目黒蓮の出身を完全解説!大田区池上から城西国際大学まで学歴と生い立ちの全て

Snow Manのメンバーとして圧倒的な人気を誇り、俳優やモデルとしても活躍する目黒蓮さん。ドラマ「silent」での演技が高く評価され、今や日本を代表する若手俳優の一人となった彼ですが、どのような環境で育ち、どのような学生生活を送ってきたのでしょうか。

目黒蓮の出身を完全解説!大田区池上から城西国際大学まで学歴と生い立ちの全て

本記事では、目黒蓮さんの出身地である東京都大田区の環境から、小学校・中学校・高校・大学までの学歴を詳しく紹介し、それぞれの時期のエピソードと現在の活躍との関連性を解説します。

目黒蓮の出身地と基本プロフィール

目黒蓮さんは1997年2月16日、東京都大田区で生まれました。本名も目黒蓮で、愛称は「めめ」です。

身長185cm、血液型B型、みずがめ座という基本プロフィールに加え、Snow Manではメンバーカラーの黒を担当しています。

出身地の大田区は東京23区の南部に位置し、羽田空港を抱える工業と住宅が混在する地域です。

目黒さんの家族構成は両親と2歳年下の弟の4人家族で、父親は建設会社を経営しています。

実は父親は元々大工をしていましたが、目黒さんがジャニーズ事務所に入所したことをきっかけに建設会社を立ち上げたという背景があります。

これは万が一芸能界でデビューできなかった場合を考え、息子が進める道を用意してあげたいという優しい父親の思いからでした。

父親は身長186cmのがっしりとした体格で、シソンヌの長谷川忍さんに似ているという噂もあります。

弟とは非常に仲が良く、兄弟げんかをしたことがないとインタビューで語っています。

メンバーからは「目黒の弟マジ目黒」といわれるほど兄弟がそっくりだそうで、弟は目黒さんのグッズを購入するためにアルバイトをしたり、コンサート会場で目黒さんのグッズを買っている姿が目撃されたりと、兄を応援する微笑ましいエピソードも伝えられています。

また両親とも仲が良く、メジャーデビューした際も実家暮らしを続けていたといわれており、家族の絆の強さが伺えます。

大田区立池上小学校での幼少期とスポーツ万能な少年時代

目黒蓮さんの出身小学校は、大田区立池上小学校です。池上は大田区の北西部に位置し、日蓮宗の大本山である池上本門寺がある歴史ある地域として知られています。

住宅街が広がる落ち着いた環境で、目黒さんはこの地で幼少期を過ごしました。

幼い頃から目黒さんは活発な少年で、運動神経が抜群でした。小学校時代はサッカー、ソフトボール、野球と複数のスポーツに取り組んでおり、特にサッカーにのめり込んでいきました。

サッカーをはじめるとすぐに夢中になり、将来はサッカー選手になりたいと本気で考えるようになったそうです。小学校時代のポジションはフォワードで、得点を狙う攻撃的なプレースタイルを好んでいました。

この小学校時代のスポーツ経験は、後のアイドル活動や俳優業においても大きな財産となっています。

ダンスのキレや舞台でのパフォーマンス、そして185cmという高身長を活かした存在感は、幼少期から培ってきた運動神経と身体能力の賜物といえるでしょう。

目黒蓮の出身を完全解説!大田区池上から城西国際大学まで学歴と生い立ちの全て

一方で勉強はあまり好きではなかったようで、この傾向は中学・高校時代にも続いていくことになります。

興味深いことに、同じSnow Manのメンバーであるラウールさんも大田区出身で、しかも池上小学校の出身です。

ただし年齢差が6歳あるため、同時期に在籍していたわけではありません。それでも同じ地域で育ち、同じ小学校を卒業した二人が同じグループで活躍しているのは不思議な縁を感じさせます。

大田区立大森第四中学校時代とサッカー部での活躍

中学校は地元東京都大田区内の公立校である大森第四中学校に進学しました。

大森は大田区の東部に位置し、JR京浜東北線の大森駅周辺は商業地として栄えている地域です。この中学時代、目黒さんはサッカーへの情熱をさらに深めていきます。

目黒さんは中学校の部活動としてのサッカー部には所属せず、地元にあるサッカークラブチームのセレクション、つまり入団試験に合格し、そちらで本格的にプレーしていました。

