GACKTの学歴を徹底解説!偏差値69の守山高校から京都学園大学へ。ミステリアスな学生時代の真実

ミュージシャン、俳優、実業家と多方面で活躍するGACKT(ガクト)さん。

テレビ番組「芸能人格付けチェック」での連勝記録や、4か国語を操る語学力、そして映画「翔んで埼玉」での圧倒的な存在感で知られています。

しかしGACKTさんといえば、私生活についてほとんど語らないミステリアスな存在としても有名です。

出身地も学歴も長年謎に包まれてきましたが、近年になって少しずつ明らかになってきました。

実は偏差値69という超難関の進学校を卒業していたGACKTさん。

中学時代は成績が悪かったにも関わらず、ある理由から猛勉強して進学校に合格したというドラマチックなエピソードがあります。

本記事では、GACKTさんの小学校から大学までの学歴と、各時期のエピソードを詳しく解説します。ピアノの英才教育を受けた幼少期、やんちゃだった中学時代、そして音楽に目覚めた高校・大学時代の真実に迫ります。


GACKTの学歴まとめ

まず、GACKTさんの学歴を一覧で確認しましょう。

  • 出身小学校:栗東市立大宝小学校(1980年4月入学・1986年3月卒業)
  • 出身中学校:栗東市立栗東西中学校(1986年4月入学・1989年3月卒業)
  • 出身高校:滋賀県立守山高校(1989年4月入学・1992年3月卒業)偏差値:69(超難関)
  • 出身大学京都学園大学 法学部(1992年4月入学・中退)
    偏差値:40(容易)
    ※現在は京都先端科学大学に名称変更

GACKTさんは沖縄県那覇市生まれですが、幼少期に滋賀県栗東市に転居しています。そのため小学校から高校までは滋賀県で過ごし、大学進学で京都に移りました。

学歴で最も注目すべきは、偏差値69という超難関の進学校・守山高校を卒業している点です。

しかし大学は偏差値40程度の京都学園大学に進学し、しかもすぐに中退しています。この大きなギャップには、GACKTさんならではの理由がありました。


小学校時代|ピアノの英才教育と病弱な子供時代

栗東市立大宝小学校での6年間

GACKTさんは1973年7月4日、沖縄県那覇市で生まれました。本名は大城ガクト(おおしろ がくと)。

幼少期は沖縄県糸満市で過ごしましたが、その後、父親の仕事の関係で滋賀県栗東市に転居しています。

家族構成は両親と姉の4人家族で、年の離れた弟もいるという説もあります。父親は自衛官で音楽隊に所属しており、指揮者兼トランペッターでした。

この音楽一家の環境が、後のGACKTさんの音楽人生に大きな影響を与えることになります。

ピアノの英才教育とスパルタ教育

GACKTの学歴を徹底解説!偏差値69の守山高校から京都学園大学へ。ミステリアスな学生時代の真実

父親が音楽隊所属だったこともあり、GACKTさんは3歳の頃からピアノや音楽の英才教育を受けて育ちました。

しかし本人はピアノを習わされることが嫌で仕方なく、7歳頃には辞めたくて仕方がなかったといいます。

引っ越しが多く、その度にピアノの先生が変わったこと、そして先生からよく叩かれていたことなどを、自身の著書で明かしています。

小学校時代は、ピアノの先生の家のドアに鎖を巻きつけて外に出られなくしたり、石を投げたりと、とてもやんちゃな子供だったようです。

父親は非常に躾に厳しい人で、テレビを見ながらの食事や食事中の私語を厳禁していました。

インターネット上には、父親は柔術の師範で武術の達人だったとの情報もあります。そのためかGACKTさんも格闘技には興味が高く、空手やキックボクシング、テコンドーなどの経験者です。

後にGACKTさんは、やんちゃな中学・高校時代を送ることになりますが、それは幼少期からの厳しい躾の反動だったのかもしれません。

病弱だった小学校時代

現在は筋肉美で知られるGACKTさんですが、小学校時代までは体が非常に弱く、ほとんど学校に行けなかったことや、1年中病院で入院生活を送ったことがあると明らかにしています。

さらに7歳の時には臨死体験をしており、海で溺れた際に生死の境をさまよったエピソードが「ビートたけしのTVタックル」で明らかになっています。

著書「自白」によれば、この臨死体験の日を境に霊的なものが見えるようになり、体を乗っ取られてGACKTさんの意志に反して歩き出すようになってしまったことで、隔離病棟に入院させられたのだとか。

