池田エライザの学歴!福岡第一高校から通信制に転校し大学進学せず!ハーフならではの苦労と自撮りの神への道

女優、ファッションモデル、映画監督、歌手と多方面で活躍する池田エライザさん。「自撮りの神」として話題になり、SNSを駆使して知名度を上げた先見の明を持つ才女としても知られています。

日本人の父とフィリピン人の母を持つハーフとして生まれ、幼少期にはいじめも経験した池田さんですが、現在は芸能界の第一線で活躍しています。

この記事では、池田エライザさんの学歴(高校・中学校・小学校)について、出身校の偏差値や当時のエピソードとともに詳しくご紹介します。

中学1年生で「ニコラ」専属モデルに選ばれ、高校時代にクラウドファンディングで写真集を出版するなど、常に時代の先を行く彼女の学生生活に迫ります。

池田エライザ(いけだ えらいざ)のプロフィール

池田エライザさんの基本プロフィールをご紹介します。

  • 本名:池田依來沙(いけだ えらいざ)
  • 生年月日:1996年4月16日
  • 出身地:フィリピン生まれ、福岡県福岡市育ち
  • 身長:169cm(170cmとの情報もあり)
  • 血液型:A型(B型との情報もあり)
  • 職業:女優、ファッションモデル、映画監督、歌手
  • 所属事務所:エヴァーグリーン・エンターテインメント

池田さんは日本人の父とフィリピン人(スペイン系フィリピン人)の母を持つハーフです。

母親のリザ・ビリエーガスさんはフィリピンでモデルや歌手として活躍しており、日本でもジャズ歌手として活動していました。

2009年に中学1年生で「ニコラ」の専属モデルオーディションでグランプリを獲得し芸能界入りし、現在は多方面で活躍しています。

池田エライザの学歴まとめ

まず、池田エライザさんの学歴を一覧でまとめます。

  • 出身大学:進学せず
  • 出身高校:福岡第一高校→第一薬科大学付属高校通信制課程
  • 出身中学校:福岡市立香椎第三中学校
  • 出身小学校:福岡市立香椎東小学校

池田さんは地元福岡の公立校で小中学校時代を過ごし、高校は私立校に進学後、より本格的に芸能活動をするため通信制高校に転校しました。

高校卒業後は大学に進学せず、芸能活動一本に絞る道を選んでいます。

池田エライザの出身小学校は福岡市立香椎東小学校

日本とフィリピンのハーフとして

池田エライザさんの出身小学校は、地元福岡市内の公立校である香椎東小学校です。フィリピンで生まれた池田さんは、幼い頃に福岡市に転居し、上京するまで福岡で暮らしていました。

家族構成は両親と兄2人、弟の6人家族です。日本人の父とフィリピン人(スペイン系フィリピン人)の母を持つハーフで、母親はモデルと歌手をしていました。

池田さんの堂々とした振る舞いやスタイルの良さは、母親の影響が大きいとされています。

インタビューでは父親と母親の性格は正反対だと述べており、父親は読書好きで、その影響で池田さんは8歳の頃から読書に親しむようになりました。

これまでかなりの数の書籍を読んできたそうです。

男勝りな野生児だった幼少期

男兄弟に囲まれて育った池田さんは、自身を「男勝りな性格」としており、小学校時代は山や木に登るほどの野生児だったと話しています。

ゲームにも熱中していたそうで、活発な少女時代を送っていました。

また4歳から11歳までの8年間、クラシックバレエを習っていました。

バレエの発表会などで何度も舞台に立った経験があったため、当時から人前に出て何かすることは得意でした。そのため中学時代にモデルになった際も緊張などはしなかったそうです。

小学校時代のいじめ体験

しかし池田さんの小学校時代には、辛い経験もありました。8歳から9歳の頃、ハーフということと個性的な雰囲気から周りとは違う存在として見られ、「外人」などとからかわれていじめに遭っていたのです。

受け入れてもらえないこともあり、当時は「保健室登校」をしていました。読書好きだった池田さんは、学校の図書館に入り浸ることが多かったといいます。本の世界が彼女にとっての避難場所だったのかもしれません。

しかし後述するように、中学校時代に「ニコラ」のモデルになると状況が一変します。

小学校時代に池田さんをいじめていた人たちが「手のひら返し」で急に優しくなったそうです。このことから、池田さんは軽い人間不信になってしまったといいます。

池田エライザの出身中学校は福岡市立香椎第三中学校

読書好きで図書委員を務める

池田エライザさんの出身中学校は、地元福岡市内の公立校である香椎(かしい)第三中学校です。

池田さんは出身中学校を公式には明らかにしていませんが、インターネット上やTwitterにはこの中学校への在籍情報が複数見られます。

中学時代も帰宅部で、部活動などはおこなっていません。中学でも読書が大好きだった池田さんは図書委員を務めており、作家を志した時期もあったことをインタビューで明らかにしています。

