お笑い芸人として、また脚本家としてマルチな才能を発揮するバカリズム(本名・升野英知)さん。『IPPONグランプリ』での最多優勝記録や、『ブラッシュアップライフ』などの脚本作品で高い評価を得ています。
そんなバカリズムさんの学歴について検索する人が増えています。特に大学時代の日本映画学校での経験は、現在の活躍の原点となっているようです。
この記事では、バカリズムさんの大学を含む学歴の全貌と、学生時代のエピソードを詳しく紐解いていきます。
バカリズムの出身大学:日本映画学校を選んだ理由
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日本映画学校俳優科への進学を決めた背景
バカリズムさんは1994年に福岡県の飯塚高等学校を卒業後、神奈川県川崎市にある日本映画学校(現・日本映画大学)の俳優科に進学しました。この学校は2年制の専門課程で、バカリズムさんは1996年に卒業しています。
当時、お笑い芸人を目指す若者の多くは吉本総合芸能学院(NSC)に進学するのが主流でした。しかしバカリズムさんがNSCではなく日本映画学校を選んだのには明確な理由がありました。
芸人を目指す道
福岡出身のバカリズムさんは関西弁を話さないため、大阪のNSCに行くことに抵抗を感じていました。当時は東京にまだNSC東京校がなかったという事情もあります。
日本映画学校には、すでに内村光良さん、南原清隆さん、出川哲朗さんといった人気芸人の卒業生がいました。芸人を目指す道として実績のある教育機関だったことが、バカリズムさんの選択を後押ししたのでしょう。
俳優科で学びながら芸人を目指した矛盾
日本映画学校には当時、映像科(3年制)と俳優科(2年制)の2つの学科がありました。バカリズムさんが選んだのは俳優科でしたが、最初から芸人になることを決めていたといいます。
俳優科で学びながら芸人を目指すというのは一見矛盾しているように見えますが、これは非常に合理的な選択でした。演技の基礎、表現力、舞台での立ち振る舞い、観客を引き込む技術など、俳優科で学ぶ内容は芸人としても必要不可欠なスキルだからです。
実際、バカリズムさんは後に脚本家としても大きな成功を収めますが、これも俳優科で学んだ物語構成や人物造形の知識が活かされています。当時から将来を見据えた戦略的な選択だったといえるでしょう。
映画学校9期生としての位置づけ
バカリズムが #長谷川千紗 を大絶賛!
そりゃまぁ当然なのだが、さすが日本映画学校 (現日本映画大学) 出身(笑)、お目が高い昨年、#日本映画大学 の公開授業に参加したが、まわりは留学生でいっぱいだった
今そうなってんだ#バカリズムの10文字ホラー 『深夜23時の校内放送』 pic.twitter.com/Ocu2cgW2kc— 塩田時敏『りりかの星』公開一周年記念上映スタート (@gozushiota) January 6, 2026
バカリズムさんは「映画学校9期」と呼ばれています。これは学校の変遷に由来する呼び方です。1975年に横浜放送映画専門学院として始まった同校は、1985年に日本映画学校と改称されました。横浜放送映画専門学院時代の卒業生は「横浜○期」、日本映画学校になってからは「映画学校○期」と呼ばれます。
例えば出川哲朗さんは横浜9期なので、バカリズムさんよりも先輩にあたります。この期数は卒業生同士のつながりを示す大切な指標となっており、同期や先輩後輩の絆が今でも続いているようです。
バカリズムの大学時代:アルバイトとコンビ結成

学費と生活費を自分で工面した日々
上京したバカリズムさんにとって、学費と生活費を捻出することは大きな課題でした。中学時代に父親を亡くし、母親が女手一つで2人の子どもを育てていた家庭環境を考えると、東京での生活費を全て親に頼ることはできませんでした。
バカリズムさんは大学時代、様々なアルバイトをして学費や生活費を全て自分で工面していたといいます。授業の合間や放課後、休日を使ってアルバイトに明け暮れる日々は決して楽ではなかったはずです。しかし、この経験が自立心と責任感を育て、後の芸人生活での粘り強さにつながったと考えられます。