家に帰りたい一心で、心の病が治ったように医師の行動を真似て演技し、無事退院したというエピソードからは、幼少期から演技の才能があったことがうかがえます。

ちなみに小学生時代のGACKTさんの将来の夢は、ミュージシャンではなく教師でした。


中学校時代|やんちゃな少年からピアノへの再覚醒

栗東市立栗東西中学校での3年間

小学校を卒業したGACKTさんは、同じく栗東市内の公立中学校である栗東西中学校に進学しました。この学校は、栗東中学校の分離校として1981年に開校した比較的新しい学校です。

中学生時代のGACKTさんは、自分が「ヤンキー」だったと明かしており、当時はやんちゃな友人たちとつるんで、勉強よりも好きなことをすることだけに没頭していた時期でした。

しょっちゅう学校をサボっていたため、中学時代の学校の成績は悪く、国語のテストでは1桁の点数をとったことをラジオ番組で明かしています。

その一方で、部活動は吹奏楽部に所属しており、トランペットを担当していました。父親がトランペッターだったこともあり、楽器への親しみはあったのでしょう。

14歳でピアノに再び目覚める

GACKTさんの人生を変える出来事が、14歳のある日に起こります。友達の家でグランドピアノを目の当たりにして、「ピアノに目覚めた」のです。

一緒にやんちゃをしていたその友人の親は音楽の先生で、流暢にピアノを弾くことができました。

ところがGACKTさんは11歳の時にピアノを辞めていたので、うまく弾けません。

そこでGACKTさんは持ち前の負けん気で「コイツに負けたくない」と気持ちが燃え上がり、その足で難関とされるDやE難度のピアノの楽譜を買って帰り、その日から死に物狂いでピアノを弾き始めました。

学校にも行かず、寝る間も削ってピアノを練習したことから、あれほど「練習しろ」と言っていた親が「もうやめて」と悲鳴を上げたほどでした。

このエピソードには、GACKTさんの極端なまでの負けず嫌いな性格が現れています。

スラッシュメタルに目覚める

中学時代にはスラッシュメタルにハマり、ドラマーに憧れるようになります。当時はアメリカのバンド「メタリカ」がお気に入りで、パワフルなスピードドラミングに魅了されていました。

クラシックからロックへと音楽の趣味が変化していった中学時代でした。

この時期の音楽体験が、後のGACKTさんの音楽性の基礎を形作っていきます。

進学校を目指して猛勉強

中学時代は成績が悪かったGACKTさんですが、中学3年生の時に大きな転機が訪れます。

憧れのドラマーの先輩が、偏差値の高い進学校・守山高校に入学したため、「その先輩と同じ高校に行きたい」という理由で猛勉強を開始したのです。

ちなみに当時の憧れの先輩とは女性ではなく男性で、ドラムが非常にうまかったので憧れていました。

この先輩と一緒に音楽をやりたい一心で、GACKTさんは人生で初めて本気で勉強に取り組むことになります。


高校時代|偏差値69の進学校とバンド活動

滋賀県立守山高校への進学

猛勉強の結果、GACKTさんは見事に滋賀県立守山高校に合格しました。この高校は偏差値69という県内屈指の超難関進学校で、東京大学や京都大学にも毎年合格者を輩出しています。

2022年の主な進学実績を見ると、東京大学4名、京都大学7名、大阪大学11名、神戸大学18名など、国公立大学への進学者が非常に多い学校です。

また同校はサッカー部が県内では強豪として知られており、スポーツにも力を入れています。

中学時代は成績が悪かったGACKTさんが、このような超難関校に合格したことは、彼の集中力と負けず嫌いな性格を物語っています。

後年のインタビューでGACKTさんは「中学生まで頭はよくなかったけど、好きな先輩が同校に進学したことから猛勉強して入学した」と語っています。

なお高校時代は部活動などはおこなっておらず帰宅部でした。

やんちゃだった高校時代

GACKTの学歴を徹底解説!偏差値69の守山高校から京都学園大学へ。ミステリアスな学生時代の真実

超難関の進学校に通っていたGACKTさんですが、高校時代もかなりやんちゃな生徒だったようです。当時は空手もやっていたことから腕っぷしも強く、一部のメディアからは高校時代のGACKTさんを「ヤンキー」と報道することもあります。

