宮世琉弥の出身高校は堀越高校!高校時代のエピソードと卒業後の活躍を徹底解説

俳優として急速に人気を集めている宮世琉弥さん。ドラマ「青のSP」や映画「恋わずらいのエリー」などへの出演で注目を浴びていますが、彼の高校時代はどのようなものだったのでしょうか。

宮世さんは芸能活動と学業を両立するため、多くの芸能人が通う堀越高校に進学しました。この記事では、宮世さんの出身高校である堀越高校の詳細や、高校時代のエピソード、そして卒業後の目覚ましい活躍について詳しくご紹介します。

宮世琉弥さんのプロフィールと基本情報

宮世琉弥さんは2004年1月22日生まれ、宮城県石巻市出身の俳優です。本名は亀井琉弥(かめい りゅうび)といい、身長176cm、血液型はAB型です。

「琉弥(りゅうび)」という名前は、父親が三国志ファンであったことから、主人公の一人である劉備玄徳にちなんで付けられました。家族構成は両親と3人の妹がおり、6人家族で育ちました。妹の一人は、アイドルグループ「いぎなり東北産」のメンバーである伊達花彩さんです。

小学5年生のときにショッピングモールでスカウトされ、スターダストプロモーション仙台営業所に所属。若手男性俳優集団「EBiDAN SENDAI」の研究生として活動をスタートしました。2018年にはボーカルダンスユニット「M!LK」に新メンバーとして加入し、アイドルとしても活動していました。

宮世琉弥さんの出身高校は堀越高校トレイトコース

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堀越高校トレイトコースの特徴と偏差値

宮世琉弥さんが進学したのは、東京都中野区にある堀越高校のトレイトコースです。偏差値は37〜38程度とされており、学力面での入学難易度は高くありません。

トレイトコースは、かつて「芸能活動コース」と呼ばれていたコースで、芸能活動やスポーツなどで活躍しながら高校生活を送りたい生徒を対象としています。

芸能活動コースの特徴は?

最大の特徴は、外部活動で出席日数が不足した場合でも、進級や卒業に向けてサポートする制度が整っている点です。芸能活動で多忙な生徒でも、学業との両立がしやすいカリキュラムが組まれています。

また、堀越高校のトレイトコースは礼儀作法や身だしなみの指導を特に重視しており、芸能界で活躍する際に必要なマナーや立ち居振る舞いを学べる環境が整っています。稲垣吾郎さん(元SMAP)、岡田准一さん(V6)、綾瀬はるかさん、安達祐実さんなど、多くの著名な芸能人がこのコースの卒業生です。

宮世琉弥さんが堀越高校を選んだ理由

宮世琉弥の出身高校は堀越高校!高校時代のエピソードと卒業後の活躍を徹底解説

宮世さんが堀越高校のトレイトコースを選んだ背景には、芸能活動をより本格的に展開したいという思いがありました。中学3年生で「M!LK」に加入していた宮世さんは、高校進学のタイミングで宮城県から上京しています。

中学時代は仕事のため学校にあまり行けず、卒業式でも練習に参加していなかったため恥ずかしい思いをしたというエピソードがあります。このような経験から、芸能活動と学業を無理なく両立できる環境を求めて堀越高校を選んだと考えられます。

話題作へ出演

実際、高校時代の宮世さんは「青のSP」や「ナイト・ドクター」といった話題作に次々と出演しており、トレイトコースの柔軟な出席制度が活動の幅を広げる助けとなったことは間違いありません。

高校入学までの経緯と芸能界への道

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小学校時代の東日本大震災と奇跡の生還

宮世さんの人生を大きく変えた出来事が、小学1年生のときに経験した東日本大震災です。当時、母親と一緒にいたときに地震が発生し、自宅に帰ろうとした際に津波に巻き込まれました。

母親と乗っていた車ごと津波に流されましたが、数百メートル流された後、車が山の斜面に引っかかったことで奇跡的に助かりました。急いで車から脱出し、斜面を必死によじ登って避難したといいます。この震災で宮世さんの自宅は全壊し、跡形もなくなってしまいました。

この壮絶な経験が、宮世さんが俳優を目指すきっかけとなりました。インタビューでは「ギリギリの状況を経験した自分だからこそ、東日本大震災の被災者としてたくさんのことをお芝居を通して伝えられる役者さんになりたい」と語っています。人に感動を与えられる人になりたいという思いは、この震災体験から生まれたものでした。

スカウトをきっかけに芸能界デビュー

震災後、復興祭でももいろクローバーZのライブを観た宮世さんは、ステージで輝く百田夏菜子さんの姿に強く感動しました。この経験が、芸能界への興味をさらに強めたといいます。

その後、小学5年生のときにショッピングモールを歩いていたところ、偶然スカウトされました。妹と一緒にいたときのことで、これが芸能界入りのきっかけとなりました。スターダストプロモーション仙台営業所に所属し、「EBiDAN SENDAI」の研究生として活動を開始しましたが、小学校時代は主にレッスンが中心で、目立った芸能活動はしていませんでした。

中学時代のM!LK加入と上京

中学時代に入ると、宮世さんの芸能活動は本格化していきます。東松島市立矢本第一中学校に通いながら、中学2年生のころから上京して芸能活動をするようになりました。

そして中学3年生の2018年8月、ボーカルダンスユニット「M!LK」に新メンバーとして加入します。これにより、アイドルとしての活動がスタートしました。しかし、仕事が増えたことで学校にはあまり行けなくなり、卒業式では歌のタイミングやお辞儀のタイミングがわからず、一人だけ違う動きをしてしまったというエピソードがあります。それでも後輩からは「一緒に写真を撮ってください」と声をかけられるなど、学校内でも人気がありました。

