ヒカキン(HIKAKIN)は大学に進学していない!高校卒業後の選択とYouTuber成功までの軌跡

日本を代表するYouTuberとして活躍するヒカキン(HIKAKIN)さん。年収10億円とも言われる彼の華々しい活躍を見て、「ヒカキンはどこの大学出身なんだろう?」と気になった方も多いのではないでしょうか。

結論から言うと、ヒカキンさんは大学に進学していません。高校卒業後は東京のスーパーマーケットに就職し、そこから独学でYouTuberとして成功を収めました。この記事では、ヒカキンさんの学歴の全体像から、大学に進学しなかった理由、そしてYouTuberとして成功するまでの道のりを詳しく解説します。

ヒカキンの学歴の全体像:大学進学ではなく就職を選んだ理由

ヒカキン(HIKAKIN)は大学に進学していない!高校卒業後の選択とYouTuber成功までの軌跡

ヒカキンさんの最終学歴は高校卒業です。新潟県立新井高等学校を2008年3月に卒業後、大学や専門学校には進学せず、上京して都内のスーパーマーケットに就職しました。

当時のヒカキンさんが大学進学を選ばなかった背景には、経済的な事情と、すでに始めていたYouTube活動への関心がありました。高校時代から動画投稿を始めていたヒカキンさんは、ビートボックスの動画を投稿し続けており、「いつかこれで何かできるかもしれない」という漠然とした期待を抱いていたと語っています。

正解の結果になる

ただし、当時はYouTuberという職業が確立されていない時代です。ヒカキンさん自身も「動画投稿で生活できるとは思っていなかった」と振り返っています。そのため、まずは安定した収入を得るためにスーパーへの就職を選択したのです。

この選択は結果的に正解でした。スーパーで働きながら動画投稿を続けることで、生活の基盤を確保しつつ、YouTuberとしてのスキルを磨くことができたからです。もし大学に進学していたら、学費や生活費の負担から動画制作に集中できなかった可能性もあります。

ヒカキンが通った小学校から高校までの学歴詳細

ヒカキン(HIKAKIN)は大学に進学していない!高校卒業後の選択とYouTuber成功までの軌跡

妙高高原町立妙高高原南小学校での原体験・スキージャンプとの出会い

ヒカキンさんは新潟県妙高高原町(現・妙高市)出身です。小学校は地元の妙高高原町立妙高高原南小学校(現・妙高市立妙高高原南小学校)に通いました。

妙高高原は日本有数の豪雪地帯として知られ、スキーが盛んな地域です。ヒカキンさんも小学3年生の頃からスキージャンプを始めました。本人は当時の自分を「教室のすみっこにいるちょっと変わった少年だった」と振り返っています。

小学6年生の時には、スキージャンプで転倒して肩の骨を折る大けがを負いましたが、それでもスキーへの情熱は衰えませんでした。この時期に培った「諦めない心」と「ストイックな姿勢」が、後のYouTuber活動での粘り強さにつながっていきます。

妙高高原町立妙高高原中学校時代・オリンピックを本気で目指した青春

中学校は妙高高原町立妙高高原中学校(現・妙高市立妙高高原中学校)に進学しました。中学時代もスキー部に所属し、本格的にオリンピック出場を目指してトレーニングに打ち込みます。

ヒカキンさんは当時のことを「青春はなかった」と表現するほど、スキー競技に没頭していました。過酷なトレーニングを続け、全国大会で8位という成績も残しています。「今でも切羽詰まった時は、トレーニングしている映像が夢に出てくる」と語るほど、厳しい練習の日々だったそうです。

一方で、中学2年生の頃からビートボックスも始めました。スキーとビートボックス、この2つがヒカキンさんの人生を大きく変えることになります。「HIKAKIN(ヒカキン)」という名前も、中学時代に掲示板にビートボックスの投稿をした際に使い始め、徐々に定着していきました。

新潟県立新井高等学校時代・YouTubeチャンネル開設と高校生活の両立

高校は新潟県立新井高等学校に進学しました。この学校は偏差値51の県立校で、自由な校風で知られています。兄のSEIKINさんも2学年上に在籍していました。

高校でもスキー部に所属し、ノルディックスキーの複合競技(ジャンプと距離の組み合わせ)に取り組みました。「高校の思い出はスキー以外、ほぼない」と語るほど、部活動に打ち込んでいたそうです。