ポジションは守備的ミッドフィルダー、いわゆるボランチで、小学校時代のフォワードから中盤の要となる役割に変わっています。このポジション変更は、目黒さんの戦術理解力やチーム全体を見渡す視野の広さが評価された結果だったのでしょう。

クラブチームでは主力選手として活躍し、東京都大会で3位という優秀な成績を残しています。

強豪チームで結果を出していた目黒さんは、この時点でもサッカー選手の道を真剣に考えていたはずです。しかし、中学2年生の時に人生の転機が訪れることになります。

そして目黒さんは中学時代、芸能界に入る前からすでに学校内でファンクラブができるほどのイケメンとして知られていました。

2019年12月5日放送のラジオ番組「Bioreふくだけコットン presents Snow Manの『素の Woman』」で、目黒さん自身がこのエピソードを明かしています。3年生の先輩に呼び出され「お前中学でファンクラブあるらしいな」と言われ、怖くて逃げたというのです。

さらに目黒さんは不良グループに目をつけられるという事態にも直面しました。しかしここで父親が息子のために動きます。

父親が不良グループとの間を取り持ち、話し合いによって解決したことで、目黒さんは無事に学校に通えるようになりました。

このエピソードをきっかけに、目黒さんはその番長と仲良くなり、中学3年間は「無敵」だったとラジオ番組で述べています。父親の行動力と息子を守ろうとする強い愛情が感じられるエピソードです。

中学2年生でのジャニーズ事務所入所と葛藤の始まり

目黒蓮さんの人生を大きく変える出来事が、中学2年生だった2010年10月に起こります。いとこのお姉さんが履歴書を送ったことがきっかけで、ジャニーズ事務所のオーディションを受けることになったのです。

共働きの両親に代わり、祖母がオーディションに連れていってくれました。そしてオーディションに合格し、ジャニーズ事務所に入所することになります。

目黒さんの同期は、後に様々なグループで活躍する錚々たるメンバーでした。timelesz(旧Sexy Zone)の佐藤勝利さんや神宮寺勇太さん、元King & Princeの岩橋玄樹さん、Travis Japanの宮近海斗さん、中村海人さん、松倉海斗さん、そして宇宙Sixのメンバーだった原嘉孝さんなどです。

特に原さんとは当時から仲が良く、後に同じ宇宙Sixにも在籍することになり、互いに「戦友」という認識を持つほどの深い絆を築きます。二人は「はらめぐ」の愛称で親しまれました。

しかし入所後の道のりは決して平坦ではありませんでした。他の同期は佐藤勝利さんを筆頭に当初から期待が高く、有望なユニットのメンバーにすぐに起用されていきましたが、目黒さんは目立たない存在でした。

目黒蓮の出身を完全解説!大田区池上から城西国際大学まで学歴と生い立ちの全て

この状況に目黒さんは悩み、挫折を感じることもあったといいます。それでも目黒さんは諦めず、集合時間の1時間前には行って鏡の前で練習するなど、必死で努力を重ねました。

入所後すぐに目黒さんはユニット「ジャPAニーズHi!School」に参加し、先輩グループのバックダンサーとして活動をスタートさせます。

このユニットは中山優馬さんや山田涼介さんらが所属した「NYC」のバックダンサーチームとして誕生したもので、元King & Princeの岸優太さんや岩橋玄樹さん、神宮寺勇太さん、Sexy Zoneの佐藤勝利さん、マリウス葉さん、Travis Japanの中村海人さん、松倉海斗さん、松田元太さん、宮近海斗さんなど、後にメジャーデビューするメンバーが多数在籍していました。

しかしメンバーの出入りが激しく延べ70名以上が在籍した末に、このユニットは自然消滅してしまいます。

目黒さんは入所後、滝沢秀明さんに強く憧れるようになります。滝沢さんからは「お前は熱すぎて面倒くさい」とよく言われたそうですが、目黒さんは滝沢さんに出会えていなければ今の自分はないと話すほど尊敬していました。

後のSnow Manへの電撃加入も、滝沢さんの後押しがあったとの意見があるほどです。

そして中学3年生だった2011年、同期の佐藤勝利さんが入所から1年弱でSexy Zoneのメンバーに選ばれ、メジャーデビューを果たします。

目黒さんは原さんとともにたびたびSexy Zoneのバックダンサーに起用されることになり、「同期のバックで踊る」という屈辱的な経験をすることになりました。しかし二人は腐らず、しっかりと仕事をこなしていきます。

