百田夏菜子の高校は日出高校|浜松から新幹線通学の実態と松岡茉優ら豪華同級生との青春

ももいろクローバーZのリーダーとして活躍する百田夏菜子さんの出身高校は、芸能人御用達として知られる日出高校(現・目黒日本大学高校)です。

百田さんは静岡県浜松市の実家から新幹線で通学するという過酷な高校生活を送りながら、ももクロの活動と学業を両立させていました。

さらに驚くべきは、百田さんの高校時代の同級生です。女優の松岡茉優さん、シンガーソングライターの家入レオさん、E-girlsのメンバーなど、現在活躍する芸能人が同学年に多数在籍していました。

本記事では、百田さんの高校時代の実態と、松岡茉優さんをはじめとする同級生との青春、そしてももクロがブレイクした多忙な3年間について詳しく解説します。

  1. 百田夏菜子の出身高校は日出高校【芸能コース】
    1. 日出高校芸能コースの特徴と偏差値
    2. なぜ日出高校を選んだのか|堀越高校との比較
    3. 芸能コースのカリキュラムと学校生活
  2. 百田夏菜子の浜松から東京への新幹線通学の実態
    1. 実家暮らしを続けた理由
    2. 浜松-東京間の通学パターンと身体的負担
    3. 芸能活動と通学の両立の困難さ
  3. 百田夏菜子の高校時代の同級生が豪華すぎる
    1. 松岡茉優との親友関係の始まり
    2. E-girlsメンバーがダンスコーチ役を務めた学園祭
    3. 家入レオ、鈴木愛理、朝日奈央らとの交流
    4. 能條愛未、日高里菜ら他の同級生たち
  4. 百田夏菜子の高校時代の学業と学校生活
    1. 勉強は苦手だったが体育は得意
    2. 「最初は静かな子」から「うぇ~い」キャラへの変貌
    3. 授業中の居眠りエピソードと卒業までの道のり
  5. 高校時代のももいろクローバーの軌跡
    1. 高校1年生|メジャーデビュー「行くぜっ!怪盗少女」
    2. 高校2年生|早見あかりの脱退と試練の時期
    3. 高校3年生|ブレイクと紅白初出場
  6. 百田夏菜子が大学に進学しなかった理由
    1. 勉強が苦手だった現実と学業への適性
    2. ももクロの活動が最盛期を迎えていた
    3. 同級生たちの進路との比較
  7. 百田夏菜子の中学時代|ももクロ結成期
    1. 浜松市立入野中学校での生活
    2. 中学2年生でももいろクローバー結成
    3. ヤマダ電機前のフリーライブと下積み時代
    4. 新木優子との「盟友」関係
  8. 百田夏菜子の小学校時代とルーツ
    1. 浜松市立入野小学校での活発な少女時代
    2. 小学5年生で芸能界入り
    3. ケーキ屋さんになりたかった夢から芸能界へ
    4. 家族構成と家庭環境
  9. 百田夏菜子の現在|女優・タレントとしての活躍
    1. ももクロのリーダーとしての成長
    2. NHK朝ドラでの好演と女優としての評価
    3. 堂本剛との結婚と新たな人生のステージ
  10. まとめ

百田夏菜子の出身高校は日出高校【芸能コース】

日出高校芸能コースの特徴と偏差値

百田夏菜子さんの出身高校は、東京都目黒区にある日出高校の芸能コースです。同校の芸能コースの偏差値は42で、学力的には容易なレベルに位置づけられます。

ただし、この偏差値の低さは決して教育の質が低いことを意味するわけではありません。芸能コースは芸能活動との両立を前提としたカリキュラムが組まれており、一般的な進学校とは異なる教育方針を採用しているためです。

日出高校は1903年に創立された歴史ある学校で、1992年に芸能コースが設置されました。芸能コースの最大の特徴は、出席日数やカリキュラムの柔軟性です。

通常の高校では出席日数が厳格に定められていますが、芸能コースでは仕事での欠席を考慮し、レポート提出や補講で単位を取得できる仕組みになっています。

これにより、多忙な芸能活動を続けながらも高校を卒業することが可能になっているのです。

また、同校では芸能人としての基礎教養も重視されており、礼儀作法やコミュニケーション能力を養うカリキュラムも組み込まれています。

教師陣も芸能界の特殊性を理解しており、生徒一人ひとりの状況に合わせた柔軟な対応をしてくれます。このような環境が、多くの芸能人から支持される理由となっています。

なお、日出高校は2019年に日本大学の系列校となり、目黒日本大学高校に改称されました。現在も芸能コースは存在し、多くの芸能人が在籍しています。

百田さんが在籍していた2009年から2012年の時期は、まだ日出高校という名称でした。

なぜ日出高校を選んだのか|堀越高校との比較

芸能人御用達の高校として、日出高校と並んで有名なのが堀越高校です。百田さんがなぜ日出高校を選んだのか、その理由を考察してみましょう。

堀越高校は東京都中野区に位置し、日出高校は目黒区にあります。どちらも都心に近く、芸能活動の拠点となる渋谷や原宿、六本木などへのアクセスは良好です。

しかし、立地の微妙な違いが選択に影響を与えた可能性があります。日出高校は東急東横線の学芸大学駅や都立大学駅が最寄りで、渋谷方面へのアクセスが便利です。

一方、堀越高校は中野坂上駅が最寄りで、新宿方面に近い立地となっています。

百田さんが所属するももいろクローバーの事務所であるスターダストプロモーションは渋谷に拠点があり、レッスンスタジオなども渋谷周辺に多く存在します。

このため、日出高校の方が事務所やレッスンスタジオへのアクセスが良く、効率的に活動できたと考えられます。

また、校風の違いも選択理由の一つかもしれません。堀越高校は比較的規律を重んじる校風で知られており、芸能コースでも一定の規則があります。

一方、日出高校はより自由な校風で、生徒の自主性を尊重する傾向があります。百田さんの明るく活発な性格を考えると、自由度の高い日出高校の方が性に合っていたのかもしれません。

