竹内涼真の出身大学は立正大学!サッカー推薦で入学も怪我で断念し中退後に芸能界へ

俳優として数々の人気ドラマや映画に出演している竹内涼真さん。爽やかなルックスと高い演技力で幅広い世代から支持を集めていますが、実は大学時代にサッカー選手としての夢を諦めた挫折の経験を持っています。

この記事では、竹内涼真さんの出身大学である立正大学について、入学の経緯から中退に至るまでの詳細をお伝えします。サッカー推薦での入学、怪我による挫折、そして芸能界入りという人生の転機について、当時のエピソードを交えながら詳しく解説していきます。

  1. 竹内涼真の学歴:東京都町田市から埼玉の大学へ
        1. 小学校
        2. 中学校
        3. 高校
      1. 高校卒業後
  2. 竹内涼真の出身大学は立正大学地球環境科学部
    1. 立正大学地球環境科学部の概要と特徴
      1. 地球環境科学科とは
    2. サッカー推薦での入学経緯と当時の期待
      1. 大学からの期待の星
    3. 熊谷キャンパスへの通学と大学生活
      1. ハードな学生生活
  3. 大学でのサッカー活動と挫折の経験
    1. 立正大学サッカー部での活動内容
      1. ポジションとスケジュール
    2. 20歳で右足首の大怪我を負った転機
      1. ケガに関するコメント
    3. サッカー断念から芸能界を目指すまでの心理的変化
      1. サッカーを諦めた後
  4. 大学在学中に芸能界デビューを果たす
    1. 女性誌「mina」のオーディションでグランプリ獲得
    2. 「次男は君だ!!オーディション」で俳優デビュー
    3. 大学を2年間留年した後に中退した理由
      1. 中退の理由と仮面ライダー
  5. 立正大学出身であることを巡る騒動
    1. 「オールスター感謝祭」での発言が炎上
    2. 大学名を公表しない理由についての考察
      1. 中退という負い目
    3. 大学での経験が現在の活躍にどう影響しているか
      1. 大きな決断の先にあった成功
  6. 大学中退後の俳優としての活躍
    1. 「仮面ライダードライブ」主演が転機に
    2. NHK朝ドラ「ひよっこ」で大ブレイク
    3. 現在も第一線で活躍を続ける竹内涼真
  7. まとめ:挫折を乗り越えて俳優として成功した竹内涼真

竹内涼真の学歴:東京都町田市から埼玉の大学へ

竹内涼真さんは東京都町田市の出身で、小学校から高校まで地元周辺の学校に通っていました。

小学校

出身小学校は町田市立七国山小学校で、5歳からサッカーを始め、幼稚園の頃から神奈川県相模原市にあるヴェルディサッカースクール相模原ジュニアユースに所属していました。

中学校

中学校は町田市立山崎中学校を卒業し、この時期もヴェルディジュニアユースでキャプテンを務めるなど、サッカー漬けの毎日を送っていました。

高校

高校は東京都の日出高校(現・目黒日本大学高校)のスポーツコースに進学しています。偏差値は42程度の学校ですが、芸能コースとスポーツコースで知られる高校です。高校時代は東京ヴェルディユースのトップチームに昇格し、プロサッカー選手を目指して本格的なトレーニングを積んでいました。

高校卒業後

高校卒業後は、サッカー推薦で立正大学の地球環境科学部に進学しました。大学でもサッカー部に所属してプロを目指していましたが、20歳の時に右足首の大怪我を負ったことでサッカー選手としての道を断念しています。その後、芸能界を志して大学2年生の時にモデルオーディションでグランプリを獲得し、俳優としてのキャリアをスタートさせました。

