志尊淳の高校は聖学院高校から日出高校へ編入!学歴と家出や俳優デビューの経歴まとめ

人気俳優の志尊淳さんは、特撮ドラマ「烈車戦隊トッキュウジャー」での主演を機に広く知られるようになりました。

現在ではドラマや映画で活躍する中堅俳優として認識されていますが、その俳優キャリアの礎となった高校時代には、劇的な人生経験を積んでいました。

本記事では、志尊淳さんの出身高校、中学校から高校への進学経緯、そして俳優デビューに至るまでの詳細な学歴と経歴について解説します。

志尊淳の基本プロフィール

志尊淳さんは1995年3月5日生まれ、東京都足立区出身の俳優です。身長178㎝、体重57kg(変動あり)のスポーツ万能なタレントとして知られています。

本名も志尊淳で、D-BOYSのメンバーとしてワタナベエンターテインメントに所属していました。血液型はA型で、幼少期からの運動能力の高さが特徴です。

2024年には個人事務所への移籍も話題となり、現在も俳優としての活動を継続しており、ドラマや映画、舞台と多岐にわたるキャリアを展開しています。

志尊淳の出身中学校と学生時代の転機

聖学院中学校への進学と野球部での活躍

志尊淳さんは足立区の公立小学校を卒業した後、私立の男子校・聖学院中学校へ中学受験で進学しています。

聖学院中学校は偏差値51程度の私立校で、プロテスタント系のミッションスクール(宗教系学校)として知られています。この中学校は後の高校進学に関わる重要な施設となります。

中学入学後、志尊さんは野球部に入部し、キャッチャーで4番を務めるなど主力選手として活躍しました。

小学校時代から運動神経が優れていた彼は、部活動に本格的に取り組むようになったのです。

中学3年生でのドラマティックなダイエット経験

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中学時代の志尊さんのピーク時の体重は70㎏でしたが、中学3年生で野球部を引退した時期に人生で最も劇的な体験をすることになります。

その転機は母親の一言から始まりました。金銭的に恵まれていない家庭環境の中で、母親が志尊さんに対して「1㎏痩せたら1000円あげる」と提案したのです。

中学生にとってアルバイトができない環境では、この1000円は非常に魅力的でした。志尊さんはダイエットを決意し、ゼロカロリー飲料を飲み、ところてんを食べ、毎日ひたすら走るというストイックな方法を選択しました。

当時の本人の言葉によれば、このダイエット方法は「今考えるとかなり不健康」な内容でしたが、わずか2か月でマイナス18㎏という劇的な体重減少に成功し、合計1万8000円を獲得したのです。

しかし、過度なダイエットの代償は大きく、志尊さんは倒れて入院することになり、点滴を打つ必要に迫られました。

その後、この経験を母親に強く止められたものの、このダイエットが意図せずに体質を変え、その後はあまり太りにくい体になったと述べています。

興味深いことに、ダイエット後の夏休み終了後に学校に行くと、クラスメイトは皆で「脂肪吸引したのか?」と驚嘆したほどの劇的な変化でした。

さらに、外見が変わると人間関係も変わることを身をもって体験することになります。

それまであまりモテなかった志尊さんですが、ダイエット後には女性からの好意が急増し、バレンタインデーには40個のチョコレートを受け取るほどの人気を獲得したのです。

成績向上と英語学習への本格的取り組み

中学時代の志尊さんは野球部の活動に注力していたため、学校の成績は振るわず、当初は学年300人中180位という下位レベルでした。

しかし、野球部を引退後は学業に注力し、わずかな期間で学年TOP10(7位)にまで成績を上げています。

この成績向上の過程で、志尊さんは特に英語を重点的に勉強し、中学時代に英検2級を取得するまでに至りました。

英語への取り組みは後々のキャリアにも活かされることになり、カンヌ映画祭のイベント参加時にも普通に英語で受け答えできるレベルまで習得していました。

中学時代の芸能事務所スカウトと慎重な決断

中学3年生の時期、志尊さんは原宿で芸能事務所からスカウトされるという経験をしました。しかし、この段階では自信がなかったことから、スカウトを受け入れませんでした。

当時から志尊さんは明確なポリシーを持っており、本人の言葉によれば「きちんと養成所で演技を学んでから芸能界に入りたい」という考えを持っていたのです。

さらに興味深いことに、彼はお金をもらいながら学ぶのではなく、先に学んでから仕事をしてお金をもらうのが筋だと考えており、この倫理観の高さが後の成功につながったと考えられます。

