山下美月は大学に進学せず乃木坂46に専念!臨床心理士の夢を断念した理由と芸能界での成長

乃木坂46の3期生として加入し、グループの中心メンバーとして活躍してきた山下美月さん。

2024年5月に卒業するまで、数々の選抜入りとセンター経験を重ね、ファッションモデルや女優としても確固たる地位を築きました。

しかし、彼女が選んだキャリアの道は、当初描いていた人生設計とは大きく異なるものでした。

高校時代まで、山下さんは臨床心理士になることを目指し、大学進学を前提とした人生を歩んでいました。

アルバイト代を大学の学費のために貯金し、将来の資格取得に向けて着実に準備を進めていたのです。

しかし高校2年生の時、乃木坂46の3期生オーディションへの合格が、彼女の人生を180度変えることになります。

この記事では、山下美月さんがなぜ大学進学を断念したのか、臨床心理士という夢をどのように手放したのか、そして大学に行かない選択が彼女のキャリアにどのような影響を与えたのかを、詳細に解説します。

大学進学と芸能活動の選択で悩む人、または山下さんのキャリア形成に興味がある人にとって、参考になる情報をお届けします。

  1. 山下美月の学歴と高校時代までの進路計画
    1. 地元の公立校で過ごした幼少期から中学時代
    2. 東大和南高校への進学と臨床心理士という目標
    3. 臨床心理士を目指した理由と必要な学歴
  2. 乃木坂46のオーディション合格と大学進学計画の揺らぎ
    1. 芸能界への挑戦と挫折の繰り返し
    2. 「最後の挑戦」として受けた乃木坂46オーディション
    3. オーディション期間中の苦悩と周囲の反応
    4. 合格発表と両親の反応
  3. 東大和南高校から日出高校への転校と進路の明確化
    1. 乃木坂46としてのデビューと活動の本格化
    2. 全日制高校との両立の限界
    3. 日出高校通信制課程への転校決断
    4. 修学旅行を逃した苦い思い出
    5. 日出高校での新しい環境
  4. 高校卒業後の選抜入りと大学進学の完全な断念
    1. 高校3年生での飛躍と卒業
    2. 20thシングルで初の選抜入り
    3. CanCam専属モデル就任という新たな展開
    4. 女優デビューと活動の多様化
    5. 臨床心理士の夢は完全に過去のものに
  5. 大学に行かない選択:同世代メンバーとの比較から見える決断
    1. 与田祐希の大学進学との対比
    2. 活動量の違いが生む選択の違い
    3. センター経験がもたらした重責と成長
    4. 同世代の選択から見える多様性
  6. 芸能活動を通じて得た学びと成長
    1. アイドルとして磨いたプロフェッショナリズム
    2. 握手会で培った高度なコミュニケーション能力
    3. ファッションモデルとして学んだ美的センス
    4. 女優として深めた人間理解
    5. 多様な人々との交流がもたらした視野の拡大
    6. 自己管理能力とメンタルの強化
  7. 大学進学しなかった選択のキャリアへの影響と現在
    1. 乃木坂46卒業と新しいステージ
    2. 大学に行かなかったことで得られた実績
    3. 築いた人脈という無形の財産
    4. 学歴がないことのデメリットと限界
    5. 卒業後の展望と可能性
    6. 学び直しという選択肢も残されている
  8. まとめ:山下美月の選択が示す多様なキャリアパス
    1. 計画に固執しない柔軟性の重要性
    2. 学びの場は大学だけではない
    3. タイミングの重要性を理解する
    4. リスクと向き合う覚悟
    5. 正解は一つではない
    6. 可能性は常に開かれている
    7. 山下美月の選択が与える希望

山下美月の学歴と高校時代までの進路計画

地元の公立校で過ごした幼少期から中学時代

山下美月さんは1999年7月26日、東京都瑞穂町で生まれました。名前の由来は「月がとても綺麗な夜に生まれたから」というもので、祖父が名付け親です。

家族構成は両親と本人の3人家族で、一人っ子として育ちました。

瑞穂町立第一小学校に入学した山下さんは、小学生の頃から独特の雰囲気を持つ子供でした。

近寄りがたい雰囲気があったため「クールドール」と呼ばれることもあり、後に「普通の人間として見られるよう努力しました」と振り返っています。

この経験が、後に人間心理への興味につながっていったのかもしれません。

小学生時代には水泳を5年ほど続けており、スポーツにも親しんでいました。また、町が開催した「青年の主張 意見発表会」で最優秀賞を受賞するなど、文章力や論理的思考力にも優れていました。

この能力は中学時代にも発揮され、中学校でも同じ発表会で優秀賞を受賞しています。

小学3年生の時にパソコンを買ってもらってからは、アイドルの動画を見ることに夢中になりました。

特にAKB48に強い憧れを抱き、前田敦子さんの卒業コンサートにも足を運ぶほどでした。この頃から、山下さんの心の中にはアイドルへの憧れが芽生えていたのです。

中学時代はバレーボール部に所属し、部活動にも励んでいました。また中学2年生の頃には芸能事務所に所属し、舞台「ハミングバーズ」に出演するなど、芸能活動も経験しています。さらに、ダンスも習い始めました。

しかし、芸能界での道は決して順調ではありませんでした。中学時代にAKB48の第13期生オーディションを受けましたが不合格。

その他のアイドルグループのオーディションも複数受けましたが、すべて落選という結果に終わっています。さらに、高校進学の頃には所属していた芸能事務所から契約を打ち切られてしまいました。

相次ぐ挫折の中で、山下さんは「自分は芸能界に向いていないのでは」と感じ始めていました。この経験が、後の進路選択に大きな影響を与えることになります。

東大和南高校への進学と臨床心理士という目標

山下美月は大学に進学せず乃木坂46に専念!臨床心理士の夢を断念した理由と芸能界での成長

中学卒業後、山下さんは東京都立東大和南高校に進学しました。この高校は1984年開校の都立高校で、偏差値56程度の中堅進学校として知られています。

山下さんは第一志望の高校に不合格となり、この高校に進学したと明かしていますが、それでも一定の学力を持っていたことがわかります。

高校では茶道部に所属し、副部長も務めました。茶道の作法だけでなく、浴衣の着付けや和室でのマナー、花の種類など、日本文化に関する幅広い知識を学びました。

この経験は後に、和装でのグラビア撮影を好むようになるなど、芸能活動にも活かされることになります。

高校時代の山下さんは、周囲と調和することを強く意識していました。インタビューでは次のように語っています。

「自分の中で『こうしていれば普通の人間だ』っていうのがあったんです。何人か友達がいて、学校では単独行動をせず、誰かに合わせていれば可もなく不可もなくで、ずっと一定の状態であり続けられるだろうなと思って」