高校時代の芸能活動と学校生活

M!LKでの活動と俳優業専念への転換

高校入学後も「M!LK」のメンバーとして活動を続けていた宮世さんですが、高校1年生の2020年1月、俳優業に専念するため板垣瑞生さんとともにグループを脱退しました。

この決断は、宮世さんにとって大きな転機となりました。アイドル活動も楽しかったものの、震災の経験を通じて培った「お芝居で人に何かを伝えたい」という思いを実現するため、俳優の道を選んだのです。グループ脱退後は俳優業が中心となり、テレビドラマや映画への出演が増えていきました。

脱退の発表時、ファンからは惜しむ声も多くありましたが、宮世さんは自身の夢に向かって進む決意を固めていました。この選択が、現在の活躍につながっていることは言うまでもありません。

高校生活と得意教科・苦手教科

多忙な芸能活動の合間にも、宮世さんは高校生活を楽しんでいました。高校1年生のときのインタビューでは、得意教科として世界史、現代社会、数学を挙げています。

世界史については「歴史上のいろんな人物が知れるし、この人はこのとき何を考えていたんだろうって想像するのが好き」と語っており、人物の心情を読み解く楽しさを感じていたようです。これは俳優として役を演じる際にも役立つ視点でしょう。数学については「問題を解いているときが楽しくて好き」と話しており、論理的思考を楽しむ一面も見せています。

一方で、苦手教科は国語だったといいます。比喩表現などの意味が分からないと語っていましたが、読書自体は好きだったそうです。カメラが趣味で、将来的には「宮城の震災についての映画を作るために監督になる」という夢も持っており、少しずつカメラに触れ始めていました。

高校時代に出演した主な作品

宮世琉弥の出身高校は堀越高校!高校時代のエピソードと卒業後の活躍を徹底解説

高校時代の宮世さんは、次々と話題作に出演し、俳優としての実績を積み上げていきました。

2021年に放送されたドラマ「青のSP―学校内警察・嶋田隆平―」では、高校の生徒役として出演。学園ドラマへの出演は宮世さんにとって念願だったようで、「すごくやりたかった学園もののドラマに高校生の間に出演できることがうれしかった」と語っています。同じ年には「ナイト・ドクター」にもレギュラー出演し、医療ドラマでの演技も披露しました。

高校3年生のときには「もしも、イケメンだけの高校があったら」にも出演するなど、在学中から着実にキャリアを築いていきました。ファッションモデルとしても活動しており、「東京ガールズコレクション」などのランウェイにも登場しています。

高校卒業後の進路とキャリアの飛躍

大学進学せず俳優業に専念した理由

2022年3月、宮世さんは堀越高校を卒業しました。卒業後の進路として大学進学という選択肢もありましたが、宮世さんは芸能活動に専念する道を選びました。

高校卒業直後の2022年4月、初のカレンダー発売記念イベントに出演した際、俳優一本でやっていくことを明言しています。大学に進学せず俳優業に専念することで、活動の幅を広げ、より多くの作品に挑戦できる環境を整えたのです。

この決断は、震災を経験し、人生の早い段階で「何を成し遂げたいか」を明確にしていた宮世さんらしい選択でした。実際、高校卒業後の活躍を見れば、この判断が正しかったことがわかります。

俳優としてのブレイクと代表作

高校卒業後、宮世さんの俳優としてのキャリアは一気に加速しました。2024年には連続ドラマ「スノードロップの初恋」で連続ドラマ初主演を果たし、同じ年に公開された映画「恋わずらいのエリー」でも映画初主演を務めました。

「恋わずらいのエリー」は、少女漫画を原作とした青春ラブストーリーで、宮世さんの繊細な演技が高く評価されました。高校時代から培ってきた演技力が結実した作品といえるでしょう。

2025年には「問題物件」に出演し、さらに4月からは「くるり誰が私と恋をした?」や映画「パリピ孔明 THE MOVIE」への出演が予定されています。ドラマ、映画ともに引っ張りだこの状態が続いており、若手俳優の中でも特に注目される存在となっています。

シンガーソングライター活動の開始

俳優業だけでなく、宮世さんは音楽活動にも本格的に取り組んでいます。2024年2月、「Ryubi Miyase」名義でソニー・ミュージックレコーズからデジタルシングル「Ms.Playlist」をリリースし、シンガーソングライターとしてメジャーデビューを果たしました。

この楽曲は洗練されたサウンドとおしゃれな雰囲気で話題を呼び、同年4月にはファーストアルバム「PLAYLIST」(全11曲)を発売。12月にはニューシングル「白く染まる前に」をリリースするなど、精力的に音楽活動を展開しています。

M!LK時代にはダンス&ボーカルグループの一員として歌っていた宮世さんですが、現在はシンガーソングライターとして自ら作詞作曲も手がけています。俳優業と音楽活動を両立させる姿は、多才な表現者としての新たな一面を見せています。

まとめ:高校時代が築いた宮世琉弥さんの現在

宮世琉弥さんの高校時代は、俳優としての基礎を固める重要な時期でした。堀越高校のトレイトコースで芸能活動と学業を両立しながら、M!LKからの脱退という大きな決断を経て、俳優の道を本格的に歩み始めました。

東日本大震災という壮絶な経験から芽生えた「人に感動を与えたい」という思いは、高校時代を通じてより強固なものとなり、現在の活躍へとつながっています。高校卒業後は大学に進学せず俳優業に専念し、わずか数年で主演作品を次々と手がけるまでに成長しました。

さらにシンガーソングライターとしての活動も開始し、表現の幅を広げ続けています。堀越高校での3年間は、宮世さんが多方面で才能を発揮するための土台を築いた、かけがえのない期間だったといえるでしょう。今後のさらなる活躍から目が離せません。

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