カズレーザーの出身高校は埼玉県立熊谷高校!偏差値65の進学校で培った独自のスタイルと学習法を解説

お笑いコンビ「メイプル超合金」のボケ担当として活躍するカズレーザーさんは、全身赤の服装と金髪という強烈なビジュアルで知られています。クイズ番組では豊富な知識を披露し、その博識ぶりに驚かされることも少なくありません。実はこうした知性の土台は、高校時代に築かれたものでした。

カズレーザーさんが通った高校は、埼玉県立熊谷高校という偏差値65の進学校です。自由な校風の中で個性を磨き、読書習慣を確立し、そして現在のトレードマークとなる赤い服装を始めたのもこの時期でした。この記事では、カズレーザーさんの高校時代に焦点を当て、どのようにして現在の彼が形作られていったのかを詳しく解説していきます。

カズレーザーが通った高校は埼玉県立熊谷高校

カズレーザーさんは2000年4月、埼玉県立熊谷高校に入学しました。本名の金子和令として15歳で入学し、18歳の2003年3月に卒業しています。この高校は埼玉県熊谷市に位置する県立の男子校で、長い歴史を持つ伝統校として知られています。

カズレーザーさん自身は出身高校を公表していませんが、DIAMOND ONLINEをはじめとする複数のメディアがこの高校の出身者であることを報じています。また熊谷高校のWikipediaにも卒業生として記載されており、この高校出身であることはほぼ確実と言えます。

埼玉県立熊谷高校の偏差値と特徴

埼玉県立熊谷高校の偏差値は65で、埼玉県内でも有数の進学校として位置づけられています。この偏差値は全国的に見ても難関校の部類に入り、100人中上位4.4%程度の学力を持つ生徒が集まる学校です。具体的には40人のクラスで1位から2位程度の成績を収めていた生徒が進学するレベルと考えられます。

1895年に創立されたこの高校は、120年以上の歴史を持つ伝統校です。卒業生には政界や財界で活躍する人材を多数輩出しており、地域だけでなく全国的にも名の知れた進学校となっています。特に国公立大学や難関私立大学への進学実績が高く、生徒の多くが大学進学を目指して日々学習に励んでいます。

カズレーザーさんはこの高校に一般受験で合格しており、中学時代から高い学力を持っていたことがわかります。後にインタビューで「高校時代に勉強をサボらなかったら東京大学に行っていた」と語っていることからも、その潜在的な学力の高さが伺えます。

制服のない自由な校風が個性を育んだ環境

熊谷高校の最大の特徴は、制服が存在しない自由な校風にあります。生徒たちは私服で通学することができ、服装に関する細かな規定もほとんどありません。この自由な環境が、カズレーザーさんの個性を育む土壌となりました。

多くの高校では校則によって髪型や服装が制限されますが、熊谷高校ではそうした制約がありません。生徒の自主性を重んじる教育方針のもと、一人ひとりが自分らしさを表現することが奨励されています。こうした環境だからこそ、カズレーザーさんは全身赤の服装という大胆なスタイルを確立することができたのです。

また自由な校風は服装だけにとどまりません。学習面でも自主性が重視され、生徒たちは自分のペースで勉強を進めることができました。カズレーザーさんが一夜漬けの勉強スタイルを貫いていたのも、こうした自由な環境があってこそと言えるでしょう。

高校入学時から貫いた全身赤の服装とそのルーツ

カズレーザーさんの代名詞とも言える全身赤の服装は、実は高校1年生の入学時から始まっています。15歳という多感な時期に、周囲の目を気にせず自分のスタイルを貫いた背景には、明確な憧れの存在がありました。

漫画「コブラ」に影響を受けた赤いスタイルの始まり

全身赤の服装を始めたきっかけは、漫画家・寺沢武一氏の人気作品「コブラ」の主人公に憧れたことでした。「コブラ」は1978年から連載が始まった宇宙海賊を主人公とするSF漫画で、主人公のコブラは赤いジャケットを着用しているのが特徴です。

カズレーザーさんはこの作品に強く影響を受け、コブラのような赤い服装を自分も纏いたいと考えるようになります。高校入学という新しいスタートのタイミングで、憧れのキャラクターに近づくために全身を赤で統一することを決意しました。バラエティ番組では冗談交じりに「左腕をサイコガンに改造したい」とまで語っており、コブラへの憧れの強さが伝わってきます。

当時の食へのこだわりも徹底していました。高校近くの喫茶店では必ずミートソースの大盛りを注文し、赤い食べ物を意識的に選んでいたといいます。服装だけでなく食事にまで赤を取り入れる姿勢は、単なるファッションではなく一つの生き方として赤を選択していたことを示しています。