スクールカーストの真ん中にいるよう意識的に立ち振る舞い、嫌われないように周りを気にし過ぎていたと振り返っています。

こうした人間観察的な視点や、社会の中での自分の立ち位置を客観的に分析する能力は、後に人間心理への興味につながっていきました。

高校時代、山下さんは中華料理店でアルバイトをしていました。そして、このアルバイト代には明確な使い道がありました。

それは「大学の学費のため」です。自分で学費を貯めるという行動は、大学進学への強い意志と、経済的な自立心を示すものでした。

臨床心理士を目指した理由と必要な学歴

当時の山下さんが目指していた職業は、臨床心理士でした。

臨床心理士は、心理学の専門知識を活かして、心の問題を抱える人々をサポートする専門職です。この資格を取得するには、大学で心理学を学んだ後、さらに大学院の修士課程を修了する必要があります。

つまり、臨床心理士になるには、大学4年間と大学院2年間、合計6年間の学業が必要となります。

さらに、指定された大学院のカリキュラムを修了し、試験に合格しなければなりません。非常に専門性が高く、長期的な学習計画が求められる職業なのです。

なぜ山下さんは臨床心理士を目指していたのでしょうか。本人は詳しく語っていませんが、いくつかの手がかりがあります。

小学生の頃から「クールドール」と呼ばれ、人との距離感に悩んでいたこと。高校時代には周囲の目を気にし過ぎ、意識的にスクールカーストの真ん中にいるよう振る舞っていたこと。

こうした経験から、山下さんは人間関係や心理というテーマに強い関心を持つようになったと考えられます。

また、一人っ子として育ち、物事を論理的に考える力に長けていた山下さんにとって、心理学という学問は知的好奇心を満たすものだったのでしょう。

「青年の主張意見発表会」で賞を受賞するなど、文章力や論理的思考力に優れていたことも、学術的な道に進むのに適していました。

人の心を理解し、支援する仕事。それは、人間関係で悩んだ経験を持つ山下さんにとって、意義深い目標だったはずです。

大学進学は、その目標を実現するための必須のステップでした。

高校1年生から2年生にかけて、山下さんは臨床心理士という明確な目標を持ち、大学進学に向けて着実に準備を進めていました。

アルバイトで学費を貯め、勉強にも励み、将来の資格取得を見据えた堅実な人生設計を描いていたのです。

しかし、この計画は高校2年生の夏、予期せぬ出来事によって大きく揺らぐことになります。

乃木坂46のオーディション合格と大学進学計画の揺らぎ

芸能界への挑戦と挫折の繰り返し

山下美月さんの芸能界への憧れは、決して一時的なものではありませんでした。小学生の頃からアイドルに夢中になり、中学時代には実際に芸能活動を経験していました。しかし、その道は険しく、挫折の連続でもありました。

中学2年生の時、山下さんは芸能事務所レプロエンタテインメントの系列であるレプロアスターに所属し、舞台「ハミングバーズ」に出演しました。

これは彼女にとって初めての本格的な芸能活動でした。舞台に立つ経験は刺激的であり、芸能界への興味をさらに強めるものでした。

しかし、その後の道のりは厳しいものでした。中学時代、山下さんは複数のアイドルグループのオーディションに挑戦しましたが、すべて不合格でした。

AKB48の第13期生オーディションも受けましたが、ここでも落選。憧れのアイドルになるという夢は、何度も打ち砕かれました。

さらに追い打ちをかけるように、高校進学の頃には所属していた芸能事務所から契約を打ち切られてしまいます。

芸能の仕事も徐々に減少し、高校生になる頃には、ほとんど仕事がない状態になっていました。

これらの経験は、山下さんに深い挫折感を与えました。「自分は芸能界に向いていないのでは」「どうせ私は受からない」という思いが、彼女の心の中に根付いていきました。

何度挑戦しても報われない現実は、若い彼女にとって辛い経験だったはずです。

こうした背景があったからこそ、山下さんは「普通の高校生として生きよう」と決意し、臨床心理士という現実的な目標を定めたのです。

芸能界という不確実な世界ではなく、資格を取得して安定した職業に就く。それが、挫折を経験した彼女が選んだ堅実な道でした。

「最後の挑戦」として受けた乃木坂46オーディション

しかし、山下さんの心の中には、完全に消えない炎がありました。アイドルへの憧れは、挫折を経験してもなお、彼女の心に残り続けていたのです。

高校2年生の夏、山下さんは乃木坂46の3期生オーディションの情報を知りました。この時の葛藤を、彼女は公式ブログで次のように綴っています。

「普通の高校生として生きようと決めかけていた時、乃木坂のオーディションを見つけました。元々アイドルが大好きだった為、もう一度挑戦してみたいという気持ち、もう一方でどうせ私は受からない、また辛い現実を見るだけだという気持ちどっちもありました」

過去の挫折から来る不安と、それでも諦めきれない夢への思い。この二つの感情が、彼女の心の中で激しくせめぎ合っていました。

何度もオーディションに落ち、事務所からも契約を切られた経験は、彼女に深い自信喪失をもたらしていたのです。

それでも、山下さんは一つの決意をしました。「大学受験勉強に入る前にもう一度だけ自分の為に夢を見てみよう」。

これが最後のチャンスだと自分に言い聞かせ、乃木坂46のオーディションに応募したのです。

この「最後の挑戦」という位置づけは重要です。もしここで不合格になったら、芸能界への道は完全に諦め、臨床心理士という目標に向かって大学受験に集中する。そう心に決めた上での応募でした。

つまり、このオーディションは、山下さんの人生の分岐点だったのです。

オーディション期間中の苦悩と周囲の反応

オーディションの過程は、山下さんにとって決して楽なものではありませんでした。乃木坂46の3期生オーディションでは、SHOWROOMでの動画配信が課題の一つとなっていました。

これについて、山下さんは後に「嫌だった」と率直に語っています。

注目されることを好まず、できるだけ目立たないよう周囲に溶け込もうとしていた彼女にとって、カメラの前で自分をアピールすることは大きなストレスでした。

しかも、その動画は誰でも見ることができるため、学校の友人や知人にも見られる可能性がありました。

実際、山下さんの懸念は現実のものとなります。通っていた東大和南高校には、乃木坂46や欅坂46のファンが多数在籍していました。

オーディション動画が公開されると、校内で「4番(山下さんのオーディション番号)うちの学校の子じゃない?」という噂が広がりました。

高校では「普通の生徒」として振る舞っていた山下さんにとって、この状況は耐え難いものでした。注目を集めることで、慎重に築き上げてきた学校での立ち位置が崩れることを恐れていたのです。