「もともとは作家志望だったんです! 意外かもしれませんが、昔は小説ばかり読んでいて、図書委員もやっていました。本を忘れると、学校に行く電車で気が気じゃなくて(笑) 今でも本が大好きです」

当時から多才なタイプで、将来の選択肢も広く考えていたようです。

中学1年生で「ニコラ」専属モデルに

池田さんの人生を大きく変える出来事が起きたのは中学1年生の時でした。友達に誘われてローティーン向けのファッション誌「ニコラ」の専属モデルオーディションに応募したところ、グランプリに輝いて芸能界入りを果たしたのです。

ちなみに池田さんがこのオーディションを受けたきっかけは、「ニコラ」の読者の友達に一緒に受けようと誘われたからで、それまでは「ニコラ」をあまり読んだことはありませんでした。

この2009年のオーディションでは、池田さんのほかに藤田ニコルさんや古畑星夏さん、松井愛莉さんもグランプリを受賞しています。豪華なメンバーですね。

以降、池田さんは本名の「池田依來沙」名義でファッションモデルとしての活動を開始しました。ただし当時の「ニコラ」は藤田ニコルさんや飯豊まりえさんらの人気が高く、池田さんは高校2年生の時に「ニコラ」を卒業するまで単独表紙は1回に留まっています。

モデル活動でオシャレに目覚める

池田エライザの学歴!福岡第一高校から通信制に転校し大学進学せず!ハーフならではの苦労と自撮りの神への道

意外にもファッションモデルをはじめる前まで、池田さんは洋服などに無頓着でした。しかしモデルをはじめたことでオシャレにも気を使いはじめたことをインタビューで明らかにしています。

「中2の終わりぐらいまでは無頓着だったんですけど、モデル活動を始めてから自分の周りが全員かわいい子になっちゃったから『やべえ!』って思って、とりあえずお下がりを着るのではなく、服を買うことから始めました」

周りの環境が変わったことで、自分も変わろうと努力したのです。

中学3年生でアイドルユニット結成と女優デビュー

中学3年生の時、池田さんは同じくニコラの専属モデルで同期だった松井愛莉さんや春川芽生さん、古畑星夏さんとともにユニット「♡4ever(ラブフォーエバー)」を結成しました。

ただしこのユニットはあまり話題にならなかったことから、後に自然消滅しています。また同じ年には映画「高校デビュー」で女優デビューも果たしました。

ただし中学3年生の頃までは意識が低く、芸能活動をアルバイト感覚でおこなっていたと池田さん自身が述べています。本格的に芸能活動に力を入れるのは、高校時代からでした。

池田エライザの出身高校は福岡第一高校から第一薬科大学付属高校へ

最初は福岡第一高校に進学

池田エライザの学歴!福岡第一高校から通信制に転校し大学進学せず!ハーフならではの苦労と自撮りの神への道

池田エライザさんは当初、私立の共学校である福岡第一高校に進学しました。

学校概要と偏差値

  • 学校名:福岡第一高校
  • 偏差値:38(かなり容易)
  • 所在地:福岡県福岡市
  • 設立年:1956年

この高校は1956年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。特にバスケットボール部は全国的な強豪として有名です。