父親が自衛官で武術の達人だったことから、幼い頃から空手や柔術に親しんでおり、ケンカも非常に強かったそうです。バラエティ番組に出演した際には、学生時代に父親と戦って3発でKOされたことを話していますが、それでも相当な実力だったことがうかがえます。

進学校に通いながらも、GACKTさんは音楽活動を優先させており、あまり勉強はしていなかったようです。

ドラムとバンド活動への没頭

高校時代、GACKTさんは本格的にドラムを始めました。アメリカのヘビーメタルバンド「メタリカ」の影響でスピードドラムに憧れ、ダブルベースドラムの速度を上げるために、朝から重りをつけて走り込んでいました。

当時から音楽にはかなりストイックに向き合っていたGACKTさん。高校時代に出入りしていた音楽スタジオで「YOU」さんという人物と出会い、意気投合します。

そしてGACKTさん初のバンドとなる「Cains Feel(カインズフィール)」を結成しました。

この当時のGACKTさんは「樂斗(がくと)」という名で活動しており、ツーバスのキックスピードを上げるために、ストイックに朝から重りをつけて走り込むなどトレーニングをしていたそうです。

「Cains Feel」は次第に人気を集め、当時のインディーズ系雑誌にも掲載されるようになります。GACKTさんの才能が大きく花開いていく転機となりました。

餃子の王将が大好きだった高校時代

バラエティ番組「ぐるナイ」の人気企画「ゴチになります」に出演した際、GACKTさんは高校時代に友達と「餃子の王将」に行って全メニューを注文して軽々と完食したエピソードを明かしています。

週刊誌に高校時代の写真が掲載された際も、王将のお店の前で撮影された写真でした。

土曜日の授業終わりにはバンド仲間たちと制服姿でよく通っており、店長とも親しかったようです。

両親の離婚と改名

高校時代に両親が離婚したため、それまでの岡部学(おかべ さとる)から、母親の姓である大城学(おおしろ がくと)に苗字が変わっています。

この「大城」という苗字は沖縄に多い名前で、GACKTさんが沖縄にルーツを持つことを示しています。


大学時代|京都学園大学とホスト時代

京都学園大学への進学

高校卒業後、GACKTさんは京都学園大学の法学部に進学しました。偏差値69の超難関校から偏差値40程度の大学への進学は、一見すると意外に思えます。

しかしGACKTさんは高校時代、音楽活動を優先させてあまり勉強していなかったため、進学できる大学が限られていたのでしょう。

あるいは、すでに音楽の道で生きていくことを決めており、大学はとりあえず進学しただけだったのかもしれません。

ちなみにこの大学は2019年4月に京都先端科学大学に名称変更されており、法学部は募集停止となっています。

また、お笑い芸人の島田紳助さんも同じ大学に入学手続きをしましたが、一度も通学せずに中退しています。

本格的な音楽活動のスタート

大学進学後、GACKTさんは本格的に音楽活動を開始します。京都時代には高校から続く「Cains Feel」でボーカルを務め、ヴィジュアル系ロックバンドとして活動していました。

当時は京都の鴨川などでストリートライブをおこなったこともありました。

「Cains Feel」はメジャーデビューには至りませんでしたが、関西のインディーズシーンでは知られた存在になっていきます。

ホストとして売れっ子に

学生時代のGACKTさんは、家庭教師、カジノのディーラー、そしてホストのアルバイトをしていました。

特にホスト時代の19歳から21歳の頃は、祇園のホストクラブに勤務していました。

当時の源氏名は「シュカ」で、「京都の夜を熱くする男」のキャッチコピーのもと、かなり人気が高かったとのこと。

バンドマンとしても活動しながら、ホストとしても売れっ子だったGACKTさん。この時期の経験が、後のステージパフォーマンスに活かされているのかもしれません。

20歳で学生結婚

GACKTの学歴を徹底解説!偏差値69の守山高校から京都学園大学へ。ミステリアスな学生時代の真実

驚くべきことに、GACKTさんは20歳の頃、ホスト時代に知り合った女性と結婚しています。

自著「自白」には、20歳ぐらいの頃に韓国系の女性と結婚していたとの記載があります。

夕刊ゲンダイによれば、結婚相手の女性は8歳年上のホステスで、カジノのディーラーをしていた際に出会ったとのこと。

しかし結婚生活はわずか3か月間で終わり、スピード離婚しています。GACKTさんは公式ブログで次のように綴っています。

「妻がいたことはある。すぐに別れた。僕がまだ少年から大人になりかけの頃、結婚とか夫婦とかそんな責任や重さも何もわからないガキの頃に付き合っていた彼女と入籍した。背伸びしたかったんだろうし、大人の♂になりたかった」