「嫌われないように」「真ん中にいるように」と意識していた彼女にとって、突然注目の的になることは、まさに悪夢でした。

しかし、こうした苦痛を乗り越えて、山下さんはオーディションを最後まで戦い抜きました。過去の挫折、周囲の目、自分への不信感。すべてを跳ね除けて、彼女は前に進んだのです。

合格発表と両親の反応

そして2016年8月、山下美月さんは乃木坂46の3期生オーディションに見事合格しました。

梅澤美波さん、大園桃子さん、与田祐希さんら11名とともに、新たな乃木坂46のメンバーとして選ばれたのです。

合格を知った時の喜びは、言葉にできないほどのものだったでしょう。何度も挫折を経験し、「自分には無理だ」と思い込んでいた彼女が、ついに夢を掴んだのです。「あのチャンスに懸けて良かった」と後に振り返っているように、最後の挑戦が実を結びました。

両親の反応はどうだったのでしょうか。山下さんの両親は、娘の決断を基本的に尊重するタイプでした。

オーディションを受けることに対しても、反対はしませんでした。ただし、母親は現実的なアドバイスもしていました。

「両親はあまり私のすることに反対しないタイプなので応援してくれていましたが、私が思い詰めやすい性格だったこともあって、その点は心配していましたね。どの世界もそうですけど、芸能界も大変なことや苦しいことが多い場所なので…。『そううまくはいかないよ』とは言われていて」

母親の言葉には、娘の性格を深く理解した上での心配が込められていました。思い詰めやすく、繊細な性格の山下さんが、厳しい芸能界でやっていけるのか。親としての不安は当然のものでした。

しかし最終的に、両親は山下さんの挑戦を応援することを選びました。娘が本当にやりたいことに挑戦する姿を、見守ることにしたのです。

この家族のサポートが、山下さんの背中を押す大きな力となりました。

オーディション合格は、山下さんの人生を大きく変える出来事でした。臨床心理士という目標、大学進学という計画、そして貯めていた学費。すべてが、この合格によって意味を変えることになったのです。

東大和南高校から日出高校への転校と進路の明確化

乃木坂46としてのデビューと活動の本格化

2016年12月、高校2年生の12月、山下美月さんは日本武道館で開催された「お見立て会」で、乃木坂46のメンバーとして正式にデビューしました。

このイベントは、3期生を初めてファンに披露する重要な場でした。

特筆すべきは、このデビューの場で山下さんがいきなりセンターに抜擢されたことです。

3期生が披露した「ガールズルール」のパフォーマンスにおいて、山下さんは最前列の中央、つまりセンターポジションで踊りました。これは、運営側が山下さんに寄せる期待の大きさを明確に示すものでした。

デビュー前のオーディション段階から、山下さんは注目を集めていました。ルックスの良さ、スタイル、そして真面目な取り組み姿勢。これらが評価され、3期生の中でも特に期待される存在として位置づけられたのです。

しかし、センターという重責は、大きなプレッシャーでもありました。まだ高校生で、アイドルとしての経験もほとんどない山下さんにとって、いきなり最前線に立つことは想像以上の負担だったはずです。

レッスン、握手会、撮影、テレビ出演と、デビュー後の活動は急速に増加していきました。

全日制高校との両立の限界

東大和南高校は、都立の全日制高校です。基本的には毎日登校が必要であり、授業への出席も重視されます。

偏差値56という中堅レベルの進学校として、一定の学業水準も求められていました。

デビュー後、山下さんは仕事と学業の両立に苦しむことになります。握手会は週末に開催されることが多く、撮影やレッスンは平日の放課後や休日に入ります。

テレビ出演があれば、早朝や深夜の時間帯に動くこともあります。こうしたスケジュールは、全日制高校の生活リズムとは根本的に相容れないものでした。

学校を休む日が増えていきました。授業に出席できないため、学習内容についていくことも困難になっていきました。

友人との関係も、仕事で頻繁に欠席するため、以前のように維持することが難しくなっていったでしょう。

さらに、学校での立ち位置も変化しました。乃木坂46のメンバーとして注目を集めることで、これまで慎重に維持してきた「普通の生徒」という立場が崩れていったのです。

山下さんが意識的に作り上げてきた「スクールカーストの真ん中」というポジションは、もはや維持できなくなっていました。

こうした状況の中で、山下さんと運営側は重要な決断を迫られることになります。このまま全日制高校に通い続けるのか、それとも芸能活動に専念できる環境に移るのか。その選択が、彼女の将来を大きく左右することになるのです。

日出高校通信制課程への転校決断

山下美月さんは2016年9月から2017年3月の間に、日出高校(現在の目黒日本大学高校)の通信制課程に転校しました。この決断は、乃木坂46の活動に本格的に取り組むための必然的な選択でした。

日出高校は、多くの芸能人が在籍する学校として知られています。特に通信制課程は、登校日数が限られており、自宅学習を中心としたカリキュラムが組まれているため、芸能活動との両立がしやすい環境です。

必要最低限の登校で高校卒業資格が取得でき、残りの時間を仕事に充てることができます。

この転校決断は、実質的に大学進学の可能性を大きく狭めることを意味していました。通信制高校でも大学受験は可能ですが、全日制高校と比べると、受験勉強の環境は整っていません。

授業が限られているため、難関大学を目指すには、自主学習に相当の時間を割く必要があります。

しかし、乃木坂46の活動が本格化する中で、大学受験に必要な勉強時間を確保することは現実的ではありませんでした。

レッスン、握手会、撮影、テレビ出演と、スケジュールは分刻みで埋まっていきます。移動時間や待機時間を含めると、一日のほとんどが仕事に費やされる状況でした。

さらに、臨床心理士という当初の目標を考えると、問題はより深刻でした。

臨床心理士になるには、大学4年間と大学院2年間、合計6年間の学業が必要です。つまり、24歳か25歳まで学生として過ごすことになります。

アイドルという職業は、若さが大きな武器となる世界です。18歳から24歳という時期は、アイドルにとって最も輝ける、そして最も価値の高い時期です。

この貴重な時間を学業に費やすことは、アイドルとしてのキャリアを大きく制限することになります。

山下さんは、この現実を冷静に見つめ、判断したのでしょう。臨床心理士という資格は素晴らしいものですが、それは今すぐ追求すべき目標ではない。

今この瞬間、自分に与えられたチャンスを最大限に活かすこと。それが最善の選択だと結論づけたのです。

通信制高校への転校という決断は、山下さんが乃木坂46の活動に全力でコミットすることを意味していました。そして同時に、大学進学と臨床心理士という当初の夢を、少なくとも当面は手放すことを意味していたのです。

