NHK「あさイチ」での軽妙なトークで国民的人気を博し、現在はフリーアナウンサーとして活躍する有働由美子さん。その華やかなキャリアの裏には、実は大学受験での挫折という苦い経験が隠されている。
出身高校は偏差値75を誇る大阪府内トップクラスの超進学校、大阪府立北野高校。弁護士を目指して大阪大学法学部を受験するも不合格。父親の一言で浪人を断念し、滑り止めで合格していた神戸女学院大学に進学することになる。
第一志望の不合格という挫折を経験しながら、なぜ有働さんは日本を代表するアナウンサーとして成功できたのか。本記事では、彼女の学歴の全貌と、挫折から這い上がった過程、そして学歴以上に大切だったものについて詳しく掘り下げていく。
有働由美子の学歴の全体像
【今日は何の日】
2021.10.28
『しゃべくり007』
秋の2時間SP子供のころ、ドライブ中にトイレに行きたくなった有働由美子アナ。
しかし、厳格な父親に対して「トイレに行きたい」が言えず、車内でおしっこを決断。
実際してみるとこぼれてしまい、後で車内清掃する。https://t.co/6KhQW057Xz— Pee Desperate (@PeeDesperate1) October 28, 2025
有働由美子さんは1969年3月22日生まれ、鹿児島県日置郡郡山町(現・鹿児島市)出身。父親が体育教師だったことから小学校時代に複数回の転校を経験し、最終的に大阪府豊中市で育った。
出身校一覧と偏差値
有働さんの学歴を時系列で追うと、転校の多さが目立つ。父親の仕事の都合で、小学校だけで4回も転校している。
出身小学校:鹿児島県郡山町立郡山小学校(現・鹿児島市立郡山小学校)
入学後すぐに姫路市の小学校、西宮市の小学校と転々とし、最終的に大阪府豊中市立寺内小学校を卒業した。
出身中学校:大阪府豊中市立第十六中学校
公立の中学校だが、ここで有働さんは確実に学力を積み上げていく。
出身高校:大阪府立北野高校(偏差値75)
大阪府内でもトップクラスの超難関進学校で、古い歴史を持つ名門校だ。橋下徹元大阪府知事や、ノーベル化学賞受賞者の吉野彰さんなど、各界の著名人を多数輩出している。
出身大学:神戸女学院大学文学部総合文化学科(当時の偏差値57程度)
現在は偏差値50程度まで下がっているが、有働さんが在籍した当時は現在よりもレベルが高かった。
この学歴を見ると、高校と大学の偏差値に大きな開きがあることに気づく。これは、有働さんが大学受験で第一志望に不合格だったという事実を物語っている。
弁護士志望から記者、そしてアナウンサーへ
有働由美子アナがNHKを退社 弁護士を目指していた過去も https://t.co/jvdMJrm6y8 pic.twitter.com/K9lrktvABa
— アメヤン (@himikogod) April 4, 2018
有働さんのキャリアは、当初の志望とは大きく異なる道を歩んできた。高校時代の夢は弁護士。そのため大阪大学法学部を第一志望として受験したが、不合格という結果に終わる。
大学進学後は、湾岸戦争の報道に触れたことがきっかけでマスコミ業界に興味を持つようになった。ただし当初はアナウンサーではなく、記者になることが夢だった。世界中を飛び回る特派員たちの姿に憧れを抱いたのだ。
NHKを選んだ理由
就職活動ではNHK以外のテレビ局からも内定をもらっていたが、最終的にNHKを選んだ理由は、得意の英語を活かせる海外の放送局が多いからだった。そして配属されたのは、希望していた記者職ではなく、アナウンス室。
弁護士→記者→アナウンサーという、予想もしなかった道を歩むことになった有働さん。しかし結果的に、この「想定外の道」が彼女を国民的アナウンサーへと導いていく。
偏差値75の超進学校・大阪府立北野高校での3年間