この経験が、後の二人の精神的な強さを育てることになったのでしょう。

日出高校での高校生活と辞めたいと思った日々

高校は東京都目黒区にある私立の日出高校、現在の目黒日本大学高校に進学しました。この高校は1903年開校の私立校で、芸能コースを設置していることから多くの芸能人を輩出している芸能人御用達の学校として知られています。

目黒さんは中学時代にジャニーズ事務所に入所して芸能活動をスタートさせていたため、より幅広く活動するために芸能コースを選択しています。

芸能コースの偏差値は42で入学難易度は比較的容易ですが、芸能活動と学業の両立を前提としたコースです。

日出高校での目黒さんの同級生は非常に豪華でした。

俳優の横浜流星さんや高杉真宙さん、THE RAMPAGEの岩谷翔吾さんや吉野北人さん、劇団EXILEの佐藤寛太さん、ジャニーズJr.の田中誠治さん、ももいろクローバーZの佐々木彩夏さん、ファッションモデルの松井愛莉さん、古畑星夏さん、安田聖愛さん、歌手の美山加恋さん、女優の矢作穂香さん、歌手の武藤彩未さんなど、後に様々な分野で活躍する人物が同級生として在籍していました。

また元乃木坂46メンバーで現在はアナウンサーに転身した斎藤ちはるさんとも同学年でしたが、斎藤さんは特進コースに在籍していました。

目黒さんは高校時代、田中誠治さんと非常に仲が良かったそうです。またSixTONESのジェシーさんとはジュニア時代に仲が良く、高校の同級生と間違えられることもあったといいますが、ジェシーさんはクラーク記念国際高等学校の出身です。

高校時代の目黒さんは、ちょっとイケイケの男子が女子からモテていたため、悪っぽい雰囲気に憧れた時期もあったそうです。

目黒さんなりに悪っぽい雰囲気に近づくために色々頑張ってみたものの、根が真面目なため少しも近づけなかったというエピソードも明かしています。

高校時代も目黒さんは中学時代に引き続き「ジャPAニーズHi!School」というユニットに所属し、主に先輩グループのバックダンサーとして活動を続けていました。

しかししばらくは思うようにいかず、デビューなんて絶対できないという位置にいたといいます。

そのため中学校・高校時代には「辞めたい」と思うことが何度もあったと明かしています。

仕事やレッスンに行きたくないけれど行かなければいけないという憂鬱な気持ちで電車に乗った時、SMAPの「この瞬間、きっと夢じゃない」を聴いて自身を奮い立たせていました。

この曲がなければ心が折れていたと当時を振り返っています。また少しだけテレビに映った自分の姿を見て、祖母が「ダンス上手くなったね」と喜んでくれたことが大きな支えだったとも語っています。

高校時代のある出来事が、目黒さんをさらに苦しめました。Kis-My-Ft2のミュージックビデオに出演できる機会があった際、「目黒はどうですか?」という声がたまたま聞こえてきたのですが、その直後に「目黒はいいや、いらない」と言われてしまったのです。

この言葉で心が完全に折れてしまい、自宅に泣きながら帰って両親に「もう辞める」と告げました。しかし両親は全く引き留めることもなく、「そんなに頑張ったんなら辞めな」と言ったそうです。

この反応に逆に冷静になった目黒さんは、もう少しやってみるとギリギリで踏みとどまることができました。

それでも高校3年生だった2015年1月、目黒さんにとって転機となる出来事が起こります。King & Princeの岸優太さんが主演したテレビドラマ「お兄ちゃん、ガチャ」で俳優デビューを飾ったのです。

現在は俳優としても高い評価を受けている目黒さんですが、キャリアのスタートは高校を卒業する少し前でした。また舞台「桃山ビート・ドライブ」や「滝沢歌舞伎」といった舞台にも出演するようになります。

特に「滝沢歌舞伎」は目黒さんにとって特別な場所となりました。2023年3月の雑誌「Seventeen」のインタビューで、「『滝沢歌舞伎』の公演をしていた新橋演舞場は、僕の青春の場所です」と語っています。

舞台で先輩のバックダンサーとしてひたすら踊っていた高校時代、何もない日は「夕方ごろに放送しているアニメを見てました」と当時を振り返っていました。この時期の地道な努力と経験が、後の俳優としての基礎を築いていったのです。

