神尾楓珠の学歴を徹底解説!サッカー挫折から俳優への転身、高校転校の真相と芸能界での成長

若手俳優として注目を集める神尾楓珠さん。爽やかなルックスと繊細な演技で人気を博していますが、実は小学校時代からサッカー一筋で、プロサッカー選手を目指していました。

しかし高校でサッカーに挫折し、俳優への道を歩むことになります。この記事では、神尾楓珠さんの学歴を詳しく解説するとともに、サッカー少年が俳優になるまでの軌跡をご紹介します。

神尾楓珠の学歴

神尾楓珠さんの学歴を整理すると次のようになります。

  • 小学校:江戸川区内の公立校(校名不明)
  • 中学校:江戸川区立小岩第二中学校を卒業
  • 高校:私立修徳高校に入学しましたが、高校2年生の時に日出高校(現・目黒日本大学高校)の芸能コース(偏差値42)に転校して卒業
  • 大学には進学せず、芸能活動に専念しています。

神尾さんの学生時代は、サッカーを中心に回っていました。小学校時代からサッカーを始め、プロサッカー選手を目指して強豪校である修徳高校に進学します。しかし高校1年生でサッカー部を退部し、その後俳優への道を歩むことになりました。

高校転校という大きな決断、サッカーから演技への転身、そして「軽い気持ち」で始めた芸能活動が本気に変わっていく過程。神尾さんの学生時代は、挫折と再起、そして新しい才能の発見に満ちた日々でした。

神尾楓珠の出身小学校と引っ込み思案だった幼少期

神尾楓珠さんは、東京都江戸川区の出身です。小学校は江戸川区内の公立校に通っていましたが、具体的な校名は明らかにされていません。出身中学校の校区から考えると、江戸川区立東小岩小学校、江戸川区立南小岩小学校、江戸川区立篠崎第五小学校のいずれかの可能性が高いとされています。

型破りな父親とやんちゃな兄のいる家庭環境

神尾さんの家族構成は、両親と1歳上の兄、7歳下の妹の5人家族です。3人きょうだいの真ん中として育ちました。「楓珠」という珍しい名前は本名ですが、特に意味や由来はなく、響きで決めて後から漢字や画数で決めたそうです。

父親は型破りなタイプで、神尾さんは幼少期に髪を金髪に染められたこともありました。また子供の頃、朝4時に起こされていきなりカブトムシを採りに山に連れて行かれたこともあるそうです。お兄さんもやんちゃなタイプで、家族の中では神尾さんが一番落ち着いていたとのことです。

現在は父親と暮らす

現在は父親と2人で暮らしていることをバラエティ番組で明かしており、インターネット上では両親が離婚したのではという憶測もありましたが、仕事の都合で父親と暮らしているだけで、両親は離婚していません。母の日には食事に連れて行くなど、家族仲は良好のようです。

意外にも引っ込み思案だった小学生時代

現在の明るく爽やかなイメージとは裏腹に、小学校時代の神尾さんは引っ込み思案で、自分の意見を言えない子供でした。通知表にも先生から「引っ込み思案なところがある」と書かれたほどです。

両親は神尾さんを厳しく育てました。「遅刻とか寝坊に関してはすごく厳しかった」と神尾さんは振り返っています。人としての基本をきちんとするように育てられたそうです。それでも両親は褒めるところはしっかりと褒めてくれたとのことです。

1歳上の兄とはしょっちゅうケンカをしていたそうです。ただし神尾さんは兄よりも勉強やスポーツができて、家の手伝いもしていました。引っ込み思案な性格ながら、能力は高かったのです。

サッカーとの出会いがすべてを変えた

神尾楓珠の学歴を徹底解説!サッカー挫折から俳優への転身、高校転校の真相と芸能界での成長

そんな神尾さんの人生を変えたのが、小学校時代に始めたサッカーでした。スポーツが得意だった神尾さんは、サッカーに熱中するようになります。この時期に培われた運動能力と集中力が、後の俳優業にも活きることになります。

小学校時代から始めたサッカーは、神尾さんにとって単なる趣味ではなく、将来の夢となっていきました。プロサッカー選手になる。この目標が、中学・高校時代の神尾さんを支えることになります。

