お笑いコンビ「ニューヨーク」のボケ担当として活躍する嶋佐和也さん。2019年のM-1グランプリ決勝進出以降、バラエティ番組で見かける機会が増えました。
流暢な英語を披露する場面や、独特の観察眼を活かしたコメントから「意外と高学歴なのでは?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、嶋佐さんの出身大学である神奈川大学での学生生活や、芸人を目指すきっかけとなった出来事を詳しく紹介します。
アルバイト先で指名手配犯に間違われた衝撃体験や、就職活動に全敗した後の決断など、現在の活躍につながるエピソードをまとめました。
ニューヨーク嶋佐和也の出身大学と学部
ニューヨーク今日も面白かったー!!
嶋佐さんの子供の頃の話しに爆笑してた屋敷さんも良かった☆😆💕
ヒロくんって可愛いな(>_<)笑 pic.twitter.com/QBaePsdUqm— °+M+° (@maimaiorange) January 25, 2016
神奈川大学経済学部に進学した理由
嶋佐和也さんは2005年に神奈川大学経済学部へ進学しました。進学先を選んだ理由について、嶋佐さん自身が「ただただ東京に住みたかったから」とインタビューで語っています。
山梨県富士吉田市で生まれ育った嶋佐さんにとって、首都圏で暮らすことは一つの憧れだったようです。実家から離れて一人暮らしを始めることで、新しい環境での生活や人間関係を経験したいという思いがあったのかもしれません。
神奈川大学は横浜市神奈川区に位置し、東京都心へのアクセスも良好です。地方出身の学生が都市部での生活を始める場所として、嶋佐さんにとっては理想的な環境だったといえるでしょう。
経済学部を選んだ具体的な理由は明らかにされていませんが、当時の嶋佐さんは将来について明確なビジョンを持っていたわけではなく、一般的な就職を漠然と考えていた時期だったようです。
神奈川大学の偏差値と特徴
神奈川大学経済学部の偏差値は48程度で、中堅私立大学に位置づけられます。1928年に設立された歴史ある大学で、横浜キャンパスには約1万人の学生が在籍しています。
同大学の卒業生には、お笑いコンビ「アンジャッシュ」の渡部建さんやEXILEのMAKIDAIさんなど、芸能界で活躍する著名人も多数輩出しています。嶋佐さんもこうした先輩たちと同じ環境で学生生活を送っていたことになります。
経済学部では経済理論やマーケティング、金融などを学びます。嶋佐さんが在籍していた2000年代後半は、リーマンショック前後の経済変動期にあたり、経済学を学ぶ環境としては実社会の動きを肌で感じられる時期だったかもしれません。
嶋佐和也の大学時代のエピソードと転機
退院したものの、家にずっと居るわけですが、今日はニューヨーク嶋佐が高級フルーツを持ってお見舞いに来てくれました。
こんなに嶋佐とゆっくり話せたのは初めてだった。 pic.twitter.com/I39sz3wsAz— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) October 31, 2025
本格的なテニスサークルでの活動
大学入学後、嶋佐さんはテニスサークルに入りました。小学6年生から空手を続けてきた嶋佐さんにとって、大学で違うスポーツに挑戦することは新鮮な経験だったようです。
ただし、このテニスサークルは遊び半分の活動ではありませんでした。嶋佐さん自身が「甲子園を目指している野球部みたい」と表現するほど、本格的に競技に取り組むサークルだったのです。
毎年学園祭の時期には合宿があり、嶋佐さんは4年間一度も大学の学園祭に参加したことがなかったといいます。学生生活の楽しみの一つである学園祭よりもテニスを優先するほど、サークル活動に打ち込んでいました。