さらに、芸能事務所との関係性も影響している可能性があります。スターダストプロモーションの所属タレントは日出高校に進学するケースが多く、事務所としても日出高校との連携が取りやすかったと推測されます。

同じ事務所の先輩や後輩が在籍していることで、学校生活やスケジュール調整がスムーズに進むというメリットもあったでしょう。

芸能コースのカリキュラムと学校生活

百田夏菜子の高校は日出高校|浜松から新幹線通学の実態と松岡茉優ら豪華同級生との青春

日出高校の芸能コースは、一般コースとは異なる特別なカリキュラムが組まれています。午前中は通常の授業が行われますが、午後は芸能活動に充てることができるよう、時間割が調整されています。

また、仕事が入った場合は授業を欠席することが認められており、後日レポートを提出することで出席扱いとされます。

百田さんの場合、中学2年生の時からももいろクローバーのメンバーとして活動していました。高校入学時点では、まだ無名のアイドルグループでしたが、全国各地でライブ活動を行っており、学校を休むことも多かったはずです。

しかし、芸能コースの柔軟な制度のおかげで、単位を落とすことなく進級・卒業することができました。

授業内容も、一般的な進学校とは異なります。受験対策よりも、実践的な教養や社会人としての基礎力を身につけることに重点が置かれています。

芸能人として社会に出た際に必要となるマナーやコミュニケーション能力、契約に関する法律知識など、実用的な内容も含まれています。

ただし、百田さんは後のインタビューで「授業中によく居眠りをしていた」と語っています。これは浜松からの長距離通学と芸能活動の疲れが原因だったと考えられますが、それでも卒業できたことは、日出高校のサポート体制が充実していた証拠と言えるでしょう。

百田夏菜子の浜松から東京への新幹線通学の実態

実家暮らしを続けた理由

百田夏菜子さんは日出高校に進学後も、静岡県浜松市の実家から通学していました。これは非常に珍しいケースです。

通常、地方出身の芸能人が東京の高校に進学する場合、東京都内や近郊に住居を構えるか、学生寮に入るのが一般的です。しかし、百田さんは高校3年間を通じて実家から通い続けました。

なぜ百田さんは実家暮らしを続けたのでしょうか。いくつかの理由が考えられます。まず、家族の支えが精神的な安定につながっていた可能性があります。

百田さんは家族構成として両親と兄、弟の5人家族で、家族仲が非常に良好だったと言われています。

芸能活動という不安定な環境の中で、家族と過ごす時間が心の拠り所になっていたのかもしれません。

また、経済的な理由も考えられます。東京で一人暮らしをする場合、家賃や生活費がかかります。

当時のももいろクローバーはまだブレイク前で、収入も安定していなかったはずです。実家から通学することで、経費を抑えることができたという側面もあったでしょう。

さらに、百田さん自身が地元の浜松に愛着を持っていたことも理由の一つと考えられます。小学校、中学校と地元で過ごし、友人や慣れ親しんだ環境を離れたくなかったという思いがあったのかもしれません。

実際、百田さんは現在でも浜松を大切にしており、地元のイベントにも積極的に参加しています。

浜松-東京間の通学パターンと身体的負担

浜松駅から東京駅まで、東海道新幹線「ひかり」を利用すると約1時間30分かかります。そこから目黒区の日出高校までは、東京駅から山手線で品川駅へ、品川駅から東急東横線で学芸大学駅または都立大学駅へ向かう必要があります。

乗り換え時間を含めると、自宅から学校までの片道所要時間は約2時間から2時間30分と推測されます。

往復で4時間から5時間もの通学時間は、高校生にとって大きな負担です。朝7時に自宅を出発すれば、学校に到着するのは9時過ぎです。

授業が午後まであれば帰宅は夕方以降となり、その後にももクロの活動が入ることもありました。このような生活を3年間続けることは、並大抵の体力と精神力では不可能だったでしょう。

百田さんが「授業中によく居眠りをしていた」と語っているのは、この通学の疲れが大きな原因だったと考えられます。新幹線の中で睡眠を取ることもあったでしょうが、移動中の睡眠では疲れは完全には取れません。

慢性的な睡眠不足の状態で高校生活を送っていた可能性が高いです。

ただし、毎日通学していたわけではない可能性もあります。日出高校の芸能コースは出席日数に柔軟性があるため、週に2〜3日程度の登校で済む場合もあります。

ももクロの活動が入っていない日に集中して登校し、仕事がある日はレポート提出で対応していたのかもしれません。それでも、長距離通学の負担は相当なものだったはずです。

芸能活動と通学の両立の困難さ

百田さんの高校時代は、ももいろクローバーの活動が最も過酷だった時期と重なります。特に高校1年生の頃は、まだ無名のアイドルグループとして、全国各地を回って地道な営業活動を続けていました。

ヤマダ電機の店先でフリーライブを行うなど、今では考えられないような下積み時代を経験しています。

ワゴン車で全国を移動し、地方の家電量販店やショッピングモールでライブを行う日々。メンバーは朝早くに東京を出発し、地方でライブを行った後、夜遅くに東京に戻るというスケジュールでした。

こうした活動の合間に、浜松の実家に帰り、さらに東京の学校に通うという生活は、想像を絶する忙しさだったはずです。

高校2年生になると、サブリーダーだった早見あかりさんがグループを脱退するという試練に直面します。

この時期、百田さんはリーダーとしての責任を強く感じ、グループを支える役割を担うようになりました。精神的なプレッシャーも大きく、学業との両立はさらに困難になっていったと考えられます。

高校3年生になると、ももクロはついにブレイクを果たします。日本武道館での初公演、NHK紅白歌合戦への初出場など、快挙が続きました。

しかし、これは同時に仕事量が激増したことを意味します。通常であれば受験勉強に専念する高校3年生の時期に、最も多忙な状況に置かれていたのです。

それでも百田さんは高校を無事に卒業しました。これは百田さん本人の努力はもちろんですが、日出高校のサポート体制と、家族の支えがあったからこそ実現できたことでしょう。