城西国際大学への進学と佐久間大介・阿部亮平の支え

高校卒業後、目黒蓮さんは千葉県東金市と東京都千代田区紀尾井町にキャンパスを持つ城西国際大学メディア学部メディア情報学科映像芸術コースに進学しました。

2015年4月に入学し2019年3月に卒業、偏差値はおよそ47.5です。目黒さんが在籍したメディア学部は東京都紀尾井町にキャンパスがあります。

この大学は2011年に東京都千代田区紀尾井町にキャンパスを開設してから、ジャニーズ事務所の所属タレントが多く進学するようになりました。

同じSnow Manのメンバーである佐久間大介さん、Travis Japanの七五三掛龍也さん、HiHi Jetsの橋本涼さん(中退)、Jr.SPの和田優希さんなど、多くの先輩や同世代のタレントがこの大学・学部の出身者です。

実は目黒さんがこの大学に進学したのは、4学年上の先輩である佐久間大介さんの勧めがあったからでした。

目黒蓮の出身を完全解説!大田区池上から城西国際大学まで学歴と生い立ちの全て

目黒さんが受験の時、佐久間さんは大学4年生で、教授に頭を下げて「うちの後輩をよろしくお願いします」と頼みに行ったというエピソードがあります。そして佐久間さんは卒業する際には、教授や後輩たちに「目黒をよろしく」と伝えて卒業していきました。2021年3月号の雑誌「Myojo」で目黒さんは「大学も佐久間君がいなかったら入れてないと思います」と語っています。

しかし大学に入学できたのは佐久間さんのお陰でしたが、卒業できたのは別のメンバーのお陰でした。それが上智大学大学院を卒業しているジャニーズ事務所きってのインテリ、阿部亮平さんです。

目黒さんは大学時代、英語が非常に苦手で、ローマ字が読めないという仰天発言をしています。また九九ができなかったり、漢字もあまり読めないことも明らかにしていました。

大学の講義でパソコンを使用する際には、膝の上にローマ字表を置いていたというエピソードも明かしています。

大学卒業前にせっぱ詰まっていた英語の課題を、阿部亮平さんが8割ほど手伝ってくれたそうです。目黒さんはこの事実を正直に教授に伝えたといいます。

さらに卒論のアドバイスももらったそうで、2021年3月号の雑誌「Myojo」で「僕は佐久間くんがいたから大学には入れて、阿部ちゃんがいたから卒業できた」と語っています。

京都で阿部さんがリスニングができないところを教えてくれたエピソードなども明かしており、「俺が卒業できるのは阿部くんのおかげです」と感謝の言葉を述べていました。

後にクイズ番組に出演した際には、たびたび珍解答をして共演者を驚かせています。連絡を「練楽」と書いたり、お便りを「おべんり」と読んだり、塩を「シュガー」、月曜日を「イエスタディ」と回答するなど、天然ぶりを発揮していました。

同じグループの向井康二さんとのおバカエピソードもたびたび紹介されており、この愛され天然キャラが目黒さんの魅力の一つとなっています。

大学時代の宇宙Six結成と滝沢歌舞伎での代役

大学時代の目黒さんは、主に人気アイドルグループ「嵐」のバックダンサーとして活動していました。

嵐のコンサート「untitled」の大野智さん・櫻井翔さん・相葉雅紀さんのユニット「バズリナイト」など、数々の曲でバックダンサーを務めています。

そして大学2年生の時、同じく嵐のバックダンサーを務めていた山本亮太さん、江田剛さん、松本幸大さん、原嘉孝さんとともに、ジャニーズJr.内ユニット「宇宙Six」を結成します。

このユニットは当時のジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんが直接命名するほど、結成時は大きな期待を背負っていました。6人組のメンバーで目黒さんは最年少でした。

宇宙Sixは単独公演もおこない、KAT-TUNのコンサートでバックダンサーを務めた際には、KAT-TUNからオリジナル曲「UNIVERSE」を贈られるなど、当時はメジャーデビューも噂されるほどの人気ユニットでした。

目黒さんにとって、中学時代から「戦友」として共に歩んできた原嘉孝さんと同じユニットで活動できたことは、大きな喜びだったはずです。

大学時代のもう一つの重要なエピソードが、舞台「滝沢歌舞伎」での代役出演です。大学3年生の時、ジャニーズJr.の谷村龍一さんのケガによる急遽の代役として出演することになった目黒さんは、すべてのセリフを1晩で覚えて滝沢秀明さんの期待に応えました。

