松村沙友理の学歴まとめ!大阪桐蔭高校から医学部受験まで!高学歴アイドルの学生時代

松村沙友理の学歴

松村沙友里さんの学歴をまとめると次のようになります。

  • 小学校:大阪市立聖賢小学校
  • 中学校:大阪市立蒲生中学校
  • 高校:大阪桐蔭高校Ⅱ類コース(偏差値63)に一般受験で合格し入学
  • 大学:大学進学を目指して浪人しましたが、最終的には芸能活動に専念する道を選びました。

松村沙友里のプロフィール

乃木坂46の元人気メンバーである松村沙友理さんは、高い学力を持つことでも知られています。1992年8月27日生まれの松村さんは、大阪府大阪市で生まれ育ち、地元の公立小学校・中学校を経て、私立の進学校である大阪桐蔭高校へと進学しました。

高校卒業後は国公立大学の医学部を目指して浪人生活を送りますが、その途中で乃木坂46のオーディションに合格し、芸能界デビューを果たします。可愛らしいルックスと確かな学力を兼ね備えた「才色兼備」なアイドルとして、多くのファンから支持を集めてきました。

小学校時代から培われた運動神経と学習習慣

松村沙友理さんが通っていた小学校は、大阪市城東区にある大阪市立聖賢小学校です。1999年4月に入学し、2005年3月に卒業しています。

幼少期の松村さんは、さまざまな習い事に取り組んでいました。特に水泳は幼稚園時代から小学6年生まで続けており、後の中学・高校時代の活躍につながる基礎体力を養っていました。水泳以外にも、英会話、習字、ピアノなど、多岐にわたる習い事をしており、親御さんが教育熱心だったことがうかがえます。

小学校時代は活発

小学生時代の松村さんは、運動が得意な活発な女の子でした。水泳で培った体力と運動神経は、後のバレーボール部での活躍にもつながっていきます。一方で、漫画も大好きで、月刊少女漫画雑誌の「ちゃお」や「りぼん」を愛読していたそうです。現在でも本棚の8割が漫画で埋められているというほど、漫画への愛着は強く残っています。

子どもの頃からシャイな性格で、人前に出るのは苦手だったという松村さん。後にアイドルとして活躍することを考えると意外に思えますが、この内向的な一面が、後の浪人時代に大きく影響していくことになります。

中学時代の文武両道とバレー部キャプテンとしての経験

松村沙友理さんは、2005年4月に大阪市立蒲生中学校へ進学しました。この学校は大阪市城東区にある公立中学校で、松村さんは2008年3月まで在籍しています。

中学時代の松村さんは、バレーボール部に所属し、キャプテンも務めていました。リーダーシップを発揮しながらチームをまとめる経験は、後の乃木坂46での活動にも活きていると考えられます。また、小学校時代から続けていた水泳でも結果を残しており、学校の水泳大会では1位を獲得する実力を持っていました。

このように運動面では活躍していた松村さんですが、中学時代は意外にも暗い性格だったと本人が明かしています。インタビューでは「私、中学校時代、めっちゃ暗くて、友だちが3人くらいしかいなかったんです」と振り返っています。

転機

友人が少なかった松村さんに転機が訪れたのは、アニメ「フルーツバスケット」がきっかけでした。この作品を通じて親友ができ、少しずつ交友関係が広がっていったそうです。卒業式の日には、普段話さなかった同級生からも写真撮影に誘われるなど、最終的にはクラスメイトと良好な関係を築けるようになっていました。

運動と勉強を両立させながら、内向的な性格を少しずつ克服していった中学時代。この時期の経験が、松村さんの人間性を深め、後の表現活動にも影響を与えているのかもしれません。

大阪桐蔭高校Ⅱ類への進学と充実した高校生活

中学卒業後、松村沙友理さんは私立の大阪桐蔭高校へ進学しました。2008年4月に入学し、2011年3月に卒業しています。

大阪桐蔭高校は、大阪府大東市にある私立の共学校です。硬式野球部が甲子園の常連として全国的に有名ですが、実は進学校としての一面も持っています。同校には複数のコースが設置されており、最上位のⅠ類(偏差値69)、Ⅱ類(偏差値63)、Ⅲ類(偏差値52・体育芸術コース)に分かれています。