高校時代を振り返って「一番いい時期で今になっても高校時代はやっぱ楽しかった思い出しかない」と語る百田さんの言葉からは、過酷な状況の中でも充実した青春を送れたことがうかがえます。

百田夏菜子の高校時代の同級生が豪華すぎる

松岡茉優との親友関係の始まり

百田夏菜子さんの高校時代の同級生で最も有名なのが、女優の松岡茉優さんです。2人は現在でも親友の関係を続けており、その友情の始まりは高校時代に遡ります。

松岡茉優さんは転校生として日出高校に入学しました。新しい環境に馴染めず、約1年間はクラスで孤立していたそうです。

内気な性格だった松岡さんは、自分から積極的に話しかけることができず、友達を作るのに苦労していました。そんな松岡さんに声をかけ続けたのが、百田夏菜子さんでした。

百田さんは明るく活発な性格で、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプです。松岡さんが一人でいることに気づいた百田さんは、しつこいほど声をかけ続けました。

最初は戸惑っていた松岡さんも、百田さんの屈託のない笑顔と優しさに触れるうちに、徐々に心を開いていきました。やがて松岡さんはクラスメイトとも打ち解け、充実した高校生活を送れるようになったのです。

後に松岡さんは、百田さんのことを「太陽だった」と表現しています。暗闇の中で一人悩んでいた松岡さんを照らし、温かく包み込んでくれた存在が百田さんだったのです。

この表現からは、百田さんが松岡さんの高校生活を救ったと言っても過言ではないことが分かります。

2人の友情を象徴するエピソードの一つが、校内で「変なおじさん」を踊ったことです。志村けんさんの有名なコントのキャラクターである「変なおじさん」のダンスを、2人で校内で披露したそうです。

このようなユーモラスなエピソードからも、2人の気の置けない関係性がうかがえます。

2人は卒業後も親友関係を続けており、プライベートでも頻繁に会っています。2015年にはテレビ番組「ボクらの時代」に百田さん、松岡さん、そして同級生の家入レオさんの3人で出演し、高校時代の思い出を語り合いました。

現在も互いの仕事を応援し合う関係が続いており、SNSでも時折2人の交流が見られます。

E-girlsメンバーがダンスコーチ役を務めた学園祭

百田夏菜子の高校は日出高校|浜松から新幹線通学の実態と松岡茉優ら豪華同級生との青春

百田さんの同級生には、E-girlsのメンバーも在籍していました。藤井萩花さんと重留真波さんです。2人はダンスの実力が非常に高く、後にE-girlsのメインダンサーとして活躍することになります。

高校1年生の学園祭で、百田さんのクラスはダンスパフォーマンスを披露することになりました。

その際、振付やコーチ役を務めたのが藤井萩花さんと重留真波さんでした。2人は本格的なダンスの技術を持っており、クラスメイトたちに丁寧に指導してくれたそうです。

百田さん自身、3歳から新体操を10年間習っており、ジャズダンスの経験もありました。そのため、ダンスの基礎はできていましたが、E-girlsのメンバーから直接指導を受けることで、さらにレベルアップできたはずです。

この経験は、ももクロのライブパフォーマンスにも活かされていると考えられます。

学園祭でのダンスパフォーマンスは、本格的な仕上がりになったそうです。藤井さんと重留さんの指導のもと、クラス全体が一丸となって練習に取り組みました。

プロのダンサーから直接学べる機会は貴重であり、クラスメイトたちにとっても忘れられない思い出になったことでしょう。

この学園祭のエピソードは、日出高校の芸能コースならではの光景と言えます。将来的にプロとして活躍するメンバーが同じクラスに在籍し、互いに切磋琢磨できる環境。

これこそが、日出高校が多くの芸能人から選ばれる理由の一つなのです。

家入レオ、鈴木愛理、朝日奈央らとの交流

百田さんの同級生には、他にも多数の著名人がいます。シンガーソングライターの家入レオさん、℃-uteのメンバーだった鈴木愛理さん、アイドリング!!!のメンバーだった朝日奈央さんなどです。

家入レオさんは、百田さん、松岡茉優さんとともに「ボクらの時代」に出演した際、高校時代の思い出を語り合いました。

3人はクラスメイトとして、学園祭や日常の学校生活を共に過ごしました。家入さんは音楽の才能に恵まれており、高校時代から楽曲制作を行っていました。百田さんたちは、家入さんの歌声に魅了されていたそうです。

鈴木愛理さんは、百田さんとは対照的に勉強が得意でした。百田さんは勉強が苦手で、テスト前になると鈴木さんに教えてもらっていたそうです。

同じく勉強が苦手だった朝日奈央さんも一緒に、鈴木さんから勉強を教わっていました。鈴木さんは後に慶應義塾大学に進学しており、その学力の高さがうかがえます。

朝日奈央さんは、百田さんと同じくアイドルとして活動していました。アイドリング!!!のメンバーとして、百田さんのももクロと同様、地道な活動を続けていました。

お互いの苦労を理解し合える仲間として、励まし合っていたのかもしれません。朝日奈央さんも勉強が苦手で、百田さんと一緒に鈴木愛理さんに勉強を教わっていたというエピソードからは、3人の微笑ましい関係性が伝わってきます。

百田さんはラジオ番組で「高校時代に数学でクラス2位になったことがある」と主張したことがありますが、共演していた松岡茉優さんに即座に否定されています。

このやり取りからも、2人の気の置けない関係性と、百田さんの天然なキャラクターが垣間見えます。

能條愛未、日高里菜ら他の同級生たち

百田さんの同級生には、他にも著名な芸能人が多数在籍していました。乃木坂46の元メンバーである能條愛未さん、声優の日高里菜さん、アイドルの円田はるかさんなどです。

能條愛未さんは、乃木坂46の1期生として2011年にデビューしました。百田さんが高校2年生の時です。

能條さんは乃木坂46の活動と学業を両立させながら、高校を卒業しています。百田さんとは同じアイドルとして、共感できる部分も多かったのではないでしょうか。

日高里菜さんは、声優として数多くのアニメ作品に出演しています。代表作には「ロウきゅーぶ!」「この素晴らしい世界に祝福を!」などがあります。

声優業も芸能活動の一つであり、日出高校の芸能コースに在籍していました。百田さんとは直接的な交流があったかは不明ですが、同じクラスや学年にいた可能性は高いです。

円田はるかさんは、アイドルグループ「bump.y」のメンバーとして活動していました。百田さんと同じくアイドルとして、学業と芸能活動の両立に奮闘していたはずです。

このように、百田夏菜子さんの高校時代の同級生は、現在各分野で活躍する豪華なメンバーでした。日出高校の2010年度卒業生は、芸能界において特に華やかな世代として知られています。

