荒井啓志の大学は明治学院大学経済学部!ホスト経験を経て俳優デビューした異色の経歴を解説

1999年6月16日生まれの荒井啓志さんは、宮城県仙台市出身の俳優です。2024年に放送された恋愛リアリティ番組「テンキス」や、2025年のドラマ「愛の、がっこう」でホスト役を演じ、その自然な演技が話題となりました。

実は荒井さんには大学時代に本物のホストとして働いていた経歴があり、その経験が現在の俳優業に活かされています。

この記事では、荒井啓志さんが通った大学や学生時代のエピソード、そしてホストから俳優へと転身した背景について詳しく解説していきます。

荒井啓志が通った大学は明治学院大学経済学部

荒井啓志さんは高校卒業後、東京都港区白金台にある明治学院大学の経済学部に進学しました。明治学院大学は1863年創立の歴史ある私立大学で、経済学部の偏差値は53程度とされています。荒井さんは2024年に大学を卒業しており、卒業証書の画像を自身のSNSで公開したことから、明治学院大学出身であることが確認されています。

明治学院大学を選んだ理由と上京の決意

荒井さんが宮城県から東京の大学を目指したきっかけには、父親からの言葉が大きく影響しています。父親から「宮城を出なさい」と言われたことで、地元を離れて東京で新しい環境に挑戦することを決意しました。5人きょうだいの末っ子として育った荒井さんにとって、家族と離れて一人暮らしを始めることは大きな挑戦でした。

仙台から東京へという選択は、単なる進学先の変更ではなく、自分の可能性を広げるための重要な決断だったと言えます。実際にこの上京が、後の俳優としてのキャリアにつながる大きなターニングポイントとなりました。

大学時代の生活環境と一人暮らしでの変化

東京での一人暮らしを始めた荒井さんは、生活リズムの変化に直面することになります。初めての一人暮らしで不規則な生活を送るようになり、その影響でニキビが大量にできるようになってしまいました。この肌トラブルをきっかけに、荒井さんは自分の健康管理について真剣に考えるようになります。

そこから腸内環境を整える「腸活」に力を入れ始め、食生活にも気を配るようになりました。この経験は、自己管理の重要性を学ぶ貴重な機会となり、俳優として身体を資本とする仕事に就く上でも役立つ教訓となっています。大学生活を通じて、荒井さんは生活面でも大きく成長していったのです。

大学時代に経験した約2年半のホスト生活

荒井啓志さんの大学時代を語る上で欠かせないのが、約2年半にわたるホストとしての経験です。大学2年生の春から働き始めたホストクラブでの日々は、荒井さんの人生観や価値観に大きな影響を与えることになりました。

ホストとして働き始めたきっかけと動機

大学に入学してすぐの頃、荒井さんは居酒屋やラーメン屋でアルバイトをしていました。しかし次第に「自分の知らない世界を見てみたい」という思いが強くなっていきます。せっかく宮城から東京に出てきたのだから、地元では経験できないような世界に飛び込んでみようと考えたのです。

荒井さんはインタビューで「若いからこそできる仕事だと思った」と語っています。ホストという仕事に対して好奇心を抱き、期間を決めて働くことを決意しました。最初から俳優業への憧れを持っていた荒井さんでしたが、当時は「どうせ自分なんて」と悲観的に考えていたとも明かしています。ホストとしての経験を通じて、自分に自信をつけたいという思いもあったのかもしれません。

半年でナンバー2に上り詰めた実力とその要因

荒井啓志の大学は明治学院大学経済学部!ホスト経験を経て俳優デビューした異色の経歴を解説

ホストとして働き始めた荒井さんは、驚くべき速さで実績を積み上げていきます。入店からわずか半年でナンバー2の座に上り詰めたのです。この成功の背景には、荒井さんが学生時代から培ってきたコミュニケーション能力がありました。

小学1年生から高校卒業まで12年間バスケットボールに打ち込み、中学・高校では部長を務めた経験が、人との接し方やチームワークの大切さを教えてくれていました。また、5人きょうだいの末っ子として育った環境も、人との距離感を掴む力を養うことに役立っていたと考えられます。

ホストという仕事は、お客様一人ひとりの気持ちを読み取り、適切なコミュニケーションを取る能力が求められます。荒井さんはこれまでの人生経験を活かしながら、接客のプロフェッショナルとして成長していきました。