松村さんが在籍したのはⅡ類コースです。偏差値63という難易度の高いコースであり、しかも内部進学ではなく一般受験での合格ですから、中学時代に相当な学力を身につけていたことが分かります。大阪桐蔭高校は国公立大学や難関私立大学への進学実績も豊富で、学習環境が整った学校として知られています。

高校時代のエピソード

高校時代の松村さんの真面目さを示すエピソードとして、「365日学校に通った」という驚きの事実があります。月曜日から土曜日まで通常授業があることに加え、日曜日も自習室として教室が開放されており、先生方も出勤してくれていたそうです。そのため、多くのクラスメイトが日曜日も学校で勉強しており、松村さんもお盆やお正月も含めて毎日学校に通っていました。

朝は早朝テストの前に自習室で勉強し、放課後も自習室で宿題を終わらせてから帰宅するという生活を送っていた松村さん。この徹底した学習習慣が、後の大学受験に向けた基礎学力を築いていきました。

バレー部での活動と甲子園応援の思い出

松村沙友理の学歴まとめ!大阪桐蔭高校から医学部受験まで!高学歴アイドルの学生時代

高校時代の松村さんは、中学に引き続きバレーボール部に所属していました。ポジションはセンターを務めていたそうです。

本人によれば、スポーツや運動は基本的に苦手で、唯一人並みにできるのがバレーボールだったとのこと。水泳も得意でしたが、それ以外の種目については体育の授業も苦手だったと語っています。それでも部活動を続けていたのは、チームスポーツを通じて仲間と協力する楽しさを知っていたからかもしれません。

また、大阪桐蔭高校の野球部は全国屈指の強豪として知られており、松村さんの在学中にも何度も甲子園に出場しています。その度に松村さんも甲子園まで足を運び、スタンドから野球部を応援していました。高校時代の貴重な思い出として、今でも心に残っているそうです。

同級生には現在活躍する著名人も

松村沙友理の学歴まとめ!大阪桐蔭高校から医学部受験まで!高学歴アイドルの学生時代

松村さんの高校時代の同級生には、現在テレビで活躍している著名人もいます。その代表格が、フリーアナウンサーでタレントの岡副麻希さんです。

岡副さんは松村さんと同学年ですが、最上位のⅠ類コース(偏差値69)に在籍していました。トーク番組で共演した際、松村さんは「麻希ちゃんは高校生の時からうちの高校三大美女として凄く有名な存在で、いるだけで周りの男子がザワつくような特別な存在でした」と振り返っています。

岡副とのエピソード

さらに面白いエピソードとして、岡副さんは「まきちょ語」という独特の語尾を使っており、それが学校中で話題になっていたそうです。変わったところもありながら、美人で人気者だった岡副さんの存在は、松村さんにとっても印象深いものだったようです。

大阪桐蔭高校からは、他にも多くの著名人が巣立っています。プロ野球選手の中田翔さん、中村剛也さん、浅村栄斗さんなど、野球界のスター選手を多数輩出。アナウンサーの牧野結美さんも同校の卒業生です。

NMB48オーディション落選という挫折経験

松村沙友理の学歴まとめ!大阪桐蔭高校から医学部受験まで!高学歴アイドルの学生時代

高校3年生だった2010年、松村沙友理さんは実はNMB48の第1期メンバーオーディションを受験していました。しかし、結果は不合格。この時点では、アイドルとしての道は開けませんでした。

松村さん自身はこの件について公の場で多くを語っていませんが、当時のオーディション写真がインターネット上に残っています。高校生だった松村さんが、地元大阪を拠点とするNMB48に憧れを持ち、チャレンジしたことが分かります。