最終的には大学を2年間留年した後に中退していますが、この大学時代の経験が現在の俳優・竹内涼真を形作る重要な時期となったのです。

竹内涼真の出身大学は立正大学地球環境科学部

竹内涼真の出身大学は立正大学!サッカー推薦で入学も怪我で断念し中退後に芸能界へ

立正大学地球環境科学部の概要と特徴

竹内涼真さんが進学したのは立正大学の地球環境科学部です。この学部は埼玉県熊谷市にある熊谷キャンパスに設置されており、1年次から4年次まで同じキャンパスで学ぶことになります。

立正大学は1872年に創立された歴史ある私立大学で、日蓮宗を母体としていますが、宗教法人の立正佼成会とは無関係です。熊谷キャンパスのほかに東京都品川区にもキャンパスがありますが、地球環境科学部の学生は全て熊谷キャンパスに通学します。

地球環境科学科とは

地球環境科学部は、人間と自然の関わりや地域性の解明、環境に関する諸現象の解明などを学問の対象としています。

地球環境の改善に取り組む人材の養成を目的とした学部で、地理学科、環境システム学科、生物・地球学科の3学科で構成されています。竹内さんが所属していたのは地理学科です。

偏差値は43程度と入学難易度はそれほど高くありませんが、環境問題や地域研究に関心のある学生が集まる専門性の高い学部です。サッカー推薦で入学した竹内さんにとっては、学業とスポーツを両立させる環境が整っていたと言えるでしょう。

サッカー推薦での入学経緯と当時の期待

竹内涼真の出身大学は立正大学!サッカー推薦で入学も怪我で断念し中退後に芸能界へ

竹内涼真さんは一般入試ではなく、サッカーによるスポーツ推薦で立正大学に入学しています。高校時代に東京ヴェルディユースに所属していた実績が評価されての推薦入学でした。

スポーツ推薦での入学は、学業成績だけでなく競技実績が重視されます。竹内さんの場合、Jリーグの下部組織であるヴェルディユースでプレーしていた経験が大きなアピールポイントになったはずです。ヴェルディユースは多くのプロサッカー選手を輩出している名門チームですから、そこに所属していたというだけで相当な実力の持ち主だと評価されます。

大学からの期待の星

大学側も優秀なサッカー選手を獲得することで、大学サッカー部の強化につながると期待していたでしょう。実際、立正大学サッカー部は関東大学サッカーリーグの2部に所属する中堅チームで、1部昇格を目指して選手を強化している時期でした。

竹内さん自身も、大学でサッカーを続けながらプロサッカー選手になるという明確な目標を持っていました。高校時代はヴェルディユースのBチーム(2軍)で公式戦にあまり出場できなかった悔しさがあったため、大学では必ずレギュラーを獲得してプロへの道を切り開こうと意気込んでいたのです。

熊谷キャンパスへの通学と大学生活

立正大学熊谷キャンパスは、JR高崎線の熊谷駅から車で10分ほどの場所にあります。竹内さんの地元である東京都町田市からは電車で2時間以上かかる距離で、通学には相当な時間を要しました。

実家の最寄り駅がJR横浜線の古淵駅だとすると、そこから八王子駅や新宿駅を経由して高崎線に乗り換え、熊谷駅からさらにバスに乗る必要があります。片道2時間30分以上かかる計算になり、往復で5時間近くを通学に費やすことになります。

ハードな学生生活

これだけの通学時間をかけながら、さらにサッカー部の練習もこなすとなると、かなりハードな生活だったはずです。実家から通っていたのか、それとも大学近くで一人暮らしをしていたのかは明らかにされていませんが、サッカー部の活動を考えると一人暮らしをしていた可能性も考えられます。

大学でのサッカー部の練習は週に数回あり、試合前にはさらに練習量が増えます。学業との両立も必要でしたから、時間のやりくりには苦労したでしょう。ただし、竹内さんは幼い頃からサッカー中心の生活を送ってきたため、忙しいスケジュールをこなすことには慣れていたはずです。

