俳優・水上恒司さん(旧芸名:岡田健史)は、ドラマ「中学聖日記」で衝撃的なデビューを飾り、現在も第一線で活躍を続けています。そんな水上さんの俳優人生は、実は中学1年生の冬に始まっていました。芸能事務所から5年間もスカウトされ続けた中学時代。しかし当時の水上さんが夢中だったのは野球だけでした。
この記事では、水上恒司さんの出身中学校や、野球一筋だった青春時代について詳しく解説します。
水上恒司の出身中学は福岡市立和白丘中学校
やはり水上恒司くんを見ると
龍が如くの桐生一馬役をしてほしい気持ちが爆発する
学生時代の桐生一馬もお願いしたいし
龍が如く 極の桐生一馬もお願いしたい#水上恒司 くん pic.twitter.com/RmQwujRYCL— えん (@sunoofan624) January 3, 2025
水上恒司さんは、福岡県福岡市にある公立校・福岡市立和白丘中学校の出身です。この中学校は福岡市東区に位置しており、地元の和白地区を校区とする一般的な公立中学校です。水上さんの実家も福岡市内の和白地区にあり、地元の小学校から中学校へと進学しています。
福岡市和白地区で育った幼少期から中学時代
福岡市東区の和白地区は、福岡市の東部に位置する住宅地です。水上さんはこの地域で、両親と姉、妹の5人家族で育ちました。家族構成に恵まれ、両親は幼少期から色々なところに旅行に連れて行ってくれたそうです。水上さん自身も「両親は素敵な人」と語っており、反抗期もなかったというエピソードが残っています。
和白地区は福岡市内でも比較的落ち着いた住宅街で、子育て環境としても良好なエリアです。そんな環境で育った水上さんは、地元の福岡市立和白東小学校(有力)に通っていました。出身中学校の校区から考えると、小学校は福岡市立和白東小学校か福岡市立美和台小学校のいずれかとなりますが、実家が和白地区にあることから和白東小学校の可能性が高いとされています。
ヤング福岡ライナーズ中学部での硬式野球生活

中学時代の水上さんを語る上で欠かせないのが、野球への情熱です。水上さんは中学校の軟式野球部には所属せず、「ヤング福岡ライナーズ」の中学部で硬式野球を続けていました。
実は水上さんが野球を始めたのは小学2年生の時。野球経験者だった父親の影響で、8歳の頃から「ヤング福岡ライナーズ小学部」に所属して硬式野球をスタートさせています。興味深いのは、水上さんが7歳の時に一度このチームに入団したいと両親に直訴したものの、その時は却下されているという点です。
両親がこの際に却下したのは、水上さんの本気度を試すためでした。それでも粘り強く「やらせて」と頼み続けた結果、8歳でようやく入団が許可されます。この粘り強さは、後に俳優としての道を切り開く際にも発揮されることになります。
野球への情熱
ヤング福岡ライナーズは全国大会に出場するほどの強豪チームです。水上さんは小学生時代からこのチームでかなり鍛えられ、厳しい練習に耐えてレギュラーの座を獲得しました。そして小学校時代から、すでにプロ野球選手を目指していたのです。
中学時代もこの硬式野球への情熱は衰えることなく、学校の部活動ではなくヤング福岡ライナーズの中学部で野球を続けています。野球をはじめた以降は野球一筋になり、家族旅行にも行けなくなったというエピソードからも、当時の水上さんがどれほど野球に打ち込んでいたかがわかります。
中学1年の冬から始まった5年越しのスカウト物語
水上恒司くん(岡田健史)かっこよすぎるな。何度もスカウトされたの分かる #そしてバトンは渡された pic.twitter.com/xmIfnZLo4H
— (@_____riria) November 11, 2022
水上恒司さんの俳優人生は、中学1年生の冬に突然始まりました。しかし本人がそれを自覚するまでには、5年という長い歳月が必要でした。
給食袋を振り回していた少年への声かけ
中学1年生の冬のある日、下校中の水上さんに声をかける人物がいました。水上さん本人が今でも鮮明に覚えているそのシーンは、まさに運命的な出会いでした。
「中1の冬で、給食袋の袋を振り回しながら帰っているときに呼び止められて」と水上さんは振り返っています。ごく普通の中学1年生が、給食袋を振り回しながら帰宅する。そんな日常的な光景の中で、芸能事務所のスカウトマンは水上さんを見つけたのです。
声をかけられた水上さんは、名前を聞かれて正直に答えました。しかし家に帰って母親にそのことを報告すると、「名前教えるなんて」とすごく怒られてしまいます。中学生の息子が知らない人に個人情報を教えてしまったことを、母親として心配したのでしょう。水上さんは「ちょっと落ち込んでいた」そうです。
スカウトの始まり