この挫折経験は、後に乃木坂46のオーディションを受ける際の心構えにも影響を与えたかもしれません。一度は夢を諦めかけたものの、再びチャンスが巡ってきたとき、松村さんはそれを掴み取ることができました。

大阪大学医学部を目指した浪人時代の葛藤

松村沙友理の学歴まとめ!大阪桐蔭高校から医学部受験まで!高学歴アイドルの学生時代

高校卒業後、松村沙友理さんは大学に進学しませんでした。現役時代に第一志望の大学に不合格となり、浪人生活を送ることになったのです。

松村さんが目指していたのは、大阪大学医学部保健学科看護学専攻でした。偏差値58という難関学部であり、看護師になるという明確な目標を持っていました。親御さんからも看護師という職業を勧められており、医療系の道に進むことを真剣に考えていたのです。

孤独な浪人生活

浪人生活では予備校に通い、来年こそは合格を目指して勉強に励んでいました。しかし、模試の成績が思うように伸びず、焦りと不安を感じる日々が続きました。365日学校に通い、真面目に勉強してきた高校時代とは違い、浪人生活は孤独で辛いものだったようです。

東日本大震災と筑波大学受験の真相

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大阪大学の前期試験に不合格となった松村さんは、第二志望として筑波大学医学群看護学科(偏差値58)を後期試験で受験する予定でした。ところが、受験日の前日に東日本大震災が発生。この未曾有の災害により、筑波大学の後期試験は実施されませんでした。

筑波大学は震災の影響を考慮し、後期試験を中止し、センター試験の結果などをもとに合否を決定することになりました。インターネット上には、松村さんがこの試験に合格したという情報も流れていますが、その真偽は定かではありません。

当時の状況を見ると、筑波大学医学群看護学科の後期試験は定員5名に対して65名が出願しており、倍率は13倍という超難関でした。最終的には10名が合格となりましたが、大阪大学の前期試験で不合格だった受験生が、より倍率の高い筑波大学の後期試験で合格するのは、現実的には非常に難しいと考えられます。

地震による人生の転機

仮に合格していたとしても、当時は福島第一原発の事故による放射能汚染の問題が深刻化していた時期です。茨城県つくば市も首都圏に位置しており、親御さんが入学を反対した可能性や、本人が入学を辞退した可能性も考えられます。

いずれにせよ、東日本大震災という予期せぬ出来事が、松村さんの人生の転機となったことは間違いありません。

乃木坂46オーディション合格という人生の転機

大学受験で思うような結果が出せず、悶々とした日々を送っていた松村さん。模試の成績も振るわず、このままでは来年の受験も厳しいという現実が見えてきました。

そんな中、「他のことにもチャレンジしてみよう」という気持ちが芽生えます。そして2011年夏、乃木坂46の第1期生オーディションの募集を知り、ダメ元で応募することにしました。

うその上塗り

オーディションでは、松村さんは大胆にも「英語が話せます」とウソをついてしまいます。さらに最終審査では「韓国語が話せます」とアピールするために前日に勉強したものの、実際には披露できず、結局「趣味は散歩です」と答えることに。しかし、当時は浪人生として家に引きこもっていたため、これもウソの上塗りでした。

ダンスも全くできず、「絶対に受からない」と本人も確信していたそうです。それでも、応募総数38,934名の中から36名だけが選ばれるという超難関オーディションを、松村さんは見事に突破しました。

グループ入り当初の苦労と努力

オーディションに合格した松村さんですが、グループ入り当初は大阪から東京へ通う生活が続きました。土日のレッスンのたびに、金曜日の夜に深夜バスで大阪から東京へ向かうという過酷なスケジュールです。

体力的にも精神的にも辛く、何度も挫けそうになったそうです。そんな松村さんを支えたのは、母親の励ましでした。「行って来なさい!」と泣いている娘の背中を押してくれる母親の存在が、松村さんに勇気を与え続けました。