将来的にトップクラスの活躍をするメンバーが同じ学年に在籍していたことは、百田さんにとっても大きな刺激になったはずです。互いに切磋琢磨し、励まし合いながら、それぞれの道を歩んでいったのです。

百田夏菜子の高校時代の学業と学校生活

勉強は苦手だったが体育は得意

百田夏菜子さんは、小学校時代から勉強が苦手でした。この傾向は高校時代も変わらず、テストの成績はあまり良くなかったようです。

前述のように、勉強が得意だった鈴木愛理さんや松岡茉優さんに教えてもらいながら、なんとか単位を取得していました。

百田さんの天然なエピソードの一つが、ラジオ番組で「高校時代に数学でクラス2位になったことがある」と発言したことです。

しかし、同じ番組に出演していた松岡茉優さんが即座に「それはない」と否定しました。松岡さんは百田さんの成績をよく知っていたため、その発言がありえないことをすぐに見抜いたのです。

このやり取りは、2人の親しい関係性を示すと同時に、百田さんの記憶違いまたは冗談好きな性格を表しています。

一方で、百田さんは体育の成績は非常に優秀でした。3歳から10年間続けた新体操、ジャズダンス、バスケットボールなど、幼少期からスポーツに親しんできた百田さんは、運動神経が抜群です。高校でも体育の授業では活躍し、成績も良好だったそうです。

体育祭では騎馬戦で大活躍したというエピソードもあります。百田さんの身長は155cmと小柄ですが、機敏な動きと優れたバランス感覚で、騎馬の上から相手チームの帽子を次々と奪い取ったそうです。

クラスメイトたちからは歓声が上がり、体育祭のヒーローとなりました。

ももクロのライブでも、百田さんは「えびぞりジャンプ」を披露してファンを驚かせています。背中を大きく反らせながらジャンプする技で、新体操で培った柔軟性がなければできない高難度の動きです。

この「えびぞりジャンプ」は百田さんの代名詞の一つとなっており、ライブでの見どころとなっています。

勉強は苦手でも、身体能力の高さと表現力で存在感を示した百田さん。学業成績だけが人の価値ではないことを、百田さん自身が体現していると言えるでしょう。

「最初は静かな子」から「うぇ~い」キャラへの変貌

百田さんは入学当初、クラスメイトから「静かで真面目な子」と思われていました。これは意外に思えるかもしれませんが、百田さん本人がインタビューで明かしています。

「クラスメイトから、始めは静かな子だと思われてました。話しかけられたら話せるんですけど、一言目が苦手なんです。席も一番窓側で、普通に先生の言ってることをノートに書いていたら、すごいマジメで大人しい子だと思ったみたいで…。なんかネコかぶってたんでしょうね。『あっ、うーん』とか言って」

この発言から、百田さんは最初の頃、本来の自分を出せずにいたことが分かります。

新しい環境で緊張していたのか、それとも周囲の様子を見ていたのか、理由は定かではありませんが、「一言目が苦手」という性格が影響していたようです。

しかし、この静かなイメージは長くは続きませんでした。わずか1週間で、百田さんの本性が現れたのです。きっかけは体育の着替えの時間でした。

「体育の着替えの時にノリがいい子の『うぇ~い』っていうノリに乗ってしまって、そのイメージは1週間で崩れました(笑)」

この「うぇ~い」というノリに乗ってしまったエピソードは、百田さんらしさが表れています。本来明るく活発な性格の百田さんは、周囲の楽しい雰囲気に触発され、自然と本来の姿を見せてしまったのです。そこからは、誰もが知る明るい百田夏菜子として、クラスの人気者になっていきました。

この変化は、百田さんが新しい環境に馴染み、安心して自分を出せるようになったことを示しています。

最初は緊張していても、すぐに本来の自分を取り戻せる適応力の高さは、芸能人として様々な現場で活動する上でも重要な資質と言えるでしょう。

授業中の居眠りエピソードと卒業までの道のり

百田夏菜子の高校は日出高校|浜松から新幹線通学の実態と松岡茉優ら豪華同級生との青春

百田さんは高校時代、授業中によく居眠りをしていたことを認めています。これは決してやる気がなかったわけではなく、浜松からの長距離通学とももクロの活動による慢性的な睡眠不足が原因でした。

浜松から東京まで片道約2時間の新幹線通学は、それだけで体力を消耗します。朝早く起きて新幹線に乗り、学校に到着する頃にはすでに疲れている状態です。

さらに、前日の夜遅くまでももクロのライブやレッスンがあった場合、十分な睡眠時間を確保できないこともあったでしょう。

授業中の居眠りは、教師から注意されることもあったはずです。しかし、日出高校の教師陣は芸能活動の特殊性を理解しており、頭ごなしに叱ることはなかったようです。

むしろ、百田さんの努力を認め、サポートしてくれていました。

出席日数が足りない場合は、レポート提出で補うことができました。百田さんも、休んだ授業の内容をレポートにまとめて提出することで、単位を取得していたと考えられます。

友人の鈴木愛理さんや松岡茉優さんがノートを貸してくれたり、授業内容を教えてくれたりと、周囲のサポートもあったでしょう。

勉強が苦手で、授業中に居眠りもしていた百田さんですが、最終的には無事に高校を卒業しています。

これは百田さん本人の努力はもちろん、日出高校の柔軟な制度と、友人や教師のサポートがあったからこそ実現できたことです。

高校時代を振り返って、百田さんは「一番いい時期で今になっても高校時代はやっぱ楽しかった思い出しかない」と語っています。

過酷な状況の中でも、充実した3年間を過ごせたことが、この言葉から伝わってきます。

高校時代のももいろクローバーの軌跡

高校1年生|メジャーデビュー「行くぜっ!怪盗少女」

2010年5月、百田さんが高校1年生の時に、ももいろクローバーは「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビューを飾りました。