コロナ禍での孤独との向き合い方

しかし順調に見えたホスト生活にも、大きな転機が訪れます。新型コロナウイルスの感染拡大により、荒井さんは深い孤独感を覚えるようになりました。大学の授業はリモートに切り替わり、友人との交流も制限される日々が続きます。

5人きょうだいの末っ子として、常に人との触れ合いの中で育ってきた荒井さんにとって、この孤独は想像以上に辛いものでした。後にインタビューで「2年半のホスト生活で一番学んだのは、孤独に耐えることだったかもしれない」と振り返っています。

この経験は辛いものでしたが、同時に自分自身と向き合う貴重な時間にもなりました。孤独の中で自分が本当にやりたいことは何かを考え、俳優という夢に向かって進む決意を固めていったのです。

CAMPUS BOYS 2022でのグランプリ獲得と転機

大学4年生の冬、荒井啓志さんの人生を大きく変える出来事が起こります。日本一の男子大学生・専門学生を決める「CAMPUS BOYS 2022」に挑戦し、見事グランプリを獲得したのです。このコンテストには毎年数千人のエントリーがあり、その中から選ばれることは並大抵のことではありません。

就職活動時期に芸能界を目指した理由

多くの大学4年生が就職活動に励む中、荒井さんはなぜ芸能界への道を選んだのでしょうか。その答えは、周囲の友人たちの姿にありました。就職活動の時期に、自分とは違う世界で挑戦を続けている友人たちを見て、荒井さんは大きな刺激を受けます。

特に影響を与えたのが、前年のCAMPUS AWARDでグランプリを獲得した友人の大原凪紗さんでした。友人が輝いている姿を目の当たりにし、自分も何か新しいことに挑戦したいという思いが湧き上がってきました。「自分にしかできない方法で人に勇気や希望を届けたい」という強い思いが、芸能界を目指す原動力となったのです。

荒井さんはインタビューで「芸能界デビューを目指していて、何かしらの箔をつけないといけないと思った」とも語っています。夢を実現するために、まず実績を作ることの重要性を理解していたのです。

幼馴染のBリーガーから受けた影響

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もう一つ、荒井さんの決断に大きな影響を与えた存在がいます。それは幼い頃から一緒にバスケットボールをしてきた幼馴染でした。この友人はプロバスケットボール選手、いわゆるBリーガーとして活躍しており、夢を追い続ける姿を間近で見ていた荒井さんは、自分も負けていられないという思いを強くしていきます。

切磋琢磨しながら育ってきた仲間が、自分の夢を実現させている姿を見ることは、何よりも強い刺激となりました。「自分も頑張らなければ」という思いが、CAMPUS BOYSへの応募を後押ししたのです。

グランプリを受賞した瞬間について、荒井さんは「意外と冷静で、嬉しいよりも安心した気持ちが大きかった」と語っています。寝ても覚めてもコンテストのことが頭から離れず、配信のポイントや投票が気になる日々だったため、結果が出た時には大きな安堵感を覚えたのです。このグランプリ獲得が、芸能事務所への所属と俳優デビューにつながりました。

明治学院大学での学生生活とバスケサークル活動

ホストとしての活動と並行して、荒井啓志さんは大学でも充実した学生生活を送っていました。明治学院大学ではバスケットボールのサークルに所属し、そこでもリーダーシップを発揮していきます。

サークル代表としての活動内容

荒井さんはバスケットボールサークルで代表を務めていました。小学校から高校まで12年間バスケットボールに打ち込み、中学・高校では部長を務めてきた荒井さんにとって、大学でもバスケットボールを続けることは自然な選択でした。

代表としての役割は、単にプレーするだけではありません。練習計画を立てたり、メンバー間の調整を行ったり、時には後輩の相談に乗ったりと、多岐にわたる責任を担っていました。この経験は、人をまとめる力やコミュニケーション能力をさらに磨く機会となり、後のホスト業や俳優業にも活きることになります。

バスケットボールが培った荒井啓志の人間性

荒井さんは学生時代のモテエピソードとして、バスケットボール部長時代の思い出を語っています。「練習試合で他校に行くと囲まれたりした」というエピソードからは、当時から人を惹きつける魅力を持っていたことが伺えます。