ところが翌日、同じ場所に再びスカウトマンがいました。しかも今度は2人に増えていたのです。恐怖を感じた水上さんは道の反対側を歩こうとしますが、「こういう者ですって、改めてスカウトされました」という展開になります。
こうして芸能事務所スイートパワーによる、水上恒司さんへの5年越しのスカウト活動が始まったのです。スイートパワーは桐谷美玲さん、南沢奈央さん、黒木メイサさんなどが所属する大手芸能事務所です。
なぜスイートパワーは5年間追い続けたのか

中学1年生の冬から高校3年生の夏まで、実に5年間。芸能事務所が一人の少年をスカウトし続けるというのは、極めて異例のことです。なぜスイートパワーはそこまでして水上さんを追い続けたのでしょうか。
それは、水上さんが持つ特別な魅力を見抜いていたからに他なりません。給食袋を振り回しながら帰る中学1年生の少年の中に、スカウトマンは将来のスター性を見出したのです。単なる容姿の良さだけではなく、雰囲気や存在感、そして何か特別なものを感じ取ったのでしょう。
大手芸能事務所が5年間もかけて口説くとは、当時から相当の逸材だったことがうかがえます。後に水上さんは俳優として大ブレイクすることになりますが、スイートパワーのスカウトマンの目に狂いはなかったということです。
野球一筋で断り続けた中学時代
しかし当時の水上さんにとって、芸能界のスカウトは興味の対象ではありませんでした。水上さんは野球に取り組んでいることを理由に、スカウトを断り続けていたのです。
「その頃は野球一筋だったことから『何を言ってるんだろう』と気にも留めなかった」と水上さんは振り返っています。中学時代の水上さんにとって、人生はすべて野球でした。プロ野球選手になるという夢に向かって、毎日厳しい練習に打ち込む日々。芸能界のスカウトなど、まったく眼中になかったのです。
それでもスイートパワーは諦めませんでした。定期的に声をかけ続け、水上さんとの関係を保ち続けます。この粘り強さもまた、芸能事務所としてのプロフェッショナリズムを感じさせるエピソードです。
野球一筋だった中学時代。この時期に培われた集中力、忍耐力、そして目標に向かって努力し続ける姿勢は、後に俳優としての水上さんを支える大きな財産となります。
中学時代のモテエピソードと制服のボタン事件
長崎創成館がんばれー!
これは創成館高校野球部時代の水上恒司くんです
めちゃイケメンやろ!
他校からも女子高生が応援に来よったって納得!! pic.twitter.com/6mCg6wx5AU— ちはるバベル余韻 (@chiichanrunrun) August 11, 2024
野球に打ち込んでいた水上さんですが、中学時代からすでに女子生徒の間では相当な人気者だったようです。特に卒業式でのエピソードは、水上さんの当時の人気ぶりを物語っています。
卒業式で起きたボタン完全消失の真相
中学の卒業式では、好きな男子生徒の制服のボタンをもらうという伝統があります。水上さんの場合、卒業の際には制服のボタンがすべてなくなったというエピソードが残っています。
「すべてなくなった」というのは、ただ人気があったというレベルを超えています。通常、第二ボタンが特別視されることが多いのですが、水上さんの場合はすべてのボタンが争奪戦の対象になったということです。これは相当なモテぶりだったことがわかります。
中学時代から女子生徒にかなりモテていたという事実は、複数の証言から明らかになっています。野球一筋で恋愛どころではなかったかもしれませんが、周囲の女子生徒たちは水上さんに熱い視線を送っていたのです。
イケメン球児として注目されていた理由
イケメン過ぎる高校時代の水上恒司 pic.twitter.com/KSzUo2jb1c
— kazuya__HERO (@KazuyaHero96649) May 1, 2025
なぜ水上さんは中学時代からそこまでモテていたのでしょうか。それは容姿の良さだけではなく、野球に打ち込む真摯な姿勢や、明るく真面目な性格が魅力的だったからだと考えられます。
ヤング福岡ライナーズという強豪チームで硬式野球を続け、厳しい練習に耐えながらレギュラーを獲得していく姿。プロ野球選手という夢に向かって一生懸命に努力する姿勢。そうした真剣さが、同級生の女子生徒たちの心を掴んだのでしょう。
また水上さんは現在でも「明るく真面目で、何事にも全力で取り組む」性格として知られており、周囲への気配りも忘れない完璧な性格の持ち主です。こうした性格は中学時代からすでに形成されていたと考えられ、それが人気の理由だったのかもしれません。
中学から高校への進学決断:越境入学を選んだ理由