サークルを引退する際には涙を流したというエピソードからも、嶋佐さんがどれだけ真剣にテニスに向き合っていたかが伝わってきます。この経験は、後に芸人として何かに本気で取り組む姿勢の土台になったのかもしれません。
アルバイト先で指名手配犯に間違われた衝撃体験

大学時代、嶋佐さんは学費や生活費を自分で稼ぐため、牛丼チェーン「すき家」で4年間アルバイトを続けていました。父親は会社の社長を務めていましたが、嶋佐さんは親に頼らず自力で大学生活を送ることを選んだのです。
このアルバイト中に、嶋佐さんの人生において忘れられない出来事が起こります。ある日突然、店に警察官が現れ「この店で指名手配犯が働いているという通報が入った」と告げられたのです。
店にいた3人のアルバイトスタッフを見回した警察官は、嶋佐さんを指して「たぶん君だと思う」と事情聴取を始めました。当時、イギリス人英会話教師殺害事件で逃亡中の容疑者が、整形手術を受けて逃走していた時期と重なります。
結局、嶋佐さんが犯人である確証が得られず疑いは晴れましたが、当時の嶋佐さんはパーマをかけていて「山P(山下智久)に似ている」と言われるほどだったといいます。それなのに指名手配犯に間違われるという、本人にとっては複雑な経験だったでしょう。
この出来事について、嶋佐さんは後に笑い話として語れるようになりましたが、当時は相当なショックを受けたはずです。ただ、芸人としては格好のネタになる貴重な体験でもありました。
同級生とのM-1グランプリ初挑戦
大学4年生の時、嶋佐さんは同級生とお笑いコンビを組んでM-1グランプリに出場しました。当時からお笑いが好きだった嶋佐さんにとって、実際に舞台に立つことは大きな一歩だったといえます。
結果は1回戦で敗退という厳しいものでしたが、この経験が嶋佐さんの人生を大きく変えるきっかけになります。舞台に立つ緊張感や、ネタを作る面白さ、観客の反応を肌で感じたことで、お笑い芸人という職業への興味がより具体的になったのかもしれません。
小学3年生の時に「ダウンタウンのごっつええ感じ」を見て松本人志さんの「信者」になったという嶋佐さん。長年抱いていたお笑いへの憧れが、この出場をきっかけに現実的な進路選択として意識されるようになっていきます。
就職活動の全敗とNSC入学の決断
大学4年生になり、嶋佐さんも周囲の学生と同じように就職活動を始めました。音楽が好きだったこともあり、レコード会社や音楽関連の企業を中心に受験したといいます。
ある音楽関連の出版社では2次試験まで進みましたが、最終的にはすべて不採用という結果に終わりました。普通なら落ち込む場面ですが、嶋佐さんはこの時「心底ほっとした」と後に語っています。
実は就職活動を始めた時点で、嶋佐さんの心の中には「普通に働きたくない」という思いがありました。毎日決まった時間に出社して、決められた業務をこなす生活に、どこか違和感を覚えていたのです。
就職活動が全滅したことで、嶋佐さんには迷いがなくなりました。「もうお笑いの道に進むしかない」と腹をくくり、吉本総合芸能学院(NSC)東京校への入学を決意します。
母親は最初、芸人になることに反対していました。しかし父親が「俺も高校の時お笑いをやりたくて、西川きよし師匠に手紙を出したことがある」と自身の経験を話し、嶋佐さんの背中を押してくれたそうです。
父親自身が叶えられなかった夢を息子が追いかけることに、理解を示してくれたわけです。最終的には母親も「行きたいんでしょう、それなら」と認めてくれ、2009年に嶋佐さんはNSC東京校15期生として芸人への道を歩み始めました。
嶋佐和也の英語力と留学経験
Don’t Look Back in Angerと聴いたらoasisよりも真っ先にニューヨーク嶋佐が頭をよぎる時代に突入した pic.twitter.com/Avzv8Fqea0
— あきら (@l_lakiral_l) October 26, 2025
高校時代のカリフォルニア短期留学