修学旅行を逃した苦い思い出

転校のタイミングは、山下さんにとって苦い思い出も残すことになりました。オーディションに合格したのは、東大和南高校の修学旅行の1週間前でした。

行先は福岡と長崎。楽しみにしていた修学旅行でしたが、乃木坂46の活動のため、参加することができませんでした。

修学旅行は、高校生活の中でも特別な思い出となるイベントです。友人たちと旅行し、普段とは違う環境で過ごす時間は、かけがえのないものです。

山下さんも、当然この修学旅行を楽しみにしていたはずです。

しかし、芸能活動を選択した以上、こうした犠牲は避けられませんでした。修学旅行当日、山下さんは東京で仕事をしていました。

クラスメイトたちが福岡や長崎を楽しんでいる間、彼女は一人、別の世界にいたのです。

それでも、友人たちの心遣いが山下さんを救いました。修学旅行中、クラスメイトたちがテレビ電話をかけてくれたのです。

遠く離れた場所にいても、友人たちは山下さんを忘れていませんでした。この出来事を、山下さんは公式ブログに綴っています。

修学旅行を逃したことは、山下さんにとって「普通の高校生活」を送れなかった象徴的な出来事でした。しかし同時に、自分が選んだ道への覚悟を新たにする機会でもあったのです。

日出高校での新しい環境

日出高校に転校後、山下さんは新しい環境に身を置くことになりました。この学校には、ファッションモデルの横田真悠さんなど、同世代の芸能人も多数在籍していました。

お互いの仕事への理解があり、芸能活動と学業を両立する仲間がいる環境は、山下さんにとって心強いものだったはずです。

興味深いのは、山下さんが日出高校での生活について「男子と絡まなかった」と語っていることです。

日出高校には多くの男性芸能人も在籍していましたが、山下さんは仕事に集中し、プライベートでは一定の距離を保っていたようです。これは、乃木坂46のメンバーとしての自覚と、プロフェッショナルとしての姿勢の表れでした。

通信制高校での学習は、自己管理能力が強く求められます。誰かに強制されるわけではなく、自分で計画を立てて学習を進める必要があるのです。この経験は、後の山下さんのキャリアにおいて、自律性や計画性を養う重要な訓練となりました。

高校2年生から3年生にかけて、山下さんの乃木坂46での活動はさらに本格化していきます。レッスンや撮影、握手会だけでなく、テレビ出演やイベント出演も増加していきました。通信制高校という柔軟な環境だからこそ、こうした多忙なスケジュールをこなすことができたのです。

転校という決断は、山下さんにとって大きな転機でした。それは、臨床心理士という当初の夢を手放し、アイドルとして生きる道を選んだことを意味していました。大学進学という計画も、少なくとも当面は実現不可能になりました。

しかし、この選択は決して後悔するものではありませんでした。むしろ、自分の可能性を信じ、与えられたチャンスに全力で向き合う覚悟の表れだったのです。

高校卒業後の選抜入りと大学進学の完全な断念

高校3年生での飛躍と卒業

高校3年生になると、山下美月さんの活躍はさらに加速していきます。2017年には舞台「3人のプリンシパル」で3役を演じるなど、女優としての活動も本格化しました。複数の役柄を演じ分ける経験は、彼女の表現力を大きく広げるものでした。

こうした多忙な活動の中でも、山下さんは学業を疎かにしませんでした。通信制高校のカリキュラムをきちんとこなし、レポートを提出し、必要なスクーリング(登校日)にも参加しました。

仕事と学業の両立は容易ではありませんでしたが、彼女は責任を持ってやり遂げたのです。

そして2018年3月、山下美月さんは日出高校を無事に卒業しました。東大和南高校から日出高校への転校という困難な状況を経ても、きちんと3年間で高校を卒業したことは、彼女の真面目さと責任感の表れです。

卒業は一つの区切りでした。そして同時に、新しいステージの始まりでもありました。

高校卒業後、山下さんは大学には進学せず、芸能活動に専念する道を選びました。かつて貯めていた大学の学費は、もはや必要ないものとなっていました。

20thシングルで初の選抜入り

高校を卒業した2018年4月、山下美月さんにとって大きな転機が訪れます。乃木坂46の20thシングル「シンクロニシティ」で、初の選抜メンバーに選ばれたのです。

選抜メンバーとは、シングル曲を歌う選ばれたメンバーのことです。乃木坂46には多数のメンバーが在籍していますが、シングル曲に参加できるのは16名から21名程度の選抜メンバーのみ。選抜入りは、グループ内での評価と人気の証なのです。

さらに驚くべきことに、山下さんはいきなり1列目(フロントメンバー)に配置されました。

センターは白石麻衣さんでしたが、山下さんはその周囲を固めるフロントメンバーの一人として起用されたのです。

一緒に1列目に並んだのは、白石麻衣さん、生田絵梨花さん、齋藤飛鳥さん、西野七瀬さん、堀未央奈さんといった、乃木坂46を代表する絶対的人気メンバーたちでした。

デビューからわずか1年半で、こうしたトップメンバーと肩を並べる立ち位置を得たことは、山下さんへの期待の大きさを物語っていました。

この選抜入りによって、山下さんの活動はさらに多忙になりました。テレビ番組への出演、雑誌の取材、イベント出演と、仕事の依頼が殺到しました。

もし大学に通っていたとすれば、こうした仕事の多くは断らなければならなかったでしょう。

CanCam専属モデル就任という新たな展開

2018年10月、高校を卒業してわずか半年後、山下美月さんは人気ファッション誌「CanCam」の専属モデルに起用されました。

CanCamは20代女性をターゲットとした老舗ファッション誌で、専属モデルになることはファッション業界での大きなステータスです。

さらに驚くべきスピードで、山下さんのモデルとしてのキャリアは飛躍していきます。専属モデル就任からわずか半年後の2019年3月号で、彼女は早くも表紙を飾ったのです。

通常、専属モデルが表紙に起用されるまでには、もっと長い時間がかかります。半年という異例のスピードは、山下さんのモデルとしてのポテンシャルが業界から高く評価されていたことを示しています。

