広末涼子の学歴を徹底解説!早稲田大学AO入試問題と中退の真相、文武両道だった学生時代

女優・広末涼子さんは、1990年代後半から2000年代初頭にかけて絶大な人気を誇った国民的女優です。しかしその華やかなキャリアの裏には、早稲田大学のAO入試問題や大学中退、そして「プッツン女優」と呼ばれた時期など、数々の波乱がありました。

この記事では、広末涼子さんの学歴を詳しく解説するとともに、文武両道で知られた学生時代のエピソードもご紹介します。

広末涼子の学歴

広末涼子さんの学歴を整理すると次の通りになります。

  • 小学校:高知市立大手前小学校(現・高知市立はりまや橋小学校)
  • 中学校:高知市立城北中学校を卒業しています。
  • 高校:東京都の私立・品川女子学院高等部(偏差値61)を卒業
  • 大学:早稲田大学教育学部国語国文学科(偏差値65)に自己推薦(AO入試)で進学しましたが、2003年10月に中退しています。

成績優秀で運動神経抜群

学生時代の広末さんは、運動神経が非常に良く勉強もできる、まさに文武両道を地で行くタイプの生徒でした。中学時代には陸上部で走り高跳びとハードルで県大会2位、四国大会2位という輝かしい成績を残しています。その一方で成績優秀で、クラスで1位を取ったこともあるほどでした。

しかし高校進学を機に上京してから芸能活動が本格化し、学業との両立は徐々に困難になっていきます。そして早稲田大学時代には、AO入試での入学を巡る問題や、ほとんど登校できない状況、そして最終的な中退という結末を迎えました。

広末涼子の出身小学校と芸能界への憧れ

広末涼子さんは、高知県高知市の出身です。小学校は地元の公立校である高知市立大手前小学校(現・高知市立はりまや橋小学校)に通っていました。この学校は2013年に高知市立新堀小学校と統合され、現在の校名になっています。

雑貨店を経営する実家と活発だった幼少期

広末さんの実家は、高知市内で「mamaikuko(ママイクコ)」というインテリア雑貨店を経営しています。家族構成は両親と3歳年下の妹の4人家族で、地元ではかなりの名士として知られているそうです。妹さんは一時期東京で保育士をしていましたが、現在は結婚して地元高知に住んでいるとのことです。

幼少期の広末さんは気が強く、妹とよくケンカをしたそうです。また子供の頃から運動神経が良く、スポーツは全般的に得意でした。小学校時代にはバスケットボールクラブに所属し、男子のバスケットボールチームにも助っ人として参加するほどの実力でした。

当時はショートカットで活発だったため、よく男の子と間違えられていたそうです。広末さん自身も後に「ずっとスポーツしかやっていませんでした。ずっと男の子に間違えられていて、『女優になるなら広末は吉本』と言われるようなキャラクターでした」と振り返っています。

小学生時代から芽生えた女優への夢

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一方で、広末さんは小学生時代から大のテレビっ子でもありました。数々のテレビ番組を見ており、特にテレビドラマが大好きでした。高知県で放送されていないテレビドラマを、首都圏に住む親戚にビデオ録画して送ってもらっていたというエピソードも残っています。

こうしたドラマへの情熱から、広末さんは小学校時代から芸能界に憧れるようになります。卒業文集には「将来の夢は女優」と書いているほどでした。この夢は後に現実のものとなり、広末さんは国民的女優への道を歩んでいくことになります。

広末涼子の出身中学校:陸上競技で四国2位の実力者

小学校を卒業した広末さんは、地元高知市内の公立校である高知市立城北中学校に進学します。この中学校には、後に阪神タイガースのエースとして活躍する藤川球児選手も同級生として在籍していました。実家も自転車で10分ほどの距離にあったそうです。

県大会2位、四国大会2位の陸上選手

中学時代の広末さんは、陸上部に所属して走り高跳びとハードルの選手として活躍しました。その実力は相当なもので、中学3年生の時には走り高跳びとハードルで県大会2位の成績を残しています。

走り高跳び

特に走り高跳びでは四国大会に進出し、そこでも2位という素晴らしい成績を収めました。四国4県から選ばれた選手が集まる大会で2位になるということは、広末さんが四国を代表する陸上選手だったことを意味します。

