佐野雄大(INI)の高校は大阪府立山田高校!父子家庭で育ちながらテニス部とモデル活動に打ち込んだ青春時代

人気ボーイズグループ「INI」のメンバーとして活躍する佐野雄大さん。端正な顔立ちとダンススキルで注目を集める彼ですが、実は高校時代には思いがけない困難と向き合いながら、文武両道の日々を送っていました。

佐野さんの出身高校は大阪府立山田高校(偏差値58)。この高校でテニス部の選手として活躍し、インターハイの大阪大会に出場するほどの実力を持っていた一方で、Popteenのモデルオーディションで最終審査まで進出するという多才ぶりを発揮していました。

しかし、華やかに見える高校生活の裏には、父親と二人暮らしという家庭環境や、受験期に父親が倒れるという困難がありました。この記事では、佐野雄大さんの高校時代を中心に、中学から大学までの学歴と、彼の人格形成に影響を与えた生い立ちを詳しく解説します。

佐野雄大の学歴一覧:基本プロフィールと教育歴

佐野雄大さんは2000年10月10日生まれ、大阪府茨木市出身のアイドル・ダンサーです。身長178cm、血液型AB型で、11人組ボーイズグループ「INI」のメンバーとして活動しています。

彼の学歴を整理すると次の通りです。

  • 小学校:茨木市内の公立小学校
  • 中学校:茨木市立西陵中学校
  • 高校:大阪府立山田高校(偏差値58)
  • 大学:京都産業大学

大学3年生の時に「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」に出場し、見事合格してINIのメンバーとなりました。

佐野さんの学歴で特筆すべきは、全ての学校が大阪府茨木市または近隣地域に集中している点です。中学から高校は自転車で11分程度、高校から大学のある京都も電車で1時間半弱という距離感で、彼は生まれ育った地域を離れずに学生生活を送りました。この選択の背景には、家庭の事情が大きく関わっていたのです。

父子家庭という家庭環境

佐野さんの家族構成は、両親と本人の3人家族とされていますが、実際には複雑な事情がありました。2021年のインタビューで佐野さん自身が明かしたところによると、受験生の頃には父親と二人暮らしをしていたといいます。

いつから父子家庭になったのかは明言されていませんが、少なくとも中学から高校時代にかけては、父親と二人で生活していた可能性が高いでしょう。母親との関係が完全に断たれていたわけではなく、後に佐野さんは母親について「料理が得意じゃなかったから料理教室に通って、習った料理を作ってくれた」と語っており、良好な関係を保っていることが伺えます。

しかし、多感な時期を父親と二人で過ごすという環境は、佐野さんに大きな影響を与えました。家事を分担し、互いに支え合いながら生活する日々は、彼を早く大人にさせたのです。

佐野雄大の小中学校時代:芸能界への憧れとサッカー少年

佐野さんの出身小学校は、茨木市内の公立校とされていますが、具体的な校名は公表されていません。ただし中学校の校区から推測すると、茨木市立沢池小学校、穂積小学校、西小学校、春日丘小学校のいずれかである可能性が高いと考えられます。

子どもの頃から佐野さんには、明確な夢がありました。それは芸能界で活躍することです。テレビに映るアイドルや俳優を見て、「自分もああなりたい」と憧れを抱いていた少年は、いつかその夢を実現させることになります。

小学校時代の佐野さんは、かなりの負けず嫌いだったようです。本人も認める性格で、インタビューでは「オセロをよくやってたんですけど、自分が負けそうになったらリセットしてなかったことにしてました」と笑いながら語っています。この負けず嫌いな性格は、後のアイドル活動でも大きな武器となりました。

中学時代はサッカー部で活躍

茨木市立西陵中学校に進学した佐野さんは、サッカー部に所属します。運動神経の良さを発揮し、サッカー選手として青春を謳歌していました。この中学校は公立の共学校で、俳優の鈴木健介さんやプロレスラーの浜亮太さんなど、芸能界やスポーツ界で活躍する卒業生を輩出しています。