ファッションモデルの仕事は、定期的な撮影やイベント出演が求められ、スケジュールの拘束力が強い仕事です。

乃木坂46の活動に加えて、モデルとしての仕事も本格化する中で、大学の授業に出席する時間を確保することは、物理的に不可能でした。

もし山下さんがこの時点で大学に通っていたとすれば、CanCamの専属モデルのオファーを断らざるを得なかったかもしれません。

あるいは、大学を休学または中退する選択を迫られていたでしょう。高校卒業後に大学に進学しなかったことで、山下さんはこうした貴重なチャンスをすべて掴むことができたのです。

女優デビューと活動の多様化

2019年1月、山下美月さんはテレビドラマ「神酒クリニックで乾杯を」で主演を務め、女優としてもデビューしました。

これは深夜ドラマでしたが、初出演で主演を務めたことは、彼女の演技力への期待を示すものでした。

ドラマ撮影は、数週間から数ヶ月単位でスケジュールが拘束されます。早朝から深夜までの長時間撮影も珍しくなく、大学の授業との両立は極めて困難です。

多くの学生俳優が、ドラマ出演のために休学を選択するのは、この物理的な困難さが理由です。

山下さんは大学に通っていなかったため、こうした制約なくドラマ撮影に臨むことができました。

女優としての経験を積み、演技力を磨く貴重な機会を、フルにコミットすることができたのです。

この時期、山下さんの活動は、アイドル、ファッションモデル、女優と、三つの分野に広がっていました。

乃木坂46での歌とダンス、CanCamでのファッション撮影、そしてドラマでの演技。それぞれが異なるスキルを要求する仕事であり、すべてを高いレベルでこなすことは、想像を絶する努力が必要だったはずです。

大学に通っていれば、これらの仕事のうちいくつかは諦めなければなりませんでした。しかし山下さんは、芸能活動に専念することで、すべてのチャンスを掴み、多方面での実績を積み上げることができたのです。

臨床心理士の夢は完全に過去のものに

高校卒業後の目覚ましい活躍の中で、臨床心理士という当初の夢は、完全に過去のものとなっていました。大学に進学しなかったことで、その夢を実現する道は閉ざされたように見えました。

しかし、それは夢を諦めたというよりも、新しい夢に置き換わったと言うべきでしょう。

アイドルとして、モデルとして、女優として活躍すること。多くの人々に影響を与え、感動を届けること。それが山下さんの新しい人生目標になっていったのです。

興味深いのは、臨床心理士を目指していた時の「人の心理に興味がある」という特性が、芸能活動にも活かされている点です。

握手会での神対応が話題となり、一人ひとりのファンに対して心のこもった対応ができることが評価されています。相手の気持ちを理解し、適切に応答する能力。これは臨床心理士に求められる資質と共通するものです。

また、様々な役柄を演じる女優としての活動においても、人間心理への理解は大きな武器となります。

キャラクターの内面を理解し、その感情を表現する。これはまさに、人の心を深く洞察する能力が求められる仕事です。

山下さんは大学で心理学を学ばなかったものの、実践を通じて、人の心に寄り添う方法を体得していったのかもしれません。

学びの形は変わりましたが、人間理解を深めるという根本的な関心は、彼女の中で生き続けているのです。

大学に行かない選択:同世代メンバーとの比較から見える決断

山下美月は大学に進学せず乃木坂46に専念!臨床心理士の夢を断念した理由と芸能界での成長

与田祐希の大学進学との対比

山下美月さんが大学進学をしなかったことを理解する上で、同じ3期生として加入した与田祐希さんの選択と比較することは興味深い視点を提供してくれます。与田さんは慶應義塾大学に進学し、芸能活動と学業を両立させました。

慶應義塾大学は、日本を代表する難関私立大学です。与田さんは、AO入試などの多様な入試制度を活用して合格しました

。慶應義塾大学のAO入試では、学力試験だけでなく、芸能活動などの実績も評価対象となるため、乃木坂46での活動が進学に有利に働いた可能性があります。

与田さんは大学に通いながら、乃木坂46の活動も継続しました。授業への出席、課題の提出、試験の準備といった学業と、レッスン、握手会、撮影などの芸能活動を両立させる生活は、想像を絶する多忙さだったはずです。

しかし、与田さんと山下さんの状況には、いくつかの重要な違いがありました。まず、グループ内での立ち位置です。

山下さんは3期生の中でも特に早い段階からフロントメンバーとして起用され、グループの顔としての役割を期待されていました。こうした中心的な立場では、活動量も多く、学業との両立はより困難になります。

さらに、山下さんがCanCamの専属モデルに就任したことも、大きな違いでした。ファッション誌の専属モデルは、定期的な撮影やイベント出演が求められ、スケジュールの拘束力が強い仕事です。

乃木坂46の活動に加えて、モデルとしての仕事も本格化する中で、大学の授業に出席する時間を確保することは現実的ではありませんでした。

活動量の違いが生む選択の違い

乃木坂46の中でも、メンバーによって活動量は大きく異なります。選抜メンバーとして楽曲に参加する頻度、テレビ番組への出演機会、雑誌の取材やグラビア撮影の回数など、人気や運営側の期待によって、仕事の量は変わってくるのです。

山下さんは、デビュー直後から高い期待を寄せられ、多くの仕事機会を得ました。初の選抜入りでいきなりフロントメンバーに抜擢され、CanCamの専属モデルに就任し、ドラマで主演を務める。

これらの仕事は、それぞれが多くの時間と労力を要求するものでした。

こうした多忙なスケジュールの中で、大学の授業に定期的に出席し、課題をこなし、試験に備えることは、物理的に不可能に近い状況でした。

たとえ通信制大学や夜間大学を選択したとしても、山下さんの仕事量では両立は極めて困難だったでしょう。

一方、選抜に入る頻度が少なく、個人での仕事も限られているメンバーであれば、大学との両立はより現実的です。

芸能活動に割く時間が少ない分、学業に充てる時間を確保できるからです。

山下さんは、自分の置かれた状況を冷静に分析し、最善の選択をしました。与えられた仕事のチャンスをすべて掴むのか、それとも大学進学を優先して仕事を制限するのか。彼女は前者を選んだのです。

センター経験がもたらした重責と成長

2021年1月、山下美月さんは乃木坂46の26枚目シングル「僕は僕を好きになる」でセンターを務めました。これは彼女にとって、キャリアの頂点とも言える出来事でした。

