亀梨和也の高校は都立水元高校!堀越に進学できなかった挫折から這い上がった高校時代

亀梨和也が通った高校は都立水元高校

亀梨和也さんが進学した高校は、東京都葛飾区にあった都立水元高校です。同校は普通科のみの公立高校で、偏差値は38程度とされており、入学難易度としては比較的低い水準でした。現在この学校は2006年に閉校となり、都立本所工業高校と統合されて都立葛飾総合高校として生まれ変わっています。

水元高校は金町駅が最寄り駅で、葛飾区の南水元エリアに位置していました。著名な卒業生としては、なぎら健壱さんや俳優の原田芳雄さんなどがおり、芸能分野で活躍する人材も輩出してきた歴史があります。亀梨さんが在籍していた当時は、ごく一般的な都立高校として地域に根差した教育をおこなっていました。

水元高校を選んだ理由

亀梨さんが水元高校を選んだ経緯には、実は大きな挫折体験が隠されています。本来であれば、当時のジャニーズJr.の多くが通学していた堀越高校のトレイトコース(芸能コース)に進学するつもりでした。親友の山下智久さんや生田斗真さんも堀越高校に通っており、亀梨さんも同じ道を歩むことを強く希望していたのです。

しかし運命は別の方向を示しました。ジャニーズ事務所には堀越高校トレイトコースへ進学できる推薦枠が限られており、1学年あたり3名程度しか選ばれませんでした。当時の亀梨さんはジャニーズJr.として活動していたものの、まだ目立った実績はなく、その推薦枠から漏れてしまったのです。

人生最大の挫折

この時の経験は、亀梨さんにとって人生最大の挫折の一つとなりました。後のインタビューで当時を振り返り、「電車で帰りながら、隣に母親が座っているのに悔しくて半泣きだった」と語っています。15歳の少年にとって、母親の前で自分の価値を否定されるような言葉をかけられたことは、想像以上につらい出来事だったのでしょう。

それでも亀梨さんは腐らずに前を向きました。普通の都立高校に通うことになったとしても、ジャニーズJr.としての活動を諦めるわけにはいかない。そう心に決めた亀梨さんは、猛勉強の末に水元高校の入試に合格したのです。芸能活動と並行しての受験勉強は決して楽ではなかったはずですが、この経験が後の亀梨さんの粘り強さを育てることになりました。

高校進学を巡る挫折と決意

亀梨和也の高校は都立水元高校!堀越に進学できなかった挫折から這い上がった高校時代

亀梨和也さんが高校進学で経験した挫折は、単なる学校選びの失敗ではありませんでした。それは自分の存在価値そのものを問われる出来事だったのです。母親とともにジャニーズ事務所の進学相談に訪れた亀梨さんは、担当者から衝撃的な言葉を投げかけられました。

「君はまだ掃いたらいなくなるようなジュニアだから、普通の高校に通ってください」

この発言の真意は、亀梨さんの実力不足を指摘するものでした。当時のジャニーズJr.の世界は競争が激しく、才能ある後輩たちが次々と台頭していました。亀梨さん自身も中学時代からジャニーズJr.として活動していましたが、主にKinKi Kidsなどのバックダンサーとしての仕事が中心で、まだ個人として注目される存在ではありませんでした。

それまで一緒に活動してきた同期の生田斗真さんや山下智久さんは堀越高校への進学が決まっていました。同じステージで踊り、同じ夢を追いかけてきた仲間たちと違う道を歩まなければならないことは、15歳の亀梨さんにとって受け入れがたい現実でした。

さらなる追い打ち

さらに辛かったのは、この言葉を母親の前で言われたことでした。息子の芸能活動を応援し、送り迎えをし、支え続けてきた母親。その母親の前で、事務所の人間から「君には価値がない」と言われるに等しい扱いを受けたのです。亀梨さんは後のインタビューで「一人で言われるならまだしも、親の前で言われたから」と語っており、母親に対する申し訳なさも感じていたことがうかがえます。

帰りの電車の中で、亀梨さんは涙をこらえながら座っていました。隣には母親がいます。泣くわけにはいかない。しかし悔しさが込み上げてきて、半泣き状態になっていたといいます。この時の感情が、後の亀梨さんを支える原動力になったのです。