大学でのサッカー活動と挫折の経験

竹内涼真の出身大学は立正大学!サッカー推薦で入学も怪我で断念し中退後に芸能界へ

立正大学サッカー部での活動内容

竹内涼真さんは立正大学に入学後、体育会のサッカー部に所属しました。当時の立正大学サッカー部は関東大学サッカーリーグの2部に所属しており、1部昇格を目指して活動していました。

関東大学サッカーリーグは関東地方の大学サッカーの最高峰で、1部には早稲田大学や明治大学など強豪校が揃っています。2部でも競技レベルは高く、多くの選手がプロを目指してしのぎを削る環境です。立正大学サッカー部も、そうした選手たちが集まるチームの一つでした。

ポジションとスケジュール

竹内さんのポジションはディフェンス(DF)で、高校時代から守備を専門としていました。身長185センチという恵まれた体格を活かして、相手攻撃陣を止める役割を担っていたのです。

大学サッカーの練習は高校時代よりもさらにハードです。平日は授業後に練習があり、週末には試合や遠征が入ります。フィジカルトレーニングや戦術練習、個人技術の向上など、プロを目指す選手にとって必要な全ての要素を磨く日々が続きました。

竹内さんは熱心に練習に取り組み、チームメイトとも良好な関係を築いていたようです。週刊誌のインタビューで「プロを目指していました」と語っているように、この時期は本気でプロサッカー選手になることを夢見ていたのです。

20歳で右足首の大怪我を負った転機

竹内涼真さんの人生を大きく変えたのが、20歳の時に負った右足首の大怪我でした。この怪我によって、サッカー選手としての道を断念せざるを得なくなったのです。

怪我の詳細については本人が詳しく語っていませんが、練習中または試合中に負った怪我だと思われます。足首の怪我はサッカー選手にとって致命的で、特にディフェンスのポジションでは素早い動きや激しい接触プレーが求められるため、完治しても以前のようなパフォーマンスを発揮することが難しくなります。

ケガに関するコメント

竹内さんはこの怪我について、週刊文春のインタビューで次のように語っています。「プロを目指していました。今通っている大学にも、サッカー推薦で入学しています。ただ、周囲には同年代で日本代表に選ばれている仲間もいる。彼らの実力を見ていたら、自分がプロになれることはないなということを悟ったんです」

この発言からは、怪我だけでなく、周囲との実力差を痛感したことも断念の理由だったことが分かります。高校時代のヴェルディユースの同期には、後にJリーガーとなった杉本竜士選手や南秀仁選手などがいました。彼らの活躍を見る中で、自分との差を認識せざるを得なかったのでしょう。

20歳という年齢は、サッカー選手として重要な時期です。この年齢でプロへの道が見えていないと、現実的にプロになることは難しくなります。怪我という物理的な問題と、実力差という現実的な問題の両方が重なり、竹内さんはサッカーを諦める決断を下したのです。

サッカー断念から芸能界を目指すまでの心理的変化

幼い頃から打ち込んできたサッカーを諦めることは、竹内涼真さんにとって非常につらい決断だったはずです。5歳からサッカーを始め、15年以上にわたって人生の全てを捧げてきたスポーツです。それを手放すことは、自分のアイデンティティの大部分を失うことに等しかったでしょう。

しかし、竹内さんはサッカーをきっぱりと諦めました。未練を残さず、新しい道を探す決断をしたのです。この決断力こそが、後に俳優として成功する原動力になったと言えます。

サッカーを諦めた後

サッカーを諦めた後、竹内さんは自分の将来について真剣に考えるようになりました。インタビューで「普通に就職してサラリーマンになる選択肢はなかった」と語っているように、一般的な道を歩むつもりはありませんでした。

自分が本当に好きなことは何かを考えた時、竹内さんはテレビドラマや映画を見ることが好きだと気づきました。「やるからには、『好きなこと』を仕事にしたい。じゃあ、サッカー以外に自分が好きなことって何だろうと改めて考えてみたとき、テレビドラマや映画を見ることが好きだなと思って」と振り返っています。