センターは、グループの顔として最前線に立つポジションです。楽曲のパフォーマンスの中心となり、ミュージックビデオでも最も目立つ位置に配置されます。

多くのプレッシャーと責任が伴う立場ですが、同時に最も輝けるポジションでもあります。

この時期、乃木坂46は大きな転換期を迎えていました。白石麻衣さん、西野七瀬さんといった、グループを長年牽引してきた人気メンバーが相次いで卒業していたのです。次世代を担うメンバーとして、山下さんにかかる期待は非常に大きなものでした。

センターという重責を担う経験は、山下さんを大きく成長させました。グループ全体を引っ張るリーダーシップ、プレッシャーに負けない精神力、ファンの期待に応える責任感。これらは、実際にその立場に立つことでしか学べない貴重な経験でした。

もし山下さんが大学に通っていたとすれば、こうした重要な時期に、学業との両立に追われ、アイドル活動に全力投球できなかった可能性があります。センターという重責を全うするには、心身ともに最高のコンディションで臨む必要があります。大学進学をしなかったことで、山下さんはこの貴重な機会に100%の力で向き合うことができたのです。

同世代の選択から見える多様性

乃木坂46の3期生の中でも、大学進学を選んだメンバーと、芸能活動に専念したメンバーに分かれています。

この違いは、それぞれの状況、目標、価値観によるものであり、どちらが正しいという問題ではありません。

与田祐希さんのように大学に進学し、学歴を得ながら芸能活動も続ける道。山下美月さんのように大学には行かず、若い時期を芸能活動に全力投球する道。

どちらも一つの選択であり、それぞれにメリットとデメリットがあります。

重要なのは、自分の置かれた状況を正確に把握し、自分の目標に照らして最善の選択をすることです。

山下さんは、自分に与えられたチャンスの大きさ、活動量の多さ、そして今しかできない経験の価値を考慮して、大学進学をしない道を選びました。

この選択は、彼女にとって最適なものでした。結果として、山下さんは短期間で多くの実績を積み上げ、アイドル、モデル、女優として幅広く活躍するマルチタレントとなったのです。

芸能活動を通じて得た学びと成長

アイドルとして磨いたプロフェッショナリズム

大学に進学しなかった山下美月さんは、その代わりに芸能界という実践の場で、多くの学びと成長を経験してきました。

高校卒業から乃木坂46卒業までの約6年間は、彼女にとって密度の濃い教育期間だったと言えるでしょう。

まず、アイドルとしての基礎訓練があります。歌唱力を高めるためのボイストレーニング、ダンススキルを磨くためのレッスン、表現力を養うための演技指導。これらの訓練は、プロのエンターテイナーとして必要不可欠なものです。

山下さんは、こうした基礎訓練に真摯に取り組みました。もともと運動神経はあまり良くないと本人が語っていますが、それでも努力を重ねることで、グループのパフォーマンスで遜色ないレベルまでスキルを向上させました。才能ではなく、努力によって技術を獲得する過程は、貴重な学びでした。

また、ステージ上でのパフォーマンスは、座学では決して学べない実践的なスキルです。

何千人もの観客の前で歌い踊る経験、カメラを意識した表情の作り方、観客とのアイコンタクトの重要性。これらは、実際にステージに立つことでしか身につかない能力です。

握手会で培った高度なコミュニケーション能力

特に注目すべきは、山下さんのコミュニケーション能力の向上です。乃木坂46の握手会は、ファンとメンバーが直接交流できる貴重な機会です。

限られた数十秒という時間の中で、ファン一人ひとりと向き合い、会話をする。これは高度なコミュニケーションスキルが求められる場面です。

山下さんの握手会での対応は「神対応」として多くのファンから称賛されています。一人ひとりのファンの名前を覚え、前回の会話の内容を覚えていて、それを話題にする。ファンが話したいことを察知し、適切に相槌を打ち、共感を示す。こうした細やかな気配りが、山下さんの人気を支えています。

興味深いのは、この能力が山下さんがかつて目指していた臨床心理士に必要な資質と重なることです。

相手の心情を理解し、適切に応答し、心理的な満足感を提供する。これはまさに心理カウンセリングの基本でもあります。

大学で心理学を学ばなかったものの、山下さんは実践を通じて、人の心に寄り添う方法を体得していったのです。

教科書で理論を学ぶのではなく、実際に何千人ものファンと向き合うことで、生きたコミュニケーションスキルを身につけました。

ファッションモデルとして学んだ美的センス

CanCamの専属モデルとしての活動も、山下さんに貴重な学びをもたらしました。ファッション業界で働くことは、美的センスを磨く最高の機会です。

最新のファッショントレンド、色の組み合わせ、スタイリングの技術、ヘアメイクの知識。これらを、プロのスタイリストやカメラマンから直接学ぶことができました。

撮影現場では、カメラワークの理解、ライティングの効果、ポージングの技術など、ビジュアル表現に関する専門知識を現場で習得しました。

どの角度から撮られると美しく見えるのか、どんな表情が写真映えするのか。こうした実践的なスキルは、座学では学べないものです。

また、プロフェッショナルの仕事に対する姿勢も学びました。撮影現場では、スタイリスト、ヘアメイク、カメラマン、編集者など、多くの専門家が協働しています。

それぞれが自分の仕事に誇りを持ち、細部にまでこだわって完璧を追求する。その姿勢を間近で見ることで、山下さん自身のプロ意識も高まっていきました。

ファッション誌の表紙を飾る経験も、特別な意味を持ちました。表紙は、その号の「顔」となる最も重要なビジュアルです。表紙に起用されるということは、雑誌の売上を左右する責任を担うということです。こうした重圧の中で仕事をする経験は、山下さんの精神的な成長にもつながりました。

女優として深めた人間理解

ドラマでの演技経験は、山下さんに人間理解を深める機会を提供しました。様々な役柄を演じることは、異なる人生、異なる価値観、異なる感情を体験することです。

台本を読み込み、役柄の背景を理解し、その人物になりきって演技する。このプロセスは、人間の多様性を学ぶ貴重な教育でした。

「神酒クリニックで乾杯を」での主演をはじめ、複数のドラマに出演する中で、山下さんは演技力を着実に向上させていきました。

最初は不慣れだった演技も、経験を重ねるごとに自然になり、感情表現も豊かになっていきました。

演技の仕事は、監督や共演者とのコミュニケーションも重要です。演出意図を理解し、それを自分の表現に落とし込む。

共演者との呼吸を合わせ、シーンを作り上げていく。こうした協働作業を通じて、チームワークの重要性や、他者と協力して一つの作品を創り上げる喜びも学びました。

多様な人々との交流がもたらした視野の拡大

芸能活動を通じて、山下さんは様々な世代、様々なバックグラウンドを持つプロフェッショナルと仕事をする機会を得ました。

若手のスタッフから、業界の重鎮まで。アイドル、俳優、モデル、スタイリスト、カメラマン、ディレクター、プロデューサー。年齢も職種も異なる多様な人々と協働する経験は、社会性や人間関係のスキルを高めました。

