池松壮亮の学歴を徹底解説!福岡大濠高校から日本大学芸術学部へ。子役から俳優へ成長した軌跡

演技派俳優として確固たる地位を築いている池松壮亮さん。

2023年公開の『シン・仮面ライダー』で主演を務めたことでも話題になりましたが、実は子役時代から一貫して「学業優先」を貫いてきた人物です。

10歳で劇団四季のミュージカル『ライオン・キング』のヤングシンバ役でデビューした池松さんですが、当時の本当の夢は「プロ野球選手」でした。

オーディションを受けたのも「野球カードを買ってあげるから」という親の提案がきっかけだったというから驚きです。

本記事では、池松壮亮さんの小学校から大学までの学歴と、各時期の成長過程を詳しく解説します。

進学校出身でありながら俳優業と部活動を両立させた学生時代、そして映画監督を志して進学した大学時代の真実に迫ります。


池松壮亮の学歴まとめ

まず、池松壮亮さんの学歴を一覧で確認しましょう。

  • 出身小学校福岡市立大池小学校(1997年4月入学・2003年3月卒業)
  • 出身中学校
    福岡市立野間中学校(2003年4月入学・2006年3月卒業)
  • 出身高校
    福岡大学附属大濠高校(2006年4月入学・2009年3月卒業)
    偏差値:61(やや難関)
  • 出身大学日本大学芸術学部 映画学科監督コース(2009年4月入学・2013年3月卒業)
    偏差値:48(やや容易)

池松さんの学歴で最も注目すべきは、高校卒業まで地元福岡で過ごし、仕事のたびに東京へ通っていたという点です。

芸能活動を理由に首都圏の学校へ転校する子役が多い中、池松さんは地元での学業を優先する選択をしました。

この「地元の学校を最後まで卒業する」という姿勢が、池松さんの人間性を形作ったともいえるでしょう。


小学校時代|野球少年から子役への転身

福岡市立大池小学校での6年間

池松壮亮さんは福岡市南区にある公立小学校、大池小学校で小学校時代を過ごしました。

家族構成は両親と姉、妹、弟の6人家族。父親は株式会社ブルクという住宅や店舗のインテリアデザイン企画・設計を手がける会社の社長で、経済的に恵まれた環境で育ちました。

姉の池松日佳瑠さんは後に劇団四季の女優となる人物で、池松さんが芸能界に入るきっかけも、この姉の存在が大きく影響しています。

劇団四季『ライオン・キング』でのデビュー秘話

池松さんは両親の勧めで、小学校時代に姉とともに児童劇団に在籍していました。

そして10歳だった2001年に、劇団四季の『ライオン・キング』のヤングシンバ役のオーディションを受けることになります。

しかし、このオーディション、実は池松さん本人はあまり乗り気ではありませんでした。

当時は野球に夢中で、人前に出ることも苦手なタイプ。オーディションなんて受けたくなかったのが本音でした。

ところが母親が「野球カードを買ってあげるから」と提案したことで状況が一変。野球カード欲しさにオーディションを受けたところ、なんと見事に合格してしまったのです。姉の日佳瑠さんもヤングナラ役に合格し、きょうだい揃って舞台デビューを果たしました。

この「野球カードがきっかけ」というエピソードは、池松さんが後年のインタビューで明かしたもので、計算ずくではなく偶然が重なって俳優への道が開けたことを物語っています。

新庄剛志が創設した野球チームでプレー

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デビュー後も池松さんの野球への情熱は冷めませんでした。小学校時代は新庄剛志さんが創設した軟式少年野球チーム「長丘ファイターズ」に所属し、本格的に野球をプレー。