さらに驚くべきことに、広末さんはマラソンも得意で、校内のマラソン大会では3年連続で1位を獲得していました。駅伝大会の際には駅伝部に召集されるほどの実力で、持久力と瞬発力の両方を兼ね備えた万能アスリートだったのです。

勉強もできる文武両道の生徒

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運動能力が高かっただけでなく、広末さんは勉強も得意でした。クラスで1位を取ったこともあるなど、成績優秀な生徒だったのです。スポーツに打ち込みながら、学業でもトップクラスの成績を維持する。まさに文武両道を体現していました。

こうした能力の高さは、後に芸能活動と学業を両立させようとする際の基盤となります。しかし皮肉なことに、その両立の難しさが、広末さんを後に苦しめることにもなるのです。

中学2年生で芸能界入り

中学2年生だった1994年、広末さんの人生を変える出来事が起こります。クレアラシルの「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞し、芸能界入りを果たしたのです。

広末さんがこのオーディションに応募したのは、募集要項の「普通っぽくて元気で明るい子」という言葉が自分にピッタリだと思ったからでした。ただし当時は緊張するとお腹が痛くなることが多く、オーディションのため高知から東京に向かう途中はずっと腹痛だったそうです。

ポケベルCM

そして同じ年に出演したNTTドコモのポケベルのCMで、広末さんは一躍ブレイクします。このCMは当時の若者文化を象徴するものとなり、広末さんは一夜にして全国的な知名度を獲得しました。

中学時代の広末さんは、仕事のたびに週末に地元高知市から上京する生活を送っていました。そのためテレビドラマなどの仕事はあまり多くなく、CMや雑誌の仕事が中心でした。陸上部での活動、勉強、そして週末の芸能活動。多忙な中学生活を送りながらも、広末さんは3つの領域すべてで結果を出し続けていたのです。

広末涼子の出身高校は品川女子学院:超多忙だった3年間

中学卒業後、広末さんは芸能活動をより本格化させるため、地元高知から上京する決断をします。進学先に選んだのは、東京都の私立・品川女子学院高等部(偏差値61)でした。

学業優先を条件に芸能活動を認める校風

品川女子学院高等部は1926年開校の私立高校で、古くから「お嬢様学校」として知られています。この学校が芸能人の在籍校として選ばれる理由は、学業を優先することを条件に芸能活動を認めていたからです。そのため古くから女性芸能人が在籍していることで知られていました。

広末さんが在籍した当時は高校からの募集がありましたが、現在は完全中高一貫校に移行しており、高校からの入学はできなくなっています。広末さんの入学時の偏差値は61程度で、やや難関校に分類される学校でした。

高校時代の広末さんは、横浜市内の叔母夫婦の家から通学していました。親元を離れての高校生活は、15歳の少女にとって大きな環境変化だったはずです。

高校3年間で12本のドラマ出演

高校進学後、広末さんの芸能活動は一気に加速します。なんと高校3年間で12本ものテレビドラマに出演しているのです。これは単純計算で3〜4ヶ月に1本のペースです。

特に1997年に出演したドラマ「ビーチボーイズ」では、第14回ザテレビジョンドラマアカデミー賞の助演女優賞を受賞しました。また高校1年生の時には、木村拓哉さんと山口智子さんが主演した大ヒットドラマ「ロングバケーション」にも出演しています。

このドラマは最高視聴率36.7%を記録し、「ロンバケ現象」なる社会現象を巻き起こしました。脇役で出演していた広末さんや竹野内豊さん、松たか子さん、稲森いずみさんらも、後に主役級の俳優になっていきます。

写真集の発売

さらに高校1年生の時に発売した初写真集「H」と「R」は、累計46万8000部を売り上げるベストセラーとなりました。高校2年生だった2000年には、竹内まりやさんプロデュースの「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューし、60万枚のヒットを記録しています(オリコン2位)。

学業との両立と東大生家庭教師

これだけ多忙な芸能活動をこなしながら、広末さんは学業との両立も図っていました。ただし当時は非常に多忙でたびたび学校を休むこともあったため、東大生の家庭教師を雇って勉強を頑張っていたそうです。

仕事のない日は、放課後に同級生たちとカラオケや食べ放題などにも行っていました。そのため担任に「寄り道が多い」と叱られたこともあったそうです。また高校時代は可能な限り、文化祭や体育祭などの学校行事にも参加していました。