特に重要なのは、先輩メンバーから学んだことです。白石麻衣さん、西野七瀬さん、生田絵梨花さんといった、長年グループの中心として活躍してきた先輩たちの姿勢は、山下さんにとって最高の教材でした。

プロとしての振る舞い、ファンへの向き合い方、仕事への取り組み姿勢。こうした生きた学びは、どんな教科書にも載っていない貴重なものです。

また、同期である3期生のメンバーとの絆も、山下さんを支える大きな力となりました。一緒にデビューし、同じ苦労を経験した仲間との絆は、生涯の財産となるでしょう。

オーディション中から仲良くなった阪口珠美さんとの友情など、かけがえのない人間関係を築くことができました。

自己管理能力とメンタルの強化

過密なスケジュールの中で、山下さんは高度な自己管理能力を身につけました。体調管理、メンタルケア、時間管理。これらすべてを自分でコントロールしなければ、芸能界の厳しい世界では生き残れません。

高校時代に「思い詰めやすい性格」と評されていた山下さんが、多忙な芸能活動を6年以上続けられたことは、精神的な成長の証です。

プレッシャーとの向き合い方、ストレスの発散方法、モチベーションの維持。これらを実践を通じて学び、メンタルを強化していきました。

また、週刊文春に高校時代の交際を報じられた経験も、メディアとの向き合い方を学ぶ機会となりました。

公人として生きることの責任、プライバシーとの境界線、批判や誹謗中傷への対処法。こうした経験は、決して楽ではありませんでしたが、社会で生きていく上で重要な学びをもたらしました。

このように、大学に行かなかった山下さんは、代わりに芸能界という厳しい実践の場で、多岐にわたるスキルと知識を獲得してきました。

それは学術的な知識とは異なりますが、社会で生きていく上で極めて重要な実践的能力です。大学での学びが「理論」中心だとすれば、山下さんの学びは「実践」中心だったと言えるでしょう。

大学進学しなかった選択のキャリアへの影響と現在

乃木坂46卒業と新しいステージ

2024年5月、山下美月さんは乃木坂46を卒業しました。グループでの約7年半の活動を経て、彼女は新しいステージへと進んでいます。

卒業は一つの区切りでしたが、同時に新しい可能性の始まりでもありました。

卒業時のコメントで、山下さんはグループでの経験への深い感謝を表明しています。乃木坂46での活動を通じて得た経験、築いた人間関係、学んだことのすべてが、彼女の財産となっています。そして、これからの活動への強い意欲も語られていました。

乃木坂46を卒業した後も、山下さんは芸能活動を継続しています。

すでに培ったアイドル、モデル、女優としての実績を基盤に、さらに活躍の幅を広げていくことが期待されています。

大学に行かなかったことで得られた実績

大学に進学しなかった選択が、山下さんのキャリア構築を大きく加速させたことは明らかです。

18歳から24歳という、最もエネルギーに満ちた時期を、芸能活動に全力投球できたことで、短期間で多くの実績を積み上げることができました。

乃木坂46での選抜常連、センター経験、CanCamの専属モデル、ドラマでの主演。これらの実績は、20代前半で達成したものです。

もし大学に通いながら芸能活動をしていたら、これほど集中的にキャリアを築くことは不可能だったでしょう。

特にアイドルという職業は、若さが重要な要素です。10代後半から20代前半は、アイドルにとって最も価値が高く、最も輝ける時期です。

この貴重な時期を最大限に活用できたことは、大きなアドバンテージとなりました。

また、専門的なスキルの習得においても、実践を通じた学びは効果的でした。ファッションモデルとしての立ち振る舞い、カメラワークの理解、表情の作り方、演技の技術。

これらは座学で学ぶよりも、プロの現場で実際に仕事をする中で身につけた方が、はるかに実践的で深い理解が得られます。

築いた人脈という無形の財産

人脈の構築も重要な要素です。芸能界で早くから活動することで、多くのプロフェッショナルとのつながりを築くことができました。

スタイリスト、カメラマン、ディレクター、プロデューサー、そして共演者たち。こうした人脈は、今後のキャリアにおいて大きな財産となるでしょう。

特に、乃木坂46での7年半は、かけがえのない人間関係を築く期間でもありました。先輩メンバー、同期メンバー、後輩メンバー。グループという共同体の中で、喜びも苦労も分かち合った仲間との絆は、生涯続くものとなるはずです。

また、CanCamでの仕事を通じて、ファッション業界の人脈も広がりました。編集者、スタイリスト、カメラマン、ヘアメイクアーティスト。こうしたプロフェッショナルとの信頼関係は、モデルとしての今後の活動にも活きてくるでしょう。

学歴がないことのデメリットと限界

一方で、大学に行かなかったことによる制約も存在します。最も明確なのは、学歴がないことです。

日本社会では依然として学歴が重視される側面があり、大卒という肩書きがないことで、選択肢が狭まる場面もあるかもしれません。

特に、将来的に芸能界以外の分野に進みたいと考えた場合、学歴がネックになる可能性があります。

一般企業への就職を考える際、大卒が応募条件となっている職種も少なくありません。芸能界で活躍し続けられる保証はなく、万が一の時のセーフティネットという意味では、学歴は一つの保険となります。

また、学術的な知識や論理的思考力を体系的に学ぶ機会を逃したことも事実です。大学では、専門分野の知識だけでなく、批判的思考、分析力、研究方法論など、知的な基盤を構築することができます。

これらは独学でも学べますが、大学という環境での学びには独特の価値があります。

さらに、大学生活という経験そのものを持たないことも、ある意味での喪失です。同世代の友人との交流、サークル活動、キャンパスライフといった、20代前半特有の経験を持たないことは、人生の幅という点では限定的な側面もあります。大学で得られる教養や、多様な価値観に触れる機会も、貴重なものです。

卒業後の展望と可能性

乃木坂46卒業後の山下さんは、女優やモデルとしての活動を継続していくと見られています。

すでに複数のドラマ出演経験があり、演技力も評価されている彼女にとって、女優としてのキャリアは有望な選択肢です。今後は、より大きな役柄、より本格的な作品に挑戦していくことが期待されます。