池田さんは出身高校を公式には明らかにしていませんが、インターネット上やTwitter上にはこの高校への在籍情報が複数見られます。

元HKT48の菅本裕子さんはこの高校の2学年上に在籍しており、当時の池田さんについて「かわいくて、食堂ですれ違う時毎回ビビってたよ」とコメントしています。

ちなみにこの高校は芸能活動を禁止していませんでした。

池田さんは中学時代に芸能界入りしており、高校入学後もファッションモデルや女優として活動していたため、芸能活動が可能な学校を選んだのでしょう。

意外にも友達が少なかった高校時代

華やかな芸能活動をしていた池田さんですが、意外にも高校時代はあまり目立つ存在ではなく、友達も多くなかったと述べています。

当時は「根暗だった」とも語っており、校内ではたった1人の親友と行動をともにすることが多かったそうです。

池田さんは高校時代、学校が終わるとすぐに家に帰っていたことをインタビューで明かしています。

「地元電灯少ない おばけ怖い 母の夜ご飯おいしい の三拍子揃っていたから早く帰らないわけがなかったです」

仕事があったため部活動もおこなっておらず、学校での交友関係は限定的だったようです。

「ニコラ」卒業後「CanCam」専属モデルに

高校時代も中学時代に引き続いて人気ファッション誌「ニコラ」の専属モデルを務めていましたが、高校2年生の時に卒業しています。

そして「ニコラ」卒業から2か月後には、これまた人気ファッション誌「CanCam」の専属モデルに起用されました。

この時に芸名を「池田依來沙」から「池田エライザ」に変更しています。当時はファッションモデルとして高い人気を誇っていました。

ただし「CanCam」の初めての撮影では泣いてしまったことをインタビューで明らかにしています。

「キャンキャンでは服の見せ方から鞄の持ち方、指先の見せ方、ロケバスの座る順番まで全部が厳しくて、初めての撮影ではいっぱい泣きました。課題も沢山あって大変でしたが、仕事に対する充実感はさらに増しましたね」

レベルの高さに圧倒されながらも、努力を重ねていったのです。

海外ファッション誌を立ち読みして研究

当時は海外のブランドにあまり詳しくなかったことから、池田さんは書店で海外のファッション誌を立ち読みして研究していました。

その際には夜の8時くらいまで書店にいたこともあったそうです。また洋書を読み漁って、ファッションやモデルについて勉強もしています。

芸能人としての華やかさの裏には、地道な努力がありました。

福岡と東京を往復する多忙な日々

中学時代から高校2年生までの池田さんは、平日を地元福岡市で過ごし、週末は東京で過ごして仕事をするという生活をしていました。

移動だけでも大変だったと思いますが、モデル業と学業を両立させるため頑張っていたのです。

なお「CanCam」の専属モデルは2018年まで務めており、高橋メアリージュンさんや西山茉希さん、橋本奈々未さんらとともに同誌の看板モデルとして人気を博していました。単独で表紙に起用されたこともあります。

高校3年生で第一薬科大学付属高校通信制に転校

池田さんは本格的に芸能活動をするため、高校3年生だった2014年4月に第一薬科大学付属高校の通信制課程に転校しました。

学校概要

  • 学校名:第一薬科大学付属高等学校 通信制課程
  • 偏差値:なし(通信制のため)
  • 所在地:福岡県福岡市
  • 設立年:1966年

この高校は1966年開校の私立高校で、九州で唯一の芸能コースを設置していることで知られています。

また入学した福岡第一高校とは姉妹校なので、編入もスムーズだったはずです。

池田さんは通信制課程に転校後、上京して拠点を東京に移しました。ファッションモデルのほか、女優としても活動を本格化させるための決断でした。

オーディションに落ち続けた時期

池田エライザの学歴!福岡第一高校から通信制に転校し大学進学せず!ハーフならではの苦労と自撮りの神への道

しかし当時の池田さんは、ファッションモデルとしては人気が高かったものの、女優としてはさほど多くの作品に起用されていませんでした。目立ったところでは高校2年生の時にホラー映画「絶叫学級」に起用されたことくらいです。

ちなみにこの映画はホラー映画ながら、ブレイク前の川口春奈さんや広瀬アリスさん、松岡茉優さんや波瑠さん、山本美月さんなど豪華なメンバーが出演していました。

池田さんは当時、オーディションに落ちる日々が続いていましたが、「人のせいばかりにしていました」とインタビューで正直に話しています。

「オーディションを受けても受けても全然仕事が決まらなかった頃は、人のせいにばかりしていたんです。『大人が私のことをわかってくれないから受からないんだ』って。そうやって大人を攻めているうちに、『自分なんてダメだ』と思うようになって、何もできなくなってしまって…」

高校時代の池田さんはネガティブな思考に陥っていたのです。

事務所スタッフの助言で前向きに

しかし事務所のスタッフからアドバイスを受け、考え方が変わりました。「オーディションで本当の自分をちゃんと出して、それを見てもらってダメだったら、『今回は合わなかったんだな、じゃあ次頑張ろう』ってなるし、本当の自分で勝負してダメだったということは、今の自分では足りないものがあったんだなと思うと自分を磨こうとも思える」と前向きになったのです。

この考え方の転換が、後の成功につながっていきます。

SNSを活用した先見の明

池田さんは福岡時代から、SNSを使って情報を発信するのが得策と考えていました。当時はまだあまり芸能人が用いていなかったTwitterで情報発信をし、さほどテレビ出演など多くなかった時期からフォロワーを増やして名前を売っていったのです。