有働由美子さんが進学した大阪府立北野高校は、1873年開校という140年以上の歴史を持つ伝統校だ。偏差値75という数字が示すとおり、大阪府内でもトップクラスの進学校として知られている。
大阪トップクラスの進学校に進学した背景
中学時代、有働さんの学業成績は非常に優秀だった。この超難関校に一般受験で合格したのだから、相当な学力を持っていたことは間違いない。
豊中市立第十六中学校時代、有働さんは剣道部に所属しながらも勉強を疎かにしなかった。また、小学校高学年の頃から英会話教室に通っており、中学時代にはNHKの英会話番組も聴いていた。そのため中学生の時点で、既に日常会話レベルの英語を話せるようになっていた。周囲からは「英語のしゃべれる子」と呼ばれるほどだった。
こうした地道な努力の積み重ねが、北野高校への合格に繋がった。進学校を目指す明確な目標があったからこそ、中学時代に確実に学力を伸ばすことができたのだろう。
剣道でインターハイ出場という文武両道
北野高校時代、有働さんは典型的な文武両道型の生徒だった。剣道部に所属し、高校3年生の時にはインターハイに出場するほどの実力者だった。現在も剣道二段の腕前を持っている。
父親が剣道の有段者だった影響で小学生の頃から剣道をはじめ、中学・高校と継続して打ち込んできた。厳しい練習に耐えながら学業も両立させるには、相当な努力と時間管理能力が必要だったはずだ。
真面目な印象
高校の同級生は、当時の有働さんについて「礼儀正しく、質実剛健なイメージ」と語っている。華やかさよりも、真面目で誠実な人柄が印象的だったようだ。
一方で、高校時代の有働さんは非常にシャイな一面もあった。後年「あさイチ」の番組企画で、高校時代に好きだったラグビー部の男子生徒と30年ぶりに再会した際、「高校時代は人気者だったから、言っても(告白しても)ダメだと思って黙っていた」と語っている。
勉強と部活に打ち込みながら、普通の高校生として恋愛にも憧れていた。そんな等身大の姿が垣間見える。
弁護士を目指し始めた高校時代

高校時代の有働さんの将来の夢は、弁護士になることだった。そのため大学は法学部への進学を目指していた。
なぜ弁護士を目指したのか。小学校時代の卒業文集には「将来総理大臣になりたい」と書いていたという有働さん。
リーダーシップを発揮
幼い頃から社会的に影響力のある仕事に憧れていたのかもしれない。小学校時代には児童会長を務めるなど、リーダーシップを発揮する機会も多かった。
法律という武器を使って社会正義を実現したい。そんな思いが、弁護士という職業への憧れに繋がっていたのだろう。
そして有働さんが第一志望として選んだのが、地元大阪の最高峰である大阪大学の法学部だった。北野高校という超進学校に在籍していれば、阪大を目指すのは自然な選択だった。
大阪大学不合格という人生最大の挫折