辞めようとした

高校合格後、亀梨さんは一度ジャニーズ事務所を辞めようとしています。堀越高校に行けないのであれば、もう芸能界にいる意味がないと考えたのかもしれません。しかしジャニー喜多川社長に説得され、思いとどまりました。ジャニー社長は亀梨さんの中に秘められた可能性を見抜いていたのでしょう。

この説得がなければ、今の亀梨和也は存在しなかったかもしれません。挫折を経験し、それでも前に進むことを選んだ15歳の決断が、後のスター誕生への第一歩となったのです。都立水元高校への進学は、亀梨さんにとって屈辱の選択だったかもしれません。しかしその選択が、彼に「見返してやる」という強い意志を芽生えさせることになりました。

高校時代のKAT-TUN結成と芸能活動

水元高校に入学した2001年、亀梨和也さんにとって大きな転機が訪れます。この年、赤西仁さん、田口淳之介さん、田中聖さん、中丸雄一さん、上田竜也さんとともに「KAT-TUN」が結成されたのです。亀梨さんはグループ最年少のメンバーとして参加することになりました。

KAT-TUN結成当初は、まだデビュー前のジャニーズJr.グループという位置づけでした。主な活動は先輩アイドルのバックダンサーや、少年隊の舞台「PLAYZONE」への出演など、裏方的な仕事が中心です。しかしこの経験が、後のメンバーたちのパフォーマンス力を飛躍的に向上させることになります。

SHOW劇・SHOCKへの出演

特に亀梨さんにとって大きかったのが、堂本光一さん主演のミュージカル「SHOW劇・SHOCK」への出演でした。このミュージカルは非常にハードな内容で知られており、出演者には高い身体能力と演技力が求められます。亀梨さんは高校1年生からこの舞台に立ち続け、プロフェッショナルとしての基礎を徹底的に叩き込まれました。

小学校時代から野球で鍛えた身体能力が、ここで大いに役立ちました。激しいダンスシーンやアクションシーンでも、亀梨さんは持ち前の運動神経でこなしていきます。リトルリーグの世界大会に出場するほどの野球少年だった経験は、舞台でのパフォーマンスにも生きていたのです。

芸能活動との両立に苦戦

高校生活と芸能活動の両立は、想像以上に困難なものでした。水元高校は都立の普通科高校であり、芸能活動に対して特別な配慮があるわけではありません。授業を休めば遅れが生じますし、テスト勉強の時間も限られています。舞台の稽古は夜遅くまで続くことも多く、翌日学校に通うのは体力的にも精神的にも厳しいものがありました。

さらに亀梨さんを苦しめたのが、学校での人間関係でした。ジャニーズJr.として活動していることが知られると、一部の生徒から絡まれることもあったといいます。「アイドルだから」という理由で、特別扱いされることもあれば、逆に敵視されることもありました。芸能人であることを理由に学校生活に制約が生じることは、亀梨さんにとって大きなストレスとなっていきます。

それでも亀梨さんは歯を食いしばって通学を続けました。堀越高校に行けなかったという挫折を乗り越えるためには、水元高校で結果を出すしかない。芸能活動と学業を両立させることで、事務所の担当者に見返してやりたい。そんな思いが、亀梨さんを支えていたのです。

大きな決断を迫られる

しかし現実は厳しいものでした。KAT-TUNとしての活動が本格化するにつれて、学校を休む日数が増えていきます。授業についていくのが困難になり、友人との関係も希薄になっていきました。芸能活動を理解してくれる友人もいましたが、多くの生徒にとって亀梨さんは「いつも学校にいない人」という存在になっていったのです。

高校1年生の終わり頃、亀梨さんは大きな決断を迫られることになります。このまま中途半端に高校生活を続けるのか、それとも芸能活動に専念するために高校を辞めるのか。15歳の少年にとって、この選択は人生を左右する重大なものでした。

芸能活動と学業の両立困難による中退

亀梨和也の高校は都立水元高校!堀越に進学できなかった挫折から這い上がった高校時代

高校2年生に進級する頃、亀梨和也さんの芸能活動はさらに多忙を極めるようになりました。KAT-TUNとしての活動に加えて、個人での仕事も増えはじめていたのです。舞台「SHOW劇・SHOCK」では重要な役どころを任されるようになり、稽古時間も大幅に増加しました。