中学時代の異例のモテ期

中学3年生に入ると、志尊さんは月に30人の女性から告白されるほどの人気を集めるようになりました。

さらにバレンタインデーには、県外から他校の女性生徒も殺到したというエピソードがあり、その人気ぶりが伺えます。

志尊淳の出身高校:聖学院高校での俳優への道

聖学院高校への進学と高校時代の特徴

志尊淳さんの出身高校は、中学校と同じく私立の男子校・聖学院高校です。

この高校は1903年開校のプロテスタント系ミッションスクールで、完全中高一貫校となっており、高校からの募集がありません。

そのため偏差値は推定値となりますが、中の上レベル(推定57程度)と考えられています。

志尊さんは本人から出身高校を明かしていませんでしたが、インターネット上やツイッターに在籍情報が複数存在し、聖学院高校のフェイスブックでも彼にエールを贈るコメントが掲載されるなど、出身校であることが確認されています。高校時代は部活動に参加せず帰宅部に属していました。

ワタナベエンターテインメントスクール入校と演技への開眼

高校1年生だった2010年、志尊さんは大手芸能事務所ワタナベエンターテインメント傘下の俳優養成所「ワタナベエンターテインメントスクール(WES)」に入校します。

この決断は、中学時代のスカウトから数年経過し、徐々に俳優という職業への興味が高まっていったことに起因しています。

本人は俳優を目指したきっかけについて「さっぱりとしていて『じゃあやってみようかな』という感じでした。ダメだったらダメでいいと思っていたし、部活の代わりの習い事といった感覚でした」と述べており、当初は軽い気持ちでの入校だったようです。

ただし両親の対応は非常に理解的で、「やるからにはしっかりやりなさい」と後押ししてくれる一方で、「やめたくなったらやめればいい」というゆるい方針で見守っていました。

WESでは基礎的な演技を学び始めた志尊さんでしたが、その真摯な取り組みぶりは目を見張るものがありました。

入校からわずか3か月で審査会1位を獲得し、ワタナベエンターテインメントへの所属が決定されるのです。

舞台「テニスの王子様」での俳優デビュー

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同時期に、志尊さんはミュージカル舞台「テニスの王子様」のオーディションを受けることを勧められました。

このオーディションで彼は合格を果たし、高校2年生だった2011年に舞台で俳優デビューを遂行することになったのです。

初めての大舞台は想像以上の大変さでした。

本人は「デビューは大きな舞台でのミュージカルだったので、勉強したことも吹き飛ぶぐらいの大変さでした。演技だけでなく、ダンスあり、アクロバットありだったので稽古についていくのに必死で。そして、いざ舞台に立つと、想像以上に大きな舞台と多くのお客様を目の前にして、責任を感じました」と述べています。

この舞台での実績が評価され、志尊さんは高校2年生の7月にワタナベエンターテインメントの有望な若手俳優グループ「D2」に所属することになります。

D2には後に人気俳優となった山田裕貴さんや西井幸人さんらも属していました。

テレビドラマ・映画への出演開始と家出

高校3年生だった2012年から、志尊さんはテレビドラマや映画への出演も始まります。

しかし意外にも、この時期はオーディションになかなか受からず、多くの挫折を経験していました。

高校時代の仕事が増えるにつれ、志尊さんは重大な人生決断を迫られることになります。

それは家出です。日出高校時代に、志尊さんは1年間もの家出を経験しました。その理由は、芸能界入りして以降、家族とケンカする機会が増えたことと、自立しなければならないという強い気持ちからでした。

家出の際には祖母に目撃されるという場面がありました。

本人は「顔面蒼白で涙流して『淳、どこ行くの?』って言われたんですよ…。でも僕はそのおばあちゃんの顔を見て何も答えられなくて『ごめん』って家を出たんです」と述べており、その時の複雑な心情が伝わります。

家出中は住民票を移し、1年間にわたって家族とは音信不通でアルバイト生活をしながら芸能活動を継続していました。

実家に話し合いのために戻った際には、母親と祖母が泣いており、兄からは「母親泣かせるってどういうことかわかってるんだろうな」と殴られてしまっています。

しかし志尊さんは引けずに、「(芸能活動を)覚悟を持ってやらなきゃだめだ」と決意して家には戻らなかったのです。

その後、時間の経過とともに家族との関係は修復されることになりました。

高校3年生での球技大会とMVP獲得

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高校時代の思い出として、志尊さんが挙げるのは高校3年生の時の全学年・クラス対抗の球技大会(バスケットボール)です。

本人は「クラスによって球技大会に臨むモチベーションはまちまちでしたが、僕らのクラスは団結して1番を目指しました。僕自身も『勝つ!』という強い気持ちを押し出して全力でプレーしました」と述べており、その大会では優勝を達成し、志尊さん自身がMVPを獲得しています。