順調に見えた有働さんの高校生活だったが、大学受験で大きな壁にぶつかることになる。第一志望の大阪大学法学部に不合格となったのだ。
第一志望の阪大法学部に不合格
受験結果を知った時、有働さんは阪大の赤本をビリビリと破いたという。それほどまでに悔しく、ショックが大きかったのだろう。
偏差値75の高校に通い、真面目に勉強してきた自負があった。剣道の練習も厳しかったが、両立させてきた。それなのに、第一志望に合格できなかった。
この挫折は、有働さんにとって人生最大の挫折だったと言っても過言ではない。それまでの人生で、大きな失敗を経験したことはほとんどなかったはずだ。
受験の失敗という経験は、後の人生で困難に直面した時の糧となる。しかし当時の有働さんには、そんな余裕はなかった。ただただ悔しく、自分を責める日々だったに違いない。
浪人を許さなかった父親の言葉
不合格を知った有働さんは、浪人して翌年もう一度阪大を受験しようと考えた。1年間必死に勉強すれば、合格できるかもしれない。そう思ったのは自然なことだ。
しかし、父親は浪人を許さなかった。その時に父親がかけた言葉が、あまりにも衝撃的だった。
「美人ならいいよって言うけど、お前の顔ならなるべく早く社会に出て相手を見つけないと、結婚できない」
今の時代なら大問題になりそうな発言だが、父親は真剣だった。体育教師から鉄鋼関連の下請け会社の経営に転身した父親は、非常に厳格な人物だった。家庭内では絶対的な存在で、「男尊女卑」の価値観を持っていた。
厳しすぎる父親
有働さんは小さい頃から父親にお酌をしたり、大学生になっても男女交際は禁止され、門限は20時30分に定められていた。気に入らないことがあれば手が出ることもあったという。
そんな父親の言葉に、有働さんは反論できなかった。浪人という選択肢は消え、滑り止めで合格していた神戸女学院大学に進学することになった。
神戸女学院大学への進学を決意
【(記事掲載)神戸女学院大学を卒業した3名のアナウンサーが同窓会?!】
神戸女学院大学文学部総合文化学科を卒業され、現在も第一線で活躍される武内陶子さん、有働由美子さん、笛吹雅子さんが一堂に会しました。その様子がスポーツ報知に記事掲載されました。 https://t.co/rKxJP9iURc— 神戸女学院大学 / KC (@kobe_college) September 3, 2025
こうして有働さんは、神戸女学院大学文学部総合文化学科に進学する。当時の偏差値は57程度で、北野高校出身者としては物足りなく感じたかもしれない。
しかし、この選択が有働さんの人生を大きく変えることになる。もし浪人して阪大に合格していたら、弁護士を目指し続けていたかもしれない。そうなれば、今のような国民的アナウンサーとしての活躍はなかっただろう。
人生における「想定外」の選択が、時として最良の結果をもたらすことがある。有働さんの場合、まさにそれだった。
神戸女学院大学で見つけた新しい夢

第一志望に不合格という挫折を経験した有働さんだが、神戸女学院大学での4年間が彼女の人生を大きく変えることになる。
厳格な門限の中での大学生活
神戸女学院大学に進学後も、有働さんの生活は父親の厳格なルールに縛られていた。大学生になっても男女交際は禁止で、門限は20時30分。これは高校生でも厳しいと感じるレベルだ。
合コンに参加しても、盛り上がってきた頃には帰宅しなければならなかった。父親に内緒で参加していたため、バレることを恐れながらの参加だったという。
それでも有働さんは、大学生活を楽しんでいた。大学祭の実行委員として積極的に活動し、友人との交流も大切にしていた。元日本テレビアナウンサーの笛吹雅子さんは大学の同級生で、現在も親交が続いている。
厳しい門限という制約の中でも、有働さんなりに大学生活を満喫しようとしていた姿が伝わってくる。
湾岸戦争がもたらしたマスコミへの興味
大学時代、有働さんの人生に大きな影響を与えた出来事があった。1990年から1991年にかけて勃発した湾岸戦争だ。
テレビで見た戦況報道に、有働さんは強い衝撃を受けた。世界中のテレビ局の特派員たちが現地から戦況を伝えている姿に、憧れを抱いた。危険を冒してでも真実を伝えようとする記者たちの姿が、輝いて見えた。
それまで弁護士を目指していた有働さんだったが、この時を境にマスコミ業界への興味が芽生えた。ただし、アナウンサーではなく記者になることが夢だった。カメラの前で原稿を読むのではなく、自分で取材して記事を書く仕事がしたかった。
久米宏の存在

また、有働さんは大学時代から久米宏さんの大ファンだった。当時久米さんが出演していた「ニュースステーション」をよく視聴しており、久米さんのような仕事がしたいと考えるようになった。
大学で学んだ文学やコミュニケーション学も、マスコミの仕事に活かせると考えた。阪大法学部に不合格だったことが、逆に新しい道を開くきっかけとなったのだ。
記者志望からアナウンサーへ

就職活動では、NHK以外のテレビ局からも内定をもらっていた。しかし最終的にNHKを選んだのは、得意の英語を活かせる海外の放送局が多かったからだ。
小学校高学年から続けていた英会話教室は、大学時代まで継続していた。約10年間の学習によって、有働さんの英語力は相当なレベルに達していた。この英語力という武器が、NHK入社の決め手となった。
野心家な一面
ただし有働さんが希望していたのは、あくまで記者職だった。新人の自己紹介では「将来のNHK会長を目指します」と述べて周囲を笑わせるほど、野心的だった。
しかし配属されたのは、希望とは異なるアナウンス室。記者ではなく、アナウンサーとしてのキャリアがスタートすることになった。
この配属も、有働さんにとっては「想定外」だった。しかしこの想定外が、また新しい道を開くことになる。
学歴がもたらしたキャリアと挫折からの学び