これは百田さんにとって、高校生活とアイドル活動の両方が本格的に始まる重要な時期でした。

「行くぜっ!怪盗少女」は、ももクロの代表曲の一つとして現在も愛されていますが、リリース当初の反応は決して良いものではありませんでした。

オリコンチャートでは最高23位と、注目度は高くありませんでした。テレビ出演の機会も少なく、知名度はほとんどありませんでした。

当時のももクロは、メジャーデビューしたとはいえ、まだ無名のアイドルグループでした。ワゴン車で全国を回り、ヤマダ電機などの家電量販店の店先でフリーライブを行う日々が続いていました。観客がほとんどいない中、メンバーたちは必死にパフォーマンスを続けました。

百田さんにとって、この時期は非常に辛い経験だったはずです。高校に入学したばかりで新しい環境に慣れる必要があり、さらに浜松からの長距離通学という負担もありました。

その上、アイドル活動では報われない日々が続いていました。多くの人に知られることなく、小さなステージで歌い続ける虚しさを感じることもあったでしょう。

しかし、百田さんはこの時期を耐え抜きました。メンバーたちと励まし合い、ファンとの出会いを大切にしながら、一歩ずつ前に進んでいきました。

この下積み時代の経験が、後のももクロの成功の基盤となったのです。

高校2年生|早見あかりの脱退と試練の時期

2011年4月、百田さんが高校2年生になった直後、グループに大きな転機が訪れました。サブリーダーだった早見あかりさんが、ももいろクローバーからの脱退を発表したのです。

この出来事は、百田さんにとって大きな衝撃でした。

早見あかりさんは、ももクロの立ち上げメンバーの一人であり、サブリーダーとしてグループを支えていました。

その早見さんが「女優として本格的に活動したい」という理由で脱退を決意したことは、残されたメンバーにとって大きな痛手でした。

百田さんはこの時、リーダーとしての責任を強く感じるようになりました。早見さんの脱退後、グループの結束を保ち、前に進んでいくためには、リーダーである自分がしっかりしなければならない。そんな思いが百田さんの中で強くなっていきました。

この時期、百田さんは高校でも、ももクロでも、精神的に大きな成長を遂げました。友人の松岡茉優さんや家入レオさんとの交流が、百田さんの心の支えになっていたかもしれません。

また、家族との時間も、百田さんにとって重要な癒しの時間だったでしょう。

早見さんの脱退は試練でしたが、同時にグループが新たなステージへ進むための転機でもありました。

4人体制となったももクロは、より結束を強め、新しい魅力を打ち出していくことになります。

高校3年生|ブレイクと紅白初出場

2012年、百田さんが高校3年生の時、ももいろクローバーZはついにブレイクを果たします。この年は百田さんにとって、人生で最も忙しく、最も充実した1年となりました。

3月には日本武道館で初の単独公演を開催しました。無名だった頃、ヤマダ電機の店先で数人の観客に向けて歌っていたグループが、1万人を収容する日本武道館のステージに立つ。

この快挙は、百田さんたちの努力が報われた瞬間でした。

武道館公演の成功は、ももクロの知名度を一気に高めました。テレビ出演の機会も増え、楽曲もヒットするようになりました。

「猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』」「サラバ、愛しき悲しみたちよ」などの楽曲が、オリコンチャートで上位にランクインしました。

そして12月、ももいろクローバーZはNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。これは日本のアイドルグループにとって最高の栄誉の一つであり、ももクロが国民的アイドルグループとして認められた証でした。

しかし、この華々しい成功の裏で、百田さんは高校3年生という受験生の時期を過ごしていました。通常であれば、進路を決め、受験勉強に専念する時期です。

しかし、百田さんには勉強に集中する時間はほとんどありませんでした。ライブ、テレビ出演、レコーディングと、スケジュールは分刻みで埋まっていました。

浜松からの通学もあり、学校に登校できる日は限られていました。授業中は疲れて居眠りをしてしまうこともありましたが、それでも百田さんは高校を卒業することができました。

友人や教師のサポート、そして日出高校の柔軟な制度があったからこそ、実現できたことです。

高校3年生の1年間は、百田さんにとって夢のような時間であると同時に、過酷な試練の連続でもありました。

しかし、この経験が百田さんを一回りも二回りも成長させ、プロのエンターテイナーとしての基盤を作り上げたのです。

百田夏菜子が大学に進学しなかった理由

勉強が苦手だった現実と学業への適性

百田夏菜子さんが大学に進学しなかった理由の一つは、学業への適性が低かったことです。小学校時代から勉強が苦手だった百田さんは、高校時代も成績は芳しくありませんでした。

前述のように、百田さんは高校時代、勉強が得意だった鈴木愛理さんや松岡茉優さんに教えてもらいながら、なんとか単位を取得していました。

自分一人では理解できない内容も多く、友人の助けがなければ卒業も危うかったかもしれません。

また、百田さん自身も勉強に対する興味や意欲が高くなかったと推測されます。授業中によく居眠りをしていたことや、「数学でクラス2位になった」という記憶違いのエピソードからも、学業に真剣に取り組んでいたとは言い難い状況がうかがえます。

大学受験には、一定以上の学力と、長期間にわたる受験勉強が必要です。百田さんの学力レベルと学習習慣を考えると、大学受験に挑戦するのは現実的ではなかったでしょう。

仮に受験したとしても、合格できる大学は限られていたはずです。

また、日出高校の芸能コースは、大学進学を前提としたカリキュラムではありません。進学校のような受験対策授業はなく、むしろ芸能活動と学業の両立を支援する内容になっています。

