へずまりゅうの経歴と学歴まとめ|レスリングからYouTuber、現在の活動まで

タレント・格闘家として活動するへずまりゅう(本名:原田将太)さんは、迷惑系YouTuberとして一時期大きな話題を呼んだ後、格闘技やプロモーション事業などへと活動領域を広げています。

山口県防府市出身の彼の経歴は、優秀な学生アスリートから社会的な問題を引き起こすまでの複雑な人生経験を示しています。

本記事では、へずまりゅうさんの学歴、学生時代のエピソード、そして現在の多角的な活動について詳細に解説します。

  1. へずまりゅうの基本プロフィール
  2. へずまりゅうの幼少期と小学校時代
    1. 防府市での平穏な家庭環境
    2. 動物好きで正義感の強い少年
    3. スポーツ少年団でのサッカー活動
  3. へずまりゅうの中学校時代:地元の有名選手へ
    1. 防府市立佐波中学校での学生生活
    2. 高校進学へのスポーツ推薦
  4. へずまりゅうの高校時代:困難と転機
    1. 山口県鴻城高校への進学
    2. サッカー部でのいじめと集団リンチ
    3. 学校からの選択肢と転部の決断
    4. レスリングでのインターハイ出場
    5. 吉田沙保里さんとの対戦経験
  5. へずまりゅうの大学時代:レスリングと人格形成
    1. 徳山大学への進学
    2. 体育会レスリング部での寮生活とオリンピック志向
    3. 先輩からの体罰と上下関係の厳しさ
    4. 人格形成への悪影響と自己認識
    5. 右肩故障とレスリング終了
    6. 就職活動と地元への回帰
    7. 大学時代の恋愛と私生活での喪失
  6. へずまりゅうの社会人経歴と職業転変
    1. 製鉄業界での雇用経験
    2. 日本製紙への転職と短期退職
  7. へずまりゅうの迷惑系YouTuber時代
    1. YouTuber活動の開始と人気の獲得
    2. 度を超えた迷惑行為と社会的問題
    3. 新型コロナウイルス感染と社会的影響
    4. 家族への影響と社会的非難
  8. へずまりゅうの現在の活動と再出発
    1. YouTube活動の終了と永久BANの受託
    2. タレント・格闘家としての活動
    3. リオグループでのプロモーション事業
    4. TikTokライブ配信による高収入
    5. 政治活動への挑戦
  9. へずまりゅうの経歴が示す人生の複雑性
  10. まとめ:へずまりゅうの現在地と今後への期待

へずまりゅうの基本プロフィール

へずまりゅうさんは1991年5月9日生まれ、身長181㎝、血液型O型の山口県防府市出身です。本名は原田将太で、現在はタレント、格闘家、そして各種プロモーション事業に従事しています。

かつての迷惑系YouTuberとしての活動で広く知られていましたが、2020年の窃盗罪での逮捕を経て、現在はより建設的な活動へとシフトしています。

彼の人生経歴は、幼少期の正義感から、高校・大学時代での困難な人間関係、そして社会との軋轢に至るという複層的なストーリーを示しており、人間の成長と挫折、そして再出発のプロセスを象徴する存在となっています。

へずまりゅうの幼少期と小学校時代

防府市での平穏な家庭環境

へずまりゅうさんの出身小学校は、防府市立佐波小学校です。家族構成は両親と弟の4人家族で、比較的安定した家庭環境で育ったと述べられています。

本人は自身の幼少期について「結構よい家庭環境で育っており、ルールが守れない人を見ると苦しくなり、悪いやつが許せなかった」と語っており、両親からの適切な教育と倫理観の育成を受けていたことが伺えます。