学校側も芸能活動には一定の理解を示していましたが、公立高校という性質上、特別扱いには限界がありました。出席日数が足りなければ進級できませんし、テストを受けなければ単位も取得できません。亀梨さんは仕事の合間を縫って学校に通い、授業に出席しようと努力していましたが、次第に限界を感じるようになっていきます。

学校での立場

さらに問題だったのが、学校での立場でした。芸能活動をしていることで注目される一方、それを快く思わない生徒もいました。「学校にろくに来ないくせに」といった陰口を言われることもあったといいます。亀梨さん自身も、中途半端な状態で学校に通い続けることに疑問を感じはじめていました。

そんな状況の中、ジャニーズ事務所からある提案がありました。「芸能コースのある高校に編入してはどうか」という内容です。これは亀梨さんにとって皮肉な申し出でした。高校入学時には「普通の高校に通ってください」と言われたのに、今度は芸能コースへの編入を勧められる。それだけ自分の価値が上がったということなのか、それとも単なる都合の良い提案なのか。

亀梨さんは悩みました。編入すれば学業と芸能活動の両立は楽になるかもしれません。しかし彼の中には、別の思いがありました。「この環境を学校だと思えばいい」。芸能界という厳しい世界で先輩たちから学ぶこと、それこそが自分にとっての本当の勉強なのではないか。

中退する決断

亀梨和也の高校は都立水元高校!堀越に進学できなかった挫折から這い上がった高校時代

最終的に亀梨さんは、高校を中退する決断を下しました。編入して形だけの高校生活を送るよりも、芸能活動に専念して実力をつけることを選んだのです。この決断は、高校入学時に経験した挫折があったからこそできたものでした。「掃いたらいなくなるようなジュニア」と言われた悔しさが、亀梨さんを前に進ませていたのです。

中退を決めた時、亀梨さんには確固たる覚悟がありました。中途半端な気持ちで芸能界に残るのではない。トップアイドルになって、あの時自分を否定した人たちを見返してやる。高校を辞めるということは、後戻りできない道を選ぶということです。失敗すれば学歴もなく、何も残らない。しかし亀梨さんは、その覚悟を持って前に進むことを決めたのです。

両親からも尊重された

両親も最終的には亀梨さんの決断を尊重しました。特に母親は、進学相談の時に息子が受けた屈辱を誰よりも理解していました。その母親が背中を押してくれたことは、亀梨さんにとって大きな支えとなりました。

高校中退という選択は、世間的には決して褒められたものではありません。しかし亀梨さんにとって、それは自分の人生を自分で決めるという、初めての大きな決断でした。15歳で経験した挫折から約2年、亀梨さんは再び大きな岐路に立っていました。そしてその選択が、後の大成功への道を切り開くことになるのです。

高校中退後の飛躍的成長

高校を中退した亀梨和也さんに待っていたのは、想像を超える厳しい修行の日々でした。しかしこの時期こそが、後のスターダムへの最も重要な期間となったのです。学校という枠組みから解放された亀梨さんは、芸能活動に全ての時間とエネルギーを注ぐことができるようになりました。

最も大きかったのは、先輩アイドルたちのリハーサルの代役を務める機会が増えたことです。KinKi Kids、櫻井翔さん、滝沢秀明さんといったトップアイドルたちのリハーサルに参加し、本番さながらのパフォーマンスを間近で学ぶことができました。これは通常のジャニーズJr.ではなかなか経験できない貴重な機会です。

トップアイドルとしての在り方を学ぶ

リハーサルの代役という仕事は、単なる代わりに踊るだけではありません。先輩たちの動き、立ち位置、表情、ファンへの目線の配り方まで、全てを観察し、吸収する必要があります。亀梨さんはこの経験を通じて、トップアイドルとしてのあり方を体で覚えていきました。

特に堂本光一さんの舞台「SHOW劇・SHOCK」での経験は、亀梨さんの演技力とパフォーマンス力を飛躍的に向上させました。この舞台は非常にハードな内容で知られており、出演者には高い身体能力と表現力が求められます。亀梨さんは毎年この舞台に出演し続けることで、プロフェッショナルとしての基礎を徹底的に叩き込まれていきました。

挫折の記憶をバネにした

中退後の亀梨さんを支えていたのは、高校入学時に経験した挫折の記憶でした。「掃いたらいなくなるようなジュニア」という言葉は、亀梨さんの心に深く刻まれています。この悔しさをバネに、誰よりも努力し、誰よりも成長する。そう心に決めた亀梨さんは、寝る間も惜しんで練習に励みました。