このため、大学受験を目指す生徒は少なく、百田さんも当初から大学進学は考えていなかった可能性が高いです。

ももクロの活動が最盛期を迎えていた

百田夏菜子の高校は日出高校|浜松から新幹線通学の実態と松岡茉優ら豪華同級生との青春

百田さんが大学に進学しなかった最大の理由は、ももいろクローバーZの活動が最盛期を迎えていたことです。高校卒業時点で、ももクロはすでにNHK紅白歌合戦に出場するほどの人気グループになっていました。

2013年以降、ももクロの快進撃は続きました。

全国ツアー、大規模な野外ライブ、映画出演、バラエティ番組のレギュラーなど、仕事のオファーは引っ切り無しに舞い込みました。この状況で大学に通うことは、物理的にも不可能でした。

百田さん自身、リーダーとしての責任も感じていたはずです。グループの顔として、メンバーをまとめ、ファンの期待に応えていく。

そのためには、芸能活動に100%の力を注ぐ必要がありました。大学に通うことで時間を取られ、ももクロの活動に支障が出ることは避けたかったでしょう。

また、経済的な観点から見ても、大学に進学する必要性は低かったと言えます。ももクロのメンバーとして、百田さんはすでに安定した収入を得ていました。

大学で学ぶことよりも、芸能界で経験を積むことの方が、百田さんのキャリアにとって有益だったのです。

大学に進学せず芸能活動に専念するという選択は、百田さんにとって正しい判断でした。その後のももクロの成功と、百田さん個人の女優としての活躍を見れば、この選択が間違っていなかったことは明らかです。

同級生たちの進路との比較

百田さんの高校時代の同級生たちは、それぞれ異なる進路を選びました。この比較から、百田さんの選択がどのような意味を持つのかを考察してみましょう。

松岡茉優さんは、百田さんと同様に大学には進学しませんでした。松岡さんは子役時代から女優として活動しており、高校卒業後は女優業に専念する道を選びました。

この選択は正解で、松岡さんはその後、数多くの映画やドラマで主演を務め、日本を代表する若手女優の一人となりました。

家入レオさんも大学には進学せず、音楽活動に専念しました。高校時代から楽曲制作を行っていた家入さんは、プロのシンガーソングライターとしての道を歩むことを選びました。

その後、「サブリナ」「Shine」などのヒット曲を生み出し、紅白歌合戦にも出場するなど、成功を収めています。

一方、鈴木愛理さんは慶應義塾大学環境情報学部に進学しました。℃-uteのメンバーとして活動しながら大学に通い、見事に両立させました。

2017年に℃-uteが解散した後も、ソロアーティストとして活動を続けながら、大学で学んだ知識を活かしています。

朝日奈央さんは、アイドリング!!!の活動を続けながら、短期大学に進学したと言われています。学業と芸能活動の両立を選択し、より幅広い選択肢を持つことを重視したのでしょう。

このように、百田さんの同級生たちはそれぞれ異なる進路を選びましたが、いずれの選択も正解でした。

大学に進学することが必ずしも正しいわけではなく、自分の目標や状況に応じて最適な選択をすることが重要なのです。

百田さんにとって、大学に進学せず芸能活動に専念することが最善の選択でした。学業よりも実践の場で経験を積むことを選んだ百田さんは、その後の活躍によって、この選択が正しかったことを証明しています。

百田夏菜子の中学時代|ももクロ結成期

浜松市立入野中学校での生活

百田夏菜子さんの出身中学校は、静岡県浜松市にある公立校の浜松市立入野中学校です。地元の中学校で、小学校時代の友人たちとともに進学しました。

百田さんは2007年4月に入学し、2010年3月に卒業しています。

中学時代の百田さんは、バスケットボール部に所属していました。小学校時代もバスケットボールをしていた百田さんは、中学でも引き続きこのスポーツに打ち込みました。

身長155cmと小柄ですが、俊敏な動きと優れたハンドリング技術で、チームの中心選手として活躍していたそうです。

運動神経の良さは、幼少期からの新体操やダンスの経験によって培われたものです。バスケットボールでは、瞬発力や判断力、チームワークが求められますが、百田さんはこれらの能力に優れていました。部活動を通じて、仲間と協力することの大切さや、努力することの意義を学んだはずです。

中学時代の百田さんは、地元の友人たちと普通の中学生生活を楽しんでいました。芸能活動はしていましたが、まだ本格的な仕事は少なく、学校生活が中心でした。

友人たちとおしゃべりをしたり、放課後に遊んだりと、ごく普通の青春を過ごしていたのです。

中学2年生でももいろクローバー結成

百田さんの人生が大きく変わったのは、中学2年生の時でした。2008年5月、百田さんは玉井詩織さん、高城れにさんとともに、「ももいろクローバー」の立ち上げメンバーとなりました。これが、百田さんのアイドルとしてのキャリアの始まりです。

ももいろクローバーは、スターダストプロモーションが立ち上げた新人アイドルグループでした。当初はストリートライブを中心に活動し、知名度はほとんどありませんでした。

百田さんたち立ち上げメンバーは、東京の代々木公園や渋谷などで、通行人に向けてパフォーマンスを行いました。

中学生だった百田さんにとって、この活動は大きな挑戦でした。浜松から東京まで通い、レッスンやライブに参加する日々。

学業との両立も大変で、テスト勉強の時間を確保するのも一苦労だったでしょう。

ストリートライブでは、立ち止まって見てくれる人はほとんどいませんでした。多くの通行人は無関心に通り過ぎ、時には冷たい視線を向けられることもありました。

しかし、百田さんたちは諦めずに歌い続けました。たとえ観客が一人でも、全力でパフォーマンスをする。そんな姿勢を貫いていました。

中学3年生になると、ももクロは「ももいろパンチ」でインディーズデビューを果たします。しかし、注目度は依然として低く、CDの売上もわずかでした。

それでもメンバーたちは、いつか必ず報われると信じて、活動を続けました。

ヤマダ電機前のフリーライブと下積み時代

ももクロの下積み時代を象徴するのが、ヤマダ電機の店先でのフリーライブです。百田さんが中学3年生から高校1年生にかけての時期、ももクロは全国のヤマダ電機やその他の家電量販店を回り、店先でライブを行っていました。