この気づきが、芸能界を目指すきっかけになりました。サッカーという明確な目標を失った竹内さんは、新たな目標として俳優という職業を見つけたのです。挫折を経験したからこそ、自分と真剣に向き合い、本当にやりたいことを見つけられたと言えるでしょう。

大学在学中に芸能界デビューを果たす

女性誌「mina」のオーディションでグランプリ獲得

竹内涼真さんが芸能界入りのきっかけをつかんだのは、大学2年生の4月でした。知人の勧めで応募した女性誌「mina(ミーナ)」の「minaカレ」オーディションに参加し、総勢2457人の中からグランプリを獲得したのです。

このオーディションは、女性誌としては初めてのメンズモデルを選ぶ企画でした。読者投票も含めた審査の結果、竹内さんが選ばれました。185センチという高身長、整った顔立ち、そして爽やかな雰囲気が評価されたのでしょう。

竹内さん自身も、このオーディションには並々ならぬ思いで臨んでいました。「頭を切り替えて、サッカーとは違うことをやりたいなあと思っていた矢先にこの話があって、これはいいタイミングだなと。これは獲るしかない、絶対にグランプリを獲ろう。そう思って、イメージトレーニングを重ねて参加したら、総勢2457人の中から、本当にグランプリに選ばれました。うれしかったですね」と当時を振り返っています。

サッカーで培った精神力と負けず嫌いな性格が、このオーディションでも発揮されたのでしょう。グランプリ獲得という結果は、新しい道を歩み始めた竹内さんに大きな自信を与えました。

「次男は君だ!!オーディション」で俳優デビュー

女性誌のモデルとしてスタートを切った竹内涼真さんでしたが、さらに大きなチャンスが訪れます。同じ年の8月、テレビドラマ「車々家の人々」の「次男は君だ!!オーディション」でもグランプリを獲得し、俳優デビューを果たすことになったのです。

わずか4ヵ月の間に2つのオーディションでグランプリを獲得するという快挙でした。これは単なる運ではなく、竹内さんが持っていた素質と、真剣にオーディションに臨む姿勢が評価された結果です。

サッカーで鍛えた身体能力や表現力、そして何より本気で取り組む姿勢が、審査員の目に留まったのでしょう。スポーツで培った集中力や精神力は、演技の世界でも大いに役立ちます。

俳優としてのキャリアをスタートさせた竹内さんは、大学に通いながら芸能活動を行うという多忙な日々を送ることになりました。授業、サッカー部の活動(怪我後は退部した可能性が高い)、そして芸能活動という3つを両立させるのは簡単ではなかったはずです。

大学を2年間留年した後に中退した理由

芸能活動が本格化するにつれて、大学との両立は困難になっていきました。熊谷キャンパスは都心から離れており、撮影やイベントなどの仕事と授業の両立が物理的に難しかったのです。

結果として、竹内涼真さんは大学を2年間留年した後、最終的に中退することになりました。本来なら4年で卒業するところを6年間在籍し、それでも卒業には至らなかったのです。

中退の理由と仮面ライダー

中退の理由について、竹内さん自身が詳しく語ることはありませんが、芸能活動との両立が困難だったことは明らかです。撮影が長期化すれば授業に出席できませんし、試験期間と仕事が重なることもあったでしょう。

また、スポーツ推薦で入学したにもかかわらず、サッカーを断念して俳優の道に進んだことに対して、大学関係者に申し訳ないという気持ちもあったようです。一部のメディアは、この理由から竹内さんが出身大学名を公表していないと報じています。

大学中退という選択は、俳優としてのキャリアを優先した結果です。21歳の時には「仮面ライダードライブ」の主演を務めるなど、俳優としての活動が軌道に乗り始めていました。学業よりも仕事を選んだことは、ある意味で必然的な選択だったと言えるでしょう。