聖学院高校中退と日出高校への編入

高校時代は仕事が忙しかったことから、志尊さんはあまり学生生活を満喫できなかったと述べています。

そして最終的には、高校3年生の途中で芸能活動に専念するために聖学院高校を中退することを決断しました。

その後、志尊さんは日出高校(現在は目黒日本大学高校)の通信制課程に編入・転校しています。

日出高校は1903年開校の私立高校で、古くから芸能コースを設置していたため、多くの芸能人を輩出していることで知られています。

日出高校通信制課程での川栄李奈との同級生生活

通信制課程と芸能人との共学

日出高校通信制課程で注目される点は、当時AKB48のメンバーだった川栄李奈さんと同級生だったということです。

ただし、通信制課程であるため毎日顔を合わせることもなく、高校時代のふたりはあまり話をしなかったとのことです。

一方、同年代の日出高校全日制の芸能コースには、女優の松岡茉優さんやタレントの朝日奈央さん、ももいろクローバーZ(ももクロ)の百田夏菜子さん、シンガーソングライターの家入レオさん、元乃木坂46の能條愛未さんや西野七瀬さんなど、後に活躍する多数の芸能人が在籍していました。

通信制高校でのキャリア継続と卒業

通信制課程への編入後も、志尊さんはなお家出の状況が続いており、アルバイト生活をしながら芸能活動と学業を両立させていました。

それでも本人は高校にはちゃんと通学しており、通信制高校を無事卒業しています。

志尊淳の高校卒業後のキャリア展開

大学進学せずに芸能活動に専念

高校卒業後、志尊さんは大学には進学せず、芸能活動に専念することを選択しました。

この決断は、すでに舞台やテレビ出演で実績を積んでいたことと、キャリアを優先させるという戦略的判断に基づいていたと考えられます。

19歳でのブレイク:烈車戦隊トッキュウジャー

志尊さんのキャリアを大きく変える転機となったのが、19歳で出演した特撮戦隊シリーズ「烈車戦隊トッキュウジャー」でした。

この作品で主役のライト/トッキュウ1号を務めることになったのです。

本人は「『烈車戦隊トッキュウジャー』以前とそれ以降とでは、環境がガラリと変わりました。この作品以降、オファーというものをいただけるようになりましたし、それ以降に受けたオーディションではほぼ役をいただけるようになった」と述べており、この作品が自身のキャリアの分岐点であることを明確に示しています。

それまでのオーディションでは落ち続けていた志尊さんでしたが、このオーディションでは「あ、これはいけるかもしれない」と手応えを感じたそうです。

約2000人の候補者からの抜擢は、志尊さんの「笑顔と元気さ」が評価されたことによるものでした。

その後の俳優活動の拡大

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烈車戦隊トッキュウジャー以降、志尊さんは話題作の連続ドラマや映画に立て続けに起用されるようになります。

翌年には連続ドラマ「表参道高校合唱部!」にレギュラー出演し、主演の芳根京子さんをはじめ、高杉真宙さんや葵わかなさん、森川葵さんなど、後に売れっ子になった俳優や女優らと共演しています。

2017年に出演した映画「帝一の國」では、菅田将暉さんや野村周平さん、竹内涼真さんや千葉雄大さん、間宮祥太朗さんらといった豪華なイケメン俳優陣とのコラボレーションが大きな話題となりました。

志尊淳の小学校時代から高校までの人生を形作った要素

運動能力と競技経験の重要性

志尊淳さんの人生に大きな影響を与えたのが、幼少期からの優れた運動能力です。

小学校時代の野球と剣道(区大会優勝レベル)、中学校での野球部での活躍といった経験は、単に身体を鍛えるだけではなく、苦労を乗り越える力、チームの一員として活動する力、そして競争社会での成功の喜びを学ぶ機会となったのです。

経済的困難と自立の精神

志尊さんは小学5年生の時に両親が離婚し、その後は母子家庭で育っています。

本人は「夜逃げみたいなことをした」とも述べており、経済的に恵まれていない環境の中での成長を経験しました。この経験が、後の家出での自立心や、仕事に対する真摯な姿勢を形作ったと考えられます。

明確なポリシーと倫理観の重要性

中学時代のスカウト時に、志尊さんが「先に学んでから仕事をしてお金をもらう」というポリシーを示したことは、単なる若年者の一言ではなく、彼の人生観を表現していました。

このポリシーが後のWESでの真摯な学習につながり、わずか3か月での審査会1位という快挙を生み出したのです。

まとめ:志尊淳の高校経歴が示すもの

志尊淳さんの高校時代の経歴は、単なる一俳優のサクセスストーリーではなく、困難な環境の中での自立心、明確なポリシーに基づいた人生選択、そして努力の継続によって初めて成功がもたらされることを示しています。

聖学院高校から日出高校通信制課程への編入、1年間の家出、そして高校3年生の途中での中退という一般的には「順風満帆」とは言えない進学経路を歩みながらも、志尊さんは19歳での特撮ドラマでのブレイクを経て、現在の人気俳優としての地位を築き上げたのです。

現在も多くのドラマや映画、舞台で活躍する志尊淳さんは、若い世代のアスピラント(志望者)にとって、困難な環境でも夢を追い続けることの重要性を示す存在となっています。

その今後のさらなる活躍に期待が集まっており、彼のキャリアの続きがどのように展開するのかは、多くのファンの関心事となっています。

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