神尾楓珠の出身中学校:サッカー一筋の日々

小学校を卒業した神尾さんは、地元江戸川区内の公立校である江戸川区立小岩第二中学校に進学します。中学時代の神尾さんにとって、人生のすべてはサッカーでした。

プロを目指してサッカーに打ち込んだ中学時代

中学時代も、神尾さんはサッカーに熱心に取り組んでいます。プロサッカー選手になるという夢に向かって、毎日練習に励んでいました。この時期の神尾さんにとって、サッカー以外のものは眼中になかったようです。

実際、中学時代に何度か芸能プロダクションからスカウトを受けていますが、当時はサッカー一筋で芸能界に興味はなかったことから、すべて断っています。「何を言ってるんだろう」という程度にしか考えていなかったそうです。

しかし後に俳優を目指してオーディションを受けた際、中学時代にスカウトされたことを思い出したと神尾さんは語っています。あの時は断ったスカウトが、巡り巡って自分を芸能界へと導いたのです。

音楽好きの一面も

サッカー一筋だった神尾さんですが、当時から音楽も非常に好きでした。一番のお気に入りはTHE YELLOW MONKEYだったそうです。音楽への関心は、後に俳優として様々な役を演じる際の感性を育てることにつながったのかもしれません。

また中学校時代の友人とは今でも連絡を取り合っているとのことです。サッカーに打ち込みながらも、友人関係も大切にしていた神尾さんの人柄がうかがえます。

神尾楓珠の出身高校は修徳高校:サッカー挫折の真相

中学校を卒業した神尾さんは、プロサッカー選手になるという夢を叶えるため、サッカーの強豪校である修徳高校に進学します。

サッカー強豪校・修徳高校への進学

修徳高校は1904年開校の伝統校で、スポーツが盛んなことで知られています。特にサッカー部は全国大会の常連で、多くのプロサッカー選手を輩出してきました。神尾さんがこの高校を選んだのは、ここでサッカーを続ければプロになれると信じていたからです。

同校は特別進学コース(偏差値54)、文理選抜コース(偏差値50)、文理進学コース(偏差値45)の3つのコースを設置していますが、神尾さんがどのコースに在籍したかは不明です。ただしサッカー部に在籍していることから、学内の健康・スポーツ進学コースに在籍した可能性が高いとされています。

高校でもサッカー部に在籍した神尾さん。サッカー部時代は髪型は丸刈りでした。後に神尾さんはボートレースのCMで丸刈りを披露していますが、サッカー部時代はあのようなイメージだったのでしょう。

エースナンバー「10番」をもらえなかった挫折

しかし神尾さんは、高校1年生の時にサッカー部を退部することになります。この決断の背景には、深い挫折がありました。

神尾さんは後のインタビューで、この挫折について詳しく語っています。「僕も学生時代、10年以上サッカーをやっていて、高校では強豪校に入ったのですが、大翔(※役柄)と同じく周りとの差に挫折して」と振り返っています。

ポジションはMF

神尾さんのポジションは、エースナンバーである10番が務めるトップ下(MF)でした。トップ下は攻撃の司令塔として、チームの中心となるポジションです。神尾さんは10番をもらうことを目指していましたが、結局10番をもらうことができなかったのです。

「僕は10番をもらうことができなくて、サッカーから離れました。あのとき、10番をもらってたら、辞めずに続けてましたね(笑)」という言葉からは、当時の悔しさと挫折感が伝わってきます。

サッカーの「10番」は、単なる背番号ではありません。チームのエースとして認められた証であり、攻撃の中心を担う選手に与えられる特別な番号です。小学校時代からサッカーを続け、強豪校に進学してまでプロを目指していた神尾さんにとって、10番をもらえなかったことは夢の終わりを意味していました。

サッカーをやめた後の新聞配達アルバイト

神尾楓珠の学歴を徹底解説!サッカー挫折から俳優への転身、高校転校の真相と芸能界での成長

サッカー部を退部した神尾さんは、当初「勉強しようと思ってサッカー部やめた」と語っていますが、実際には勉強は続かなかったそうです。将来はサラリーマンになろうと漠然と思っていました。

部活動をやめた後、神尾さんは新聞配達のアルバイトを始めます。このアルバイト経験が、後の神尾さんに大きな影響を与えることになりました。

「どんなに雨の日でも絶対に同じ時間に新聞を届けなければならなかった」という経験から、神尾さんはいろいろと学んだそうです。責任感、時間厳守、どんな状況でも仕事を完遂する姿勢。これらは後に俳優として仕事をする際の基盤となります。