有働由美子さんの学歴とキャリアを振り返ると、挫折や想定外の出来事こそが成長の糧となっていることが分かる。
NHK大阪局時代の苦労
NHK入社後、有働さんは大阪放送局に配属された。しかし新人時代は、決して順風満帆ではなかった。
発音やアクセントが下手だったことから、先輩アナウンサーのみならず視聴者からも怒られた。「私はテレビに出るアナウンサーなんかになっちゃいけないんだ」と深刻に思い悩んだ時期もあった。
記者になりたかったのに、アナウンサーになった。しかもそのアナウンサーとしても、うまくいかない。有働さんにとって、再び挫折を味わう時期だった。
先輩からの励まし
しかし、この苦しい時期を支えてくれたのが先輩アナウンサーや取材先の中高年者だった。同じ大阪局にいた堀尾正明さんからの指導や、取材先の人々からの励ましが、有働さんを支えた。
母親も心の拠り所だった。仕事で躓くと母親に電話して励ましてもらい、立ち直ることができた。2011年に母親が亡くなった時、有働さんはどれほど悲しんだだろうか。
大阪局時代の苦労が、後の有働さんの強さを育てた。挫折を経験し、それを乗り越えたからこそ、視聴者に寄り添うアナウンサーになれたのだろう。
英語力という武器の重要性

有働さんのキャリアを支えた大きな要素のひとつが、英語力だ。小学校高学年から大学時代まで約10年間続けた英会話学習が、大きな武器となった。
NHKを選んだ理由も、英語を活かせる海外の放送局が多かったから。この選択が正しかったことは、後のキャリアが証明している。
学歴だけでなく、具体的なスキルを持つことの重要性。有働さんの経験は、それを示している。どんなに偏差値の高い学校を出ていても、実務で使えるスキルがなければ意味がない。逆に、たとえ第一志望の大学に行けなくても、確かなスキルがあれば活躍の場は必ず見つかる。
有働さんの英語力は、幼い頃からの地道な積み重ねの結果だ。すぐに身につくものではない。だからこそ、価値がある。
学歴よりも大切な「諦めない心」
有働由美子さんの人生を振り返ると、学歴よりも大切なものが見えてくる。それは「諦めない心」だ。
大阪大学に不合格になった時、挫折を経験した。しかし腐ることなく、神戸女学院大学で新しい目標を見つけた。
記者になりたかったのに、アナウンサーに配属された。しかし文句を言わず、アナウンサーとして努力を重ねた。
新人時代、発音やアクセントで怒られた。しかし辞めずに、先輩の指導を真摯に受け止めて成長した。
努力を惜しまない
こうした一つひとつの選択と努力の積み重ねが、国民的アナウンサーとしての成功に繋がった。
北野高校という超進学校出身でありながら、阪大に不合格だった。この事実は、一見するとネガティブに見えるかもしれない。しかし有働さんは、その挫折をバネにして新しい道を切り開いた。
学歴は重要だ。しかし学歴以上に重要なのは、困難に直面した時にどう対応するか、挫折から何を学ぶか、という姿勢だ。有働さんの人生は、それを教えてくれる。
小学校・中学校時代に培われた基礎

