有村架純の出身高校は伊丹西高校と日出高校!転校の理由とアルバイト漬けの青春時代

今回の記事では女優として日本の演劇界を盛り上げている有村架純さんの学歴についてまとめていきます。

有村架純が通った2つの高校と転校の経緯

有村架純の出身高校は伊丹西高校と日出高校!転校の理由とアルバイト漬けの青春時代

有村架純さんは高校時代、兵庫県立伊丹西高校から日出高校(現在の目黒日本大学高校)へ転校しています。この転校は、彼女の人生における最も大きな決断のひとつでした。

伊丹西高校は兵庫県伊丹市にある公立高校で、偏差値は47程度です。普通科のほか総合ヒューマン類型を設置しており、看護や保育、福祉といった専門分野も学べる環境が整っています。部活動が盛んな学校としても知られ、地域に根ざした教育を提供しています。

有村さんは2008年4月にこの伊丹西高校へ入学しました。地元の友人たちと過ごす高校生活は充実していたものの、彼女の心の中には別の夢がありました。それが女優になるという目標です。

転校のきっかけ

転校のきっかけは、高校2年生の終わりに芸能事務所フラームのオーディションに合格したことでした。女優としての活動を本格的に始めるため、彼女は高校3年生に上がる直前の17歳で上京を決意します。地元の高校を中退し、東京の日出高校通信制課程へ編入しました。

この決断について有村さん自身は後に「高校3年生で卒業してから行くか、今行くか。3年生までいればみんなと卒業できるし、学校も転校しなくてよかった。でも今すぐ行くことに意味があるんじゃないかと思って」と語っています。わずか17歳での大きな決断でしたが、その背景には母親への恩返しという強い想いがありました。

伊丹西高校時代のアルバイト生活と家計を支えた日々

伊丹西高校に在籍していた時期、有村架純さんの生活は一般的な高校生とは大きく異なっていました。部活動には参加せず帰宅部で、その時間をすべてアルバイトに費やしていたのです。

彼女の家庭は母子家庭でした。小学4年生の時に両親が別居し、中学1年生の時に正式に離婚しています。母親は女手ひとつで有村さんと姉の2人を育てており、経済的には決して楽ではありませんでした。そのため有村さんは高校入学後、家計を助けるために積極的にアルバイトを始めます。

バイト先はすし店とそば店

働いていたのは寿司店とそば店でした。週6日、平日は4時間、休日は10時間という過酷なシフトをこなしていました。高校生でありながら、まるで社会人のような働き方です。体調が悪くても休むことはなく、熱があってもアルバイトに出勤していたといいます。

当時のアルバイト先の店主は、有村さんの勤務態度を「非常に真面目で、お客様からの評判も良かった」と振り返っています。明るく丁寧な接客は、後の女優としての素養をすでに感じさせるものでした。

そば店で働いていた時には、忙しさのあまり両手にそばの盆を持ったまま壁にぶつかったこともあったそうです。こうしたエピソードからは、必死に働いていた当時の様子が伝わってきます。

バイトから学んだこと

この経験について有村さんは「高校時代に1万円を稼ぐことがどれだけ大変か知った」と語っています。お金の価値や働くことの意味を、10代で深く理解していたのです。

ただしアルバイト漬けの日々でありながら、友人関係は良好でした。仲の良い友達とはカラオケやボーリング、公園でのんびり過ごすといった普通の高校生らしい時間も楽しんでいました。中学時代からの友人たちと旅行の計画を立て、アルバイトで貯めたお金で新潟へスキーに行ったり、兵庫の田舎へキャンプに行ったりもしています。

限られた時間の中でも青春を謳歌していた有村さんですが、唯一の心残りは「恋愛」だったと後に明かしています。夢に必死で、好きな人がいてもお付き合いには至らなかったそうです。「制服デートをしておけば良かった」という言葉には、女優への道を選んだ彼女の覚悟と、それでも残る少しの未練が感じられます。

フラームのオーディション合格までの険しい道のり

有村架純さんが女優を目指すようになったのは中学3年生の頃でした。テレビドラマを見ていた時、「自分だったらこう演じる」と自然に考えている自分に気づいたことがきっかけです。それまで特に熱中するものがなかった彼女にとって、女優という夢は人生を変える出会いでした。

芸能事務所フラームを選んだ理由は明確でした。女優専門の事務所であること、そして憧れの戸田恵梨香さんが所属していることが決め手になりました。

不合格の現実

高校1年生の時、初めてフラームのオーディションを受けます。しかし結果は不合格でした。理由は関西弁が抜けないことと、体重があと2キロ多いことでした。

ただしこの時の面接官は、有村さんに再チャンスを与えました。「2キロ痩せること」と「標準語を話せるようになること」という2つの課題を克服したら、1年後に再度受験できると約束してくれたのです。

有村さんはこの課題に真剣に取り組みました。2キロの減量は比較的容易でしたが、関西人にとって標準語をマスターすることは想像以上に難しい挑戦でした。それでも彼女は諦めませんでした。