バスケットボールで培ったのは、技術だけではありません。チームプレーの大切さ、仲間を信頼すること、困難な状況でも諦めない精神力など、人として成長するための多くのことを学びました。高校時代には宮城県の選抜選手に選ばれるほどの実力を持っていた荒井さんは、ポイントガードというポジションで、チーム全体を見渡しながらプレーをコントロールする役割を担っていました。

この「全体を見る力」と「状況判断力」は、俳優として演技をする際にも重要な能力です。相手役の演技を受け止めながら、自分の演技を調整していく柔軟性は、バスケットボールで培った感覚が基礎になっていると言えるでしょう。

大学卒業後の俳優活動と現在の活躍

荒井啓志さんは2024年に明治学院大学を卒業し、本格的に俳優としてのキャリアをスタートさせました。卒業時には25歳になっており、通常よりも1年長く大学に在籍していたことになります。この期間は、ホストとしての経験やCAMPUS BOYSへの挑戦など、将来の糧となる様々な経験を積む時間でもありました。

デビュー作から現在までの出演作品

俳優デビュー後、荒井さんは着実に出演作品を増やしていきます。2023年には「キス×kiss×キス~LOVE ii SHOWER~」の第5話に出演し、テレビドラマデビューを果たしました。同年にはショートフィルム「ごっこ倶楽部」や、LEMINOドラマ「絶対BLになる世界vs絶対BLになりたくない男」シーズン3にゲスト出演しています。

2024年には映画「ファストブレイク」で映画初出演を果たし、フジテレビの「ほんとにあった怖い話 25周年スペシャル」にも出演しました。さらに恋愛リアリティショー「テンキス ~キスすると人は恋に落ちるのか?~」に出演し、その魅力で多くの視聴者を魅了します。

2025年には映画「遺書、公開」で沖正彰役を演じ、演技の幅を広げています。また同年2月から配信されたABEMAの恋愛リアリティーショー「LOVE POWER KINGDOM〜恋愛強者選挙〜」にも「けいし」として出演し、話題を集めました。

ホスト経験が活きるドラマ「愛の、がっこう」での演技

荒井啓志の大学は明治学院大学経済学部!ホスト経験を経て俳優デビューした異色の経歴を解説

2025年放送のドラマ「愛の、がっこう」では、歌舞伎町のホストクラブ「THE JOKER」でナンバー1ホストを演じました。この役は、荒井さんにとって特別な意味を持つものとなります。なぜなら、大学時代に実際にホストとして働いていた経験を存分に活かせる役柄だったからです。

視聴者からは「本物のホストを見ているようなナチュラルな演技」と高い評価を受けました。ホストという職業の空気感、お客様への接し方、店内での立ち振る舞いなど、実際に経験した者にしか表現できない細かなニュアンスが、演技に説得力を持たせています。

約2年半のホスト経験で学んだコミュニケーション能力や人間観察力は、演技においても重要なスキルです。相手の感情を読み取り、適切な反応を返すという点では、ホストも俳優も共通しています。荒井さんはこの経験を「自分の知らない世界を知る」貴重な機会として捉え、俳優としての表現力を高めることに成功しました。

まとめ:大学時代の経験が形作った荒井啓志という俳優

荒井啓志さんの明治学院大学での4年間は、単なる学生生活以上の意味を持つものでした。父親の言葉をきっかけに宮城県から上京し、一人暮らしの中で自己管理の大切さを学びました。約2年半のホスト経験を通じて、コミュニケーション能力を磨き、コロナ禍での孤独と向き合いながら自分自身を見つめ直しました。

バスケットボールサークルでは代表として仲間をまとめ、CAMPUS BOYS 2022でのグランプリ獲得という栄誉も手にしています。幼馴染のBリーガーや友人の活躍に刺激を受けながら、自分の夢に向かって進む勇気を得ました。

これらすべての経験が、現在の荒井啓志さんという俳優を形作っています。ホスト役での自然な演技、恋愛リアリティ番組での人柄の良さ、映画やドラマでの存在感は、大学時代に積み重ねた様々な経験の結晶と言えるでしょう。

俳優としてのキャリアはまだ始まったばかりですが、これまでの経験を武器に、今後さらなる飛躍が期待されます。明治学院大学で過ごした時間は、荒井啓志さんにとって人生の基盤を築く貴重な期間となったのです。

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