ワゴン車に機材を積み込み、朝早く東京を出発します。地方のヤマダ電機に到着すると、駐車場の一角にステージを設営し、ライブを開催します。

観客はまばらで、通りすがりの買い物客が少し立ち止まる程度。それでもメンバーたちは全力でパフォーマンスを行いました。

百田さんにとって、この時期は精神的に辛い時期でした。アイドルとして活動しているのに、誰にも認知されていない。テレビに出ることもなく、CDも売れない。この状況が永遠に続くのではないかという不安もあったでしょう。

しかし、こうした地道な活動が、後のももクロの成功の基盤となりました。全国各地でライブを行うことで、少しずつファンが増えていきました。

一度ライブを見た人が、また次のライブに来てくれる。そうした積み重ねが、ももクロを支えるコアなファン層を形成していったのです。

また、この下積み時代の経験は、メンバーたちの結束を強めました。辛い時期を共に乗り越えたことで、メンバー間の絆は深まりました。

百田さんがリーダーとして、メンバーを励まし、前向きな雰囲気を保つ役割を果たしていたことも、この時期に培われたリーダーシップの表れです。

新木優子との「盟友」関係

百田さんの中学時代には、もう一つ重要な出会いがありました。それが、女優でモデルの新木優子さんです。新木さんは百田さんと同じスターダストプロモーションに所属しており、中学時代に同じレッスンを受けていました。

当時の新木さんも、まだ無名のモデル志望者でした。百田さんがももクロのメンバーとして下積みをしていた頃、新木さんもモデルとして苦労していました。

お互いに売れない時期を共に過ごした2人は、励まし合いながら努力を続けました。

新木さんは後に、ファッションモデルとして、そして女優として大きな成功を収めます。百田さんもももクロのリーダーとして、国民的アイドルとなりました。

無名だった2人がそれぞれの分野でトップクラスの活躍をするようになったことは、まさに「盟友」と呼ぶにふさわしい関係です。

現在も2人の交流は続いており、新木さんはももクロのライブに足を運ぶこともあります。中学時代に一緒にレッスンを受けていた仲間が、今も互いを応援し合っている。

この関係性は、芸能界では珍しい、貴重な友情と言えるでしょう。

百田夏菜子の小学校時代とルーツ

浜松市立入野小学校での活発な少女時代

百田夏菜子さんの出身小学校は、静岡県浜松市にある公立校の浜松市立入野小学校です。百田さんは2001年4月に入学し、2007年3月に卒業しています。

小学校時代の百田さんは、非常に活発な少女でした。友達と外で遊ぶことが好きで、いつも明るく元気な子どもだったそうです。

勉強は苦手でしたが、スポーツや身体を動かすことは大好きでした。

百田さんは3歳の頃から新体操を始めました。この習い事は小学校卒業まで10年間続き、百田さんの身体能力の基礎を作り上げました。

新体操では、柔軟性、バランス感覚、リズム感、表現力など、様々な能力が養われます。これらの能力は、後にアイドルとしてパフォーマンスをする際に大いに役立つことになります。

新体操と並行して、百田さんはジャズダンスも習っていました。ジャズダンスは、新体操とは異なるダンススタイルですが、音楽に合わせて身体を動かすという点では共通しています。

この経験も、ももクロのダンスパフォーマンスの基盤となりました。

さらに、百田さんはバスケットボールもしていました。チームスポーツであるバスケットボールを通じて、仲間と協力することの大切さや、勝つための努力を学びました。

この経験は、後にアイドルグループのメンバーとして活動する上でも重要な教訓となったはずです。

小学校時代の百田さんは、スポーツに打ち込む一方で、勉強はあまり得意ではありませんでした。テストの成績はそれほど良くなく、宿題をするのも億劫だったようです。しかし、身体を動かすことには全く苦を感じず、むしろ楽しんでいました。この傾向は、中学・高校時代も変わらず、体育の成績だけは常に優秀でした。

小学5年生で芸能界入り

百田さんの人生が大きく変わったのは、小学5年生の時でした。母親がオーディション雑誌「デビュー」に百田さんの写真を応募したことが、芸能界入りのきっかけとなりました。

「デビュー」は、芸能界を目指す子どもたちのためのオーディション情報誌で、多くの芸能事務所がこの雑誌を通じて新人を発掘していました。

百田さんの母親は、娘の明るい性格と身体能力を活かせる場として、芸能界を考えたのかもしれません。

応募の結果、百田さんはスターダストプロモーションの目に留まり、オーディションに合格しました。こうして百田さんは、現在も所属するスターダストプロモーションに入ることになったのです。

芸能界入りした当初、百田さんはジュニアモデルとして活動を開始しました。雑誌の撮影やカタログモデルなど、小規模な仕事が中心でしたが、百田さんにとっては新鮮で楽しい経験でした。

カメラの前でポーズを取ることや、スタッフとコミュニケーションを取ることは、後にアイドルとして活動する上での基礎訓練となりました。

小学校5年生で芸能界入りしたことで、百田さんの生活は大きく変わりました。レッスンに通うために東京へ行く機会が増え、学校の友達とは違う世界を見るようになりました。

しかし、百田さんは地元の小学校に通い続け、普通の小学生としての生活も大切にしていました。

ケーキ屋さんになりたかった夢から芸能界へ

芸能界入りする前、百田さんの夢はケーキ屋さんになることでした。甘いものが大好きだった百田さんは、将来ケーキを作る仕事に就きたいと考えていました。

友達とケーキ屋さんごっこをして遊んだり、母親と一緒に簡単なお菓子を作ったりすることが好きでした。

しかし、芸能界に入ったことで、百田さんの夢は変わりました。芸能界という新しい世界に触れ、多くの人に見てもらえる仕事の魅力を感じるようになったのです。

ステージに立って歌ったり踊ったりすることは、百田さんにとって自然な表現方法でした。

新体操やダンスで培った身体能力を活かせる場として、芸能界は百田さんにぴったりだったのです。

ケーキ屋さんという夢から芸能界へ。この転換は、百田さんの人生において大きな意味を持ちました。もし芸能界に入っていなければ、百田さんは地元で普通の生活を送り、別の道を歩んでいたかもしれません。