バンドのファンからの嫌がらせで嫁がノイローゼになったという説もあり、若気の至りだった学生結婚は、短期間で終わってしまいました。

体質改善と筋肉美の獲得

現在の筋肉美で知られるGACKTさんですが、前述のように子供の頃は非常に病弱でした。

そのため大学に入学した19歳の頃から本格的に体質改善に取り組み、トレーニングを重ねて強靭な肉体を手に入れています。

この時期の努力が、現在のGACKTさんの肉体美の基礎となりました。

大学中退と上京

GACKTさんは22歳の10月に上京して「MALICE MIZER(マリスミゼル)」の二代目ボーカリストになります。それまでに大学は中退していたようです。

GACKTさん曰く、大学には「ほとんど通わなかった」とのこと。音楽活動とホストの仕事に明け暮れており、大学での勉強はほとんどしていなかったのでしょう。


大学中退後の快進撃

MALICE MIZERでの成功

22歳で上京し、ヴィジュアル系ロックバンド「MALICE MIZER」の二代目ボーカリストとして加入したGACKTさん。

バンドは瞬く間に人気を博し、ヴィジュアル系シーンを代表する存在となりました。

しかし1999年、GACKTさんはソロ活動に専念するためにバンドを脱退。26歳でソロ歌手としてデビューを飾ると、「Vanilla」「ANOTHER WORLD」「君に逢いたくて」などのヒット曲を連発し、一躍人気アーティストになりました。

俳優としての活躍

GACKTの学歴を徹底解説!偏差値69の守山高校から京都学園大学へ。ミステリアスな学生時代の真実

音楽活動と並行して、俳優としても活動を開始。2019年に二階堂ふみさんとW主演した映画「翔んで埼玉」は興行収入37億円の大ヒットを記録し、GACKTさんの俳優としての評価を確固たるものにしました。

多言語を操るマルチタレント

GACKTさんは英語、中国語(北京語)、韓国語、フランス語の4か国語を話すことができます。

特に英語は流暢で、2020年にはYouTubeに英語に特化した「GACKT英語チャンネル」を開設しています。

学生結婚した相手が韓国系の女性だったことから、韓国語はその時期に習得したのかもしれません。

バラエティ番組での博識ぶり

テレビ朝日の「芸能人格付けチェック」では、連勝記録を更新し続けており、その博識ぶりとセンスの良さで毎回話題となっています。

クラシック音楽の知識、美術品の鑑定眼、高級料理の味覚など、幅広い分野での教養の深さが注目されています。


まとめ|ミステリアスだが努力の人

GACKTさんの学歴を振り返ると、意外なほど「普通の学生」だったことがわかります。

沖縄生まれで滋賀育ち、公立の小中学校を経て、偏差値69の超難関進学校に合格。しかし音楽の道を選び、大学は中退してプロミュージシャンの道へ。

学歴だけを見れば華やかではありませんが、GACKTさんの真価は「何かに没頭すると極限まで追求する」という性格にあります。

14歳でピアノに再び目覚めた時には、学校にも行かず寝る間も削って練習し、親が「もうやめて」と悲鳴を上げるほどでした。

高校受験では憧れの先輩と同じ学校に行きたい一心で猛勉強し、偏差値69の進学校に合格。ドラムのトレーニングでは朝から重りをつけて走り込み、体質改善では病弱だった体を筋肉美へと変貌させました。

このストイックすぎるまでの努力と、極端なまでの負けず嫌いな性格が、現在のGACKTさんを作り上げたのです。

私生活は謎に包まれたGACKTさんですが、ミュージシャンとして、俳優として、実業家として、そして教養人として、常に第一線で活躍し続けています。

そのカリスマ性から熱狂的なファンも多く、日本のエンターテインメント界では稀有な存在です。

偏差値69の進学校出身という学歴が、GACKTさんの知性の高さを裏付けています。今後の活動にも注目ですね。

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