同じチームには、後にプロ野球選手となる古本武尊さん(元中日ドラゴンズ)もいました。二人は小学校から高校まで同級生で、野球を通じて深い友情を育んでいきます。

当時の池松さんにとって、将来の夢は俳優ではなく「プロ野球選手」。舞台で脚光を浴びるよりも、グラウンドでバットを振ることの方が楽しかったのかもしれません。


中学校時代|トム・クルーズとの共演と野球部での活躍

福岡市立野間中学校での3年間

小学校を卒業した池松さんは、同じく福岡市南区にある公立中学校、野間中学校に進学しました。

この学校は大池小学校の卒業生の多くが進学する地元の中学校で、池松さんも例外ではありませんでした。

中学時代も俳優業、学業、部活動の三つを並行して取り組む多忙な日々が続きます。しかし池松さんは決して芸能活動を優先せず、学校生活を大切にする姿勢を貫きました。

ハリウッド映画『ラストサムライ』での衝撃的デビュー

中学1年生だった2003年、池松さんの俳優人生において大きな転機が訪れます。ハリウッド映画『ラストサムライ』でスクリーンデビューを果たしたのです。

トム・クルーズ演じる主人公と心を通わす少年・飛源役を演じた池松さんの演技は高く評価され、第30回サターン賞では若手俳優賞にノミネートされました。

面白いのは、当時の池松さんはトム・クルーズのことをよく知らなかったというエピソード。世界的スターとの共演にも関わらず、あくまで一人の野球少年としての感覚を保っていたことがわかります。

応募者1万人超の映画『鉄人28号』で主演

2005年、中学2年生のときには映画『鉄人28号』で主演に抜擢されます。

応募者1万人以上の中から主人公・金田正太郎役に選ばれたことは、池松さんの演技力が既に中学生時代から際立っていたことを証明しています。

しかし池松さん本人は、中学時代も「俳優になろう」と決めていたわけではありませんでした。

あくまで夢はプロ野球選手。俳優業は親に勧められて続けている、という感覚だったようです。

野球部での青春

中学時代も野球部に在籍し、部活動にしっかりと打ち込んでいました。幼馴染の古本武尊さんとは同じ野球部で汗を流し、お互いの夢を語り合う仲でした。

俳優活動で多忙な中でも、練習や試合を休まず参加する池松さんの姿は、チームメイトからも一目置かれる存在だったといいます。


高校時代|進学校での学業と軟式野球部での活躍

福岡大学附属大濠高校への進学

中学卒業後、池松さんは福岡大学附属大濠(おおほり)高校に進学します。

この学校は1951年開校の福岡大学の系列校で、偏差値61程度の進学校として知られています。

同校は福岡大濠公園のすぐ近くに位置し、地元では「大濠(おおほり)」の愛称で親しまれている伝統校。

バスケットボール部や硬式野球部が全国レベルの強豪で、文武両道を重んじる校風が特徴です。

池松さんはこの高校に一般受験で合格しました。俳優活動で多忙な中、受験勉強にも励んで合格を勝ち取ったことは、彼の真面目な性格を物語っています。

ちなみに池松さんが在籍していた時期は完全な男子校で、2012年から男女共学化されています。

硬式ではなく軟式野球部を選んだ理由

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高校入学後、池松さんは野球部への入部を決めます。しかし選んだのは硬式野球部ではなく、軟式野球部でした。

本当は甲子園出場経験もある強豪の硬式野球部に入りたかったのですが、練習の厳しさと俳優活動の両立は現実的に不可能だと判断。苦渋の決断で軟式野球部を選びました。

それでも池松さんは仕事の合間を縫って部活動に打ち込み、軟式野球部ではレギュラーを獲得。さらに副キャプテンも務めました。

ポジションはピッチャーとセンター。あるインタビューで池松さんは「誰も信じてくれないんですけど、高校の時、野球部だったんですけど一番声大きかったですね」と語っています。

静かで落ち着いた俳優としてのイメージとは対照的に、野球部では大きな声を出してチームを引っ張るムードメーカーだったというから意外です。

福岡と東京を往復する高校生活

高校時代の池松さんは、学業を優先するため撮影期間の長い連続ドラマを避け、主に単発のドラマや映画に出演していました。

そして仕事のたびに福岡から東京へ移動する生活を送っていました。多くの子役が芸能活動を優先して首都圏の高校へ転校する中、池松さんは首都圏への転校を選ばず、地元の高校を卒業するという道を選んだのです。