しかし中学1年生の時、佐野さんに不運が訪れます。サッカーのプレー中に骨折してしまったのです。スポーツをする上で骨折は致命的な怪我です。この経験が、後に高校でテニス部を選ぶことになる一つのきっかけだったのかもしれません。

芸能界へのあこがれ

中学時代の佐野さんは、サッカーに打ち込む一方で、芸能界への憧れも心のどこかに持ち続けていました。しかしまだ具体的な行動を起こすまでには至らず、まずは目の前の学業と部活動に集中する日々を送っていたのです。

中学時代は父親との二人暮らしが始まった時期でもあったと考えられます。思春期特有の反抗心と、父親への感謝の気持ちが混ざり合う複雑な心境の中で、佐野さんは大人への階段を上っていきました。

佐野雄大の出身高校:大阪府立山田高校を選んだ理由

中学卒業後、佐野さんは大阪府立山田高校に進学します。この高校は1984年開校の府立校で、偏差値58の中堅進学校です。吹田市にあり、佐野さんの自宅がある茨木市の西陵中学校からは車で約6分、自転車で約11分という近距離に位置しています。

佐野さんが山田高校を選んだ理由は明言されていませんが、いくつかの推測ができます。

第一の理由

自宅から通いやすい距離だったこと。父親と二人暮らしをしていた佐野さんにとって、家事の分担や父親のサポートを考えれば、遠い学校よりも近くの学校を選ぶ方が現実的だったでしょう。

第二の理由

偏差値58という学力レベルが、佐野さんの学力と合致していたこと。特別に難関校を目指すわけでもなく、かといって学力を軽視するわけでもない。堅実な選択だったと言えます。

第三の理由

部活動の環境です。後述しますが、佐野さんは山田高校でテニス部に所属し、インターハイの大阪大会に出場するほどの実力を発揮します。中学でサッカーをしていた彼が、高校でテニスに転向できる環境があったことも、この学校を選んだ理由の一つかもしれません。

山田高校の卒業生と校風

山田高校は、お笑いコンビ「フットボールアワー」の後藤輝基さんや、ロックバンド「SHE’S」の井上竜馬さんなど、芸能界・音楽界で活躍する卒業生を輩出しています。自由な校風で知られ、生徒の個性を尊重する教育方針を取っていました。

この環境は、芸能界への憧れを持ち続けていた佐野さんにとって、理想的だったのかもしれません。勉強一辺倒ではなく、部活動や課外活動にも力を入れられる。そして将来の夢に向かって、自分なりの道を模索できる。そんな自由な雰囲気が、山田高校にはあったのです。

同窓会のホームページに佐野さんの名前が記載されていたことから、彼がこの高校の卒業生であることが確認されています。また卒業アルバムの写真も一部流出しており、当時から端正な顔立ちをしていたことが分かります。高校時代のあだ名は「黒王子」だったそうで、イケメンとして校内で注目される存在だったことが伺えます。

山田高校時代の佐野雄大:テニス部での活躍とインターハイ出場

高校入学後、佐野さんはテニス部に所属します。中学ではサッカー部だった彼が、なぜテニスに転向したのか。その理由は明確には語られていませんが、いくつかの推測が可能です。

一つは、中学1年生の時の骨折経験です。サッカーは接触プレーが多く、再び怪我をするリスクが高いスポーツです。一方テニスは個人競技で、自分のペースで成長できる。怪我のリスクを考慮した選択だったのかもしれません。

テニス

もう一つは、テニスという競技の特性です。個人競技であるテニスは、自分の努力が直接結果に結びつきます。負けず嫌いな性格の佐野さんにとって、自分の力で勝敗が決まる競技は魅力的だったはずです。

そして佐野さんは、テニス部で目覚ましい成果を上げます。高校1年生の時には、インターハイの大阪大会に出場するほどの実力を身につけたのです。大阪府は全国的にもテニスが盛んな地域で、レベルの高い選手が多数います。その中で大会に出場できたということは、佐野さんのテニスの才能と努力を物語っています。