また神尾さんはガソリンスタンドでもアルバイトをしていました。サッカーをやめた後の空白を埋めるように、神尾さんは働いていたのです。

芸能界入りと日出高校への転校

高校1年生の終わり頃、神尾さんの人生に大きな転機が訪れます。ドラマ「海猿」を観て、主演の伊藤英明さんに憧れたのです。

「軽い気持ち」で受けたオーディション

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「勉強だけじゃやっぱり気持ちが入らないなと思って。そのときは暇つぶし程度に何かないかなって思って。軽い気持ちで入っちゃったんです」と神尾さんは振り返っています。

伊藤英明さんが所属するA-teamのオーディションを受けた神尾さん。俳優や芸能人に興味があったわけではなく、たまたま伊藤さんが出演していた「海猿」を観てカッコいいなと思った程度でした。中学時代に何度もスカウトを断っていたことを思い出し、試しに受けてみようと思ったのです。

母親の応援

母親もオーディションを受けることには賛成でした。サッカーをやめて目標を失っていた息子に、何か新しいことに挑戦してほしいと思ったのかもしれません。

そして神尾さんはオーディションに合格し、芸能事務所入りを果たします。半年間ほどのレッスンを経て、高校2年生の8月、24時間テレビ内のドラマスペシャル「母さん、俺は大丈夫」で俳優デビューしました。

修徳高校から日出高校への転校決断

しかし修徳高校は校則が厳しく、芸能活動を禁止していました。芸能活動を開始するためには、転校するしかありませんでした。神尾さんは高校2年生の時、日出高校(現・目黒日本大学高校)の芸能コース(偏差値42)に転校します。

この転校は、神尾さんにとって大きな決断でした。サッカーで入学した高校を離れ、芸能活動のために新しい学校に移る。まだ「軽い気持ち」で始めた芸能活動でしたが、転校という形で一歩を踏み出したのです。

日出高校では、長妻怜央さんと同級生でした。また通信制課程の同学年には、当時「モーニング娘。」のメンバーだった鞘師里保さんも在籍していました。芸能人が多く通う学校で、神尾さんは芸能活動と学業の両立を図ることになります。

高校時代の充実した学校生活と芸能活動

神尾楓珠の学歴を徹底解説!サッカー挫折から俳優への転身、高校転校の真相と芸能界での成長

日出高校に転校してからの神尾さんは、学校生活も芸能活動も楽しんでいました。

文化祭が一番の思い出だった高校時代

神尾さんは学校行事に積極的に参加していました。特に文化祭が一番の思い出だったとインタビューで語っています。

「体育祭も、すごく楽しかったんですけど、個人種目じゃないですか。もちろん、チームワークも重要だし、団結力も深まるけど、個々の力が大きいというか。だから、クラスみんなで頑張るってなると、やっぱり文化祭だなって。そういう意味で、一番印象に残ってますね」

高校2年生の時には、「勇者ヨシヒコシリーズ」のパロディの劇を15人ほどの仲間と共におこないました。その際、神尾さんは「井戸の怪人」役を演じたそうです。

高校時代の神尾さんはテンションの高いグループに所属しており、放課後は学校に最終下校時間まで残って友達とおしゃべりをしたりゲームをしていました。学校が大好きだったのです。

「めちゃくちゃうるさかったですね。くだらないボケやモノマネばかりやっていましたから(笑)」と神尾さんは振り返っており、学校では人気者だったようです。当時は「鉄板ギャグ」も持っていたとのことです。

最初は本気じゃなかった芸能活動

一方で芸能活動については、当初は真剣におこなっていなかったと神尾さんは語っています。「高校生活が中心で、仕事は二の次の感覚だった」とのことです。

デビュー作の「母さん、俺は大丈夫」では、山田涼介さんのサッカー部の後輩役で出演しましたが、「手術って、なんの手術ですか?」というセリフに苦労したと述べています。演技の難しさに直面しながらも、まだ本気モードではなかったのです。

最初の頃は毎回「この仕事が終わったら辞めよう」と思ったそうです。しかし次の仕事が入ると「もう1個頑張ろう」と思って仕事を続けてきました。軽い気持ちで始めた芸能活動を、なんとか続けていたのです。