一方で、中学・高校時代はビートボックスにも熱中していました。「ビートボックスは大好きで、中高のころは毎日、サルみたいに練習してました。少しずつうまくなってくのが、ただただ楽しいんですよ」と当時を振り返っています。最初は家族もうるさいと思っていたそうですが、途中からあきらめて何も言わなくなったとのことです。

高2でYouTubeチャンネル開設

そして高校2年生だった2006年、YouTubeチャンネル「HIKAKIN」を開設しました。当初はビートボックスの動画を見るだけでしたが、「自分でも投稿できないか」と思い立ち、本を買って研究したそうです。当時のYouTubeは全て英語で、アカウントの作り方から動画の投稿方法まで、日本語で解説してくれる本を読んで勉強しました。

高校3年生で部活を引退してから、本格的にYouTubeへのビートボックス動画投稿を開始します。この時点では、まだYouTuberとして生計を立てることは考えていませんでしたが、将来への種まきは確実に始まっていました。

学業については、数学や英語は非常に苦手で、国語と社会と音楽が好きだったと語っています。兄のSEIKINさんのほうが勉強は得意だったそうです。

高校卒業後の選択:スーパーマーケットでの下積み時代

2008年3月に新井高校を卒業したヒカキンさんは、大学には進学せず、上京して都内の小さなスーパーマーケットに就職しました。食品部門に配属され、早朝から品出しや倉庫整理をする日々が始まります。

田舎育ちのヒカキンさんにとって、慣れない満員電車での通勤と力仕事は大変でした。「店がオープンする9時にはもうクタクタ、ということもありました」と当時を振り返っています。

極貧生活

さらに、経済的にも非常に厳しい状況でした。銀行の預金口座も持たず、貯金はゼロ。実家でもらった2万円を握りしめて寮に入り、会社から給料が振り込まれるのを待ったそうです。研修が終わって手当をもらえるまでの約2週間、お金を減らすのが怖くて、値引きシールのついた食パンを買い、実家から持ってきたココアの粉をかけて食べてしのいでいたと語っています。

それでも、ヒカキンさんはビートボックスの動画投稿を続けました。仕事を終えて帰宅し、夜はビートボックスの練習と動画作り。社員寮の壁が薄く、隣の住人のくしゃみが聞こえるほど音が筒抜けだったため、迷惑にならないよう小さなユニットバスに入って、窮屈な姿勢で動画を撮影していたそうです。

この時期のヒカキンさんの生活は、「めちゃくちゃストイック」だったと本人も振り返っています。朝から晩まで働き、限られた時間で動画を作り続ける。この継続力が、後の成功につながっていきます。

YouTuberとして成功するまでの道のり:2010年の転機

ヒカキンさんの人生が大きく変わったのは、21歳だった2010年のことです。投稿した動画が大量のアクセスを集め、YouTubeの世界ベストパートナー500人に選出されました。

この頃から、YouTubeからの収入が徐々に増え始めます。そして翌2011年、ついにYouTubeの収入がスーパーでの給料を超えました。ヒカキンさんはスーパーを退職し、本格的にYouTuberとしての活動を開始する決断をします。

自身の可能性に賭けた

当時はまだYouTuberという職業が一般的ではなく、周囲からは不安視する声もあったでしょう。しかし、ヒカキンさんは自分の可能性を信じて、YouTuber専業という道を選びました。この判断力と決断力が、彼の成功を支える重要な要素となります。

以降の活躍は目覚ましいものでした。現在では複数のYouTubeチャンネルを運営し、総登録者数は1000万人を超えています。さらに、2015年からは兄のSEIKINさんと音楽ユニットを組んでミュージシャンとしても活動を開始。タレントとしても数々のバラエティ番組に出演しています。