文武両道を実践した高校生活

偏差値58の山田高校で学業を疎かにせず、テニス部の活動にも全力で取り組む。佐野さんの高校生活は、まさに文武両道の理想形でした。部活動で培った集中力や忍耐力は、勉強にも活きたはずです。

運動神経が良く、スポーツ全般が得意だった佐野さんですが、意外なことに「運動神経が悪そう」と言われることが多かったそうです。これは恐らく、彼の優しい雰囲気や物腰の柔らかさから来る印象でしょう。実際には高い身体能力を持ちながら、それを前面に押し出さない謙虚さが、佐野さんの魅力の一つなのです。

テニス部での活動は、佐野さんに多くのものを与えました。個人競技ならではの孤独との戦い、試合でのプレッシャー、勝利の喜びと敗北の悔しさ。これらの経験は、後にオーディションに挑戦する際の精神的な支えとなりました。

生活で身に着けたもの

部活動と学業の両立は決して楽ではありませんでした。特に父親と二人暮らしという環境では、家事の手伝いも必要です。朝早く起きて朝食を作り、学校に行き、放課後は部活動、帰宅後は夕食の準備や洗濯。そして勉強。限られた時間の中で、佐野さんは効率的に物事をこなす力を身につけていきました。

高校時代のPopteenモデルオーディション挑戦

高校時代の佐野さんには、もう一つの顔がありました。それはモデルオーディションへの挑戦です。人気ファッション誌「Popteen」の専属モデルオーディションに参加し、最終審査まで進出して特別審査賞を受賞したのです。

佐野さん自身が公表している手書きプロフィールのプチ自慢欄に、このオーディション参加経験が記されています。具体的な時期は明言されていませんが、高校時代にこのオーディションを受けたと考えられています。

Popteenは10代の女性に絶大な人気を誇るファッション誌で、そのモデルオーディションは非常に競争率が高いことで知られています。全国から応募が殺到する中、最終審査まで進むことは並大抵のことではありません。佐野さんの端正な顔立ちとスタイルの良さが、審査員の目に留まったのでしょう。

モデルオーディション参加の心理

なぜ佐野さんはモデルオーディションに参加したのでしょうか。子どもの頃から芸能界に憧れていた彼にとって、このオーディションは夢に近づくチャンスだったのかもしれません。テニス部の活動と並行して、自分の可能性を試したいという思いがあったのでしょう。

しかし興味深いことに、特別審査賞を受賞したにもかかわらず、佐野さんはこの時点では芸能界入りしていません。ファッションモデルとして活動した経歴もありません。なぜ彼はこのチャンスを活かさなかったのでしょうか。

その理由は明らかにされていませんが、いくつかの推測が可能です。

  1. 父親との生活を優先したこと。父親と二人暮らしの中で、東京に行ってモデル活動をするという選択肢は現実的ではなかったのかもしれません。
  2. まだ芸能界に飛び込む勇気が持てなかったこと。憧れはあっても、本当にその道に進むべきか迷っていた。高校生の佐野さんは、まだ自分の将来を決めかねていたのです。
  3. 学業と部活動との両立を優先したこと。インターハイを目指すテニス部の活動と、高校の勉強。これらを中途半端にしてまで、モデルの道に進むべきか。佐野さんは慎重に考えた末、まずは目の前のことに集中する選択をしたのでしょう。

高校時代の「黒王子」としての日々

高校時代の佐野さんのあだ名は「黒王子」でした。この印象的なあだ名の由来は明確には語られていませんが、恐らく彼の端正な顔立ちと、やや色黒の肌から来ているのでしょう。スポーツで日焼けした肌と整った顔立ちが、王子様のようだと女子生徒たちから評判だったのかもしれません。

Popteenのオーディションで最終審査まで進み、テニス部ではインターハイに出場し、そしてイケメンとして「黒王子」と呼ばれる。華やかに見える高校生活ですが、その裏には父親との二人暮らしという現実がありました。