また、ファッションモデルとしての実績もあり、この分野でも引き続き活躍が期待されます。

CanCamでの専属モデルとしての経験を活かし、さらに高いレベルのファッションの仕事に挑戦していく可能性もあるでしょう。

興味深いのは、山下さんがかつて興味を持っていた心理学の要素が、今後の活動にも活かせる可能性があることです。

女優として様々な役柄を演じる際、人間心理の理解は大きな武器となります。

また、もし将来的にタレントとしてトーク番組などに出演する機会が増えれば、人の心理を読み取るスキルは大いに役立つでしょう。

学び直しという選択肢も残されている

さらに、山下さんには「学び直し」という選択肢も残されています。芸能活動が一段落した後、あるいは並行して、大学や大学院で学ぶことも可能です。

近年では、社会人入学や通信制大学も充実しており、年齢を問わず学ぶ機会が増えています。

もし将来的に心理学を学び直したいと思えば、その時に改めて挑戦することもできるのです。

実は、芸能活動を通じて人間心理について実践的な経験を積んだ後で、改めて理論を学ぶ方が、より深い理解が得られる可能性もあります。実践と理論を組み合わせることで、独自の専門性を築くこともできるでしょう。

また、大学で学ぶ内容は、必ずしも10代や20代前半でなければ習得できないものばかりではありません。

むしろ、社会経験を積んだ後の方が、学問の意義や応用可能性をより深く理解できる分野も多くあります。山下さんがもし将来的に学術的な学びを深めたいと思えば、その時がベストなタイミングなのかもしれません。

まとめ:山下美月の選択が示す多様なキャリアパス

計画に固執しない柔軟性の重要性

山下美月さんの大学非進学という選択は、従来の「高校→大学→就職」という画一的なキャリアパスとは異なる、新しい生き方のモデルを示しています。彼女の経験から、私たちは多くのことを学ぶことができます。

まず、人生の選択において、当初の計画に固執する必要はないということです。山下さんは臨床心理士を目指し、大学進学を計画していました。アルバイト代を学費のために貯め、着実に準備を進めていました。

しかし、高校2年生で予期せぬチャンスが訪れた時、柔軟に方向転換する勇気を持ちました。

過去の計画に縛られず、今目の前にあるチャンスを掴む。この柔軟性が、彼女のキャリアを切り開いたのです。人生は常に計画通りに進むとは限りません。むしろ、予期せぬ転機が訪れた時に、それをチャンスと捉えて行動できるかどうかが、その後の人生を大きく左右するのです。

学びの場は大学だけではない

次に、学びの場は大学だけではないということです。山下さんは芸能界という実践の場で、多くのスキルと知識を獲得しました。コミュニケーション能力、表現力、自己管理能力、プロフェッショナリズム、人間理解、美的センス。これらは大学の座学では学べない、実務を通じてのみ得られる貴重な能力です。

大学での学びが無価値だという意味ではありません。学術的な知識、論理的思考力、研究方法論など、大学で得られるものも多くあります。

重要なのは、学びの形は多様であり、それぞれに価値があるということです。自分の目標や状況に応じて、最適な学びの場を選ぶことが大切なのです。

タイミングの重要性を理解する

山下美月は大学に進学せず乃木坂46に専念!臨床心理士の夢を断念した理由と芸能界での成長

また、タイミングの重要性も示されています。アイドルという職業において、18歳から24歳という時期は最も価値が高い期間です。

この時期を大学に費やすのではなく、芸能活動に集中したことで、山下さんは短期間で大きな成果を上げることができました。

何を学ぶか、いつ学ぶかという選択は、キャリアに大きな影響を与えます。すべての学びを若いうちに完了させる必要はありません。

キャリアのステージに応じて、適切なタイミングで学ぶことが重要なのです。山下さんは、今は実践の時期であり、学術的な学びは後回しにするという判断をしました。この判断は、彼女の状況においては最適なものでした。

リスクと向き合う覚悟

同時に、この選択には覚悟とリスクも伴っていました。大学という選択肢を手放すことは、将来の可能性を狭める側面もあります。学歴がないことで、芸能界以外の道に進む際に障壁となる可能性もあります。

しかし山下さんは、そのリスクを理解した上で、今この瞬間を最大限に活かすことを選びました。リスクを恐れず、自分の選択に責任を持つ姿勢が、成功への道を開いたのです。人生に絶対安全な選択はありません。

どんな道を選んでも、それぞれにリスクがあります。重要なのは、リスクを理解し、覚悟を持って決断し、その選択に全力でコミットすることです。

正解は一つではない

山下さんの経験は、大学進学と芸能活動のどちらが優れているかという二元論ではありません。

それぞれの状況、それぞれの目標に応じて、最適な選択は異なります。同じ3期生の与田祐希さんは大学に進学し、別の道を歩みました。どちらも正しい選択であり、どちらも素晴らしいキャリアを築いています。

重要なのは、自分の状況を冷静に分析し、自分にとって最善の道を選び、その選択に全力でコミットすることです。

他人と比較するのではなく、自分の人生における優先順位を明確にし、それに基づいて決断する。山下さんはまさにそれを実践したのです。

可能性は常に開かれている

そして、人生は一本道ではありません。山下さんには、将来的に学び直すという選択肢も残されています。

芸能活動が落ち着いた後、または並行して、大学で学ぶこともできます。18歳の時点で選ばなかった道が、永遠に閉ざされるわけではないのです。

現代社会では、学びの機会は多様化しています。社会人入学、通信制大学、オンライン講座など、年齢を問わず学べる環境が整っています。

山下さんがもし将来的に心理学を学びたいと思えば、その時に挑戦すればいいのです。むしろ、豊富な人生経験を積んだ後の方が、学びは深くなるかもしれません。

山下美月の選択が与える希望

2024年に乃木坂46を卒業した山下美月さんは、新しいステージへと進んでいます。大学には行かなかったものの、7年半の芸能活動を通じて、豊富な経験と確かなスキル、そして多くの人々とのつながりを手に入れました。これらは、今後のキャリアを支える強固な基盤となるでしょう。

山下美月さんの選択は、多様なキャリアパスの一つの成功例として、多くの人に希望と勇気を与えてくれます。

画一的な道に従う必要はない。自分の状況を理解し、自分の目標を明確にし、自分にとって最善の選択をする。

そして、その選択に全力でコミットする。それが、充実した人生を送る鍵なのです。

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