勢が表れています。中退という選択は決して投げやりなものではなく、音楽という夢を追いながらも最低限の学歴は確保しようという計画的な判断だったのです。
編入先は通信制?
編入先の高校の詳細は公表されていませんが、通信制の可能性が高いと考えられます。編入後、あいみょんさんは以前よりもしっかりと勉強に取り組み、無事に卒業しています。ラジオ番組に出演した際には、体育の授業で1人だけ体操着の色が違ったことが恥ずかしかったというエピソードを明かしており、編入生としての疎外感も味わっていたようです。
編入先での孤独が教えてくれた大切なこと

編入先の高校での1年間は、あいみょんさんにとって人生の転機となりました。新しい環境で再び友達を作る気も起きなかった彼女は、完全にひとりぼっちになってしまいます。
「学校が変わった瞬間からひとりになってしまったので、学校行くのも、帰りも、授業中もひとりでした」
しかしこの孤独な時間が、彼女に大切なことを教えてくれました。それは「本当に大切な友達は誰か」ということです。
学校が変わると連絡を取らなくなる人たちがいる一方で、変わらずに連絡を取り続けてくれる友人がいることに気づいたのです。「当たり前に周りに人がいる」と思っていたらあかんなと実感し、一人になってみて初めて、表面的な付き合いと本当の友情の違いが見えてきました。
そのため新しい高校に通学した1年間は「すごいいい期間だった」とも振り返っています。「独りだと感じても、世界に一人だけ取り残されているわけじゃない」という言葉には、孤独を通じて得た強さと成長が表れています。
経験が楽曲に反映される
この時期の経験は、あいみょんさんの楽曲にも反映されています。インディーズ時代にリリースしたミニアルバム「tamago」に収録されている「〇〇ちゃん」という曲は、当時の親友について歌ったものです。あいみょんさん曰く「はじめて自分で作った歌で泣いてしまった曲」であり、友情の大切さを改めて実感した経験から生まれた作品でした。
ちなみに「あいみょん」という芸名も、この親友がつけてくれたあだ名が由来になっています。学生時代の友人との絆が、彼女のアーティスト名にまで影響を与えているのです。
高校時代の出会いが切り開いた音楽への扉

高校時代のあいみょんさんにとってもう一つ重要だったのが、友人を通じた音楽活動への第一歩です。高校時代、友人がYouTubeで音楽系の番組を作成することになり、そこで初めて人前で演奏を披露する機会を得ました。
この番組には2回ほど出演し、オリジナル2曲とカバー1曲を歌いました。友人がその映像をYouTubeにアップしたところ、それを見た現在の事務所のスタッフに声をかけられたのです。
「友達がアップしてくれたYouTubeです。友達が行ってる専門学校で3曲歌ったんですよ。それを友だちがYouTubeにあげて、それを見つけたそうです」
音楽の道が開かれた

この偶然の出会いが、あいみょんさんを音楽の世界へと導きました。初めて事務所のスタッフと大阪の梅田で会った後、あいみょんさんは「とりあえず50曲一気に作ってみました」というほどの情熱で創作に打ち込みます。この時期に作った大量のストック曲が、後のデビューやブレイクにつながっていくのです。
高校卒業後、あいみょんさんは大学進学も一瞬考えましたが、最終的には音楽の道を選びます。「大学に行くって言っても、自己保身のしょーもない理由しかない。だったら歌に進んだ方がいい」という決断は、高校時代の様々な経験を通じて得た確信から生まれたものでした。
高校卒業後からメジャーデビューまでの道のり

高校を卒業したあいみょんさんは、音楽活動に専念するためアルバイト生活を始めます。ライブハウスに通ったり作曲に取り組んだりする中で、アルバイトで得たお金はすべて音楽のために使っていました。
「これは意味のある事だ」と思えたというあいみょんさんにとって、勉強には見出せなかった意味を、音楽活動とそれを支えるアルバイトには感じることができたのです。
そして2015年3月、19歳の時に「貴方解剖純愛歌死ね」でインディーズデビューを果たします。この曲は内容があまりにも過激すぎることから軒並みラジオ局でNGとなりましたが、オリコンのインディーズチャートでTOP10入りを果たすという快挙を成し遂げました。
そのわずか1年半後の2016年11月には、「生きていたんだよな」でメジャーデビュー。さらに23歳の時には「マリーゴールド」などの楽曲が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。
紅白歌合戦出場
〖紅白〗
あいみょんッッ
かわいいじゃん✨#あいみょん #紅白歌合戦 pic.twitter.com/T7wWvmpG7f— shirakami (@shirakami420764) December 31, 2025
紅白出場時、あいみょんさんが特に嬉しかったのは、かつて歌手志望だった祖母が喜んでくれたことでした。幼少期から音楽に親しみ、祖母の影響も受けていた彼女にとって、祖母の夢を自分が叶える形になったことは感慨深かったでしょう。
高校時代、音楽より勉強しろと先生に言われ続けていたあいみょんさん。中学時代の部活の顧問と担任からも「音楽は無理やろう」と否定され続けていました。しかし彼女は諦めませんでした。
「『音楽は無理やろう』って、中学の部活の顧問と担任に言われ続けてたのが一番イタかったんですよね。見返したいっていう気持ちは凄いあったんですよね……私、めっちゃひねくれてるんで」
この「ひねくれた」気持ちが、彼女を前に進める原動力となったのです。
まとめ
あいみょん去年の紅白よりかわいくなってるの意味わからん(わかる) pic.twitter.com/fZ9naWgaB6
— えい🦭 (@a3636ei) December 31, 2025
あいみょんさんの高校時代は、孤独と葛藤の中で自分の道を模索し続けた期間でした。西宮南高校に入学したものの人間関係に悩み、学校という環境に馴染めず出席日数不足で中退します。
別の高校に編入した後は完全にひとりぼっちになりましたが、その孤独が本当に大切な友情の意味を教えてくれました。高校時代に始めた曲作りと、友人がアップしたYouTube動画をきっかけとした事務所との出会いが、彼女を音楽の世界へと導きます。
周囲からの否定や理解のなさに苦しみながらも、音楽への情熱を貫き通した結果、19歳でインディーズデビュー、23歳で紅白出場という夢を実現しました。高校時代の苦悩と成長が、今のあいみょんを作り上げたのです。

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