動物好きで正義感の強い少年

へずまりゅうの経歴と学歴まとめ|レスリングからYouTuber、現在の活動まで

へずまりゅうさんは小学校時代、亀やカブトムシを飼うなど、動物好きで優しい子どもだったと母親が公言しています。

このような動物との関わりは、感情的な共感能力や生命に対する尊重の心を育てるプロセスであったと考えられます。

当時の正義感の強さは、後年の人生選択に大きな影響を与えることになります。

彼は幼少期の段階で、ルールを守ることの重要性、そして不正に対する強い反感を持つようになったのです。

スポーツ少年団でのサッカー活動

小学校時代はスポーツ少年団に参加をしており、サッカーに熱中をしていました。

このような体系的なスポーツ活動への参加は、団体競技における協調性、ルール遵守、そして競争心を養う重要な経験となったのです。

当時の正義感が強かったため、へずまりゅうさんは警察官を志していたと述べられており、社会秩序の維持に貢献したいという夢を抱いていました。

この幼少期の志向は、後年の人生における選択肢の参考基準となったと考えられます。

へずまりゅうの中学校時代:地元の有名選手へ

防府市立佐波中学校での学生生活

へずまりゅうさんの出身中学校は、防府市立佐波中学校です。中学時代はサッカーに本格的に打ち込むようになり、地元では有名な選手として認識されるようになりました。

このような評価は、彼に対する期待感と責任感を同時にもたらしたと考えられます。

高校進学へのスポーツ推薦

中学時代でのサッカーでの活躍が評価され、へずまりゅうさんは高校にサッカーのスポーツ推薦で進学することになります。

このような推薦制度は、本人に対して「期待されている」という自覚と、同時に「その期待に応えなければならない」というプレッシャーをもたらします。

地元での有名選手からの進学という経歴は、高校での人間関係に複雑な影響を与えることになったと推測されます。

へずまりゅうの高校時代:困難と転機

山口県鴻城高校への進学

へずまりゅうさんの出身高校は、山口県鴻城高校です。この高校は1889年開校の伝統校で、部活動が盛んなことで知られています。

偏差値は39~44程度と、進学校というよりは実践的な教育を重視する学校として位置付けられています。

高校入学後はサッコー部に在籍をしており、中学時代からの実力をかってか、高校1年生の頃からレギュラーとして活躍をしています。

サッカー部でのいじめと集団リンチ

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しかし、へずまりゅうさんのレギュラー起用は、ポジションを奪われた先輩からの反感を買うことになります。

このような先輩による反発は、やがていじめへと発展し、最終的には集団リンチにまで至ったと述べられています。

このようなスポーツの現場での暴力行為は、競争社会の厳しさと、人間関係における階序制度の歪みを象徴するものとなっています。

へずまりゅうさんはこのいじめの中で、喧嘩による停学処分を受けることになるのです。

学校からの選択肢と転部の決断

学校からは「学校を辞めるか、もしくはレスリングをやるのかという選択を迫られた」と述べられており、当時の学校の対応が、へずまりゅうさんの人生に大きな転換点をもたらしたことが明らかです。

高校2年生の時に、へずまりゅうさんはレスリング部に転部することを決断します。この決断は、サッカーというこれまでの人生の中心からの転換であり、新しい競技への挑戦を意味していました。

レスリングでのインターハイ出場

転部後のへずまりゅうさんは、レスリングに本格的に取り組むようになります。高校生の頃はレスリングにも打ち込み、インターハイに出場経験があります。

この成果は、新しい環境での適応と努力の結果であり、人間の適応能力を示すものとなっています。

また学生団体の役員を務めており、当時からオリンピックを目指していたという事実から、へずまりゅうさんが高い目標を持って競技に取り組んでいたことが伺えます。

吉田沙保里さんとの対戦経験

高校3年生の時には吉田沙保里さんと対戦したことを自身のツイッターで明かしており、この経験は、へずまりゅうさんが全国レベルの選手と競技した証となっています。

このような一流選手との対戦は、本人に対して「自分はこのレベルの選手と肩を並べる実力を持つ」という自信をもたらしたと同時に、「さらに高みを目指す必要性」を認識させたと推測されます。