川崎の新百合ヶ丘という場所は東京都心からは少し離れていますが、小田急線で渋谷や新宿へのアクセスは可能です。バカリズムさんも授業の後に都心でアルバイトをしていた可能性が高いでしょう。
松下敏宏さんとコンビ「バカリズム」結成の経緯
バカリズムの朝ドラ脚本家
爆笑オンエアバトルで
コンビ時代に初登場から26年
NHKやオンバトに
いい思い出が無いと
かつては語ってたけど
これで良い方に変わったかもね https://t.co/voAs9JpoB1 pic.twitter.com/mbotJ9EJqY— アラクレ (@arakure555) November 21, 2025
1995年、日本映画学校に入学してわずか1年後、バカリズムさんは同じ学校の学生だった松下敏宏さんとコンビ「バカリズム」を結成しました。このスピード感は、入学当初から明確に芸人になるという目標を持っていたことの表れです。
松下敏宏さんも同じように芸人を志していたのでしょう。同じ学校で同じ夢を持つ仲間と出会えたことは、バカリズムさんにとって大きな転機となりました。学校の授業で培った表現力を、すぐに漫才というフィールドで試すことができる環境は理想的でした。
コンビ結成当初は、学校での課題と芸人としての活動を両立させる多忙な日々だったと想像されます。授業でネタのヒントを得たり、逆にネタ作りで学んだことを授業に活かしたりと、相乗効果があったのかもしれません。
映画への関心が薄かった映画学校生
興味深いことに、バカリズムさんは日本映画学校の学生でありながら、映画にはあまり興味がなかったと語っています。また、本を出版した後も「文字が図形にしか見えないから本をあまり読まない」という逸話も伝わっています。
これは一見不思議に思えますが、バカリズムさんにとって日本映画学校は「映画を学ぶ場」ではなく「表現技術を学ぶ場」だったということでしょう。映画そのものへの興味よりも、人を笑わせる技術、物語を構成する力、人間心理を読み解く能力といった、芸人として必要なスキルの習得に集中していたと考えられます。
この姿勢は、目的意識の明確さを示しています。周囲が映画監督や俳優を目指す中、バカリズムさんは一貫して芸人への道を見据えていたのです。
バカリズムの出身高校:野球部で鍛えた飯塚高校時代
注意
ロベルトますのさんバカリズムさんは
野球部でした#ビットワールド pic.twitter.com/Hb24tSX1hF
— ひでざんまい すしを (@nakanishisama) April 23, 2021
第一志望不合格から飯塚高等学校へ
バカリズムさんの出身高校は、福岡県飯塚市にある私立の飯塚高等学校です。偏差値は40程度で、当時は男子校でした。バカリズムさんは1991年に入学し、1994年に卒業しています。
実は飯塚高校は第一志望ではありませんでした。バカリズムさんは地元の福岡県立西田川高等学校を受験しましたが合格できず、飯塚高校に進学することになったのです。第一志望に不合格だったという経験は、当時のバカリズムさんにとって挫折だったかもしれません。
しかし結果的に、飯塚高校での3年間は彼にとって重要な時期となりました。野球部での厳しい練習、ヤンキー文化との接触、そして高校3年の夏の甲子園予選出場という経験が、後の芸人としての引き出しを増やすことになったのです。
甲子園予選にスタメン出場した野球部時代
飯塚高校は野球の強豪校として知られており、プロ野球選手も輩出しています。バカリズムさんは高校3年間、野球部に所属し、真面目に練習に取り組んでいました。
高校3年の夏には甲子園福岡県予選にスタメンとして出場しました。県予選でスタメンに選ばれるということは、チーム内でも実力が認められていた証拠です。残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、この経験は大きな財産となったでしょう。