父親と二人で暮らすということは、家事を分担するということです。料理、洗濯、掃除。母親がいない家庭では、これらを父親と息子で協力して行う必要があります。朝早く起きて朝食を作り、学校から帰れば洗濯物を取り込み、夕食の準備を手伝う。そんな日常が、佐野さんを大人にしていきました。

受験期に訪れた試練

そして高校生活の終盤、佐野さんに大きな試練が訪れます。受験生だった時期に、父親が突然倒れてしまったのです。2021年のインタビューで佐野さん自身が語ったこのエピソードは、多くのファンに衝撃を与えました。

「僕は受験生の時にお父さんがちょうど倒れてしまって、その時お父さんと2人暮らしやったんですけど、そこからいきなり1人暮らしみたいになって。お父さんが入院しちゃって」

父親の入院により、佐野さんは実質的に一人暮らしを余儀なくされました。受験勉強をしながら、家事の全てを一人でこなす。精神的にも肉体的にも、非常に厳しい状況だったはずです。

この時期、佐野さんは「結構心が病んじゃっている」状態だったといいます。最愛の父親が入院し、一人で全てを背負わなければならない孤独。受験というプレッシャー。これらが重なり、精神的に追い詰められていったのです。

乗り越えられたきっかけ

しかし、この辛い時期を乗り越えるきっかけがありました。それがアイドルやアーティストの動画でした。落ち込んだ時にYouTubeで好きなアーティストの動画を見て、元気をもらう。音楽に救われ、パフォーマンスに勇気づけられる。この経験が、佐野さんの人生を大きく変えることになります。

「そういうところで、『自分も将来人を支えられる力を持った素敵な人になりたいな』と思うこと(気持ち)がすごく強くなった」と佐野さんは語っています。自分が救われたように、今度は自分が誰かを救いたい。この思いが、彼をアイドルの道へと導いたのです。

佐野雄大の大学進学:京都産業大学での新たな挑戦

佐野雄大(INI)の高校は大阪府立山田高校!父子家庭で育ちながらテニス部とモデル活動に打ち込んだ青春時代

高校を卒業した佐野さんは、京都産業大学に進学します。この大学は京都市北区に位置する私立大学で、偏差値は学部によって43から48程度とされています。茨木市の自宅からは電車で1時間半弱という距離です。

佐野さんがこの大学を選んだ理由は明言されていませんが、いくつかの要因が考えられます。

  • 関西圏内であること。父親の健康状態を考えれば、東京など遠方の大学に進学するよりも、実家から通える範囲の大学を選ぶのが現実的でした。
  • フランス語専攻があったこと。INIのラジオ番組「From INI」で佐野さんは、大学でフランス語を専攻していたことを明かしています。語学に興味があった彼にとって、フランス語を学べる環境は魅力的だったのでしょう。
  • 大学の雰囲気や校風が自分に合っていたこと。京都産業大学は比較的自由な校風で知られ、学生の自主性を重んじる教育方針を取っています。芸能活動との両立を考えていた佐野さんにとって、融通の利く環境は重要だったはずです。

大学生活とインドアな日々

大学に進学した佐野さんは、高校時代とは異なる生活を送るようになります。テニス部のような激しい運動部活動はせず、むしろインドアな趣味に時間を費やすようになったのです。

佐野さん自身が語るところによると、ゲームやアニメ鑑賞が趣味で、かなりインドアなタイプだそうです。自宅で過ごすことが大好きで、一人の時間を楽しむ。高校時代の活発なスポーツマンとしての顔とは、また違った一面が見えてきます。

この変化は、高校時代の経験が影響しているのかもしれません。父親の入院を経験し、一人で過ごす時間が増えた佐野さんは、孤独との向き合い方を学んだのでしょう。一人でいることを楽しみ、自分の内面と対話する。そんな時間が、彼の人間性を深めていったのです。

大学時代の佐野さんには、彼女がいたとされています。プリクラ画像が流出し、ファンの間で話題になりました。恋愛を経験することで、人間としての幅も広がったことでしょう。