学歴よりも重要だったもの:ヒカキン成功の3つの要素

ヒカキンさんの成功は、大学卒業という学歴によるものではありません。それよりも重要だったのは、以下の3つの要素です。

圧倒的な継続力・10年以上の動画投稿

ヒカキンさんが最も強調するのは「継続力」です。高校2年生の2006年にチャンネルを開設してから、本格的に成功するまでの約5年間、ほぼ毎日のように動画を投稿し続けました。

スーパーで働きながら、限られた時間で動画を作る。壁の薄い寮のユニットバスで撮影する。そんな厳しい環境でも、ヒカキンさんは投稿をやめませんでした。この継続力は、中学・高校時代にスキージャンプで培った粘り強さが基盤になっています。

「10年以上にわたり動画を投稿していますが、その忍耐力はスキージャンプで養った」とヒカキンさん自身も語っています。オリンピックを目指して過酷なトレーニングに耐えた経験が、YouTuber活動での継続力につながったのです。

独学で磨いたスキル・ビートボックスと動画編集

ヒカキンさんのもう一つの強みは、独学で身につけたスキルです。ビートボックスも動画編集も、誰かに教わったわけではなく、自分で研究して習得しました。

中学・高校時代は毎日のようにビートボックスを練習し、YouTubeで海外のビートボクサーの動画を見て技術を学びました。動画投稿についても、英語のYouTubeを日本語の本で研究し、アカウント作成から投稿方法まで自力で習得しています。

このような「自分で学ぶ力」は、大学で学ぶこととはまた違った価値があります。YouTuberという新しい職業において、教科書も先生もいない中で、自ら試行錯誤しながらスキルを磨いていく力こそが重要だったのです。

的確な判断力・スーパー退職のタイミング

ヒカキンさんの成功には、的確な判断力も大きく貢献しています。YouTubeの収入が給料を超えたタイミングで、スーパーを退職してYouTuber専業になる決断をしました。

この判断は、リスクを伴うものでした。YouTuberの収入は安定していませんし、将来どうなるかもわからない。それでも、自分の可能性を信じて踏み出す勇気が、成功への道を開いたのです。

逆に、もし「安定した給料があるから」とスーパーで働き続けていたら、YouTuberとしての成功はなかったかもしれません。適切なタイミングで決断する力も、学歴では測れない重要な能力です。

ヒカキンの社会貢献活動:成功者としての責任

ヒカキンさんは、YouTuberとして成功した後も、社会活動に熱心に取り組んでいます。たびたび募金や寄付をおこなったり、災害地区や難病の子供たちを支援する運動も展開しています。

コロナ禍での寄付

特に注目されたのは、2020年のコロナ禍における1億円の寄付です。医療従事者への支援として1億円を寄付し、大きな話題となりました。テレビ番組「徹子の部屋」に出演した際には、黒柳徹子さんからこの活動を称賛されています。

このような社会貢献活動は、単に「お金持ちだから」できるものではありません。ヒカキンさんの根底には、「自分が成功できたのは多くの人の支えがあったから」という感謝の気持ちがあります。大学に行かなかった彼が、学歴以上に大切なものを体現しているといえるでしょう。

まとめ:学歴よりも大切なのは継続力と挑戦する勇気

ヒカキンさんは大学に進学していませんが、YouTuberとして大成功を収めました。その成功の要因は、学歴ではなく、以下の要素にあります。

10年以上にわたる継続力は、中学・高校時代にスキージャンプで培った粘り強さが基盤になっています。独学で磨いたビートボックスと動画編集のスキルは、誰にも教わらず自分で研究して習得したものです。そして、YouTubeの収入が給料を超えたタイミングでスーパーを退職し、YouTuber専業になる判断力が、成功への道を開きました。

もちろん、大学進学が無意味だというわけではありません。しかし、ヒカキンさんの例が示すのは、「学歴がすべてではない」ということです。自分の得意なことを見つけ、それを磨き続ける努力と、適切なタイミングで挑戦する勇気があれば、学歴に関係なく成功できる可能性があるのです。

ヒカキンさんは現在、複数のYouTubeチャンネルを運営し、タレント、実業家としてもマルチに活動しています。大学に行かなかった彼の選択は、決して間違っていませんでした。それどころか、自分の道を信じて突き進んだ結果、誰もが認める成功者となったのです。

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