「レッド」から「血だるまババア」まで様々なあだ名

カズレーザーの出身高校は埼玉県立熊谷高校!偏差値65の進学校で培った独自のスタイルと学習法を解説

全身赤の服装で登校するカズレーザーさんは、当然ながら高校でも目立つ存在でした。クラスメイトや後輩たちからは「レッド」というストレートなあだ名で呼ばれ、本人もそう呼ばれることを好んでいました。後に大学に進学してからも、友人に対して「レッドと呼んでほしい」と頼んでいたというエピソードが残っています。

しかし高校の外では、また別の反応がありました。近所の小学生たちからは「血だるまババア」という何とも凄惨なあだ名をつけられていたのです。この衝撃的なあだ名の由来は、当時のカズレーザーさんが金髪の長髪だったことにあります。全身赤の服装に金髪の長髪という組み合わせが、小学生の目には女性のように映り、さらに赤い服装が血を連想させたのでしょう。

笑いに変える力

このエピソードは後年、バラエティ番組でカズレーザーさん自身が明かしており、本人も笑いながら振り返っています。高校生の頃から周囲の反応を楽しむ余裕があったことが伺えます。人と違うスタイルを貫くことで注目を集め、それを笑いに変える能力は、この頃から培われていたのかもしれません。

一方で家族に対しては配慮も見せていました。妹さんからは「目立つから嫌い」と言われており、妹と一緒に出かける時には普通の服装をしていたといいます。自己表現へのこだわりと、大切な人への気遣いを両立させるバランス感覚は、この時期から持ち合わせていたようです。

熊谷高校時代の学習スタイルと学力

偏差値65の進学校に通いながら、カズレーザーさんの勉強方法は一般的な優等生のそれとは大きく異なっていました。効率を重視し、自分なりのスタイルを貫いた学習法は、後の人生でも活きる財産となっています。

一夜漬けでも高得点を取る地頭の良さ

カズレーザーさんは中学時代から一貫して「一夜漬け派」でした。日頃はそれほど勉強に時間を割かず、試験前日になって集中的に学習するというスタイルを高校でも続けていました。コツコツと毎日勉強を積み重ねるタイプではなく、短期集中型の学習法を好んでいたのです。

それにもかかわらず、成績は常に上位をキープしていました。一夜漬けで効率よく要点を押さえ、必要な情報を短時間で記憶する能力に長けていたと言えます。この学習スタイルは、地頭の良さがあってこそ成立するもので、誰にでも真似できるものではありません。

中学時代のインタビューでは「あまり勉強しなかった」とも語っており、努力というよりも持って生まれた能力によって学業成績を維持していた側面が強いようです。こうした学習効率の高さは、現在のクイズ番組での活躍にもつながっています。膨大な知識を効率よく吸収し、必要な時に取り出す能力は、高校時代の学習スタイルで培われたものと考えられます。

「東大に行けた」と語る高校時代の後悔

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高い学力を持ちながらも、カズレーザーさんには後悔もあります。後年のインタビューで「高校時代に勉強をサボらなかったら、東京大学に行っていた」と明かしているのです。この発言からは、本人が自分の潜在能力を自覚していたこと、そして十分に発揮できなかったことへの悔しさが感じられます。

実際、熊谷高校は毎年難関大学への合格者を多数輩出している進学校です。カズレーザーさんの地頭の良さと、もし本気で受験勉強に取り組んでいれば、東京大学への合格も決して夢物語ではなかったでしょう。しかし高校時代のカズレーザーさんは、勉強以外のことにも多くの時間を使っていました。

経験から得たもの

読書や漫画、友人との交流、そして自分のスタイルを確立することなど、学業以外の活動にも精力的に取り組んでいたのです。結果として大学受験では第一志望の筑波大学に不合格となり、滑り止めで受けた同志社大学に進学することになりました。

この経験について、カズレーザーさんは「もっと早くから受験勉強を始めればよかった」とも語っています。大学受験の勉強を高校3年生の春から始めたものの、それでは遅かったという反省です。ただし同志社大学での経験が現在の芸能活動につながっていることを考えると、この選択が間違いだったとは言えないでしょう。

高校時代の読書習慣とお笑いへの目覚め

カズレーザーさんの博識ぶりの源泉は、高校時代に確立された読書習慣にあります。また現在の職業であるお笑い芸人を目指すきっかけも、この時期に芽生えていました。

年間200冊を読破する読書家としての素養

小学校時代から読書好きだったカズレーザーさんですが、高校時代にはその習慣がさらに加速します。図書館に頻繁に通い、様々なジャンルの本を読み漁っていました。後にバラエティ番組「アメトーーク!」の「読書芸人」特集に出演した際には、年間200冊もの本を読んでいたことが明かされています。