野球部での練習は非常に厳しく、バカリズムさんは筋力トレーニングにも精を出していました。2023年にインスタグラムで公開した高校時代の写真では、現在とは全く異なるムキムキの体格が話題になりました。「体が全然違う」「高校時代はムキムキと聞いていたけどここまでとは」という驚きの声が多数上がったほどです。
芸人になるために体格を落とした決断
興味深いのは、バカリズムさんが芸人になるにあたって、あえて体格を落としたという事実です。高校時代に鍛え上げた筋肉質な体を、意図的に細身の体型に変えていったのです。
これは芸人としてのキャラクター作りを考えた上での戦略的な選択でした。ムキムキの体格よりも、親しみやすい細身の体型の方が、自分が目指す芸風に合っていると判断したのでしょう。このエピソードからは、バカリズムさんが早い段階から自分のキャラクターを客観的に分析し、計算してイメージを作り上げていたことが分かります。
ヤンキー文化に影響を受けた高校生活
バカリズムさんの
ヤンキー時代‼️😄🌠🌠🐧🐟️🐻 pic.twitter.com/3DvB2HMO5V— マサ (@mgrnX4mUA167793) March 3, 2025
バカリズムさんの地元である福岡県田川市は、ヤンキー文化が色濃い地域でした。飯塚高校も例外ではなく、バカリズムさん自身もその影響を受けていました。
2017年のインタビューでは「地元がけっこう血の気の多い地域だった」「ガンを飛ばすみたいなヤンキー文化を知った」と振り返っています。学校は厳しかったものの、ボンタンなのかボンタンじゃないのか、ギリギリ分からないような改造した学生服を着て先生の目をごまかしていたそうです。
仰天エピソード
また、ちょっと剃り込みっぽいものを入れたり、塾に行く時だけ極端なボンタンを履いたりと、ヤンキーに憧れる一面もありました。駅で待ち伏せされてレンガで頭を殴られたという仰天エピソードも残っています。
しかし、野球部での規律ある生活がバランスを取っていたのでしょう。完全なヤンキーになることなく、その文化を観察し、後の芸人活動での人間観察力の基礎となったと考えられます。
バカリズムの出身中学校:父親を亡くした中央中学校時代
バカリズム、父親のDNA強すぎて草 pic.twitter.com/zOWG5Oe6ms
— やばし (@CarlosKonabe) January 25, 2021
父親の死が中学生に与えた影響
バカリズムさんの出身中学校は、田川市立中央中学校です。1988年に入学し、1991年に卒業しました。この中学校は2023年に田川東中学校に統合され、現在は閉校しています。
中学時代の最も大きな出来事は、父親を亡くしたことでした。多感な時期に父親を失った悲しみは計り知れません。それまで4人家族だった家庭が、母親と兄弟だけになったのです。
父親の死後
父親の死後、母親が女手一つでバカリズムさんと妹さんを育てることになりました。実家は田川市でお弁当屋さんを経営しており、学校や会社から注文を受けて配達していたそうです。母親は仕事と子育てを両立させながら、必死で家計を支えたのでしょう。
この経験がバカリズムさんに与えた影響は大きかったはずです。早くから家庭の経済状況を意識し、将来は自分で稼いで母親を楽にさせたいという思いが芽生えたのかもしれません。
野球部での活動と地域のヤンキー文化

中学時代もバカリズムさんは野球部に所属していました。小学校から続けてきた野球を、中学でも継続したのです。父親を亡くした悲しみを、野球に打ち込むことで乗り越えようとしていた部分もあったかもしれません。
田川市はヤンキーが多い地域として知られており、バカリズムさんもその影響を受けました。小学校高学年から既にヤンキー文化に憧れを持ち始めていたといいます。中学時代は、真面目に野球部に所属する一方で、ヤンキーの世界にも興味を持つという二面性がありました。
2023年の中央中学校の閉校式には、バカリズムさんがビデオメッセージと寄稿文を届けています。寄稿文では自身の中学生時代を「楽しくなかったからこそ、必死で楽しいことを探した」と振り返っています。父親の死という辛い経験を抱えながら、それでも前を向いて生きようとした当時の心境が伝わってくる言葉です。