そして2005年、亀梨さんに大きなチャンスが訪れます。TBS系ドラマ「ごくせん」第2シリーズへの出演が決まったのです。このドラマは社会現象となるほどの大ヒットを記録し、亀梨さんの名前は一気に全国に知れ渡ることになりました。

「ごくせん」での亀梨さんの演技は、多くの視聴者の心を掴みました。不良少年でありながら心に優しさを持つキャラクターを、繊細かつ力強く演じきったのです。この成功は、高校中退後の厳しい修行期間があったからこそ実現したものでした。

修二と彰でデビュー

同年、親友の山下智久さんとのユニット「修二と彰」として「青春アミーゴ」をリリース。この曲はミリオンヒットとなり、紅白歌合戦にも出場しました。堀越高校で一緒に学ぶことはできなかった山下さんと、こうして音楽の世界で共演できたことは、亀梨さんにとって感慨深いものがあったでしょう。

そして2006年、ついにKAT-TUNがメジャーデビューを果たします。デビューシングル「Real Face」は大ヒットを記録し、KAT-TUNは瞬く間にトップアイドルグループの仲間入りを果たしました。デビューまでの道のりは決して平坦ではありませんでしたが、亀梨さんはその全ての困難を乗り越えてきたのです。

高校入学時に「掃いたらいなくなるようなジュニア」と言われてから約5年。亀梨さんは見事にその言葉を覆し、ジャニーズ事務所を代表するアイドルへと成長しました。この成功は、挫折を経験し、それを乗り越える強さを持っていたからこそ実現したものです。

俳優としての飛躍

その後も亀梨さんの活躍は続きます。俳優としては「妖怪人間ベム」「FINAL CUT」「ストロベリーナイト・サーガ」など数々の主演作に出演し、演技派俳優としての地位を確立しました。2010年からは「Going! Sports&News」にスポーツキャスターとして出演し、幼少期からの野球経験を活かした番組作りで好評を博しています。

2019年にはソロアーティストとして「Rain」でデビューし、オリコンウィークリーランキングで初登場1位を獲得。KAT-TUNのメンバーとしてだけでなく、ソロアーティストとしても成功を収めたのです。

まとめ:挫折を乗り越えて掴んだ成功

亀梨和也さんの高校時代は、挫折と決断の連続でした。希望していた堀越高校に進学できず、「掃いたらいなくなるようなジュニア」という衝撃的な言葉を投げかけられた15歳の春。母親の前でその言葉を聞いた悔しさは、計り知れないものがあったでしょう。

しかしその挫折が、亀梨さんを強くしました。都立水元高校に進学し、芸能活動と学業の両立に苦しみながらも、決して諦めることなく前に進み続けました。KAT-TUNのメンバーとして活動をはじめ、堂本光一さんの舞台で厳しい修行を積み重ねていく中で、亀梨さんは確実に成長していったのです。

高校中退という決断も、決して安易なものではありませんでした。学歴を捨て、芸能界一本で生きていくという覚悟は、並大抵のものではありません。しかし亀梨さんには、高校入学時の挫折があったからこそ、その覚悟を決めることができました。「見返してやる」という強い意志が、彼を支えていたのです。

中退後の厳しい修行期間を経て、亀梨さんは「ごくせん」でブレイクし、KAT-TUNのメジャーデビューを実現させました。トップアイドルとしての成功だけでなく、俳優、キャスター、ソロアーティストとして幅広く活躍する現在の姿は、あの時の挫折があったからこそ実現したものです。

2025年3月にはKAT-TUNが解散し、亀梨さんは長年所属した事務所を退所して独立の道を選びました。この決断もまた、高校時代に培った「自分の道は自分で決める」という姿勢の表れといえるでしょう。

亀梨和也さんの高校時代の物語は、挫折を経験しても諦めずに努力し続けることの大切さを教えてくれます。「掃いたらいなくなるようなジュニア」と言われた少年が、日本を代表するエンターテイナーへと成長したその道のりは、多くの人に勇気と希望を与えるものです。

これからも亀梨さんは、新たな挑戦を続けていくことでしょう。高校時代に経験した挫折と、それを乗り越えた強さは、今後の彼の人生においても大きな支えとなるはずです。独立後の新たなステージでの活躍に、大きな期待が寄せられています。

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