この対応力と努力が認められ、滝沢さんも「困った時の目黒くん」と述べるほど信頼を寄せるようになります。この経験が、後の俳優としての基礎力を大きく高めることになりました。

Snow Man電撃加入と宇宙Six脱退の葛藤

大学を卒業する直前の2019年1月、目黒蓮さんの人生を大きく変える出来事が起こります。向井康二さん、村上真都ラウールさんとともに、ジャニーズJr.内ユニット「Snow Man」への電撃加入が発表されたのです。

この時点では宇宙Sixに在籍したままSnow Manと兼任する形でしたが、2020年にSnow Manがメジャーデビューする際に、宇宙Sixを脱退することになりました。

しかしこの決断は目黒さんにとって非常に複雑な心境を伴うものでした。宇宙Sixのメンバーを気遣い、特に中学時代から共に歩んできた原嘉孝さんとの別れには大きな葛藤があったことをインタビューで明かしています。

「Snow Man一本に絞るってなった時は、複雑な気持ちもありましたけど、宇宙Sixのメンバーもみんな理解してくれて。『お前ならできるし、素質あるから絶対いけると思っていたよ』みたいな、信じられないくらいあったかい言葉をかけてくれて」と当時の心境を語っています。

原嘉孝さんは「本当によかった」と言ってくれて、目黒さんは感動したそうです。戦友として共に苦しい時期を乗り越えてきた仲間だからこそ、互いの成功を心から喜び合えたのでしょう。

目黒さんは無事に大学を卒業し、大学を卒業した際のインタビューでは「僕は佐久間くんがいたから大学には入れて、阿部ちゃんがいたから卒業できた」と改めて感謝の言葉を述べていました。

2019年の12月からSnow Manはジャニーズ事務所初のYouTubeチャンネル「ジャニーズJr.チャンネル」の曜日レギュラーに起用され、そして2020年にメジャーデビューを果たします。

一方、かつて在籍していた宇宙Sixは2020年10月にメンバーの不祥事などもあり解散しており、Snow Manとは真逆の道を辿ることになりました。この明暗は、目黒さんにとって複雑な思いを抱かせたはずです。

俳優・モデルとしての飛躍と出身地からの成長

Snow Manとしてメジャーデビューした後、目黒蓮さんは俳優やファッションモデルとしても高い人気を誇るようになります。

2019年には連続ドラマで初主演を果たし、2022年には女性ファッション誌「ViVi」がおこなった人気投票「2022年上半期イケメンランキング」で1位を獲得しました。イケメンで高身長、スタイル抜群の目黒さんは、メジャーデビュー後にグループ内でも人気メンバーとなっていきます。

そして2022年のフジテレビ系ドラマ「silent」での演技が社会現象を巻き起こすほどの反響を呼び、NHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」にも出演するなど、俳優としての評価を確立していきました。

2024年2月1日にはFENDIのジャパンブランドアンバサダーに就任し、日本人初の就任という快挙を成し遂げます。この日におこなわれたインスタライブでは、喜びとスタッフへの感謝の気持ちを涙を流しながら伝える姿が話題となりました。

東京都大田区池上という下町の環境で育ち、小学校時代はサッカーに夢中だった少年が、中学でジャニーズ事務所に入所してから約10年近い下積み期間を経て、ついに大きな成功を掴んだのです。

同期のバックダンサーとして踊る屈辱を味わい、何度も辞めたいと思いながらも、祖母の言葉やSMAPの楽曲、そして滝沢秀明さんとの出会いに支えられて踏みとどまり続けました。

大学進学と卒業を可能にしてくれた佐久間大介さんと阿部亮平さん、戦友として共に歩んだ原嘉孝さん、そして何より息子のために建設会社を立ち上げ、不良グループとの問題も解決してくれた父親、常に応援してくれた母親と弟、オーディションに連れていってくれた祖母など、多くの人々の支えがあって今の目黒蓮さんがあります。

出身地である大田区池上の環境、サッカーで培った身体能力と精神力、辛い下積み時代の経験、そして周囲の人々への感謝の気持ち。

これら全てが現在の目黒蓮さんを形作っており、彼の魅力となって多くのファンを惹きつけているのです。ファンや周りの人を大切にする優しい目黒蓮さんは、これからもますます活躍していくことでしょう。

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