しかし、母親の応募という偶然の出来事が、百田さんをももいろクローバーZのリーダーという道へと導いたのです。

家族構成と家庭環境

百田夏菜子さんの家族構成は、両親と3歳年上の兄、6歳年下の弟の5人家族です。百田さんは3人きょうだいの真ん中として育ちました。

兄の存在は、百田さんにとって頼れる存在だったでしょう。3歳年上ということは、百田さんが小学生の頃、兄は中学生でした。

兄が先に経験したことを参考にしながら、百田さんも成長していったはずです。また、弟の面倒を見る経験は、後にももクロのリーダーとして年下のメンバーをまとめる際にも役立ったかもしれません。

百田さんの家族は、娘の芸能活動を全面的にサポートしてくれました。母親がオーディション雑誌に応募したことが芸能界入りのきっかけとなりましたが、その後も家族は百田さんの活動を応援し続けました。

浜松から東京へのレッスン通いをサポートし、高校時代も実家暮らしを続けられるよう支えてくれました。

家族仲が良好だったことは、百田さんの明るい性格の形成に大きく影響しています。

家庭が安定した環境であったからこそ、百田さんは芸能界という不安定な世界でも前向きに挑戦を続けられたのです。

現在も百田さんは家族を大切にしており、地元の浜松を愛しています。ももクロの活動で忙しい中でも、時間があれば浜松に帰り、家族と過ごす時間を作っています。

この家族との絆が、百田さんの原点となっているのです。

百田夏菜子の現在|女優・タレントとしての活躍

ももクロのリーダーとしての成長

高校卒業後、百田夏菜子さんは芸能活動に専念し、ももいろクローバーZのリーダーとして活躍を続けています。ももクロは2013年以降も人気を維持し、日本を代表するアイドルグループの地位を確立しました。

百田さんのリーダーシップは、グループの成功に大きく貢献しています。明るく前向きな性格で、メンバーたちを励まし、チームワークを保つ役割を果たしています。

困難な状況でも笑顔を絶やさず、ファンに元気を与え続ける姿勢は、多くの人から支持されています。

ももクロは全国ツアーや大規模な野外ライブを定期的に開催しており、百田さんはその中心として活躍しています。

「えびぞりジャンプ」などの身体能力を活かしたパフォーマンスは、ももクロのライブの見どころの一つとなっています。

NHK朝ドラでの好演と女優としての評価

百田さんは、アイドル活動の傍ら、女優としても高い評価を受けています。特に、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)への出演は、百田さんの演技力が広く認知されるきっかけとなりました。

朝ドラは日本で最も視聴者数の多いドラマの一つであり、ここで好演することは女優としての大きなステップアップを意味します。

百田さんは、持ち前の明るさと表現力を活かした演技で、視聴者から好評を得ました。

アイドルとしてステージで培った表現力が、演技にも活きています。感情を大きく表現すること、観客を引きつけることなど、アイドルと女優には共通する部分も多いのです。

百田さんは、その両方で成功を収めている稀有な存在と言えるでしょう。

今後も女優としてのオファーは増えていくと予想されます。ももクロの活動と並行して、女優業にも力を入れていくことで、百田さんの活躍の場はさらに広がっていくでしょう。

堂本剛との結婚と新たな人生のステージ

2024年1月11日、百田夏菜子さんとKinKi Kidsの堂本剛さんが結婚したことが発表されました。この発表は、ファンや芸能界に大きな驚きをもたらしました。

堂本剛さんは、ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)を代表するアーティストの一人で、KinKi Kidsとして長年活躍してきました。

音楽的才能に恵まれ、作詞作曲も手がける実力派です。百田さんとは音楽を通じて知り合い、交際に発展したと報じられています。

結婚後も、百田さんはももクロのリーダーとしての活動を継続しています。結婚したからといって芸能活動を辞めるわけではなく、むしろ新たなステージに立ったという感覚で仕事に取り組んでいるようです。

百田さんにとって、結婚は人生の大きな節目となりました。アイドルとして、女優として、そして妻として、多方面で活躍する百田さん。

高校時代に浜松から東京へ通い、ももクロの活動と学業を両立させた経験が、現在の多忙な生活を支えているのかもしれません。

まとめ

百田夏菜子さんの高校は、東京都目黒区にある日出高校(現・目黒日本大学高校)の芸能コースでした。

静岡県浜松市の実家から新幹線で通学するという過酷な生活を送りながら、ももいろクローバーZの活動と学業を両立させました。

高校時代の同級生は非常に豪華で、女優の松岡茉優さん、シンガーソングライターの家入レオさん、E-girlsの藤井萩花さんや重留真波さん、℃-uteの鈴木愛理さん、アイドリング!!!の朝日奈央さんなど、現在各分野で活躍する芸能人が多数在籍していました。

特に松岡茉優さんとは親友関係を築き、現在も交流が続いています。

勉強は苦手だった百田さんですが、運動神経は抜群で体育の成績は優秀でした。授業中に居眠りをすることもありましたが、友人や教師のサポートを受けながら、無事に高校を卒業しました。

高校時代は、ももクロにとっても重要な時期でした。高校1年生でメジャーデビュー、高校2年生で早見あかりさんの脱退という試練、そして高校3年生でブレイクと紅白初出場という快挙を成し遂げました。

高校卒業後、百田さんは大学には進学せず、芸能活動に専念する道を選びました。この選択は正しく、その後ももクロは国民的アイドルグループとして確固たる地位を築きました。

百田さん自身も、グループのリーダーとして、そして女優として多方面で活躍しています。

2024年には堂本剛さんと結婚し、新たな人生のステージに立った百田さん。高校時代に培った粘り強さと明るさを武器に、これからも多くの人に元気を与え続けることでしょう。

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