高校3年生だった2016年には「運命に、似た恋」で連続ドラマに初めて出演し、同じ年には井上苑子さんの「君との距離」のミュージックビデオにも出演しています。徐々に仕事は増えていきましたが、まだ俳優として本気になれていませんでした。

人生最大のモテ期だった卒業式

高校の卒業式は、神尾さんにとって人生最大のモテ期だったそうです。

「高校の卒業式の日かな…?『ボタンが欲しい』と来てくれた人から順にあげていったら、ブレザーのボタンが全部なくなって、校章バッジとネクタイもなくなって、最後は着ていたカーディガンもあげました」と神尾さんは振り返っています。

卒業式の後に渋谷に行った際には、知らない人たちのグループから「イケメン」ということで声をかけられ、記念撮影されました。さらにそのグループからは胴上げもされたとのことです。

バラエティ番組「しゃべくり007」に出演した際には、高校時代に彼女がいたことも明らかにしています。学校生活を心から楽しんでいた高校時代の神尾さんの姿が浮かんできます。

「軽い気持ち」から本気に変わった転機

高校卒業後、神尾さんは大学には進学せず芸能活動に専念します。もともとプロのサッカー選手になろうとしていただけに、大学進学は考えていなかったのかもしれません。

望月歩さんとの出会いが意識を変えた

2017年、高校を卒業した年には「兄に愛されすぎて困っています」や「監獄のお姫さま」などの話題作の連続ドラマに立て続けに起用されています。仕事は順調に増えていましたが、まだ本気で俳優と向き合えていませんでした。

そんな神尾さんの意識を変える出来事が、2018年2月に起こります。石原さとみさん主演の連続ドラマ「アンナチュラル」に1話だけ出演した際のことです。

年下の俳優である望月歩さんが、すごく楽しそうにちゃんと芝居と向き合って演技している姿を見て、神尾さんの意識が変わったとインタビューで語っています。望月さんの演技への真摯な姿勢に触れ、神尾さんは初めて「本気で俳優をやろう」と思ったのです。

軽い気持ちで始めた芸能活動。サッカーに挫折した後の暇つぶしのつもりだった俳優業。しかし望月さんとの出会いが、神尾さんを変えました。

「3年A組」で大きな注目を集める

そして19歳の終わりだった2019年1月、テレビドラマ「3年A組-今から皆さんは、人質です-」に出演して大きな注目を集めます。菅田将暉さん主演のこのドラマで、神尾さんは高校生役を熱演しました。

本気で演技に向き合うようになった神尾さんの演技は、視聴者の心を掴みました。「3年A組」での演技が評価され、神尾さんは若手俳優として確固たる地位を築いていきます。

主演作

さらに2019年には「左利きのエレン」で連続ドラマに初めて主演を果たします。また「NET ViVi」のレギュラーになって様々な企画に挑戦し、意外な一面も見せることから高い人気を誇るようになりました。

2020年には映画「私がモテてどうすんだ」に主要キャストとして出演するなど、出演作は着実に増えていきました。

まとめ

神尾楓珠さんの学歴をまとめると、江戸川区内の公立小学校、江戸川区立小岩第二中学校を卒業し、修徳高校に入学後、日出高校の芸能コース(偏差値42)に転校して卒業しています。大学には進学せず、芸能活動に専念しました。

小学校時代からサッカーを始め、プロサッカー選手を目指して強豪校・修徳高校に進学しましたが、高校1年生でエースナンバー「10番」をもらえず挫折。サッカー部を退部し、新聞配達のアルバイトをしながら将来を模索していました。

高校1年生の終わり頃、「軽い気持ち」で受けた芸能事務所のオーディションに合格。芸能活動のために日出高校に転校し、高校2年生で俳優デビューを果たします。当初は本気ではなかった芸能活動ですが、2018年に望月歩さんとの出会いが意識を変え、本気で俳優と向き合うようになりました。

サッカーでの挫折、新聞配達で学んだ責任感、学校生活での友人関係。これらすべての経験が、俳優・神尾楓珠を形作っています。学歴という面では大学に進学していませんが、高校時代までの多様な経験が神尾さんの演技力と人間性を支えているのです。

2020年には元フェアリーズの林田真尋さんとの交際も報じられ、プライベートも充実している神尾さん。サッカー少年から俳優へと転身した神尾楓珠さんの、今後のさらなる活躍に期待が高まります。

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