嶋佐さんの流暢な英語力は、高校時代の経験が基盤になっています。山梨県立吉田高校在学中、嶋佐さんは約1か月間カリフォルニアに短期留学しました。
普通科(偏差値58)に在籍していた嶋佐さんにとって、海外で生活する経験は視野を広げる貴重な機会だったでしょう。
異文化の中で英語を使ってコミュニケーションを取ることで、教科書で学ぶのとは違う実践的な語学力が身についたと考えられます。
この留学経験が、後の大学生活や芸人としての活動で英語を活かす土台となりました。短期間の留学でここまでの英語力を身につけたことからも、嶋佐さんの吸収力の高さがうかがえます。
番組で披露した流暢な英語力
嶋佐さんの英語力が広く知られるきっかけとなったのが、バラエティ番組での実践的な英語使用場面です。ある番組企画で海外の女性に英語でナンパするという内容があり、そこで嶋佐さんが披露した英語の流暢さに、MCを務めていた千鳥の二人も驚いたといいます。
単に文法的に正しい英語を話すだけでなく、自然な会話として成立させられることは、実践的な語学力がなければ難しいものです。
嶋佐さんの英語は「お笑い芸人が趣味で話せる」というレベルを超えた実用的なスキルといえるでしょう。
お笑い芸人として活動する中で、英語力は大きな武器になっています。海外からのゲストが出演する番組や、英語が必要な企画で重宝される存在となり、他の芸人との差別化にもつながっています。
嶋佐和也の小学校から高校までの学歴

富士吉田市立下吉田第二小学校での空手との出会い
嶋佐さんは山梨県富士吉田市で生まれ育ち、地元の富士吉田市立下吉田第二小学校に通いました。家族構成は両親と弟の4人家族で、弟は現在美容師として働いているそうです。
小学校時代から空手を習い始め、最終的には初段の腕前にまで上達しました。武道を通じて礼儀や忍耐力を学んだ経験は、後の芸人生活で必要な精神力の基礎になったのかもしれません。
また、小学3年生の時に「ダウンタウンのごっつええ感じ」を見て松本人志さんに強く惹かれたことも、嶋佐さんの人生における重要な出来事でした。この時の衝撃が、後に芸人を目指す原点となります。
富士吉田市立下吉田中学校での柔道部活動
中学校は地元の富士吉田市立下吉田中学校に進学し、柔道部に所属しました。小学校から続けていた空手ではなく、新たな格闘技に挑戦する選択をしたわけです。
中学時代には、同郷で同い年のロンドンオリンピック・レスリング金メダリストの米満達弘さんと対戦する機会がありました。
結果は5秒であっさり倒されたといいますが、後に五輪金メダリストとなる選手と対戦した経験は、貴重な思い出でしょう。
この頃から顔モノマネを得意としており、漫画「ホーリーランド」の加藤やサッカー選手のメスト・エジル、俳優の石丸謙二郎など、豊富なレパートリーを持っていたそうです。お笑いへの興味が、すでに日常生活の中に表れていた時期といえます。
この中学校の卒業生には、フジファブリックの志村正彦さんやプロレスラーの武藤敬司さんなど、各界で活躍する著名人がいます。
山梨県立吉田高校での帰宅部生活

高校は山梨県立吉田高校の普通科(偏差値58)に進学しました。この高校は1937年開校の伝統校で、理数科(偏差値66)も設置されている進学校です。
ただし嶋佐さんは高校時代、中学まで続けていた武道からも離れ、帰宅部として過ごしました。部活動に打ち込むのではなく、自分なりの高校生活を送ることを選んだようです。
本人も「高校時代は楽しくなかった」「存在感が薄かった」と振り返っており、モテることもなく地味な学生生活だったと語っています。
後にバラエティ番組の企画でこの高校を訪れた際、恩師が嶋佐さんのことを覚えていなかったというエピソードからも、当時の印象の薄さがうかがえます。
それでも文化祭では女装大会のメンバーに選ばれたり、ストレートパーマを2か月に1回かけたりと、自分なりのこだわりを持っていた時期でもありました。