高校時代の広末さんを支えてくれたのは、仲の良い友人たちでした。常に友人たちと登下校しており、その友人たちが広末さんだとバレないように隠してくれたり、野次馬たちを追い払ってくれたりしたそうです。

女子校ならではのエピソード

広末涼子の学歴を徹底解説!早稲田大学AO入試問題と中退の真相、文武両道だった学生時代

女子校に通っていた広末さんは、当時のことを「男子は敵だった」と振り返っています。「女子校だったので『男子は敵!』みたいな感じでした。男子高校生は未知の生き物。追いかけられたりとか、悲しいことはいっぱいありました」と語っています。

ただし広末さんには、男子高生を黙らせた武勇伝もあります。ある日友人と街を歩いていた広末さんは、男子高生の集団に遭遇しました。騒がれてはまずいと思って走って逃げたのですが、男子高生が追いかけてきてスライディングで友人を転ばせるハプニングが発生。

「急に腹が立ってきて、男子高校生に『ふざけんなよ』ってボソっと言ったんです。そんな言葉使ったこともないのに」「その場にいた男の子たちが、『キレたよキレたよ…』って言いながら引いていって」と広末さんは振り返っています。

強気な一面

後日、横浜で再びこの男子高生の集団と遭遇した際には、真面目な顔でお辞儀されたそうです。見かけによらず気の強い広末さんらしいエピソードですね。

こうして多忙ながらも充実した高校生活を送った広末さんは、2000年3月に品川女子学院高等部を無事卒業します。芸能活動と学業の両立という困難な道のりを、最後まで歩み切ったのです。

広末涼子の出身大学は早稲田大学:AO入試問題と中退の真相

高校卒業後、広末さんは名門私立大学である早稲田大学教育学部国語国文学科(偏差値65)に進学します。しかしこの進学を巡っては、様々な問題が発生しました。

早稲田大学AO入試を巡る不正疑惑

広末さんは一般受験ではなく、自己推薦(AO入試)での入学となりました。当時は超多忙なスケジュールをこなしながらの受験だったため、AO入試という選択は合理的だったと言えます。

しかし問題は、広末さんが通学していた品川女子学院高等部の理事長と、当時の早稲田大学教育学部長が昵懇の仲だったことです。さらに驚くべきことに、教育学部長は広末さんの合格が発表される数ヶ月前から、すでに合格すると発言していたのです。

このため週刊誌「噂の真相」が不正入学疑惑を報じ、大きな話題となりました。公正であるべきAO入試において、合格が事前に決まっていたかのような状況は、社会的に大きな批判を浴びることになります。

初登校は入学3ヶ月後│100人以上の報道陣が殺到

広末さんは超売れっ子だったため、大学には入学から3ヶ月間も登校できませんでした。この点についても、AO入試での入学だったことと相まって、当時のマスコミに痛烈に批判されました。

そして初めて登校した日には、なんと100人以上の報道陣が押し寄せて大混乱になりました。教室移動時にはギャラリーに髪の毛を引っ張られたり、お尻を触られたりするという被害にも遭っています。

通学すること自体が困難な状況の中、広末さんは大学での単位もあまり多く取得できませんでした。また通学しても授業を途中で退席することが少なくなかったそうです。

4年半で取得単位わずか30単位

広末さんが大学に入学した1999年には、映画「鉄道員」や主演映画「秘密」などに出演し、さらに歌手としても活動していました。非常に多忙な日々の中で、大学に通い続けることは物理的に不可能に近い状況でした。

結局、入学から4年半後の2003年10月に、広末さんは大学を中退します。最終的に4年半の大学在籍で取得した単位は、わずか30単位でした。早稲田大学教育学部で卒業に必要な単位数は124〜134単位ですから、いかに少ないかがわかります。途中には2年間の休学期間もありました。

休学の理由について広末さんは、「自分の作品や他の作品を見る時間さえなくなった」からとインタビューで話しています。

「プッツン女優」時代と人気急落

ではなぜ広末さんは、ほとんど通学しなかったにも関わらず4年半も在籍していたのでしょうか。その背景には「人気の急落」があったとの報道もされています。

大学3年生だった2001年、広末さんは俳優の伊勢谷友介さんや金子賢さんとの恋愛がゴシップになり、以降「奇行が目立つ」ようになって人気が急落します。

同年5月には、フランスの巨匠リュック・ベッソン監督の映画「WASABI」のヒロインに起用されていますが、製作発表会見でまったく脈絡のない場面で号泣して報道陣を驚かせました。その3日後には予定されていた新CMの製作会見をキャンセルし、翌日にはCMの撮影自体も急遽キャンセルしています。