年間200冊という数字は、単純計算すると約2日に1冊のペースです。学校の授業や部活動、友人との交流といった高校生活の中で、これだけの読書量を確保するのは並大抵のことではありません。通学時間や寝る前の時間など、スキマ時間を活用して本を読み進めていたのでしょう。

読書のジャンルも多岐にわたっていました。小説だけでなく、哲学書や科学書、歴史書など幅広い分野の本に触れることで、総合的な知識を蓄えていきました。この時期に培った読書習慣と知識の蓄積が、現在のクイズ番組での活躍や、コメンテーターとしての的確な発言につながっています。

また高校時代は漫画喫茶にも頻繁に通っており、漫画も大量に読んでいました。活字の本と漫画の両方から知識や感性を吸収していた点が、カズレーザーさんの幅広い教養の基礎となっています。

M-1グランプリと中川家の漫才が与えた影響

カズレーザーさんがお笑いの世界に関心を持ったきっかけは、テレビで見た「M-1グランプリ」でした。特に中川家の漫才を見た時の衝撃は大きく、「こんなに面白いものがあるのか」と感動したといいます。中川家の繊細な観察眼と、それを笑いに昇華させる技術に魅了されました。

この経験がきっかけで、カズレーザーさんはお笑いを単なる娯楽としてではなく、自分も挑戦してみたい分野として意識するようになります。テレビの向こう側にいる存在だった芸人が、急に身近な目標として感じられるようになったのです。

決定的な出来事

カズレーザーの出身高校は埼玉県立熊谷高校!偏差値65の進学校で培った独自のスタイルと学習法を解説

さらに決定的な出来事がありました。高校時代に早稲田大学の寄席研究会と同志社大学の喜劇研究会がおこなった合同ライブを見に行く機会があったのです。大学生たちが真剣に漫才やコントに取り組む姿を目の当たりにし、「自分も大学に入ったら喜劇研究会に入ろう」と心に決めました。

この時の経験が、後に同志社大学を受験する理由の一つにもなっています。高校時代から将来の道筋をある程度イメージしていたカズレーザーさんは、大学選びの段階ですでにお笑いの道を視野に入れていたのです。小学校時代に憧れた作家の夢は諦めましたが、人を楽しませるという点では共通する新たな目標を見つけたと言えるでしょう。

熊谷高校での部活動と交友関係

進学校である熊谷高校ですが、カズレーザーさんは勉強だけに打ち込んでいたわけではありません。友人との交流や趣味の時間も大切にしながら、バランスの取れた高校生活を送っていました。

フットサル同好会と部室での麻雀

カズレーザーさんは正式な部活動には所属していませんでしたが、フットサル同好会に入っていました。同好会は部活動ほど拘束力が強くないため、自由な時間を確保しながら運動を楽しむことができます。体を動かすことでリフレッシュし、友人との交流の場としても活用していたようです。

ただし同好会の部室では、フットサル以外の活動もおこなわれていました。それは麻雀です。カズレーザーさんは部室で友人たちと頻繁に麻雀を打っており、この時期に麻雀の腕を磨いていきました。勉強と遊びのメリハリをつけ、高校生活を満喫していた様子が伝わってきます。

麻雀は単なる運のゲームではなく、確率計算や心理戦が重要な頭脳ゲームです。一夜漬けで効率よく勉強するカズレーザーさんにとって、麻雀の戦略的な思考は相性が良かったのかもしれません。こうした遊びの中でも論理的思考力を鍛えていたと考えられます。

高校の寄席研究会との出会いが決めた進路

前述したように、高校時代に早稲田大学の寄席研究会と同志社大学の喜劇研究会の合同ライブを見たことが、カズレーザーさんの進路選択に大きな影響を与えました。この経験により、大学では喜劇研究会に入ることを決意し、同志社大学を志望校の一つに選んだのです。

当時から計画的に物事を考えるタイプだったことが伺えます。大学受験を単なる学力勝負とだけ捉えるのではなく、大学に入ってから何をしたいのかを具体的にイメージしていました。お笑いという明確な目標があったからこそ、受験勉強にも意味を見出せたのかもしれません。

高校時代の友人の存在

また高校時代の友人関係も、カズレーザーさんの人間性を形成する上で重要でした。全身赤の服装という個性的なスタイルを貫きながらも、友人たちとの良好な関係を築いていました。人と違うことを恐れず、しかし孤立することもない絶妙なバランス感覚は、この時期の人間関係の中で培われたものでしょう。

現在でも兄や妹と月に1回は会うなど、家族との関係も良好なカズレーザーさん。高校時代から周囲との適度な距離感を保ちながら、自分らしさを表現する術を身につけていたと言えます。