やがて松村さんは本格的に東京へ拠点を移し、乃木坂46の活動に専念するようになります。歌もダンスも未経験だった松村さんでしたが、持ち前の真面目さと努力で着実にスキルを磨いていきました。

デビューシングルで「七福神」入りを果たす快挙

2012年2月、乃木坂46はファーストシングル「ぐるぐるカーテン」でデビューを果たします。このシングルで、松村さんは選抜メンバーに選ばれただけでなく、「七福神」と呼ばれる2列目のポジションに抜擢されました。

1列目には生田絵梨花さん、生駒里奈さん(センター)、星野みなみさんの3名のみ。2列目には橋本奈々未さん、白石麻衣さん、高山一実さんと並んで、松村沙友理さんが立っています。デビューシングルでこのポジションに選ばれるということは、運営側が松村さんの魅力を高く評価していた証拠と言えるでしょう。

以降も松村さんは「福神」の常連メンバーとなり、グループの中核を担う存在へと成長していきます。特に6枚目シングル「ガールズルール」では、初めてフロントポジション(1列目)に立ち、白石麻衣さんのセンターを支える重要な役割を果たしました。

学歴がもたらした多方面での活躍

松村沙友理さんは、アイドルとしての活動だけでなく、女優やファッションモデル、タレントとしても幅広く活躍しています。22歳の頃には人気ファッション誌「CanCam」の専属モデルに起用され、ドラマ「BAD BOYS J」や「初森ベマーズ」などにも出演しました。

2019年には浜辺美波さん主演の連続ドラマ「賭ケグルイ season2」で主要キャストを務め、同じ年には映画「東京ワイン会ピープル」で初主演を果たしています。また、トーク力の高さを買われてMCとしても起用されるなど、マルチな才能を発揮してきました。

こうした多方面での活躍の背景には、高校時代に培った学力と教養があると考えられます。大阪桐蔭高校のⅡ類コースで学び、大阪大学医学部を目指すほどの学力を持っていた松村さん。知性と教養を感じさせる発言や振る舞いが、アイドル以外の分野でも評価されているのです。

2021年の乃木坂46卒業とその後の活動

松村沙友理さんは2021年に乃木坂46を卒業しました。約10年間にわたるグループでの活動を終え、新たなステージへと進みました。

卒業後もファッションモデルや女優、タレントとしての活動を継続しています。2022年3月には人気YouTuberのヒカルさんとの交際が報じられ(後に破局)、大きな話題となりました。

そして2024年12月、松村さんは一般人男性との結婚と妊娠を発表。新たな人生のステージを迎えることとなりました。アイドル時代から応援してきたファンにとっては寂しい気持ちもあるでしょうが、幸せな家庭を築いてほしいという温かいメッセージが多く寄せられています。

まとめ:学歴が示す松村沙友理の努力と才能

松村沙友理さんの学歴を振り返ると、努力家で真面目な性格が一貫して見て取れます。365日学校に通った高校時代、看護師を目指して浪人した時期、そして乃木坂46で「七福神」として活躍した日々。すべての場面で、松村さんは全力で取り組んできました。

大阪桐蔭高校のⅡ類コース(偏差値63)に一般受験で合格し、大阪大学医学部を目指すほどの学力を持っていた松村さん。その知性と教養は、アイドルとしての活動だけでなく、女優やモデル、タレントとしての活躍にも活かされています。

高学歴アイドルとして注目を集めた松村沙友理さんですが、学歴はあくまで彼女の魅力の一部に過ぎません。努力を惜しまない姿勢、真面目に物事に取り組む誠実さ、そして多方面で発揮される才能。これらすべてが組み合わさって、唯一無二の「松村沙友理」という存在が形作られているのです。

乃木坂46卒業後も、その活躍の場を広げ続ける松村さん。学生時代に培った学力と努力する姿勢は、これからの人生でも大きな武器となるでしょう。結婚・出産を経て、さらに成熟した魅力を見せてくれることを、多くのファンが期待しています。

さらに2025年12月3日には自身の結婚と妊娠を発表しました。

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