この高校時代に約1か月のカリフォルニア留学を経験したことは、前述の通り英語力向上につながる重要な経験となりました。
吉田高校の卒業生には、フジファブリックの志村正彦さんがおり、地元富士吉田市出身のアーティストとして嶋佐さんの先輩にあたります。
神奈川大学での学びが現在の活動に与えた影響

経済学部での学びと現在の仕事観
嶋佐さんが在籍した経済学部では、市場経済の仕組みや企業経営、金融システムなどを学びます。
直接的に芸人の仕事に活かせる知識ではありませんが、社会の構造を理解する視点は得られたはずです。
お笑い芸人も個人事業主として活動する側面があり、自分自身を商品として売り込み、需要と供給のバランスを考えながらキャリアを築いていく必要があります。
経済学部で学んだ考え方が、芸人としての戦略的な活動に無意識のうちに影響を与えているかもしれません。
また、就職活動で「普通に働きたくない」と感じた経験も、ある意味で経済学的な視点から自分の労働と報酬のバランスを考えた結果ともいえます。
自分が本当に価値を感じられる仕事を選ぶという判断は、経済学部で学んだ合理的思考の表れかもしれません。
アルバイト経験が培ったコミュニケーション力
すき家での4年間のアルバイトは、嶋佐さんにとって社会経験を積む貴重な機会でした。本人も「世の中には色んな人がいるんだなって社会勉強になった」と振り返っています。
接客業では様々な年齢層、性格、背景を持つ人々と接する必要があります。お客さんへの対応はもちろん、一緒に働くスタッフとの関係構築も重要です。
嶋佐さんは「バイトのみんなが仲良くて、みんないいやつ」だったと話しており、良好な人間関係を築けていたことがわかります。
指名手配犯に間違われるという衝撃的な出来事も含め、アルバイト先での多様な経験は、お笑い芸人として必要な「人間観察力」や「対応力」を育てたといえるでしょう。
ファミレスや居酒屋でもアルバイトをしていた嶋佐さんにとって、接客業で培ったコミュニケーション能力は、舞台でのトークやバラエティ番組でのやり取りに確実に活きています。様々なタイプの人と自然に会話できる力は、芸人にとって不可欠なスキルです。
嶋佐和也の学歴まとめ
遡って10まで聴けました
嶋佐さんにとってのTWICEがわたしにとってのニューヨークです
この嶋佐さんまじでかっこいいな#ニューヨークのニューラジオ pic.twitter.com/fQiudWpzCi— ぴんくのあざらし (@pink_azarashi_) October 30, 2019
ニューヨーク嶋佐和也さんの学歴を振り返ると、神奈川大学経済学部を卒業した高学歴お笑い芸人であることがわかります。
ただし学歴以上に注目すべきは、大学時代の様々な経験が現在の活躍の土台になっている点です。
本格的なテニスサークルで何かに本気で取り組む姿勢を学び、アルバイトで社会経験と対人スキルを磨きました。
M-1グランプリ出場でお笑いへの情熱を確認し、就職活動の全敗で自分の進むべき道を見極めました。
高校時代のカリフォルニア留学で身につけた英語力は、芸人としての活動範囲を広げる武器になっています。
一見バラバラに見えるこれらの経験が、すべて現在の嶋佐さんを形作る要素となっているのです。
「ただ東京に住みたかった」という単純な動機で神奈川大学を選んだ嶋佐さんですが、その選択が結果的に芸人への道を切り開くきっかけになりました。
NSC東京校15期生として2010年にコンビ「ニューヨーク」を結成し、2019年のM-1グランプリ決勝進出を経て、現在では多数のバラエティ番組で活躍しています。
学歴はあくまで一つの要素に過ぎませんが、嶋佐さんの場合は大学時代に経験した様々な出来事が、芸人として成功するための重要な財産になったといえるでしょう。


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