いとしのニーナ。3年半前に途中で止まってたのを第1話から再視聴。岡田健史時代の水上恒司さん、堀田真由さん、笠松将さん、望月歩さん、長見玲亜さん。他に遠藤健慎さん、曽田陵介さんも。ハラハラどきどきわくわく。笠松将さんが怖いけどキュート。みんな今では高校生役やらないから貴重なドラマ。 pic.twitter.com/0VCGt6Nav0
— どんぐりマミー (@gt_happytown) April 24, 2025
中学3年生になると、水上さんは高校進学という大きな決断を迫られます。野球を続けるためには、どの高校を選ぶべきか。この選択が、水上さんの人生を大きく左右することになります。
甲子園を目指して長崎の強豪校へ
水上さんが選んだのは、地元福岡ではなく長崎県諫早市にある創成館高校でした。これは越境入学、つまり県をまたいでの高校進学を意味します。福岡から長崎への進学を決めた理由、それは甲子園を目指すためでした。
創成館高校は硬式野球部が県内でも強豪として知られており、過去に甲子園出場の実績もある学校です。中学3年生の秋、長崎県営球場で創成館高校の全校応援を見た水上さんは、その素晴らしさに魅了されます。「この応援の中で野球がしたい」と強く感じたことが、越境入学を決断した最大の理由でした。
地元を離れて寮生活を送る。親元を離れて厳しい練習に打ち込む。中学3年生でそのような決断をするのは、相当な覚悟が必要です。しかし水上さんには、プロ野球選手になるという明確な目標がありました。
プロ野球選手という夢と親の支え
中学聖日記に出てた頃の水上恒司くん(改名前は岡田健史)の初々しさがすんごーーく好きだったんだけど高校球児のころのビジュなんてもう恋でしかない pic.twitter.com/pO36QS5GyD
— icchi (@K16239704) July 9, 2024
水上さんは小学校時代からプロ野球選手を目指していました。中学時代もその夢は変わらず、むしろより強固なものになっていきます。ヤング福岡ライナーズという強豪チームで実績を積み、高校では甲子園を目指す。そしてその先にプロ野球選手という目標がありました。
この夢を支えてくれたのが、両親の存在です。7歳の時に野球をやりたいと言った息子の本気度を試し、8歳で入団を許可した両親。厳しい練習に耐える息子を見守り、家族旅行を犠牲にしてでも野球を続けさせてくれた両親。そして中学卒業後、県外の高校への越境入学を許可してくれた両親。
両親の大きな支え

水上さんの野球人生は、常に親の支えがあってこそ成り立っていました。後に水上さんが芸能界入りを決断する際にも、最初は反対されながらも最終的には応援してくれたのも両親です。「俺の人生だ!」と言って説得した水上さんの粘り強さは、7歳の時に野球をやりたいと粘り強く頼んだ姿勢と重なります。
中学時代に培われた忍耐力、集中力、そして目標に向かって努力し続ける姿勢。これらすべてが、後に俳優・水上恒司として大きく花開くための土台となったのです。
まとめ
中学聖日記で初めて見た時は
繊細な美少年だったが数年後
九龍ジェネリックロマンスの
マッチョ髭アニキになるとは。
しかもかっこいい。
マッチョ髭ダンディになった水上恒司さんを見た夫は「水上恒司マジカッケェ」て言ってて。役の幅広いなーって思った。
(多分役作りすれば左もまた出来る筈) pic.twitter.com/7oVSVk1ZIG— いぬぴよ推活用 (@zara2093hm) August 29, 2025
水上恒司さんの出身中学校は、福岡県福岡市にある公立校・福岡市立和白丘中学校です。中学時代の水上さんは野球一筋で、ヤング福岡ライナーズの中学部で硬式野球に打ち込んでいました。
中学1年生の冬、給食袋を振り回しながら帰宅していた水上さんに、芸能事務所スイートパワーのスカウトマンが声をかけます。しかし当時の水上さんは野球に夢中で、芸能界には一切興味がありませんでした。それでもスイートパワーは5年間、水上さんをスカウトし続けることになります。
中学時代から女子生徒に大変モテており、卒業式では制服のボタンがすべてなくなるという伝説も残しています。真面目で明るく、何事にも全力で取り組む性格は、この頃からすでに形成されていました。
そして中学卒業後は、甲子園を目指して長崎県の創成館高校へ越境入学。プロ野球選手という夢に向かって突き進んでいきます。しかし高校3年生の夏、演劇部での経験が水上さんの人生を大きく変えることになるのです。
野球一筋だった中学時代。この時期に培われた忍耐力と集中力、そして粘り強さは、俳優・水上恒司の大きな財産となっています。5年越しのスカウトを実らせた水上さんの今後の活躍に、ますます期待が高まります。


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