有働由美子さんの成功の土台は、小学校・中学校時代に築かれた。この時期の経験が、後の彼女を支える基盤となった。
4回の転校と読書に明け暮れた小学校時代
父親が体育教師だったことから、有働さんは小学校時代に4回も転校を経験している。鹿児島で生まれ、兵庫、そして大阪へ。環境が変わるたびに、新しい友人関係を築かなければならなかった。
小学校6年生の頃に父親が教師を辞めて脱サラし、鉄鋼関連の下請け会社を経営するために大阪の豊中市に移った。この時点で、有働さんの生活は大きく変わった。
転校が多かったことは、子供にとって大きなストレスだったはずだ。しかし有働さんは、この経験を通じて適応力やコミュニケーション能力を身につけていった。
読書の習慣から得たもの
また、鹿児島の田舎に住んでいた頃は、周囲に同世代の子供が少なかった。そのため有働さんは読書に熱中した。好きな本は暗記するほど読み込んでおり、小学校時代から作文が非常に得意だった。
この読書習慣が、後の文章力やコミュニケーション能力の基礎となった。アナウンサーとして言葉を扱う仕事に就くことになったのは、偶然ではないのかもしれない。
小学校時代の有働さんは、児童会長を務めるなど模範的な生徒だった。卒業文集には「将来総理大臣になりたい」と書いている。幼い頃から社会に影響を与える仕事に憧れていたことが分かる。
英語力の原点は小学校高学年から
有働さんの英語力の原点は、小学校高学年から通い始めた英会話教室にある。父親の方針だったのか、本人の希望だったのかは分からないが、この選択が後の人生を大きく左右することになる。
中学時代にはNHKの英会話番組も聴くようになり、英語学習に本格的に取り組んだ。その結果、中学生の時点で日常会話レベルの英語を話せるようになっていた。周囲からは「英語のしゃべれる子」と呼ばれていた。
中学時代は剣道部に所属していたが、初恋の相手も同じ剣道部の男子生徒だった。ただし想いを伝えることはできず、実家近くをジョギングする彼の姿を窓から覗いていたという、初々しいエピソードも残っている。
中学生まで父親とお風呂
【はファ!?】NHK・有働由美子アナ「中1まで父親とお風呂に入っていました」https://t.co/9K19mBT2Ad pic.twitter.com/zKY5GeQkCZ
— top (@7top77) November 14, 2016
また、中学1年生まで父親と一緒にお風呂に入っていたことを、後年テレビで告白している。周りが気持ち悪いと言ってきたので「やべー、やべーと思ってやめました」と語っているが、それだけ父親との距離が近かったことが分かる。
厳格で時に厳しすぎるほどの父親だったが、有働さんにとっては大きな存在だったのだろう。その父親の価値観に反発することもあったはずだが、同時に父親から学んだことも多かった。
まとめ:挫折を糧に成功を掴んだ有働由美子

有働由美子さんの学歴を辿ると、華やかなキャリアの裏にある挫折と努力の軌跡が見えてくる。
偏差値75の超進学校・大阪府立北野高校に進学し、剣道でインターハイに出場するほどの文武両道。弁護士を目指して大阪大学法学部を受験するも不合格。父親の反対で浪人を断念し、神戸女学院大学に進学。
大学時代に湾岸戦争の報道に触れてマスコミ業界を志すようになり、記者を目指してNHKに入社。しかし配属されたのはアナウンス室。新人時代は発音やアクセントで苦労し、「アナウンサーになっちゃいけないんだ」と悩んだ時期もあった。
しかし有働さんは、そのすべての挫折や想定外の出来事を糧にして成長してきた。第一志望に不合格だったからこそ、新しい道を見つけられた。記者になれなかったからこそ、アナウンサーとして才能を開花させた。
学歴は重要だ。しかし学歴以上に重要なのは、困難にどう向き合うか、挫折から何を学ぶか、という姿勢だ。有働さんの人生は、それを体現している。
小学校高学年から積み上げてきた英語力、4回の転校で培った適応力、読書で養った文章力とコミュニケーション能力。厳格な父親のもとで育った忍耐力と礼儀正しさ。剣道で鍛えた精神力。これらすべてが、有働由美子という人物を形作っている。
49歳でNHKを退職してフリーアナウンサーに転身した時も、大きな決断だったはずだ。しかしこれまでの人生で何度も挫折を乗り越えてきた有働さんなら、新しい道でも必ず成功するだろう。
学歴が示すのは、通過点に過ぎない。大切なのは、その後どう生きるかだ。有働由美子さんの人生は、そのことを私たちに教えてくれている。


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