なおTwitterに関しては本来の自分を出し過ぎているとも語っており、フォロワーから芸人扱いされることもあるそうです。

またその際の自撮り写真が評価されて「自撮りの神」などと称されたこともありました。

とはいえ自撮りについてもかなり努力したことをインタビューで述べています。華やかに見える「自撮りの神」も、実は地道な努力の賜物だったのです。

高校3年生でクラウドファンディングに挑戦

池田さんの先見の明を示すエピソードとして特筆すべきなのが、高校3年生の時におこなったクラウドファンディングです。

池田さんは300人から約280万円もの資金を調達し、初のモデルブック「@elaiza_ikd」を出版しました。

当時を振り返って、クラウドファンディングをはじめた経緯についてこう話しています。

「当時はテレビにも出ていなかったので、出版社からお金を頂いて正式なカタチで出しても売れないだろうなと思っていましたし。あと、どうしてもファン参加型にしたくて、リアルな意見を聞きながらものづくりをするっていうのが私のやり方に合ってると思いました」

当初は不安も感じていましたが、現役女子高生がクラウドファンディングや編集長をやることが話題になって注目され、モデルブックの売れ行きも好調になって成功しました。

当時はクラウドファンディングもあまり浸透していない時代でしたから、この取り組みは本当に「先見の明」がありました。

このように高校時代の池田さんは様々なことにチャレンジしており、また非常に努力家であることが窺えます。

なお高校時代は仕事と学業を両立させて、高校は無事に卒業しています。

池田エライザは大学に進学せず芸能活動一本に

進学しない決断

池田エライザさんは高校卒業後、大学などに進学せずに芸能活動に専念しています。高校3年生の時のインタビューで、進学しないことを明らかにしていました。

「ずっと進学しようと考えていたんですけど、今の生活が楽しくて魅力的で、自分の中で想像してるこの先が楽しみすぎるので、進学はせずに自分のペースで自分の頭を成長させていこうと決めました」

自分の将来を見据えた上での決断だったのです。

高校卒業年に転機となる作品に出演

高校を卒業した2015年、池田さんは女優として転機となった映画「みんなエスパーだよ」にヒロインとして起用されました。

ただし当時の池田さんはお金がなく、どうやって食べていこうか悩んでいたとインタビューで話しています。華やかに見える芸能界でも、下積み時代は苦労があったのです。

とはいえこの作品で女優として注目されたことから、その後は主演映画も製作されるようになりました。

また連続ドラマへの出演も増えていき、女優としてのキャリアが本格的にスタートしていきます。

映画監督デビューと音楽活動

池田エライザの学歴!福岡第一高校から通信制に転校し大学進学せず!ハーフならではの苦労と自撮りの神への道

2020年公開の映画「夏、至るところ」では、初の映画監督を務めることが決まりました。女優だけでなく、クリエイターとしても才能を発揮しはじめたのです。

さらに歌唱力を活かして音楽番組への出演も増えてきました。今後はマルチに活動を展開していきそうです。

「貞子」やCM出演で知名度上昇

テレビドラマや映画の主演に起用されるようになり、期待の若手女優のひとりとして名前が挙がるようになりました。特に「貞子」での演技は話題になっています。

またCMへの出演も多く、「三太郎シリーズ」で人気の高いauのCMにも出演するなど、一般層への認知度も高まりました。さらにInstagramなどのSNSも好評で、フォロワーも多数います。

まとめ:いじめを乗り越え、先見の明で道を切り開いた努力家

池田エライザさんの学歴を振り返ると、地元福岡の公立校から私立高校を経て通信制高校に転校し、大学には進学せず芸能活動一本に絞るという選択をしたことがわかります。

出身高校は福岡第一高校(偏差値38)から第一薬科大学付属高校の通信制課程に転校し、2015年に卒業しました。高校卒業後は大学に進学せず、女優・モデルとして活動の幅を広げていきました。

日本人の父とフィリピン人の母を持つハーフとして生まれ、小学校時代には「外人」とからかわれていじめに遭った経験を持つ池田さん。

保健室登校をしていた辛い時期もありましたが、中学1年生で「ニコラ」の専属モデルオーディションでグランプリを獲得し、人生が大きく変わりました。

高校時代には、当時まだ浸透していなかったクラウドファンディングを活用して写真集を出版したり、SNSを駆使して知名度を上げたりと、常に時代の先を読む先見の明を発揮してきました。「自撮りの神」と称されるようになったのも、地道な努力の賜物です。

女優としてはオーディションに落ち続け、人のせいにしてしまう時期もありましたが、考え方を変えて前向きに努力を重ねた結果、現在は映画やドラマの主演を務めるまでになりました。

さらに映画監督デビューも果たし、音楽活動もおこなうなど、マルチな才能を発揮しています。

いじめという辛い経験を乗り越え、ネガティブな思考から前向きな姿勢に転換し、常に新しいことに挑戦し続けてきた池田エライザさん。

今後もさらなる活躍が期待されます。池田エライザさんの今後の活動から目が離せません。

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