へずまりゅうの大学時代:レスリングと人格形成

徳山大学への進学

へずまりゅうさんは高校卒業後、徳山大学に進学しています。この大学は山口県周南市にあった私立大学で、2022年4月に公立大学化されて周南公立大学になっています。

進学先は経済学部ビジネス戦略学科で、偏差値は35程度と、進学難度としては比較的容易なレベルです。

大学進学の決断は、レスリングでのオリンピック出場という高い目標を追求するための選択であったと考えられます。

体育会レスリング部での寮生活とオリンピック志向

へずまりゅうさんは大学入学後は、体育会レスリング部に在籍をしています。

大学時代は寮生活を送りながらレスリングを続けており、オリンピックに出場することを目標としていました。

このようなアスリート中心の生活スタイルは、競技への真摯な取り組み姿勢を示す一方で、社会一般との関わりを限定させるプロセスでもあったと推測されます。

先輩からの体罰と上下関係の厳しさ

大学時代のレスリング部では、先輩が非常に厳しく、体罰を受けることは日常茶飯事だったとへずまりゅうさんは述べています。

具体的には、「上下関係がめちゃくちゃ厳しいんです。両手で首を絞められたり、グーで殴られるのは当たり前でした。先輩からいじめられていたんですよ」と語っており、高校でのいじめの経験が大学でも繰り返されたことが明らかです。

このような暴力的な上下関係は、スポーツの指導現場における深刻な問題を示すものとなっています。

人格形成への悪影響と自己認識

へずまりゅうさんはレスリング部で生き残るためには、先輩のようにならないといけないと思うようになりました。

自身が上級生になると、これまで先輩にやられてきたことを同じように後輩にも体罰を与えるようになっています。

本人は「大学時代に人格がねじ曲がった」と述べており、この時期が人格形成における極めて重要な転換点であったことを自覚しています。

暴力的な環境への適応は、へずまりゅうさんの価値観に深刻な変化をもたらし、後年のYouTuber活動における過激な行動の基盤となったと推測されます。

右肩故障とレスリング終了

大学時代に右肩を故障したことから、へずまりゅうさんはレスリングを大学時代限りでやめることになります。

この故障は、単なる身体的な損傷ではなく、オリンピック出場という夢の途絶を意味していました。

就職活動と地元への回帰

へずまりゅうの経歴と学歴まとめ|レスリングからYouTuber、現在の活動まで

へずまりゅうさんは子どもの頃に警察官を志していたこともあって、警察官や警備会社への就職を目指しましたが、成績が悪く面接もうまくいかなかったことから試験で落ちています。

就職活動ほとんどしないまま、大学卒業後は地元のスーパーに就職をしました。就職浪人をすることも考えましたが、親に負担をかけたくないと思い、すぐに就職できるところを選んでいます。

このような決断には、親への配慮と、競争社会での敗北感が反映されていると考えられます。

大学時代の恋愛と私生活での喪失

へずまりゅうさんには大学時代から交際している彼女がおり、実家に呼んだことがあるほど真剣に交際をしていました。

しかし、大学卒業後に彼女が病気で亡くなっています。この喪失経験は、精神的なダメージと、人生における無力感をもたらしたと推測されます。

へずまりゅうの社会人経歴と職業転変

製鉄業界での雇用経験

へずまりゅうさんは24歳だった2016年4月に日本製鉄に入社しています。

この大手企業での就職は、新卒採用における一定の評価を受けたことを示しています。2018年12月に退職しています。

日本製鉄での職歴は、へずまりゅうさんが取得する複数の資格(危険物取扱者乙種4類、クレーンデリック運転士、ボイラー技士2級、酸素・硫化水素危険作業主任者)の基盤となったと考えられます。