清純派とはかけ離れた私生活

さらに7月には、当時の交際相手だった金子賢さんと朝まで遊び明かした後、ドラマ「できちゃった結婚」の撮影現場にタクシーで直行し、タクシー代金約4万円を踏み倒したことを「FRIDAY」にスクープされました(結局、ドラマのスタッフが支払った)。

加えてこのドラマの撮影現場への日常的な遅刻や、リハーサル中に共演者を待たせて携帯電話で遊び友達と大声で話すなどの行動が「FOCUS」で報道されています。

こうした一連の報道により、広末さんは「プッツン女優」のイメージが定着してしまい、10社以上あったCMが一時は0社になってしまいました。翌年にヒロインとして出演したドラマ「愛なんていらねえよ、夏」も平均視聴率7.8%と惨敗します。

大学中退と「できちゃった婚」

これ以上のイメージダウンを避けるため、大学の中退は先延ばしにされたとの意見もあります。そして2003年10月、広末さんはついに早稲田大学を中退します。その3ヶ月後の12月には、モデルの岡沢高宏さんと「できちゃった婚」を発表し、産休に入りました。

広末さんが様々な奇行に走ったのは、精神的な支柱だった伊勢谷友介さんとの別れが原因とも言われています。また大学中退に踏み切ったのは、できちゃった婚が決まったからだったとの指摘もありますが、真偽のほどは不明です。

早稲田大学のAO入試基準厳格化

広末さんの中退以降、早稲田大学はAO入試の審査基準が非常に厳しくなったと報じられています。実際に慶応義塾大学が多くの有名人のAO入試での進学を認めているのに対し、早稲田大学にAO入試で進学する有名人はかなり少数になりました。

広末さんの一件は、AO入試の公正性という問題を社会に投げかけることになったのです。まさに「黒歴史」とも言える広末さんの大学時代ですが、この経験も含めて、後の広末さんを形作る重要な時期だったと言えるでしょう。

中退後の復活と演技派女優への成長

大学中退後、広末さんは2004年に長男を出産しますが、2008年に離婚します。そして2010年にキャンドルジュンさんとの再婚を発表し、2011年には第2子となる男児、2015年には第3子となる女児を出産しています。

プライベートでは紆余曲折がありましたが、女優としての広末さんは着実に演技力に磨きをかけていきました。「プッツン女優」時代の苦い経験を乗り越え、演技派女優として再び輝きを取り戻したのです。

当時ほど主演作は少なくなったものの、現在も根強い人気を誇り、多くのドラマや映画に出演しています。もともと演技力には定評がありますし、女優として円熟期を迎えていることから、今後の活躍も期待されていました。

ただし2025年4月、広末さんは傷害容疑で現行犯逮捕されるという事件が発生し、再び大きな話題となりました。

まとめ

広末涼子さんの学歴をまとめると、高知市立大手前小学校、高知市立城北中学校を卒業し、品川女子学院高等部(偏差値61)を経て、早稲田大学教育学部国語国文学科(偏差値65)に自己推薦で進学しましたが中退しています。

小学校時代から芸能界に憧れ、中学時代は陸上競技で県大会2位・四国大会2位という実績を残しながら、成績もクラス1位を取るなど文武両道の生徒でした。中学2年生で芸能界入りし、高校時代には3年間で12本ものドラマに出演する多忙な日々を送りました。

早稲田大学への進学はAO入試を巡る不正疑惑で大きな批判を浴び、ほとんど登校できないまま4年半で30単位しか取得できず中退しました。大学時代には「プッツン女優」として人気が急落する苦しい時期も経験しています。

しかしその後は演技力に磨きをかけ、演技派女優として復活を遂げました。学歴の面では中退という結果になりましたが、広末さんのキャリアは学歴だけでは測れない多彩な経験と才能に支えられています。波乱に満ちた学生時代と芸能生活を経て、広末涼子という女優は今も私たちの記憶に残り続けています。

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