立正大学出身であることを巡る騒動

「オールスター感謝祭」での発言が炎上

竹内涼真さんが24歳だった2017年10月、TBSの「オールスター感謝祭」に出演した際の発言が物議を醸しました。番組内で今田耕司さんから「大学はすごいとこ出てんの?」と質問された竹内さんは、「あんまり良いとこじゃないんで、言えないです」と苦笑いを浮かべて答えました。

この発言を見た立正大学の在学生やOBから、「失礼だ」「自分の出た大学に誇りを持て」「堂々と言えよ」といった批判の声がインターネット上で相次ぎました。母校を否定するような発言に、多くの関係者が傷ついたのです。

番組には早稲田大学卒のにゃんこスターのアンゴラ村長や明治大学出身の阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子さんなど、高学歴の出演者が多数いました。そうした中での質問だったため、竹内さんとしても答えづらかったのかもしれません。

しかし、母校を「あんまり良いとこじゃない」と評する発言は、配慮に欠けていたと言わざるを得ません。立正大学は決して知名度の低い大学ではなく、歴史と伝統のある私立大学です。在学生や卒業生が誇りを持っている大学を、テレビで否定的に語ったことは軽率でした。

大学名を公表しない理由についての考察

竹内涼真さんは正式に出身大学を立正大学と明言したことはなく、インタビューなどでも「ある大学」としか答えていません。しかし、インターネット上には立正大学への在籍情報が多数あり、サッカー部の後輩が応援するツイートをしていたこともあって、事実上公然の秘密となっています。

大学名を公表しない理由については様々な憶測がありますが、一部のメディアは次のように報じています。スポーツ推薦で入学したにもかかわらず中退してしまったことから、当時勧誘してくれた大学関係者に申し訳ないという気持ちがあり、公表していないというのです。

この説明には一定の説得力があります。大学側は優秀なサッカー選手として竹内さんを受け入れました。大学サッカー部の強化と、場合によっては将来プロになった時の大学の宣伝効果も期待していたはずです。

しかし、竹内さんはサッカーを断念し、最終的には大学も中退しました。大学側の期待を裏切る形になってしまったことに対して、罪悪感を持っているのかもしれません。

中退という負い目

また、中退という経歴そのものに対する負い目もあるでしょう。俳優として成功した今となっては中退も一つの選択肢として評価されますが、当時は苦渋の決断だったはずです。

いずれにせよ、立正大学で過ごした時期は竹内涼真さんにとって人生の転機となった重要な時間でした。サッカーを諦め、新しい道を見つけ、俳優としての第一歩を踏み出した場所だからです。

大学での経験が現在の活躍にどう影響しているか

竹内涼真の出身大学は立正大学!サッカー推薦で入学も怪我で断念し中退後に芸能界へ

立正大学での経験は、一見すると挫折と中退という失敗の連続に見えるかもしれません。しかし、この経験こそが現在の竹内涼真さんを作り上げた重要な要素なのです。

サッカーでの挫折は、竹内さんに自分と向き合う機会を与えました。15年以上打ち込んできたものを手放す決断は、相当な覚悟が必要だったはずです。その過程で、自分の本当にやりたいことを見つける力を身につけました。

また、大学時代に2つのオーディションでグランプリを獲得した経験は、大きな自信につながりました。サッカーで思うような結果を出せなかった竹内さんにとって、別の分野で認められたことは何よりも嬉しかったでしょう。

大きな決断の先にあった成功

さらに、大学を中退するという選択をしたことで、俳優としてのキャリアに全力で取り組むことができました。もし大学を続けていたら、中途半端な状態が続いていた可能性もあります。決断して一つの道に集中したからこそ、今の成功があるのです。

竹内さんは俳優としてブレイクした後も、サッカー経験者であることを隠していません。バラエティ番組でリフティングを披露したり、サッカーを題材にした企画に積極的に参加したりしています。大学でサッカーを続けた経験は、俳優としての幅を広げる要素にもなっているのです。