福岡から東京への往復は体力的にも精神的にもハードだったはずですが、池松さんは地元の友人たちとの時間、そして野球部での活動を何よりも大切にしていました。

高校3年生のときには映画『DIVE!!』で主演を務めるなど、俳優としてのキャリアも着実に積み上げていきました。

文化祭で女子校生が殺到

当時の大濠高校は男子校だったため、校内に女子生徒はいません。しかし文化祭のときには状況が一変しました。

周囲の女子校の生徒たちが池松さん目当てで押しかけ、文化祭は大盛況。俳優として活躍しながら、野球部の副キャプテンとして部活動にも打ち込む池松さんの姿は、女子生徒たちにとって非常に魅力的に映ったのでしょう。


大学時代|映画監督を志した日藝での4年間

日本大学芸術学部 映画学科監督コースへの進学

高校卒業後、池松さんは日本大学芸術学部に進学しました。専攻は映画学科監督コースです。

日本大学芸術学部、通称「日藝(にちげい)」は、学部創立100年以上の歴史を持つ国内初の芸術総合学部。写真学科、美術学科、音楽学科、文芸学科、演劇学科、放送学科、デザイン学科、映画学科の8学科があり、各界に多数の著名人を輩出しています。

池松さんが選んだ映画学科は、さらに映像表現・理論コース、監督コース、撮影・録音コース、演技コースに分かれています。

興味深いのは、俳優として既に活躍していた池松さんが、演技コースではなく「監督コース」を選んだこと。

俳優としてカメラの前に立つだけでなく、映画制作全般を学びたいという強い意志があったのでしょう。

監督コースの先輩には、映画監督の深作欣二さんや俳優の笹野高史さんがいます。

大学にはあまり行かなかった4年間

大学進学を機に池松さんは上京し、18年間過ごした地元福岡を離れました。しかし大学生活は意外なものでした。

後年のインタビューで池松さんは「学校に行っていなかった。先生と映画の話をしただけで帰るとか、行く途中に映画館や喫茶店に入っちゃったりとか」と正直に語っています。

大学に行く途中で映画館に入り、手当たり次第に映画を観る。喫茶店にふらっと入り、そのまま考え込んで一日過ごす。そんな毎日だったといいます。

教室での授業よりも、実際の映画作品から学ぶことを優先していたのです。この姿勢は、形式的な学びよりも本質的な学びを重視する池松さんらしい選択だったともいえます。

俳優業の本格化と朝ドラ出演

大学時代も俳優業は継続していました。むしろ上京をきっかけに活躍の場が大きく広がっていきます。

大学2年生の2010年には映画『半分の月がのぼる空』で主演。大学4年生の2012年にはNHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』に出演し、知名度が一気に上昇しました。

朝ドラ出演により、池松壮亮という名前は全国的に知られるようになります。子役時代から積み重ねてきた演技力が、ようやく広く評価されるようになったのです。

卒業制作と日藝賞受賞

「あまり大学には行っていなかった」と語る池松さんですが、大学はしっかりと卒業しています。2013年3月に日本大学芸術学部を卒業しました。

卒業制作では監督を務め、『灯火』という作品を制作。この作品は2015年に下北沢トリウッドでも上映されています。俳優としてだけでなく、監督としての才能も発揮したのです。

日藝には「日藝賞」という独自の賞があり、日藝出身者の中でその年に最も活躍した人物を、在学生などの投票で決定します。過去の受賞者には三谷幸喜さんや真田広之さんがいますが、池松さんも第10回の日藝賞を受賞しました。

2022年には大学100周年を記念して制作された「日藝100周年記念動画」で主演を務めるなど、母校からの評価も非常に高いことがわかります。

先輩・蒼井優さんとの交流

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在校期間は重なっていませんが、同じ日藝映画学科の先輩である女優の蒼井優さんには、よく可愛がってもらったそうです。