高校から大学受験への道のり

熊谷高校での3年間を経て、カズレーザーさんは大学受験に挑みます。第一志望の大学選びには、独特の理由がありました。

第一志望は筑波大学だった理由

インターネット上ではカズレーザーさんの第一志望を京都大学とする情報も散見されますが、これは誤りです。2022年にクイズ番組「Qさま」に出演した際、カズレーザーさん自身が第一志望は筑波大学であったことを明らかにしています。

筑波大学を選んだ理由は、寄生虫の研究をしたかったからです。一般的に医学部や薬学部を目指す受験生が多い中、寄生虫という非常にニッチな分野に興味を持っていたことは、カズレーザーさんらしい選択と言えます。幅広い知識欲と、一般的ではない分野への好奇心が表れています。

また実家のある埼玉県から離れたかったという理由もありました。大学受験の際には遠方の大学ばかりを受験しており、新しい環境で自分を試したいという思いがあったようです。地元を離れて独立したいという気持ちは、多くの高校生が抱く自然な感情ですが、カズレーザーさんの場合はそれがより強かったのでしょう。

受験勉強

受験勉強を始めたのは高校3年生の春からでした。しかし後にインタビューで「もっと早くから始めればよかった」と後悔の念を語っています。地頭の良さがあっても、難関大学に合格するには十分な準備期間が必要だということを、この経験から学んだようです。

結果として筑波大学の受験には失敗し、滑り止めで受けていた同志社大学に進学することになりました。ただし同志社大学には前述した喜劇研究会があり、お笑いを学ぶには理想的な環境でした。第一志望には合格できませんでしたが、結果的には自分の進むべき道に近い大学に進学できたとも言えます。

赤い服装と金髪のまま就職活動をした大学時代

大学に進学してからも、カズレーザーさんは高校時代から貫いてきた赤い服装と金髪のスタイルを続けました。同志社大学の喜劇研究会では中心的なメンバーとして活躍し、後に「さらば青春の光」として知られる東ブクロさんとお笑いコンビ「フルハウス」を結成しています。

大学4年生になると、多くの学生が就職活動に取り組みます。通常、就職活動では黒髪にスーツという画一的なスタイルが求められますが、カズレーザーさんはここでも自分のスタイルを変えませんでした。金髪に全身赤の服装で、バンダイなどの有名企業の面接を受けたのです。

バンダイの面接会場では「金髪のシャアがいる」と話題になったといいます。アニメ「機動戦士ガンダム」に登場するシャア・アズナブルの赤い機体と、カズレーザーさんの赤い服装が重なって見えたのでしょう。高校時代から一貫して貫いてきたスタイルは、大学でも、そして就職活動という人生の重要な局面でも決して崩すことはありませんでした。

驚くべきことに、この型破りなスタイルで大手銀行の内定を獲得しています。しかし内定を得た後、「働きたくない」という率直な理由で辞退しました。この選択が、後にお笑い芸人としての道を歩むきっかけとなります。

まとめ:高校時代が築いたカズレーザーの基盤

カズレーザーさんの高校時代は、現在の彼を形作る重要な時期でした。埼玉県立熊谷高校という偏差値65の進学校で、制服のない自由な校風の中で個性を磨いていきました。高校1年生から始めた全身赤の服装は、漫画「コブラ」への憧れから生まれたものでしたが、それを貫き通す強い意志が印象的です。

学習面では一夜漬けというスタイルながら、地頭の良さで高い成績を維持していました。「東大に行けた」という言葉には後悔も滲みますが、同時に自分の能力への自信も感じられます。年間200冊という驚異的な読書量は、現在のクイズ番組での活躍や博識ぶりの基礎となりました。

M-1グランプリで中川家の漫才を見て感動し、大学の喜劇研究会の合同ライブを見てお笑いの道を決意したことも、高校時代の重要な出来事でした。将来の進路を見据えながら、同志社大学を受験校に選んだ計画性も見逃せません。

フットサル同好会での活動や部室での麻雀、友人との交流など、勉強以外の時間も充実していました。全身赤という個性的なスタイルを貫きながらも、周囲との良好な関係を築くバランス感覚は、この時期に培われたものです。

熊谷高校での3年間は、カズレーザーさんにとって自分のスタイルを確立し、将来の方向性を定め、そして豊富な知識を蓄える貴重な期間でした。第一志望の筑波大学には合格できませんでしたが、同志社大学でお笑いの道に進む土台を作り、最終的には2012年に「メイプル超合金」を結成してブレイクを果たします。

現在のカズレーザーさんの魅力である知性とユーモア、そして確固たる個性は、すべて高校時代に根を張ったものと言えるでしょう。偏差値65の進学校で学びながら、自分らしさを決して失わなかった姿勢こそが、唯一無二の芸人・カズレーザーを生み出したのです。

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