大学中退後の俳優としての活躍

「仮面ライダードライブ」主演が転機に

大学を中退した竹内涼真さんは、21歳の時に「仮面ライダードライブ」の主演に抜擢されました。これが俳優としてのターニングポイントになったと、竹内さん自身も語っています。

仮面ライダーシリーズは、若手俳優の登竜門として知られています。多くの人気俳優がこのシリーズから巣立っており、演技力を磨く絶好の機会でもあります。1年間にわたって同じキャラクターを演じ続けることで、役者としての基礎が身につくのです。

竹内さんにとって、仮面ライダーの主演は本人の夢でもありました。子供の頃から憧れていたヒーローを演じることができたのは、大きな喜びだったでしょう。サッカーを諦めた代わりに手に入れた夢の実現でもあったのです。

この作品での演技が評価され、以降は「下町ロケット」「スミレカスミレ」「時をかける少女」などの話題作に次々と出演するようになりました。俳優としてのキャリアが着実に積み上げられていきました。

NHK朝ドラ「ひよっこ」で大ブレイク

竹内涼真さんが本格的にブレイクしたのは、24歳の時に出演したNHKの朝ドラ「ひよっこ」でした。有村架純さん演じるヒロインの恋人役を演じ、その爽やかな演技と存在感で視聴者の心をつかみました。

朝ドラは視聴率も高く、幅広い年齢層が見る番組です。この作品への出演によって、竹内さんの知名度は一気に全国区になりました。イケメン俳優としての人気も急上昇し、写真集「1mm」は単独男性の写真集としては異例の8万部を突破する売れ行きを記録しました。

2017年にはブレイク俳優のナンバーワンにも選ばれ、若手人気俳優の筆頭格としての地位を確立しました。映画「帝一の國」での演技が評価されて日本アカデミー賞新人賞も受賞するなど、演技力も高く評価されるようになりました。

現在も第一線で活躍を続ける竹内涼真

大学を中退してから約10年、竹内涼真さんは日本を代表する若手俳優の一人として活躍を続けています。ドラマ、映画、CMと幅広い分野で引っ張りだこの存在です。

俳優としてだけでなく、その歌唱力も注目されています。バラエティ番組で歌を披露する機会も多く、視聴者からは「歌が上手い」と評判です。多才な魅力が、竹内さんの人気をさらに後押ししています。

プライベートでは女優の吉谷彩子さんとの交際が報道されるなど、恋愛面でも注目を集めています。公私ともに充実した日々を送っている様子がうかがえます。

立正大学でサッカーを諦め、俳優への道を選んだ決断は、結果的に正しかったと言えるでしょう。挫折を経験したからこそ、今の成功があります。大学時代の苦しい経験が、竹内涼真という俳優を作り上げたのです。

まとめ:挫折を乗り越えて俳優として成功した竹内涼真

竹内涼真さんの大学時代は、人生の大きな転機となった時期でした。立正大学にサッカー推薦で入学し、プロサッカー選手を目指していましたが、20歳で負った怪我と実力差の現実によってその夢を断念しました。

しかし、挫折をただの失敗で終わらせず、新しい道を見つける決断力を持っていました。大学2年生の時に2つのオーディションでグランプリを獲得し、俳優としてのキャリアをスタートさせたのです。

最終的には大学を中退する選択をしましたが、それは俳優としてのキャリアを優先した結果です。中退という経歴に対する複雑な思いから出身大学名を公表していませんが、立正大学で過ごした時間は決して無駄ではありませんでした。

サッカーで培った精神力や集中力、そして挫折から立ち直る強さが、現在の俳優・竹内涼真を支えています。大学時代の経験があったからこそ、今の成功があるのです。

幼い頃からの夢だったサッカー選手にはなれませんでしたが、俳優という新しい夢を見つけ、それを実現させました。挫折を乗り越えて新しい道を切り開いた竹内涼真さんの姿は、多くの人に勇気を与えています。

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