蒼井優さんは池松さんより7歳年上で、同じ日藝映画学科の卒業生。2018年の映画『宮本から君へ』では、池松さんが主演、蒼井優さんがヒロインを演じ、日藝の先輩後輩が共演を果たしました。


大学卒業後の活躍と現在

日本アカデミー賞新人賞受賞

大学卒業後、池松さんは俳優業に専念します。2014年、24歳のときには映画『紙の月』での演技が高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。

宮沢りえさん主演のこの映画で、池松さんは大学生・光太役を演じ、繊細かつ複雑な心理描写で観客を魅了。

子役時代から培ってきた演技力が、ついに大きな賞という形で認められました。

個性的な役柄への挑戦

以降、池松さんは数々の話題作に出演していきます。

『MOZU』(2014年)では刑事役、『デスノート Light up the NEW world』(2016年)では竜崎役、『銀と金』(2017年)では森田鉄雄役、『宮本から君へ』(2018年)では主人公・宮本浩役など、一つ一つの役柄が全く異なる個性的なキャラクターばかり。

池松さんの演技の幅の広さと、役に完全に入り込む演技力が評価され、演技派俳優としての地位を確立していきました。

『シン・仮面ライダー』主演と大河ドラマ出演

2023年3月には庵野秀明監督の『シン・仮面ライダー』で本郷猛/仮面ライダー役として主演を務めました。

「仮面ライダーを復活させるという素晴らしい挑戦と機会をいただき、とても光栄に思っています」とコメントし、新たなチャレンジに臨みました。

2024年には目黒蓮さん主演のドラマ『海のはじまり』で南雲水季の同僚・津野晴明役を演じ、静かながらも印象的な演技で話題を集めました。

そして2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、なんと豊臣秀吉役に抜擢されています。

主人公は秀吉の弟という設定で、池松さんが演じる新しい秀吉像がどのようなものになるのか、大きな期待が寄せられています。

バラエティ番組での意外な一面

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数は多くありませんが、池松さんはバラエティ番組にも出演することがあります。

真面目で寡黙なイメージの池松さんですが、バラエティ番組では意外とユーモアのある一面を見せることもあり、俳優としての幅の広さを感じさせます。高校時代に「野球部で一番声が大きかった」というエピソードを思い出させる、明るい表情を見せることもあります。


まとめ|文武両道を貫いた学生時代が育んだ演技力

池松壮亮さんの学歴を振り返ると、子役時代から一貫して「学業優先」の姿勢を貫いてきたことがわかります。

福岡大濠高校という進学校に一般受験で合格し、俳優業と野球部の活動を両立させながら卒業まで地元福岡に留まった選択は、池松さんの芯の強さを物語っています。

多くの子役が芸能活動を優先して首都圏へ転校する中、池松さんは「地元の学校を最後まで卒業する」ことにこだわりました。福岡から東京へ仕事のたびに移動する過酷なスケジュールを、高校卒業まで続けたのです。

野球への情熱は高校時代まで続き、プロ野球選手という夢と俳優という現実の間で葛藤しながら青春時代を過ごしました。

野球部を引退したときに「本気で仕事として俳優をやる」と決意したという池松さん。その決断の重みが、現在の演技力の深さにつながっているのでしょう。

日本大学芸術学部では演技コースではなく監督コースを選択し、演技だけでなく映画制作全般を学びました。

「あまり大学には行っていなかった」と語りながらも、卒業制作では監督を務め、しっかりと卒業した事実は、池松さんの真摯な姿勢を表しています。

10歳でデビューしてから25年以上が経過した現在、池松壮亮さんは日本映画界を代表する演技派俳優の一人となりました。

学業、部活動、俳優業という三つの道を同時に歩み続けた学生時代の経験が、現在の多彩な演技力の礎となっています。

2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』での秀吉役をはじめ、今後もますます活躍の場を広げていくであろう池松壮亮さん。その演技から目が離せません。

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