大学3年生でのオーディション参加決断

大学3年生だった2021年4月、佐野さんの人生を変える出来事が起こります。サバイバルオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」への参加です。

このオーディションに応募したきっかけは、友人からの勧めでした。「雄大、オーディション受けてみたら?」という何気ない一言が、彼の背中を押したのです。最初は「自分なんか…」と躊躇していた佐野さんでしたが、テレビで活躍する「JO1」を見て、「自分もこうなりたい」という強い思いが芽生えました。

高校時代の受験期、父親が入院して一人で苦しんでいた時、アイドルやアーティストの動画に救われた経験。あの時の自分のように、今度は自分が誰かを支えられる存在になりたい。この思いが、佐野さんをオーディションに向かわせたのです。

しかし、オーディションへの参加には大きな障害がありました。佐野さんは歌もダンスも未経験だったのです。テニス部で鍛えた身体能力はあるものの、アイドルとしての基本的なスキルは何も持っていない。周囲の練習生たちが高いレベルの歌唱力やダンススキルを披露する中、佐野さんはDランクという低い評価からスタートしました。

オーディションでの成長とINIデビュー

初期評価がDランクだった佐野さんですが、彼はそこで諦めませんでした。「練習しても全然上手くなれへん。やのにみんな自分の時間削って教えてくれるのも申し訳ない」と落ち込みながらも、必死に努力を続けたのです。

高校時代のテニス部で培った忍耐力と、負けず嫌いの性格が、ここで活きました。毎日何時間も練習し、仲間からアドバイスをもらい、少しずつダンスのスキルを向上させていきました。その努力は凄まじく、ダンストレーナーも驚くほどの成長速度でした。

そして「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」で放送された「姫ビジュアルセンターを探せ」という企画で、佐野さんは見事センターに選出されます。「練習生が選ぶビジュアルが気になる練習生」としても注目を集め、その端正な顔立ちは多くの視聴者を魅了しました。高校時代の「黒王子」が、オーディション番組でも輝きを放ったのです。

最終審査前夜の試練

2021年6月の最終審査を前に、佐野さんは再び試練に直面します。前日に体調を崩し、貧血気味になってしまったのです。「実は、前日体調を崩してしまって貧血気味だったんです。そのため休んでいたのですが、夜もうまく寝つけなくて……。前夜は、そんなふうにわりと体がきつい状態で過ごしていました」と後に語っています。

最終審査という重要な場面で、体調不良に見舞われる。これは最悪のタイミングでした。しかし佐野さんは、高校時代の経験を思い出したのかもしれません。父親が入院し、一人で全てを背負った受験期。あの時も辛かったが、乗り越えた。今回も必ず乗り越えられる。そう自分に言い聞かせたのではないでしょうか。

そして最終順位10位という結果で、佐野さんは「INI」のメンバーに選ばれました。11人のメンバーのうちの一人として、彼は新たなステージに立つことになったのです。

真摯な態度

オーディション合格後、佐野さんは謙虚にこう語っています。「実力を大幅に伸ばしたいです。今の僕は全てにおいて未熟で、到底世界で戦えるレベルではありません。チームの足を引っ張りたくないので、実力をつけて全てのレベルを思いっきり上げたい!」

この言葉には、佐野さんの真摯な姿勢が表れています。選ばれたからといって天狗にならず、自分の課題を冷静に分析し、さらなる成長を目指す。高校時代にテニスで培った向上心が、ここでも発揮されているのです。

高校時代の経験が現在のINI活動に与えた影響

佐野雄大さんの高校時代を振り返ると、その全ての経験が現在のINI活動に活きていることが分かります。

テニス部での個人競技経験は、自己管理能力と精神的な強さを養いました。試合でのプレッシャーに耐え、一人で戦う孤独と向き合った経験は、オーディションやライブでの緊張に打ち勝つ力となっています。