同級生との絆と地元への思い
バカリズムさんの同級生の岡田大助さんは、現在田川市立金川小学校の教諭をしています。閉校式の寄稿文執筆を頼んだ岡田さんは「常に反骨心を持っていた英ちゃんらしい文章」とコメントしています。
地元の同級生が小学校の先生になり、一方でバカリズムさんは芸能界で活躍しているという対比は興味深いものがあります。それぞれ違う道を歩みながらも、中学時代の絆は今も続いているのです。
岡田さんはさらに「彼の創作に反映されている、状況や人の心理を見抜く力は、中央中で基礎が作られた」と語っています。脚本家として高い評価を受けるバカリズムさんの人間観察力の原点が、この中学時代にあったことを示唆する言葉です。
バカリズムの出身小学校:漫画に夢中だった田川小学校時代

田川市立田川小学校での幼少期
バカリズムさんの出身小学校は、田川市立田川小学校です。1982年に入学し、1988年に卒業しました。この小学校は明治時代に田川採炭会社が創業した際に設立された歴史ある学校です。
田川市は炭鉱の町として栄えた歴史があり、学校の近くには石炭記念公園があります。そうした地域の歴史的背景の中で、バカリズムさんは幼少期を過ごしました。
2024年には、バンドKroiのメンバーである益田英知さんが『バズリズム2』に出演した際、同じ田川出身であることが話題になりました。益田さんが「後藤寺小学校」に通っていたと言うと、バカリズムさんは「後藤寺小学校。隣じゃん!僕、田川小学校。すげえ」と驚きの声を上げました。名前も「ますだ ひでとも」と「ますの ひでとも」で一文字違いという偶然も話題になりました。
町内の野球チームとスポーツ少年時代
小さい頃からスポーツ好きだったバカリズムさんは、小学校時代から町内の野球チームに入っていました。ここから野球との長い付き合いが始まったのです。
野球を通じて、チームワークの大切さ、努力の重要性、勝負の厳しさなどを学んでいきました。また、野球チームでの活動は地域の大人たちや様々な年齢の子どもたちとの交流の場でもありました。こうした経験が、後の人間観察力や多様な人物を描く脚本家としての力につながっているのかもしれません。
漫画家を夢見た絵が得意な少年
オードリーANN、最近奥さんに若ちゃんの大切な、
靴とか漫画本を捨てられそうになるって話、
バカリズムさんみたいに作業部屋借りればいいのに。#annkw pic.twitter.com/aZPHbszok4— ホランドゥ★伊達 (@horand_date) August 26, 2024
バカリズムさんは小学生の頃から漫画が大好きでした。最初に読んだ漫画は小学1年生の時の『キン肉マン』だったそうです。ちょうど流行り始めた頃で、たまたま置いてあったジャンプを読んだのがきっかけでした。
バカリズムさんは絵が得意で、よく漫画のキャラクターを描いていました。「どれくらい上手く描けるか」「新しい超人を生み出せるか」といった楽しみ方をしていたといいます。図工や美術は常に5段階評価で5を取っており、それが自分の唯一の特技だと感じていました。
漫画家の夢
小学校高学年になると『まんが道』を読んで影響を受け、「漫画家になりたい」と思い始めました。「こういう道具が必要なんだ」「持ち込みしなきゃいけないんだ」と、具体的に漫画家への道を意識するようになったのです。この夢は高校生くらいまで続き、「漫画家じゃなくても、イラストを描く仕事には就くんだろうな」とずっと思っていたそうです。
ヤンキー文化への憧れが芽生えた小学校高学年
田川市はヤンキーが多い地域で、小学生でもその影響を受けていました。バカリズムさんは後のインタビューで「地元がけっこう血の気の多い地域だったので、小学生でもみんな背伸びして読んでたんですよ」と、ヤンキー漫画について語っています。
『ビー・バップ・ハイスクール』などのヤンキー漫画を通じて、「ガンを飛ばす」といったヤンキー文化を知りました。当時の世代はみんな気質的に影響を受けていたといいます。