合格の喜び

1年後の高校2年生の時、再びオーディションを受けます。そして今度は見事に合格しました。課題をクリアした努力が実を結んだ瞬間です。

オーディション受験にかかった交通費は、すべて自分のアルバイト代から出していました。地元の伊丹市から東京までの往復費用は決して安くありませんが、母親に負担をかけまいと自分で工面していたのです。このエピソードからは、彼女の自立心の強さと母親への思いやりが感じられます。

合格後

有村架純の出身高校は伊丹西高校と日出高校!転校の理由とアルバイト漬けの青春時代

合格後、芸能活動を本格化するために上京を決めました。高校を卒業してから上京するという選択肢もありましたが、「今すぐ行くことに意味がある」と判断し、高校2年生の終わりというタイミングで東京へ向かいました。

上京が決まった時、友人たちは泣いて見送ってくれたそうです。地元で築いた友情を離れることは辛い選択でしたが、夢のためには必要な決断でした。

日出高校での新生活と芸能活動との両立

上京後、有村架純さんは日出高校(現在の目黒日本大学高校)の通信制課程に編入しました。この学校は多くの芸能人が通う学校として知られており、芸能活動と学業を両立しやすい環境が整っています。

日出高校の通信制課程には偏差値という概念はありませんが、全日制の普通科は芸能コースを含めて多様な進路に対応しています。有村さんと同じ学年には、後に共演することになる俳優の菅田将暉さんも通信制課程に在籍していました。

また全日制課程の同学年には、滝沢カレンさん、剛力彩芽さん、足立梨花さん、染谷将太さんなど、後に活躍する多くの芸能人がいました。まさに才能が集まる環境でした。

上京後は寮生活

上京直後は所属事務所の寮で生活していましたが、当初はかなり苦労したと語っています。知らない土地での一人暮らし、慣れない東京での生活、そして女優としての活動と学業の両立は、17歳の少女には大きな負担でした。

それでも彼女は前に進み続けました。上京してすぐの2010年には、テレビドラマ「ハガネの女」で女優デビューを果たします。ただし当初はオーディションで落ち続け、芸能界の厳しさを実感したといいます。

芸能活動と学業の両立

また芸能活動を開始した当初はグラビアの仕事もしており、「ヤングジャンプ」の誌面を飾ったこともありました。女優としての仕事が軌道に乗るまでは、さまざまな形で経験を積んでいたのです。

それでも学業はおろそかにしませんでした。芸能活動と並行しながらも、日出高校の通信制課程を無事に卒業しています。メディアにも有村さんが高校を卒業したという情報が報じられており、学業と仕事を両立させた努力が窺えます。

大学に進学せず女優一本に絞った決断とその後

高校卒業後、有村架純さんは大学などには進学しませんでした。選んだ道は女優としての活動に専念することです。

この決断の背景には、19歳の時の出来事がありました。知り合いの女性カメラマンから「覚悟が足りないんじゃないの?」と言われ、図星を突かれたのです。このひと言が彼女を大きく変えました。「20歳の区切りに何かを変えないとならない」と決意し、女優として本気で勝負することを選んだのです。

そして20歳の時に出演したNHKの朝ドラ「あまちゃん」で、有村さんは大ブレイクを果たします。小泉今日子さんの少女時代を演じたこの役は、彼女を全国的な人気女優へと押し上げました。ちなみにこの作品では、高校の同級生だった足立梨花さんもブレイクのきっかけを掴んでいます。

ビリギャルで賞を受賞

22歳の時には映画「ビリギャル」に出演し、日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。この作品で彼女は人気女優としての地位を不動のものにします。

さらに2017年にはNHKの朝ドラ「ひよっこ」でヒロインを務めるなど、その後も数々の話題作に出演し続けています。NHK紅白歌合戦の司会者やドキュメンタリー番組のナビゲーターなど、女優業以外でも活躍の場を広げています。

伊丹西高校でアルバイトに明け暮れていた日々、フラームのオーディションに再挑戦した努力、上京を決断した17歳の覚悟、これらすべての経験が、現在の有村架純さんを形作っています。

高校時代の苦労を感じさせない明るい笑顔の裏には、母親のため、そして自分の夢のために必死に努力してきた強い意志があります。見かけによらず根性の持ち主である彼女は、今後もさらなる活躍が期待される女優のひとりです。

まとめ

有村架純さんの高校時代は、夢への第一歩を踏み出した重要な時期でした。伊丹西高校では家計を支えるためアルバイトに励みながら、フラームのオーディション合格を目指して努力を重ねました。

17歳で上京を決断し日出高校へ転校した後は、芸能活動と学業を両立させながら女優としての道を歩み始めます。大学には進学せず女優一本に絞った選択は、20歳での「あまちゃん」大ブレイクという形で実を結びました。母子家庭で育ち、高校時代から家計を支えていた経験は、彼女の演技に深みと説得力を与えています。

コメント