Popteenのモデルオーディションへの挑戦は、カメラの前に立つことへの免疫を作りました。審査員の前でポーズを取り、自分の魅力をアピールする。この経験が、ステージ上でのパフォーマンスに自然さを与えているのです。

そして何より、父親の入院という試練を乗り越えた経験が、彼の人間性を深めました。一人で家事をこなし、勉強し、受験を乗り切った。この経験があるからこそ、INIとしての忙しい活動の中でも、スケジュール管理や自己管理ができるのです。

父子家庭で育った強さ

佐野さんは、父親と二人で暮らした経験について、ネガティブには語りません。むしろ、その経験が自分を成長させてくれたと感謝しています。家事ができるようになり、父親の大変さが理解できるようになり、そして一人でも生きていける力がついた。

母親についても、決して悪く言うことはありません。料理教室に通って自分のために料理を学んでくれた母親を「頑張ってて可愛い」と表現する優しさ。家族への愛情と感謝の気持ちが、佐野さんの人柄の基盤となっています。

成人式の時、父親がプロジェクターを買ってくれたというエピソードも、二人の絆の深さを物語っています。高校時代の試練を共に乗り越えた父子の関係は、強い信頼で結ばれているのでしょう。

INIとしての活躍と今後の展望

2021年11月、INIは1stシングル「A」でメジャーデビューを果たしました。この曲はオリコンデイリーチャート初登場1位を獲得し、初週だけで50万枚を売り上げるという快挙を成し遂げます。

佐野さんも、INIのメンバーとして様々な音楽番組やバラエティ番組に出演し、知名度を上げていきました。端正な顔立ちと笑顔の魅力で、多くのファンを獲得しています。

INIのラジオ番組「From INI」では、同じ大阪出身の後藤威尊さんや尾崎匠海さんと関西トークを繰り広げ、大阪弁で楽しく話す姿がファンに好評です。高校時代の「黒王子」としての華やかさと、関西人らしい親しみやすさが融合した魅力が、佐野さんの個性となっています。

大学については中退したのではないかという噂もありますが、真相は定かではありません。大学3年生の時にオーディションに参加し、INIとしてデビューしたことを考えると、学業との両立は相当困難だったことでしょう。しかし、どのような選択をしたとしても、それは佐野さん自身が考え抜いた結果です。

高校時代にPopteenのオーディションで特別審査賞を受賞しながらモデルにならなかった佐野さんが、大学時代のオーディションでINIのメンバーになった。この違いは何だったのでしょうか。それは恐らく、タイミングと覚悟の問題だったのでしょう。

高校時代はまだ、芸能界に飛び込む勇気が持てなかった。父親との生活もあり、学業も疎かにできなかった。しかし大学3年生になり、自分の将来を真剣に考えた時、「今しかない」と決断したのです。受験期に父親が入院し、アイドルに救われた経験。その恩返しをしたいという強い思いが、彼に勇気を与えました。

佐野雄大さんの高校時代は、決して平坦な道ではありませんでした。父子家庭という環境、受験期の父親の入院、精神的な苦しみ。しかし、これら全ての経験が、今の彼を作り上げているのです。

大阪府立山田高校でテニス部に打ち込み、Popteenのオーディションに挑戦し、「黒王子」と呼ばれた青春時代。その全てが、INIの佐野雄大として輝くための準備期間だったのです。高校での文武両道の経験、試練を乗り越えた精神力、そして人を救いたいという純粋な思い。これらが融合して、現在の佐野さんが存在します。

「僕は何か救うことができるわけではない、ごく普通の大学生です」と謙遜していた彼は、今やINIのメンバーとして、多くの人々に笑顔と感動を届けています。高校時代に自分がアイドルに救われたように、今度は彼が誰かを救う番なのです。

佐野雄大さんの学歴ストーリーは、挫折と成長の物語です。父子家庭という環境も、受験期の試練も、全てが彼を強くしました。そして今、その強さと優しさで、INIとして世界に挑戦しています。大阪府立山田高校で過ごした3年間は、彼の人生の土台となった、かけがえのない時間だったのです。

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