小学校高学年からヤンキーの道に進んでいたというエピソードもあり、地域の文化と少年時代の好奇心が混ざり合って、バカリズムさんの多面的な人格が形成されていったようです。ただし、野球チームでの活動や漫画を描くという創作活動もあり、完全にヤンキー一色になることはありませんでした。
バカリズムの学歴まとめ:偏差値と学生時代が現在に与えた影響

各学校の基本情報と偏差値一覧
バカリズムさんの学歴を整理すると、小学校は田川市立田川小学校、中学校は田川市立中央中学校(現・田川東中学校に統合)、高校は飯塚高等学校(偏差値40)、大学は日本映画学校俳優科(現・日本映画大学、偏差値BF)です。
飯塚高等学校の偏差値40という数字だけを見ると、学業面では決して優等生タイプではなかったことが分かります。しかし、偏差値という一つの指標では測れない才能と努力がバカリズムさんにはありました。
日本映画学校は現在の日本映画大学となり、映画学部のみの単科大学として神奈川県川崎市にあります。著名な卒業生には内村光良さん、南原清隆さん、出川哲朗さん、狩野英孝さんなど、お笑い界で活躍する人材を多数輩出しています。
学生時代の経験が芸人と脚本家を育てた
バカリズムさんの学生時代を振り返ると、現在の活躍につながる多くの要素が見えてきます。中学時代に父親を亡くし、経済的にも精神的にも厳しい状況を経験したことは、人間の痛みや弱さを理解する力を育てました。
高校時代の野球部での厳しい練習は、忍耐力と継続する力を養いました。ヤンキー文化との接触は、様々なタイプの人間を観察する機会となり、脚本家として多様なキャラクターを描く際の引き出しになっています。
大学時代に学費と生活費を全て自分で工面した経験は、自立心と責任感を育てました。また、俳優科で学んだ演技の基礎や表現技術は、芸人としてのパフォーマンスに直接活かされています。
学歴よりも経験を重視した人生選択
バカリズムさんのキャリアを見ると、学歴という形式的な評価よりも、それぞれの場所で得た経験を最大限に活用してきたことが分かります。偏差値40の高校出身であることを負い目に感じるのではなく、そこで得た野球部での経験やヤンキー文化との接触を、むしろ自分の武器に変えてきました。
日本映画学校では俳優科に在籍しながら芸人を目指すという、一見矛盾した選択をしました。しかしこれも、自分に必要なスキルを冷静に分析した上での戦略的な判断でした。結果的に、演技の基礎を学びながら芸人としての道を歩むという、他の芸人にはない独自のバックグラウンドを持つことになりました。
コンビ解散を経てピンで開花した才能
大学在学中の1995年にコンビ「バカリズム」を結成し、2005年まで10年間活動しました。しかしコンビ時代は必ずしも順風満帆ではなく、『爆笑オンエアバトル』では苦戦することもありました。
2005年に相方の松下敏宏さんが芸能界を引退し、バカリズムさんはピン芸人として活動を始めます。すると解散直後の『R-1ぐらんぷり』で決勝進出という快挙を成し遂げ、フリップネタの『トツギーノ』で人気を博しました。
その後は『IPPONグランプリ』で最多優勝記録を樹立し、脚本家としても『架空OL日記』『ブラッシュアップライフ』『侵入者たちの晩餐』など数々のヒット作を生み出しています。向田邦子賞を受賞するなど、脚本家としての評価も非常に高く、坂元裕二さんからも高く評価されています。
学歴を辿ってみて…
バカリズムさんの学歴を辿ると、決して順風満帆な学生生活ではなかったことが分かります。中学時代に父親を亡くし、第一志望の高校には不合格、大学では学費を自分で工面するという苦労の連続でした。しかし、それぞれの場所で得た経験を無駄にせず、全てを自分の糧として活かしてきました。偏差値という数字では測れない、人間観察力、創造力、そして粘り強さが、現在のマルチな才能を支えています。学生時代の多様な経験が、芸人としても脚本家としても唯一無二の存在であるバカリズムさんを形作ったのです。

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