日本製紙への転職と短期退職

2019年4月には日本製紙に入社しましたが、半年で退職しています。

このような短期での転職パターンは、就職後の適応困難、あるいは職場環境への不満を示唆しています。

複数の企業での短期就職というパターンは、社会への適応の難しさと、各職場の人間関係における問題を反映していると推測されます。

へずまりゅうの迷惑系YouTuber時代

YouTuber活動の開始と人気の獲得

社会人としての就職がうまくいかない中で、へずまりゅうさんはYouTuberとして活動を開始します。

彼のスタイルは、他の有名YouTuberに突撃してコラボを迫るというもので、特にアポなしでの突撃が話題になりました。

初期の頃は、人気YouTuberとのコラボレーションを目指して、彼らの撮影現場やイベントに突然現れるという手法をとっていました。

この大胆なアプローチは視聴者の関心を引き、彼のチャンネルは急速に成長することになります。

度を超えた迷惑行為と社会的問題

しかし、このような突撃スタイルは多くの批判を招きました。

特に、プライバシーの侵害や他人への迷惑行為として非難されることが多かったのです。

また、ラファエルに対してマスクを無理やり外そうとした事件など、度が過ぎた行動も問題視されました。

2020年には、愛知県のスーパーマーケットでの窃盗事件が起こります。

へずまりゅうさんは売り場で魚の切り身を食べ、その様子を動画に撮影してYouTubeに投稿しました。この行為が窃盗罪にあたり、彼は逮捕されることになったのです。

新型コロナウイルス感染と社会的影響

逮捕後、へずまりゅうさんが新型コロナウイルスに感染していたことが判明し、留置所での感染拡大を引き起こしました。

これにより、接触した警察官や他の容疑者にも影響が広がり、大きな社会問題となったのです。

このような事件は、へずまりゅうさんの行動が個人的な問題にとどまらず、社会全体に深刻な影響をもたらす可能性を示すものとなっています。

家族への影響と社会的非難

へずまりゅうさんの行動は、彼の家族にも影響を及ぼしました。両親は週刊誌の取材に対し、息子の行動について謝罪し、憔悴しきった様子を見せました。

家族が地域社会で嫌がらせを受けるなど、彼の行動は多くの人に影響を与えたのです。

へずまりゅうの現在の活動と再出発

YouTube活動の終了と永久BANの受託

へずまりゅうさんのチャンネルはYouTubeのコミュニティガイドライン違反として削除されることになります。

現在は、YouTubeからの永久BANを受けており、新しいチャンネルを作成してもすぐに削除される状態が続いています。

タレント・格闘家としての活動

YouTuber活動の終了後は、タレントや格闘家として活動を開始しています。

2021年9月19日には、素人異業種格闘技戦「hatashiai」でのデビュー戦を経験していますが、相手のジャスティンにTKOで敗北という結果に終わっています。

この敗北経験は、へずまりゅうさんに対して新たな挑戦の課題を示すものとなりました。

リオグループでのプロモーション事業

へずまりゅうの経歴と学歴まとめ|レスリングからYouTuber、現在の活動まで

現在、へずまりゅうさんはリオグループというキャバクラ運営会社でプロモーションの仕事をしており、この仕事で月収100万円、年収1200万円を得ています。

彼の役割はSNSを駆使してキャバクラの魅力を発信し、新規顧客を引きつけることです。

TikTokライブ配信による高収入

へずまりゅうさんはTikTokでのライブ配信も行っており、こちらでも高い収入を得ています。

TikTokライブでは、月収200万円、年収換算で2400万円に達することもあります。このような配信活動は、SNS時代における新たなビジネスモデルを示すものとなっています。

政治活動への挑戦

へずまりゅうさんは政治活動にも挑戦しています。

2021年10月には参議院議員の補欠選挙に立候補しましたが、最下位で落選しています。

2025年7月には奈良市議会議員選挙に当選したことが明らかになっており、地方政治の場での活動を開始することになりました。

へずまりゅうの経歴が示す人生の複雑性

へずまりゅうさんの経歴は、幼少期の正義感から始まり、高校・大学での困難な人間関係、社会人としての適応困難、そして社会的な問題行為を経た後の再出発という、複層的で困難な人生経験を示しています。

彼の経歴は、単なる「迷惑YouTuber」というレッテルでは説明できない、人間の成長、挫折、そして再出発のプロセスを象徴するものとなっています。

まとめ:へずまりゅうの現在地と今後への期待

へずまりゅうさんの学歴と経歴は、社会環境における暴力的な上下関係、競争社会での敗北感、そして人間関係における喪失経験が、後年の行動にいかなる影響を与えるかを示す重要な事例となっています。

現在、プロモーション事業や政治活動を通じた社会参加を模索するへずまりゅうさんの姿勢は、過去の過誤からの学習と、社会への再統合の試みを示すものとなっています。今後の彼の活動が、より建設的な社会貢献へと向かうことに期待が集まっています。

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